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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
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二年孟秋 白露降 2



 応接室へ通された月季は一人おとなしく椅子に座っていた。護衛は部屋の外で待機させている。

 壮哲とちゃんと話をするように、と大雅に言われたが、何をどう話すのか整理できていない。正直を言えば、自分がどうしたいのかも月季は分からなくなっていた。

 とにかく大雅から言い付かった用事だけでも済ませようと我慢して待つ。

 しばらくすると戸口で気配がした。


「待たせた」


 その声で少し動揺したのを月季は内心で舌打ちする。

 現れたのは壮哲だ。

 佑崔を従えて部屋へ入って来た壮哲をちらりと目だけで見て口を開いたが、月季から出たのは「どうも」という曖昧な挨拶だけになった。


「輿入れの件を説明しに来たのか?」


 不貞腐れたような態度に見える月季に、壮哲が苦笑しながら言う。


「……そういうわけではないわ」


 それもあるけれど、そう素直に認めがたくこんな言い方になる。

 壮哲は横を向いた月季の向かい側に座った。


「では用件を聞こうか?」


 あっさりと月季の言葉を受け入れる壮哲に、月季は拍子抜けする。


「兄上から言付かって来たの。玄海の件よ」


 月季が表向きの用件を言うと、壮哲が、ああ、と納得した顔で応えた。


「そうか。……じゃあ、もうすぐ昊尚が来るから、それは昊尚が来てから聞こう」


 会話が途切れ、挟んで座る卓の上に沈黙が降りる。


 気まずい。


 しかし、昊尚がいない今が大雅に言われたちゃんと話をする絶好の機会だろう。

 月季は渋々観念すると、それでも横を向いてぼそりと言った。


「……悪かったわ。巻き込んで」


 何の件とは言わなかったが、察して壮哲が腕を組みながら笑いを漏らす。


「珍しく素直だな」


 剣だこが気になった振りで手のひらに目をやりながら月季が言う。


「……流石に自分の軽率さに嫌気がさしてるのよ」


 その言葉に今度は壮哲が吹き出す。その笑い声は月季の気持ちを少し軽くした。


「どうにもならなかったのか」


 壮哲が笑いを収めながら聞く。


「……ちょっと、予想外の新手が現れちゃって……」


 騎駿を思い出して月季の眉間に皺が寄る。


「また縁談の話が来たのか」


 壮哲が感心したように言うのを、月季が睨むようにちらりと見る。


「それで? どうするんだ」


 月季と目が合うと、壮哲が聞いた。月季が再び目線を手のひらに戻す。


「……そっちから断ってもらうのは無理なのよね」


 俯いたまま椅子の背にもたれて月季が言う。


「……そうだな……」

「……」


 黙り込む月季を見て、壮哲が、んー、と唸って頭を掻く。


「本当に嫌なんだったら、慧喬陛下に説明すれば取り下げてもらうのは可能なんじゃないか?」


 壮哲が言うと、月季が膝の上に置いた左の手のひらを右の親指で擦りながら呟く。


「……そうかもしれないんだけど……」

「このままだと、月季殿が望む”好きな相手との結婚”はできないぞ」


 壮哲の言うとおりだ。だけど今そんな人はいない。

 月季は長い溜息を吐くと、ぽそりと言った。


「待てば好きな人ができるのかしら」

「どうだろうな。それはわからん」


 壮哲のにべも無い返答に月季がつい弱音を吐いた。


「……あんなにこだわっておいて何だけど、正直今はそういうの考えられないのよ。暫くはいいって思ってしまって」


 だから、一緒にいて楽な壮哲との縁談に流れてしまおうか、と一瞬安易な考えを持ってしまったのだ、と月季が振り返る。

 先刻範玲と会った時の胸の疼きを思い出して、月季がもう一つ溜息を吐く。その溜息の行方を追うように、壮哲が月季から視線を外して聞いた。


「……じゃあ尚更、蒼国は嫌なんじゃないか?」


 昊尚がいる蒼国へ嫁ぐのは気まずいのではないか、という意味だろう。

 やはり壮哲もそう考えるのか、と思ったが、月季はその問いには答えず質問で返した。


「貴方はどうなの?」


 先刻から月季のことばかりで、壮哲の気持ちは話に出ていない。

 壮哲の言いようは他人事のように聞こえる。月季が壮哲のことを好きでないことを全く意に介していないように見えた。

 縁談の相手が自分だということを本当にわかっているのだろうか。

 そう思いながら月季が窺っていると、壮哲が顎に手を当てて言った。


「そうだな。……前にも言ったが、私はそういうことはよく分からないんだ。だから、蒼国の為になる婚姻をするつもりなのは変わっていない」

「ええと……貴方はそれでいいの?」

「ん?」

「だから……それで私が妃になるようなことになっても嫌じゃないの?」


 月季が言いにくそうに聞くと、壮哲は、ああ、と呟く。


「私は特に問題ない」


 あっさりと壮哲が言う。


「私が貴方のことを好きじゃないのに?」


 つい出た遠慮のない言葉に、壮哲が少し困ったように笑った。


「月季殿が来てくれれば蒼国にとって喜ばしいことだろう」


 そう言われて、月季は図らずも自分が少し傷ついていることに気付いた。

 壮哲にとって、月季との縁談はあくまでも紅国の公主との縁談なのだ。

 当たり前のことなのに、そう改めて認識すると月季の気持ちは鬱として沈んだ。

 散々壮哲のことを好きではないと言っておいて、こんな風に傷つく筋合いはない、と月季は自分を内心で窘める。


 勝手だがやっぱり、自分のことを好きになってくれた人でないと嫌なんだ。


 そう月季がぼんやり考えていると。


「ただ……候補の者には申し訳ないことをしたことになるがな」


 続いた壮哲の言葉に手のひらを摩っていた月季の動きが止まる。


「え? どういうこと?」

「実は妃候補の選定が進んでたんだ」


 壮哲が言った。


「そうなの?」


 月季が思わず今日初めて壮哲を真っ直ぐに見た。


「まさかとは思うけど、私が早く相手を決めてとか言ったからじゃないわよね?」

「違う。偶然だ」


 月季はほっと息を吐くと、今度は眉を顰めた。


「でも、それだったら、決まってるからって断ればいいのに」

「まだ正式には決まっていないから」

「そう……。でも……」


 月季は膝の上に置いた手をぎゅっと握ると言った。


「わかった。……この件、まだ紅国(うち)には返事しないで。少し保留にしておいて」


 やっぱりもう一度ちゃんと考えないと。

 月季がそう思い直したところで昊尚が入って来た。


「申し訳ありません。お待たせしました」


 そして月季を見て何かを言いかけたが、壮哲に目で制されて口を閉じた。


「よし。藍公も来たし、月季殿、話してもらおうか」


 壮哲が昊尚に席に着くように促す。

 月季が壮哲の顔をちらと見ると、どうぞ、と手で合図される。

 昊尚にあれこれ聞かれるのを止めてくれたのは有り難かった。

 月季は咳払いを一つすると話し始めた。


「……先回、兄上と文始先生が玄海に調査に入った結果は言えなかったから、その件について知らせに来たの」


 壮哲と昊尚が頷くのを確認して月季が続ける。


「その後、謐の郷は特に変わりないわ」


 まずそれを伝え、昊尚が安心させると、さらに続けた。


「謐の郷の付近では獣の数が減少しているようだったのだけど、兄上たちが行った玄海の奥の方でも、大型の獣はあまり見かけなかったそうよ。土螻(どろう)なんかの怪物たちもほとんど見なかったって。でも、居なくなったそれらがどこに行ったのかは分かっていない」


 月季の説明に対して、昊尚が聞いた。


「何か玄海自体の環境に変化があったとか? それで反対側……墨国側の玄海に移動したということはないのか?」

「いいえ。環境に変化はなさそうよ。それに獣たちが移動した様子もないらしいわ。墨国にも確認してもらったって」


 図らずも騎駿を思い出して若干月季の眉間に皺がよる。だが今は騎駿への不快感は関係ないと月季は自分を戒める。


「それとね」


 月季が顔をしかめたまま次に続けた言葉で、昊尚の瞳に困惑の色が滲む。


「一頭、黯禺がいなくなってたらしいの」

「……それは黒涼山の麓の泉の近くに棲み着いていた奴か」


 昊尚が苦い顔を月季に向ける。


「そう。それよ。昊尚殿に怪我させた黯禺ですって」


 昊尚が椅子に肘をついて唸る。

 壮哲が月季を見て、考えるようにこめかみを押さえながら尋ねた。


「その一連のことは辛受叔と関係があると考えていいのか?」


 月季は真っ直ぐに壮哲を見ると首を振った。


「それは分からない。そもそも、まだ辛受祝が謐の郷を襲わせたのかどうかも証拠はないのよ」

「そうか……」

「でも、そうだと仮定して最悪の事態は想定しておいたほうがいい、と紅国(うち)の陛下もお考えよ」

「こうしてそれを伝えに来たということは、蒼国にも危険が及ぶ可能性があるということなのか」


 月季が頷く。


「もしかしたらあの黯禺は死んだのかもしれない。だけど万が一のことがあるわ。これまでの玄海ではなかったことが起こってる。だから黯禺が玄海の外に現れる可能性もないとは言い切れない。だから、念のため知らせておくって」

「他の国へは?」

「墨国へは既に伝わってる。朱国へもこれから伝えに行く予定よ」

「そうか」


 昊尚と壮哲が考え込む。

 沈黙の降りた部屋に廊下から昊尚へ声がかかった。

 昊尚が、失礼、と言って席を立ち戸を開けると、深刻な顔をした藍公付きの事務官がいた。

 事務官が昊尚に耳打ちをすると、昊尚も厳しい顔になり、事務官に青公を壮哲の執務室に集めるように指示した。

 そして振り向くと壮哲に言った。


「陛下、危急ご相談せねばならないことができました」


 昊尚が壮哲の脇に跪き、小声で何かを言う。

 それを聞いて壮哲の顔が険しくなる。


「本当か」

「そのようです」


 昊尚も眉間に深い皺を寄せる。

 月季は険しくなった二人の顔を怪訝な顔で見る。


「どうしたの?」


 壮哲が月季を見る。


「何?」


 月季が顎を上げて視線を返すと、僅かに迷った後、壮哲が言った。


「これから朱国へ行くと言ったな」


 月季が眉を顰める。


「それが何か?」

「……それは今は取りやめたほうがいいな」


 月季が訝しげに壮哲を見る。


「どういうこと?」

「……朱国の宮城が占拠されたらしい」


 壮哲が苦々しく言った。



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