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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
124/192

二年孟秋 白露降 1



 月季は蒼国の皇城の門まで来ると、立ち止まった。


「行きたくない……」


 ぼそりと呟く。

 先日のあの騎駿からの求婚の後のことを思い出して、月季は大きく溜息を吐いた。




**




 騎駿からの突然の常識はずれの求婚は、遠巻きに見ていた職員の口からさざ波のように広まり、皇城では密かにその話で持ちきりとなった。月季が求婚されるのは珍しくはなかったが、これまで鉄壁の守りを固めていた月季に実は想い人がいた、というのが衝撃だったらしい。

 勿論、その求婚劇の様子は、月季の大叔母である宗正卿の芳氏の耳にも入った。恐らくあの場にいた宗正寺の職員が報告したのだろう。早速月季は宗正卿に捕まり、紅国の公主ともあろう者が人前でそんな話を大声でするなんて、と小言を言われた。

 月季としては、騎駿との会話では極力声を抑えていたつもりだった。しかし一部声が大きくなってしまったところがあったのは否定できない。そこが一番聞かれてはまずい内容だったのを悔やむが、後の祭りだ。

 この宗正卿は前王の末の妹にあたる人で、王の護衛をするなど月季の公主らしくない振る舞いをいつも(たしな)めてくる。だから月季はこの饒舌な大叔母が苦手だった。

 ひとしきり、公主たるもの、という説教を垂れた後、眉間に皺を寄せて我慢して聞いていた月季に、宗正卿がにこりと微笑んだ。


 嫌な予感が月季を襲う。


「それで、貴女が結婚を望んでいる方というのは、蒼国の秦壮哲様でよろしいのですね」


 やっぱりそうなったか……。


 恭仁を諦めさせるためについた嘘を信じた宗正卿が、その話をまとめようと張り切っているのは知っていた。

 それに拍車をかけてしまったのを察する。


「それは……」


 訂正をしようと月季が口を開いたが、宗正卿がそれを遮る。


「よろしいのですよ。わかっていますよ」


 皆まで言うなという訳知り顔になり、ええ、そうでしょうとも、と頷く。


「相手が小国の王だから釣り合わないと遠慮していたのでしょう。先日、貴女が蒼国王をお慕いしているということがわかって、何とかしてやりたいと思っていたところなのです。私はね、これまでどんな縁談にも見向きもしなかった貴女に、そんな方ができたことにほっとしているのですよ」


 よく回る大叔母の舌は、いつものとおり月季に口を挟ませる隙を与えない。


「大丈夫ですよ。貴女は何も心配することはありませんよ。私に任せておきなさい。せっかく貴女がその気になったのですもの。蒼国の壮哲様でないと、とそこまでの気持ちでいるのであれば、必ずまとめてみせます。蒼国は小国ではありますが、幸いにして我が国でも評判はよろしいし、陛下も壮哲様のことは見所のある青年だったとおっしゃっていましたから」


 月季を安心させようとしているのか捲し立てる。

 悪意が無いだけに、強くも出られない。宗正卿の、任せろ、という微笑みは、月季にとっては圧力としか感じられない。


「陛下にはちゃんとお話ししておきますから」


 宗正卿が言った。

 謐の郷のことやら何やらで、月季もなかなか慧喬とその話をする機会を作ることができず今まできている。忙しい慧喬を自分のことで煩わせてしまうのも申し訳なく思っていた。

 それに、自分の軽率な行動を尊敬する慧喬に白状しにくいというのも、言い出せない一因でもある。

 月季が言葉に詰まっていると、宗正卿は、ここ数年見たことのない満面の笑みを残して去って行った。




 その数日後、蒼国へ輿入れの打診の文書が出されたことを会心の微笑みの宗正卿から知らされた。




**




「帰ろうかしら……」


 月季が口に出す。しかし、月季は遊びに来ているわけではない。大雅から壮哲と昊尚に言付かった玄海の件で来ているのだ。役目を果たさず帰ることはできない。

 蒼国への使者は何も自分でなくても良いではないか、と月季が抵抗すると、大雅が苦笑して言った。


「本当は私が行きたいんだけどね。今はそうもいかないから事情を把握している月季に行って欲しいんだ。……それに、一度ちゃんと壮哲殿と話をしておいで。こんなことになったのはお前のせいだからね」


 そう言われて何も言い返すことができず、渋々やって来たのだ。

 ちらりと後ろに目をやると、月季につけられた護衛も立ち止まったままの月季を心配そうに見守っている。今回は撒いてくる気力も起こらなかった。

 月季は何度目かの溜息を吐いた。


 壮哲に何と言えばよいのか。


 先日、輿入れの申し入れがあるかもしれないから断って欲しいと頼んだ時は、それはできないから自分で何とかしろと言われた。

 何とかできずにこの体たらくである。多分壮哲も呆れているだろう。

 かと言って、相当あちこちに手回しをして大叔母が整えたらしい蒼国への打診を撤回させる自信もない。

 それに、壮哲の言うとおり、今回のこの縁組をなかったことにできたとしても、月季の縁談話がそれで終わる訳ではない。現に先日も墨国の騎駿から縁談を申し込まれた。翠国の恭仁も諦めそうにない。この二人でないにしても、いずれ誰かとの縁組を受け入れなくてはならない。

 この先、その攻防に耐えていれば自分が結婚したいと思うような好きな人に出会えるという保証もない。

 ならば、もういっそのこと、このまま流れに任せてしまおうか、という考えが浮かんだ。

 月季は壮哲の顔を思い浮かべた。

 騎駿に対するような嫌悪感はない。いや、むしろ話し易すぎるほど気安い。

 お陰で余計なことをべらべらと暴露して、壮哲にはいつも情けない面ばかりを見せている。きっとあの適度な無神経さが楽なのだろう。

 友人としてなら申し分ない。剣が滅法強いところは、絶対に本人に言わないけれども尊敬している。


 ならば。


 そう傾きかけた。

 しかし結婚となると、それだけではない。


 ……。


 む、無理無理無理。無理よ無理。考えられない。


 月季は想像しかけて頭を振る。

 でも、王妃となったらそれこそ血統を遺すという義務も生じる。


 ……。


 あああ、と小さく呻いて顔を手で覆う。

 昊尚を好きだと自覚しても、昊尚との結婚を具体的に思い浮かべたことはなかった。

 騎駿から提示された歪んだ条件は、もしかしたら騎駿の言うとおり、自分にとって良いものだったのかもしれない、と頭を(よぎ)る。

 月季は、そんなことを考えるほどに混乱した頭をぶんぶんと振って、平常心を取り戻そうと大きく息を吸い込むと、一旦客観的に状況を整理することにした。


 もし、このまま蒼国へ嫁ぐことになったら。


 蒼国は良い国だ。紅国の首都とも比較的近く、両国の関係も良好だ。

 しかし蒼国には昊尚がいる。王を補佐する青公の一人だ。しかも壮哲の親友でもある。顔を合わせる機会は多いだろう。

 まだ月季は昊尚のことを完全に吹っ切れてはいない。

 昊尚と範玲の仲睦まじい姿をずっと見せつけられて過ごすのは惨めだろう。

 そして、壮哲は月季の気持ちを知っている。


 それってとても気まずいのでは……。


 そう考えて、月季は我ながら軽率な行動をしてしまったものだと滅入る。


 やはり、この縁談は難しいかもしれない。


 そう思ったが、ふと自分勝手な考えが浮かんだ。


 いや、むしろ壮哲は私の気持ちを知っているのは都合が良いのでは?


「……後継(あとつぎ)は必ずしも必要ではないと言っていたし……」


 思わずそう呟いて、騎駿のことをどうこう言えないわ、と更に自己嫌悪を感じて溜息を吐いた。そこへ。


「月季殿ではありませんか?」


 落ち込んで佇む月季に軽やかな声が掛かった。

 振り返ると、範玲がもう一人、連れと思われる女性と一緒にこちらを見ていた。


「やっぱり。どうされたのですか? ご気分でもお悪いのですか?」


 月季の顔を見ると、範玲が心配そうに近寄ってきた。門へも入らず項垂れていたらそう思われても不思議はない。


「あ、いえ。大丈夫です。少し考え事をしていたので」


 何を考えていたのかなんて言えるわけがないけど、と思いつつ月季が姿勢を直して答えると、範玲が小首を傾げて覗き込む。


「お顔が少し赤いようですが……」

「大丈夫です」


 月季が頬をぱしぱしと叩いて顔を整える。


「どちらかへ行かれるところだったのですか?」


 範玲がまだ少し心配そうに聞く。


「ええ。兄に用事を言いつけられて来たのでそれを伝えに」


 平静を取り戻した月季が落ち着いて答えると、範玲も安心した表情になる。


「そうでしたか。あ、理淑にはお会いになりました?」

「いえ。まだです。時間があれば会いに行ってみます」

「ありがとうございます。きっととても喜ぶと思います」


 ますます美しさに磨きをかけたように見える範玲の可憐な笑顔に、月季の胸が少し疼く。


「……範玲殿は何をされていたのですか?」


 思わず目を逸らしてしまったのを誤魔化すために月季が聞いた。


「お昼休みに西内苑に行って来たところです」


 そして、範玲が隣にいた女性の方を向く。


「こちら、太学の職員の杜文莉殿です。一緒に不撓の梅を見に行ったんですよ」


 紹介されて範玲の少し後ろにいた女性が丁寧に月季に礼をした。


「杜文莉と申します」


 穏やかな笑顔とともに、耳に優しい声がした。


「芳月季です」


 こんなに感じの良い挨拶は私には無理だな、と思いながら月季が言うと、範玲が補足する。


「紅国の公主でいらっしゃるのですよ」


 すると、一瞬、月季は文莉の凪いだ水面のような瞳にさざ波が起こったのを見た気がした。


「……そうでいらっしゃいましたか。失礼をいたしました」


 しかし、文莉が穏やかな声で言い、改めて腰を低くするのを見て、気のせいか、と思い直す。


「堅苦しい挨拶は不要です」


 そう月季が言うと、顔を上げた文莉が何かを聞きたげに口を開きかけたが、それはすぐに閉じられた。

 月季はその様子が気になり、文莉を促すように首を傾げてみたが、文莉は静かに微笑んで頭を下げただけだった。

 何となく気にはなったが、月季はそれ以上深追いするのをやめた。


「……じゃあ、私は行きますね」


 月季は範玲にそう言うと、足を踏み入れるのを散々躊躇っていた門をくぐった。



 

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