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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
136/192

二年孟秋 寒蟬鳴 7



「間に合わないか……」


 月季が呟いた。声に焦りが滲む。


 昊尚の執務室を出て、預かってもらっていた自分の馬を探すのに少し手間取った。

 もう羅城の門の閉まる時間になってしまう。門が閉まったら何とか通る手段はないだろうか。


 乗ってしまいたいのを我慢しながら愛馬の手綱を持って足早に歩いていると、皇城東側の真義門を出たところで声がかかった。


「月季様」


 呼ばれて振り向くと眉を下げた忠全の顔があった。隣には理淑もいる。


「月季殿、黙って行くなんてあんまりです」


 理淑が頬を膨らませる。


「どうして理淑殿まで来てるの?」


 月季が気まずい顔で言うと、忠全が答えた。


「壮哲陛下が、月季様は朱国へ行こうとするから目を離さないように、と理淑様にも言ってくださったんです」


 忠全の隣に立つ理淑が、そうなんです、と頷いた。



 




 昊尚が黄国のことを調べると言って月季と壮哲を残して応接室から出ていくと、それと入れ替わりに佑崔がやって来た。


「お探ししました。太医署へ行くとおっしゃったのにいらっしゃらないので」


 太医署で理淑に残した伝言を聞いてやって来たと言う。


「ああ。それはすまなかった」


 壮哲が言うと、佑崔が、いえ、と頭を下げた。


「それより、縹公が待っていらっしゃいます。お戻りいただけますか」

「わかった」


 壮哲は立ち上がり、剣につけた琥珀を手にしてそれを見つめる月季に目をやった。


「月季殿」


 壮哲が呼ぶと、月季は琥珀をぎゅっと握って顔を上げた。


「何?」

「部屋を用意させるから、それまでここで待っててくれ。準備ができたら誰か案内に来させる」


 それに対して少し抵抗を示すように月季が無表情な顔で壮哲を見る。その顔に思わず笑う壮哲を月季は眉間に皺を寄せて睨んだ。


 壮哲は部屋を出て扉から離れると、回廊で待機していた忠全を手招きした。

 畏まってやってきた忠全に壮哲が言った。


「大雅殿から、月季殿をしばらく預かってほしいと頼まれてる。忠全も月季殿に怪我をさせたのを後悔してるのならば、今度はきちんと護衛の任務を果たしたいだろう」

「はい」


 忠全が酷く恐縮して返事をした。すると壮哲が声を落として言った。


「月季殿は恐らく朱国へ行こうとする。もう直ぐ門が閉まるが今日中に行こうとするかもしれない。だがまだ体調は回復してない筈だ」


 忠全の温和な顔が強張る。


「今度はちゃんと止めるんだぞ」


 そう壮哲が念を押すと、忠全は背筋を伸ばし神妙に頷いた。

 壮哲が忠全の肩を、ぽんぽん、と叩いて去ろうとすると、理淑が回廊の向こうからやってくるのが見えた。

 立ち止まって壮哲が待っていると、理淑は気付いて小走りにやってきた。


「壮哲様! ご伝言ありがとうございました。……月季殿はいますか?」

「応接室にいる。来てくれてちょうどよかった。理淑、お前にも頼んでおこうと思ってたんだ」


 壮哲の言葉に理淑が首を傾げた。


 壮哲は大まかに事情を話し、理淑にも月季が単独行動をしないようついていてくれるように頼んだ。

 理淑も月季以上に無茶をする質なので、月季に同調しかねないとは思ったが、月季の体調がまだ回復していないことを強調した。そして、時には引き留めることも大事な人を守る方法の一つだ、と言い含めると、理淑は、わかりました、と神妙な顔で請け負った。







 月季は、自分を行かせまいとする決意を全面に表している忠全と、心配そうな理淑の顔を交互に見て短く溜息を吐いた。

 受叔が黄国の再興を目論んでいるという仮説は、月季の不安をより大きくしていた。


 申黄国の最後の王に直接手をかけたのは、当時、反乱勢の中でも中心的役割を果たしていた紅国の太祖だったとされている。それに、完全に逆恨みだとは思うが、先祖を滅亡に追いやった人物の興した紅国が今だに存続していることは、黄国を再興しようとしている末裔としては面白くないに違いない。

 黄国の再興を目指すというのは、やはり紅国の最後をも望んでいるのではないかという気がしてならなかった。


 ならばまだ火種が小さいうちに消しておきたい。


 そう考えると、大人しく静養などしている気にはなれなかった。


 ちょうど壮哲が応接室から出て行ったのは都合が良いと思っていたところに、理淑がやって来た。理淑には申し訳ないが、用を足してくると言って部屋を抜け出した。部屋の外で待機していた忠全がついて来ようとしても、「まさか用を足しに行くと言うのに付いて来る気ではないでしょうね」と言って追い払った。


 しかし、あの時理淑らは承知の上で自分を行かせたのだ。

 わざわざ忠全たちに言いつけをして行った壮哲に、月季は苛立ちを覚える。

 そんなことを考えながら複雑な顔をして立つ月季の手を理淑が取った。


「まだ体調は万全ではないですよね。じっとしていられない気持ちはすっごくわかります。でも、お願いですからもう少し体調が回復するまで静養してください」


 理淑の明るめの碧色の瞳に心配そうに見つめられて月季は、う、と言葉に詰まる。

 壮哲は忠全だけでは押し切られると踏んだから理淑にも月季の監視を頼んだのだろう。一晩中看病してくれた理淑にこんなふうに言われれば、月季も無下にできないのを見抜いている。


「届けなければならないものがあるのよ」


 それでも月季が言うと、理淑が答える。


「聞きました。黯禺のこと。玄亀の石を持って行こうとしてるんですよね」


 そう。目下のところ黯禺の存在がいちばんの不安要素なのだ。黯禺を安全に始末するには玄亀の石は一つでも多いに越したことはない。ここで無駄に自分が持っていてはいけない。


 月季が頷くと、理淑がぎゅっと月季の手を握った手に力をいれる。


「とっても気持ちはわかります。私が月季殿の立場だったら、きっと同じようにしようとしたと思います」


 そう言ってきゅっと理淑が口を引き結ぶと、再び口を開いた。


「でも、壮哲様に先手を打たれて諭されちゃいました。今回は引き留めることが月季殿を守ることになるぞって。それに、明日の朝早くに昊尚殿が朱国へ行くから、体調の悪い月季殿が行くよりも預けた方がきっと早いって」


 壮哲が理淑を上手く懐柔していることにも腹が立つ。


「知らせないといけないこともあるの」


 辛受叔の目的が黄国の再興かもしれない、ということを伝えないといけない。

 月季は声が幾分低くなるのを抑えられず尚も言うと、理淑が月季をじっと見た。


「えっと、月季殿がそう言ったら、こう言えって、壮哲様が言ってたんですけど……"慧喬陛下ならお気づきになっていると思う"、だそうです」


 そう言われて月季は反論の言葉に窮した。


 確かに。


 月季もそれには同意せざるを得ないと思った。

 受叔が黄国の再興を目指しているという仮説は、月季にとっては衝撃の発想だった。

 しかし、昊尚が気付いたのなら、慧喬ならば書状で知らせた内容で同じことに気付くだろう。

 知らせなくてはならないとばかり考えて頭が回っていなかった自分に呆れていると、理淑が首を傾げて少し背の高い月季を覗き込んだ。


「月季殿。やっぱりまだ顔色が良くないです。月季殿に何かあったら、私も勿論だけど、周りの人間もすごく心配します」


 理淑が怪我をした時に言った言葉が月季に返ってきた。

 月季は、はあ、と溜息を吐く。


「……わかったわ」


 観念してふと顔を上げると、月季の動きが止まった。目が通りの向こうに見つけたものに釘付けになっている。


「どうしたんですか?」


 険しい顔をして一方向を見る月季に理淑が声をかけた。


「ちょっと待って……」


 月季はそう呟くと、馬を忠全に預けて、視線を向けていた方向へ走り出した。


「月季殿?」


 理淑が慌てて後を追う。

 月季は少し行くと、曲がり角で立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回している。


「何かいたんですか?」


 理淑が追いついて月季に尋ねると、月季は焦れた様子で目を(すが)めている。


「……見間違いならいいけど……」

「月季様、どうされたのですか」


 急に様子の変わった月季に、心配そうに後をついてきた忠全が言った。


「……朱国の宮城で受叔と話をしてた男がいたような気がしたの」


 月季は尚も辺りに目を彷徨わせながら言う。


「え?」


 突然のことに忠全がまごつく。


「内廷に入ろうとした時に私を見咎めた男よ」


 漸く月季の言わんとすることを理解して忠全の表情が引き締まった。


「本当ですか?」

「遠目だったから絶対って確信はないけど……」


 月季の目が記憶を辿るように(くう)を見つめ、そして首を振った。


「いや、あれはやっぱりあの時の男だったわ」

「手に黄色の布を巻いていましたか?」

「多分それはなかったわ……。してたらもっと目立ってすぐに気付くもの」


 月季は、状況が飲み込めず視線が月季と忠全の間を行ったり来たりしている理淑に向かって言った。


「ごめん。説明は後でさせて。ちゃんと戻るって約束する。だからちょっと待ってて」


 眉間に皺を寄せて男を見失った通りへと目を向けると言った。


「忠全、お前もあの男の顔、覚えているわね? 手分けして探すわよ」


 手にしていた月季の愛馬の手綱を理淑に預かってもらうと、忠全も月季が指した繁華街へと男の探索に向かった。






 

 結局、朱国の宮城で受叔と一緒にいた男を見つけることはできなかった。


 月季は理淑と昊尚の執務室へ戻り、史館から帰ってきていた昊尚に受叔の側近と思われる男を見かけたことを話した。

 それを聞いた昊尚は、月季を理淑とともに壮哲の元へ連れて行った。

 二人が内廷の応接室で待っていると、少しして壮哲が大股で入って来た。月季の顔を見るとその縹色の目は僅かに安堵したように見えた。

 壮哲には文句を言ってやろうと思っていた月季だったが、その顔を見て何故か言葉に詰まり、そのまま横を向いた。


「采陽の城内で受叔の側近らしき男を見かけたと聞いたが?」


 壮哲が月季の向かい側に座りながら、横を向いたままの月季に聞くと、月季が不機嫌な声で言った。


「……そうよ。誰かが私を監視するみたいにしたことにむかついてるんだけど、仕方ないから教えてあげに来たのよ」

「すまなかった。来てくれて感謝する」


 壮哲の皮肉のない真っ直ぐな言葉に毒気が抜かれ、月季は溜息を一つ吐いて壮哲に向き直った。


「……東側の門を出たところで見かけたの。先刻話した内廷で受叔と話をしていた人物。痩せてて目だけが異様に鋭くて、絶対に農民じゃない。農作業なんてしなさそうな男。門から見て南の方向だったわ」

「東側の門というと、真義門か」


 壮哲が聞いた。


「そうです」


 理淑が月季の代わりに答える。それに頷いて更に壮哲が尋ねる。


「その男は一人だったか?」

「わからない。私が気付いたのはその男だけ。追ったけど見失ってしまったの。その辺りの一帯は忠全と手分けして探したけど、見つからなかった。花街がある辺りだから人が多くて紛れられてしまったみたい」


 月季の話を聞いて、壮哲は卓に肘をついて手を組み黙り込んだ。


「陛下、朱国へ立つのは一旦中止します」


 一緒に話を聞いていた昊尚が言うと、壮哲が顔を上げた。


「ああ。そうだな」


 そして月季を見て言った。


「月季殿、教えてくれてありがとう。こちらでも花街のあたりに人をやって怪しい者がいないか探索する」

「私も行くわ」


 月季が立ち上がりかけると、壮哲が首を振った。


「申し出は有難いが遠慮しておく。月季殿、顔色が悪いぞ。代わりに探索には忠全を貸してくれ」


 月季が不満を顔中に表すと、壮哲が苦笑した。


「部屋を用意してある。頼むから休んでくれ」


 そう言うと、月季の返事を待たず理淑に顔を向けた。


「理淑も月季殿と一緒に泊まって行くといい。碧公には私から言っておく」


 月季は、自分が無断で行動しないように見張らせるつもりなのだな、と憮然とするが、理淑の少し嬉しそうな顔を見ると不平は飲み込まざるを得なかった。



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