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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
128/192

二年孟秋 白露降 5

**



 陽豊門へ続く通りは普段よりも人が多かった。

 月季は左方向に見える占拠されたと聞いた宮城に目を向ける。壮哲には行かない方が良いと言われたが、それを聞くつもりはなく朱国へ来た。護衛の兵士も危険だからと反対をしたが、月季が譲らないので結局はついて来ていた。

 首都寧豊の城内へは西側の月明門が開け放されたままで、すんなりと入ることができた。


 寧豊の町なかには、見る限り危惧したような危険はないようだった。しかし、不安そうな顔で大きな荷物を背負い、足早に城外への門を目指す何人もの者とすれ違った。寧豊に元から住む者が避難していくのだろう。

 逆に宮城の方向へ向かう者たちの歩調はゆっくりとしていた。それらの人々の手首に巻かれた黄色の布が目につく。

 陽豊門前の広場に近づくと、人の流れが悪くなった。

 どうやら食べ物を支給しているらしく、それを目当てに並ぶ人の列ができている。

 配っているのは農民風の男女で、やはり手首には黄色の布を巻いている。しかし黄翁らしき者は見当たらない。

 月季は宮城の閉ざされた門を見つめた。

 宮城が占拠されたというのに、町が思ったほど混乱をしていないのはどういう訳なのだろうか。

 月季は旅人を装い、通りを歩く者に一体何があったのか聞いてみた。


「黄翁様が悪者を滅ぼして、私たちのための国を作ってくださるんですって。黄翁様が私たちを幸せにしてくれるんですよ」


 夢見るような表情でそう言った女性の手首には、案の定、黄色の布が巻かれていた。

 今度は、大きな荷物を持って足早に逆方向へ歩く、黄色の布を巻いていない壮年の男女に声をかけた。すると、黄翁が民に向けて演説を行なったことを教えてくれた。


「……俺らを傷つけるつもりはなさそうなことを言っていたけど……何か……」


 男がそう言い淀んだ。月季が首を傾げてその先を促すと、男は連れと顔を見合わせて声を落として言った。


「……黄朋とかいう奴ら何か変なんだ……。あいつらが配ってたものを食べたうちの隣の奴が何かおかしくなったんだよな」


 男が話すのを聞いて、連れもうんうんと頷く。おかしいとはどう言うことかと月季が聞くと、男は更に声を落とした。


「……それまで胡散臭いとか言ってたくせに、急に、黄翁様、とか(あが)めだして……」


 だからここにいるのは気味が悪くなって、今のうちに寧豊から避難をすることにしたと言う。

 黄翁はどんな者だったのかと聞くと、二人とも、遠目で見ただけだからよくわからないと答えた。

 そんな遠くからで黄翁の演説が聞こえたのかと月季がふと眉を顰めると、改めて二人も首を傾げた。


「……そう言われればそうだな……。でも、確かに聞こえたんだよなぁ」


 不思議そうに顔を見合わせた。

 二人に礼を言って別れると、月季は改めて容易に黄翁の手に落ちてしまった宮城を見た。

 今の話を聞いた限りでも、黄翁は普通の老人ではない。

 声を通常よりも遠くまで飛ばすことができる仙人の技がある、と聞いたことがあるのを月季は思い出していた。

 陽豊門広場では、食料が配られている列はまだ長く続いている。

 月季は一度きゅっと形の良い唇を結ぶと、じっと後ろで控えている護衛を振り返って言った。


「あの列に並んで配っているものを手に入れてきて」


 護衛が困惑した表情を浮かべて月季を窺う。


「……月季様はどうされるのですか?」

「私はそこで待ってるわ」


 月季が広場の入口あたりを指差す。護衛はその指の方向に疑わしげな眼差しを向けた後、再び無言で月季を見る。


「何? じゃあ私にあの列に並べって言うの?」


 腕を組んで月季が冷たく言うと、護衛は渋々列の方へと足を向けた。


「……絶対に危ないことはしないでくださいね……」


 護衛は何度も後ろを振り返りながら列の最後尾へと向かった。

 護衛が列に並ぶのを見届けると、月季は商店の並ぶ通りへとそっと引き返した。




 再び陽豊門へ現れた月季は、粗末な短褐(ふく)を調達し、それに着替えて農民を装った。顔にも若干細工をし、その容貌が目立たないようにした。そして手首には黄色い布を巻いた。

 月季は列に並ぶ護衛に見つからないように人の波の流れに紛れ、食料を配布している側に何食わぬ顔で入り込んだ。そして置いてあった籠を手にとると、周りの動きに合わせ元々いたように振る舞った。そうしながら門の中へ入ろうとする者を待ち、その後に続いた。


 月季が朱国へ来た目的は、黄翁の顔を確認することだ。


 護衛の兵を列に並ばせたのは、中には連れていきたくなかったからだ。万が一月季の危惧する最悪の想定が現実になった場合を考えると、自分一人の方が都合が良い。

 月季は首に掛けた紐の先の石を確認するように握った。

 脇門から宮城の中へ入ると、月季は履物の紐が解けた振りで屈み、列を離れた。

 月季は澄季を捕えるために朱国へ来た時に頭に入れた宮城の配置図を元に、外廷のうち当たりをつけた場所へと向かった。

 時折見たことのある顔とすれ違いどきりとしたが、月季には気がつかないようだった。思ったよりも人がいて、月季の行動は怪しまれることはなかった。

 しかし、朝政を行う丹輝殿の玉座も確かめたが、黄翁の姿はない。

 月季は人気(ひとけ)が無くなるのを待って、閉ざされている内廷の門へ近づいた。

 その脇門の扉に手をかけようとした時、不意に気配を感じて振り向くと、男が不機嫌な顔で立っていた。


「そちらへは入ってはいけないと言われたでしょう」


 その男は服装が農夫なだけで、佇まいが他の黄朋たちとは明らかに違っていた。農作業などできそうにない瘦せぎすな身体に目だけがぎょろりと異様に鋭い。


「すみません。迷っちゃって」


 不穏な空気を感じ取り、月季が顔を伏せると、それを男が探るようにじっと見た。月季は一旦退散した方がいいか、と立ち去ろうとする。


「ちょっと待て……」


 ふと男が何かに気づいたように月季の方へ近づこうとした。騒ぎを起こすのは避けたいが、月季は短褐の下に隠した剣を念のため探った。その時。


「何してるんだ、こっちだぞ」


 月季に向かって声がかけられた。声の方を見ると、置いてきたはずの護衛が農夫のなりをして籠を片手に手を振っている。

 男が振り返ってそれを見た。その隙に月季は男の脇をすり抜ける。


「はぐれちゃって」


 そう言いながら焦った振りで護衛の方へと小走りで向かった。


「探したぞ」


 護衛がわざと男に聞こえるように言う。

 ぺこぺこと頭を下げながら、月季は背に神経を集中させた。男はこちらをじっと見ているようだが追って来る気配はない。

 角を曲がり、柱の陰から振り返ると、男は内廷への脇門をくぐるところだった。

 月季は、は、と短く息を吐く。


「無礼な言い方をして申し訳ありませんでした!」


 いきなり護衛ががばっと頭を下げた。月季はそれをちらっと見て言う。


「お前……ええと、そうか。名前は何だったかしら」

「……張忠全です……。……いつもお供させていただいてます……」


 そう言いながら護衛の兵は、名前を覚えられていなかったことに少しばかり傷ついた顔をする。


「わかった。覚えたわ。忠全、どうして着いて来たのよ」


 月季が言うと、忠全は眉を下げた。


「護衛ですから当たり前です……。月季様、私を撒こうとするのはもう勘弁してください」

「今回ばかりは危険なのよ」

「それをお守りするのが私の役目です。今だってお役に立てたのではないかと……」


 忠全が情けない顔をして月季を見る。


「まあ、中々いい演技だったわ」


 月季が苦笑すると、忠全が懇願するように言った。


「もう行きましょう。月季様に何かあったら陛下に申し訳が立ちません」

「ここまで来てるのに何言ってるの。まだ目的を達していないわ。お前はついて来ないで。忠全、命令よ」


 そう言うと月季は周辺を確認し、再び内廷への門へ急いだ。

 月季は門の向こう側を意識しながら脇門の扉を慎重に押した。扉は幸運にも静かに開いた。

 隙間から向こう側を覗き、そろりと内側に入った。それに忠全も続く。


「……ついて来るなって言ったわよね」

「そういう訳には……」


 月季は舌打ちをする。

 しかし、言い争う時間が勿体無い、とそれ以上言うのを止め、月季は柱の陰から先ほどの男の姿を探した。

 男の痩せた背中が東方向に見えた。内廷にはその男の他に黄朋の姿はない。

 内廷に入ってはいけないと言っていたその当人が、当然のように入り込んでいる。ということは、あの男は他の黄朋たちとは立場が違うのだろう。しかも男の足取りに迷いはない。

 月季は男の後を追うことにした。

 男は東宮へと入って行った。

 月季は東宮の檐廊(えんがわ)へ上がると、人の気配を探り、外から窓を順に覗いた。

 二つ目の窓から先ほどの男が見えた。誰かと話をしている。しかしその相手は座っているのか姿が見えない。

 するとそれまで座っていただろう人物が、立ち上がって脇机に置いてある物を手に取った。

 そこに"コウオウサマ"と呼びかける声が聞き取れた。

 月季は立ち上がった人物を凝視した。


 間違いない。

 黄翁は辛受叔だ。


 玄海近くの郷で探した時の人相書きよりも歳をとっているが、まさに同一人物だった。

 文始先生や受叔を知っている人から聞き取りをして人相を描いたのは月季だ。描きながら頭の中に浮かべた受叔の姿とも一致する。背格好も少し足を引きずる歩き方も、聞いた通りだった。

 月季は二人が何を話しているのか聞き耳を立てた。しかし不鮮明な単語が時折聞こえるのみで内容はわからない。


 "コウコク"


 途切れ途切れに聞こえる会話の中で、不意にその言葉が耳に入り、月季の心臓がどくんと大きく脈打った。

 月季はよく聞こうとじっと耳を澄ませた。

 すると突如として声がぴたりと止まった。

 瞬時にまずいと判断した月季は速やかにその場を離れて隠れた。忠全もそれにならう。

 忠全が隠れたのと同時に格子窓が開いた。

 月季は後ろ髪を引かれながらも、忠全にここを離れる合図をした。

 その場を離れながら月季は先ほど聞いた言葉を思い出していた。


 ”コウコク”


 耳に入ったときは咄嗟に”紅国”と言っているのだと思った。


 ”コウコク”の前後では何を話していたのか。


 月季はざわざわとした胸の奥の嫌な感覚を拭うことができなかった。



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