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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
126/192

二年孟秋 白露降 3



 執務室へと昊尚とともに壮哲が戻ると、英賢が既に待っていた。少しすると禁軍に混じって鍛錬中だった縹公が来て青公が揃った。


「お待たせして申し訳ありません。何事でしたか?」


 縹公が席に着きながら聞く。

 壮哲はそれには頷くに留めて昊尚に声をかけた。


「じゃあ、始めよう」


 昊尚が目で返事をして話し始めた。


「先ほど喜招堂から緊急の連絡が来ました。朱国の支店の者からの報告です」


 喜招堂は蒼国の周辺国に出店している。そこは商いの場であると同時に、各国の情報を収集する拠点でもあった。朱国の支店も、前王による財産没収で一度は閉めざるを得なくなったが、武恵が王に立って以降再開していた。

 今回はいつもの定期報告ではなく、早馬での連絡があり、それを受けた明遠が急ぎ知らせに来たのだ。

 月季にまだ待っているように言って応接室を出た後、壮哲も昊尚の執務室へ一緒に行き、名遠が連れてきた朱国喜招堂の若者から報告を聞いた。


「日付にして昨日の未明のことになりますが、朱国の宮城が占拠されたとのことです。占拠した者たちは黄朋と名乗っているようです」


 昊尚の声が自然と険しくなる。


「何と……!」


 縹公が声を上げた。


「先日言っていたあの黄翁とかいう者が率いるいかがわしい集団か」


 昊尚が頷く。


「その者たちの数は?」


 英賢が形の良い眉を歪めて聞く。


「それがよく分からないと言うのです。深夜のうちに襲撃があったらしく、明るくなった頃にはすっかり占拠されていたようです。朝になって宮城の陽豊門の上に立った黄朋らの宣言があって、喜招堂の者も初めて知ったと言っています」

「そんなことがあり得るのか」


 呆然と縹公が呟く。


「宮城を制圧できる程の軍勢が寧豊の羅城内に入り込んでいたということなんだよね。なのにそれに気づいてなかったということ?」


 英賢が眉を顰めたまま首を捻る。


「ええ。そういうことになります」

「そんな馬鹿な。兵たちは何をしておったのだ。大失態どころではないぞ」


 縹公が唸る。


「……それが……農民たちの間で首都の寧豊に行けば食べ物と職が保障されるという噂が流れていたようで、貧しい村……主に寧豊よりも北東の農村から人が押し寄せていたらしいのです。お陰で寧豊は混乱した状態だったようです。恐らくその農民らに混じって、今回宮城の占拠に関わった者が多くいたのでしょう」


 昊尚の説明を聞いて、英賢が長い指で卓をとんとんと叩いて呟く。


「……その流言はこのために広めさせたものということなんだね……」

「今となってはそうだったと考えざるを得ませんね」


 昊尚が苦々しげに応える。


「その噂を聞いて集まってきた者たちに対しても、武恵殿は取り締まるではなく、何とかしてやろうと対応しておられたそうだ。……それが却って仇になったのだろう」


 壮哲が言う。


「その武恵様はご無事なのですか?」


 無事であってほしいと願いつつ英賢が聞くと、壮哲は目線だけを向けて言った。


「……安否については確認できていないそうだ」


 最悪の事態が懸念され、その場の空気が一段と重くなる。

 壮哲は、武恵が朱国から逃げてきた時のことを思い出していた。

 武恵は不器用なまでに実直な人柄で、悪政を敷いて民たちに恨まれ討たれるには程遠い人物であった。行く先の困難を承知の上で、朱国を立て直そうと民のために文字どおり身を粉にして励んでいたはずだ。

 それなのに、ほんのひと月程前に現れた得体の知れない者の率いる集団によって、一夜のうちにその努力が蹴散らされたということだ。


 加護を失った国というのはこうも脆いものなのか。


 壮哲の背筋に冷たいものが伝う。


「宮城の中の様子は分からないのか」


 縹公が厳つい顔を更に厳しくして聞くと、昊尚が頷く。


「どの門も閉じられて中を窺うことができないようになっているようです」

「町の人たちは無事なの?」


 英賢が聞く。


「宮城を占拠した際のことはわかりませんが、宣言があった後について言えば、寧豊の民には手を出していないようです。喜招堂も特に荒らされることもなく、その時点では営業の制限もなかったと言っていました。……まあ、今後どうなるかはわかりませんが……。喜招堂の者が寧豊を出た時には、羅城の外へ避難をし始める者も結構いたようです」


 取りあえずではあるが、黄朋たちが寧豊の民たちに危害を加えるつもりが見られないことはせめてもの救いだ。


「……しかし、それにしても、この間の話では黄朋というのは元々農民の集まりではなかったのか。そんな素人の集団に、規模が縮小されたとはいえ朱国の軍が簡単に敗れるのはおかしいではないか」


 根っからの武人の縹公には到底耐え難いことなのだろう。縹公が不審をあらわにして言う。昊尚は更に苦々しい顔で頷く。


「そのとおりです。その点は確かに腑に落ちません」


 武恵は王に立つとまず、名前だけの役職に就き、碌に仕事をしていなかった者たちを整理した。軍についてもそれは同様で、肩書きだけの将軍たちが解任されると、その下にいた兵士たちは、各地の農村の作業を助けるために派遣されていた。

 実質、軍のほとんどが解体され、禁軍一軍と寧豊の治安のための兵が残されるのみとなった。しかし、数が少なくなったとは言え、禁軍には新たに将軍となった徐勇亮率いる精鋭が残されているはずだ。

 簡単に農民たち素人の集団に倒されるとは考え難い。


「黄朋の中には元々兵士だった者もいたようです。喜招堂の者が、見覚えのある顔がいくらかあったと言っています」


 解体された軍から農村へ派遣された兵士の中には、その待遇を不満に思う者もあったのだろう。いかに武恵が心血を注いでも、従う者は一枚岩ではなかったのだ。


「しかも、その中には……先王の代に不正を行って捕らえられた者の顔もあったと」


 昊尚が付け加えると、英賢が、ああ、と歎息する。


「……そういえば収容施設は広北県にあったんだったね」


 朱国の広北県には罪人に労役を科すための施設がある。徳資王の代に職を利用して私腹を肥やし、官位を奪われて労役を課せられた者が収容されたのはそこだ。

 そして。黄翁が現れたという北東部の農村は広北県にある。


「収容所から逃亡してそれに加わったということなのか」


 縹公が嫌悪の表情で言う。


「黄翁の行動は偶然ではなく、全てが周到に計画されたものだったようですね」


 昊尚の言葉に一同異論はなかった。


「それで、どうなさるおつもりですか、陛下。援軍を送るおつもりですか?」


 三人のやり取りを腕を組み黙って聞いていた壮哲に、縹公が声をかけた。


「いや。それは今の段階では難しい」


 壮哲が縹公を見返す。

 他国の主から要請が無いのに兵を差し向けることはできない。もし武恵が既に亡き者となっていたら、軍を率いて朱国へ入ることは、侵略を目的とした行為だと取られても仕方がない。


「朱国の立て直しに協力をすることとした国と足並みを揃えるべきだろうな」


 組んでいた腕を解くと、縹公と英賢、そして昊尚に言う。


「状況次第で直ぐに動けるように準備を整えてほしい」

「承知しました」


 三者が頷くのを確認すると、壮哲が溜息を吐く。


「せめて武恵殿の安否を知りたいところだな」


 苦いものを噛んだような顔で言った。


「徐将軍がお側に従っていれば或いは……」


 無事である可能性もまだある。それに武恵に厚い忠誠を誓う景成もいる。

 昊尚は暗い気持ちの中に僅かな望みを持ち直した。







「月季様、大丈夫ですか? 蒼国王が待たれるように言っておられたのに出てきてしまって」


 大股で歩く月季の後を追いながら護衛が焦った声で聞く。


「会議が終わるのなんか待っていられないわ」


 月季は歩く速度を緩めない。


「本当にこのまま朱国へ行かれるのですか?」

「ええ。確かめたいことがあるのよ」


 壮哲には行かない方が良いと言われたが、月季は宮城の占拠の話を聞いて、尚更朱国へ行かなくてはならないと思った。


「一旦紅国へ朱国のことを知らせに戻った方が良いのではないでしょうか」


 護衛の言葉に、月季が振り返る。


「そんなこと紅国(うち)が知らないままのわけがないじゃない。多分もう朱国の情報は紅国(うち)も掴んでるわ」

「……しかし、蒼国王も一旦紅国へお帰りになる方が良いとおっしゃっていましたし……」


 月季が護衛の兵士をじろりと睨む。


「お前、私より蒼国の王の言うことに従うの?」


 琥珀色の瞳の威圧感に護衛が黙る。


「行きたくないならお前は先に帰ってもいいわよ」

「そうではなく……月季様の御身が危険に……」

「馬鹿にしないで。私だって禁軍の武人よ」

「しかし……」

「せっかくここまで来てるのだもの。紅国へ一旦帰ってなんて時間の無駄よ。そんな余裕はないわ」


 月季はぐずぐず言う護衛に耳を貸すことなく馬に飛び乗る。


「もっと早く確かめに行けばよかった」


 そう呟くと、護衛が後に続くのを待たず馬を駆った。



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