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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
122/192

二年季夏 大雨時行 5

**



 遡ること数日の昼下がり。紅国皇太子の芳大雅が、宮城の応接室へ足早に向かっていた。墨国皇太子である秀騎駿が訪ねて来たというからだ。

 大雅が応接室の扉を開けると、黒ずくめの騎駿が不機嫌そうな顔で長い足を組んで椅子に腰掛けていた。


「秀太子、お久しぶりですね」


 大雅が応接室へ足を踏み入れながら、騎駿とは対照的なにこやかな顔で挨拶をすると、客人は無愛想なままそれに応じるように片手を上げて立ち上がった。


 墨国は正式名を脩墨国といい、秀氏の治める国だ。紅国とは玄海を挟んでその北側に位置する。

 大雅と騎駿は、隣国の年の近い皇子として昔から面識がある。騎駿のこの文句でも言いそうな顔は常のことで、本当に機嫌を損ねているわけではないことを大雅は知っている。

 無愛想なのには気に留めず、大雅は騎駿の肩のあたりをちらりと見ると、自分の肩を指でとんとんと叩いて聞いた。


「今日は夜雨(やう)は連れてきていないのですか?」


 夜雨というのは騎駿の飼っている小金目梟(こきんめふくろう)だ。数年前に大雨の夜に傷ついて死にかけていたところを拾ったそうだ。いつも騎駿の肩に留まっているが、今は姿が見えない。

 愛嬌のある顔の小さな梟が不機嫌な強面の隣にちょこんと止まっている絵面は、なかなかに面白く、大雅は気に入っている。


「さすがに他国の宮城に連れてくるわけにはいかないでしょう。今は部下に預けています。籠に入れられて怒っているはずです」


 騎駿が少し目元を緩める。墨国内で"氷点の黒太子"と渾名される騎駿の表情が融解する、数少ない話題だ。

 大雅は騎駿に座るように(いざな)い、自分も向かいに腰を下ろして落ち着くと聞いた。


「急なご訪問の用件は何でしょう」


 概ね用向にあたりはついていたが、念のため聞いてみる。


「先日、お尋ねのあった件の回答を伝えに」


 予想どおりの答えに、大雅が頷く。墨国に尋ねた件というのは、玄海についてのことだ。


「わざわざ秀太子ご自身がいらしてくださったのですね」

「ええ。私が調べたもので」

「それは恐縮です」


 大雅が言うと、騎駿は少し頷いて早速本題に入った。


「お尋ねがあってから玄海に入り調査したのですが、特に我が国側では変わったことはないように思います」

「玄海に棲むものたちに変化は?」

「……数を把握しているわけではないので正確なところはわかりませんが、先日私が調査に入った時には減ったようにも増えたようにも感じませんでした」

「そうですか……」

「それに、黯禺も、元々こちら側では見たという証言はないのですが、それは変わりありません。もしかしたら黯禺がいるかもなどというから、用心して玄海入りしたんですが」


 紅国側のあの泉のほとりにいた黯禺の姿が見えなかったのは、もしかしたら(ねぐら)を移したのかもしれないと思ったのだが、と大雅がいつもの朗らかな顔を曇らせる。


「……そう、ですか……」


 ぽつりと言う大雅の様子を、騎駿が観察するように切れ長の目を更に細めて見つめた。


「で、何があったんですか?」


 大雅が顔を上げて騎駿を真っ直ぐに見る。皇太子自らが尋ねた件の回答を持って来たのは、こうして直接こちらの意図を確認するためなのだろう。


「……実は、我が国側の玄海で獣の数が以前よりも少なくなったようなのです」


 大雅が慎重に言葉を選び、最小限の事実のみ伝える。


「もしかしたら墨国側へ移動しているのかとも思ったのですが、そうではないようですね」


 大雅の言葉を吟味して騎駿が細い目の中に見える黒い瞳が大雅を射る。


「黯禺も、ですか」

「ええ。紅国側に一頭いるのを確認していたのですが、先日の調査の際には姿を消していました」

「そうですか」


 そう答えた後、ふと何かを思い出したように騎駿が目をすがめた。そして目を伏せて、何かを考えるように眉間に皺を寄せる。


「秀太子?」


 大雅が声をかけると、騎駿が伏せた目だけ上げる。


「近頃、大量の毛皮を国外へ持ち出した者がいるという情報がありました」


 騎駿が唐突に切り出した。

 大雅が一つ瞬きをする。


「……それが玄海の獣だと?」

「可能性はありますね」

「紅国側の玄海で狩った獣を、墨国側から外へ出したということですか……」

「もしこれらが関係あるのなら」


 ふむ、と大雅が顎に手を当てる。


「どこへ運んでいたのですか?」

「南方……朱国ですね」

「朱国ならばわざわざ墨国を通らなくても行けますよ」


 そう言って大雅が眉を顰め、呟いた。


「……それが本当に玄海の獣だとしたら、何のためにそんな手間のかかることをしたのでしょうね」


 謐の郷が襲われたこととは関係がないのだろうか。


 玄海の獣や怪物が少なくなったのは、謐の郷を襲わせた者が集めているからだと考えていた。そしてそれらを使って紅国を脅かそうとしているものだと警戒していた。


「紅国の目を避けたかったか」


 騎駿が考え込んでいる大雅に言う。


 確かに紅国では玄海への人の出入りを警戒していたから、それに気付けば疚しい者は避けるかもしれない。

 もし仮に、本当に玄海の獣が減ったのが、毛皮のために狩られたのだとする。百歩譲って怪物も毛皮のために狩られたとする。


 では黯禺は?


 毛皮目的で狩るようなものではない。

 あの玄海の庵にあったという骨などは、あれは泉のほとりに棲みついていた黯禺のものなのか? いなくなったのは死んでしまったからなのか?


 いつもの朗らかな大雅が、険しい目をして黙り込んだのを見て、騎駿が言った。


「毛皮の件については、もし紅国に関わりがあることが出てきたら、またお知らせしましょう」


 騎駿の声で大雅が黙考から抜け出す。


「ああ……。助かります」


 いつもの柔らかい表情に戻った大雅が礼を言うと、騎駿が、さて、と立ち上がった。


「ところで今日は公主殿はどちらに?」


 もう帰るのだと思い大雅も一緒に立ち上がったところに、そう聞かれて思わず聞き返す。


「月季ですか?」


 騎駿が頷く。


「何かご用でもありましたか?」

「少々求婚をしに来たのですが」

「そうですか……って、ええ!?」


 大雅が驚いて騎駿を二度見して改めて聞く。


「誰がですか?」

「私です」


 しれっと答える騎駿を大雅がまじまじと見る。しかし、騎駿の目尻が上がり気味の切れ長の目からは感情の変化は見られない。


「いや……そうですか。……失礼ですが月季とそれほどの面識はありましたか?」


 持ち直して大雅が尋ねる。


「ええ。以前こちらに伺った時に何度かご挨拶をしました。あと、この間の朱国の前王の即位四十年記念式典で」


 大した面識ではない。


「では、我が国へお申し入れにいらした、ということでしょうか」

「いえ。直接お顔を見て求婚させていただきたいのです」

「それはちょっと……」


 大雅が騎駿を困った顔で見る。冗談かと思ったが、いつもの無愛想な表情に変化はなく、ふざけている欠片も見当たらない。騎駿が来たのはこれのためでもあったのか、と内心呆れながら納得する。


「随分と急な話のようですが」


 そう言う大雅の戸惑いを大して気にもとめず、騎駿が淡々と答える。


「ご存知のように、我が墨国は玄天上帝のご加護をいただいています。お陰で北の異民族からの侵略は防ぐことができておりますが、王は元より、王妃も武術に長けていることが求められます。その点、芳公主は申し分ありません。以前から考えてはいました」


 玄天上帝は北方を守護する武神である。

 墨国は秀氏が治めることになる前、()氏が王として在り、正式名称を柯墨国といった。墨国の北には魁族という異民族がおり、その時代は国境において激しい攻防が続いていた。しかし、何氏の外戚であった秀氏が玄天上帝の加護を得て魁族を退け、何氏に取って代わって王となり脩墨国となったのだ。以来、王の子のうちの最も武術に長けた者が王位を継承することとなった。


 墨国では、皇子が武術により競い、その勝者が王位継承の優先権を得る。しかしそれで皇太子と決まるわけではない。それ以降、一年に一度行われる武技会で他の皇子に負けてしまうと、その優先権を失う。優先権を五年の間維持することができて初めて、皇太子と認められ、玄天上帝から加護を受けることができる。

 騎駿は現王の第三子だが、兄たちに打ち勝ち、皇太子の座に着いた。そして皇太子となってから約一年が経つ。


「そうですか……」


 大雅はどうしたものかと頭を掻く。


 月季が長いこと昊尚を好きだったことを知っている。最近気持ちに区切りをつけたようだが、ついこの間、翠国の皇太子に求婚され、こっぴどく断っていたのを目の当たりにした。恭仁のことを間の悪い皇子だと思っていたが、こういうことは続くものなのだろう。

 確かに、朱国での着飾った月季は美しく、人の目を引いていた。それがきっかけでまたもやこんな話が来たとしたら、月季も不本意この上ないだろう。

 それに、月季が蒼国王に想いを寄せているという、恭仁を諦めさせるために言った設定を聞きつけて、縁談をまとめようと宗正卿が張り切っているのを見かけた。

 この件に関しては月季が自分が招いたこととはいえ、婚姻話に辟易しているのを大雅は気の毒に思ってもいた。


 何とかしてやりたいが……。


「しかし、何故今なのですか」


 ふと疑問に思い大雅が聞くと、騎駿が大きく息をついて言った。


「……ご存知でしょうが、我が国の北の国境が魁族の領域に接しています。魁族との関係は暫く落ち着いていたのですが、最近また奴らの動きが活発になってきて国境では小競り合いが頻発してます。紅国とは友好な関係を保っているし、まさか紅国が魁族と争っている墨国の背後を突くとは思っていませんが、南側の友好を深めることによって国内の安定を図りたいのです」

「そのために月季を?」


 騎駿が頷く。


「芳公主に来ていただければ、我が国からの石炭の安定した輸出は確約いたします」


 墨国は石炭などの地下資源の豊富な国だ。その墨国と強固な友好関係を結ぶことは、確かに悪いことでは、ない。ただ、最近自国でも石炭がそこそこ採れる箇所が見つかった紅国では、他国の石炭へ依存する必要性は以前よりも随分低くなった。

 そうなった今、むしろ墨国の方が、紅国から資源の代わりに食糧その他の生活物資を多く輸入している分、国交が途絶えてしまう場合の影響が大きいだろう。


 しかしそうは言わず、大雅がにこやかに言う。


「婚姻によらなくても、我が国と墨国は十分友好な関係を維持していると思いますよ。……それに、陛下は公主を政略のために輿入れさせるのはお好みではありません。月季が望めば話は別ですが、同意はされないと思いますよ」


 その言葉に、騎駿は腕を組んで食い下がった。


「ならば尚更、月季殿に直接尋ねさせていただきたい」


 言いながら眉間に皺を寄せて格子窓の外へと顔を背けた騎駿を、大雅がなだめる。


「いきなりいらしてそのような事を言われましても、月季も驚くでしょうし」


 怒り出す、の方が適当か、と内心思うが口には出さない。


「直ぐ済みますので」


 騎駿が言うが、直ぐ済むような用事ではないだろう。


「今回はご遠慮いただけませんか?」


 頼むから諦めてくれ、と内心で祈りながら大雅が言うと、格子窓の方を向いていた騎駿が振り返った。


「わかりました。申し訳ありませんでした。では、これで失礼します」


 突然ごねるのを止めると、長い足を存分に駆使した大股で応接室から出て行った。

 残された大雅が、はっとして騎駿が見ていた格子窓の外の景色を確認し、あああ、と呻いて額を押さえる。

 窓からは、一つ向こうの建物の回廊を宮城の門へと足早に向かっている月季が見えた。恐らく騎駿はそれを見つけたのだろう。

 どうしても月季に会うつもりなのか、と大雅が溜息を吐いた。



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