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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
121/192

二年季夏 大雨時行 4



 眉間に皺を寄せて黙る壮哲に、昊尚が続ける。


「大国の公主に求められる役割というものがあるから、家臣たちの手前、誰でもいいという訳ではないだろう。紅国には親蒼派は多いし、公主の嫁ぎ先としては悪くないと官僚にも支持されたのかもしれない」


 淡々とした昊尚の推測に、壮哲が、ううむ、と唸る。


「それは結構なことなんだが……」


 肘掛けに頬杖をついて眉間を撫でると、壮哲が顔を上げた。


「で、現実としてどうすべきだと思う」


 壮哲が聞くと、昊尚が壮哲の顔をちらりと見て、溜息を吐きながら頭を掻く。


「お前がお妃選びに乗り気でないように見えたから、急ぐことはないし、何なら中断させようと思ってたのに……こんな展開になるとはな……」


 そう呟くと、昊尚が少し申し訳なさそうな顔になって言った。


「蒼国のためと言うならば、分かりきってるだろ。紅国の申し出を受けるべきだ。蒼国(うち)には好都合だ。小国にも関わらず、唯一の公主を寄越す程、紅国と強い繋がりがあるということを対外的に示せるのだからな。万一の時の支援も当てにできる」


 予想どおりの答えが返ってきた。


「やっぱりそうなるよな」


 壮哲が頬杖をついたまま、卓に置いた杯の縁を長い指でなぞりながら言うと、昊尚が補足する。


「もし、この話を受けないことにするのなら、紅国(あちら)から取り下げるように仕向けないと。蒼国(うち)から断ると、いくら親蒼派が多いと言っても、心証が悪い。小国の分際で、と反発する者もいるだろう」


 昊尚は卓に置いていた杯を手に取ると、二口ほど飲んだ後、考えながら話すようにゆっくりと口を開いた。


「ああ見えて慧喬様は月季に甘いんだ。月季がはっきり拒否してれば輿入れの話は取り止めになってると思うんだが……」


 そして昊尚が壮哲に視線を移す。


「……こうしてその話が来ているということは、結局、月季も蒼国(うち)なら……壮哲なら輿入れ先にしてもいいと思ってるって事じゃないか? 最近随分仲が良さそうじゃないか」


 壮哲は、月季の気も知らずにそんなことを言う昊尚をじろりと見ると、「近しく話をするようになったきっかけはお前だ」という台詞を杯の黄酒と一緒に飲み込んだ。


 他のことにはすこぶる気が回るのに、自分に対する異性からの好意にはこれほど神経が鈍化するものなのか。そう言えば、範玲とまとまるまでに周りをやきもきさせていたのは昊尚のせいだった。


 壮哲は月季が不憫になり、長い溜息を吐いた。

 その溜息をどう取ったのか、昊尚が壮哲に聞いた。


「……壮哲自身、月季のことはどう思ってるんだ?」


 壮哲が視線を上げると、昊尚の気遣わしげな目が壮哲を窺っていた。壮哲のことを友人として案じるものとはまた違っていた。完全に月季の保護者の顔だ。

 その表情からも、昊尚が月季を妹のように大事に思っているのだろうということが壮哲にも十分にわかった。

 だから月季も、昊尚に自分の気持ちを打ち明けずに諦めようと思ったのだろう。

 そんな事を考えて、まじまじと昊尚を見たまま質問に答えない壮哲に、昊尚が重ねて聞いた。


「どうなんだ?」


 壮哲は、ふと、ついこの間も佑崔に同じことを聞かれたことを思い出す。脇に控える佑崔に目をやると、何かを言いたげに壮哲を見ていた。その佑崔の顔を見て、この間の問いには月季は猫だと思うと答えたが、そういうことを聞いていたのではなかったのか、と今更ながら気付く。

 壮哲は、ふむ、と顎に手をやり考えてみた。


「嫌いではないな。……いや、むしろ割と気に入っている方だと思う」


 静かに耳を傾けていた佑崔がぴくりと反応する。昊尚も、ほう、と小さく声を上げる。


「ただ、異性としてという意味なら、よくわからん」


 壮哲が首を捻る。

 会えばいつも憎まれ口を叩いてくるが、月季を不快だと思ったことはない。むしろ、小動物が虚勢を張ってるようで微笑ましいと思う。

 そんな姿は、あれほど完璧な外見を持ちながら、自分に今一つ自信がないからのようにも思える。あのつんけんした強気な態度は、その内面を晒さないように装っているものなのだろう。ただ、その強気な姿勢にも、徹しきれていないところがある。

 この縁談の話も、もっとうまく立ち回っていれば、昊尚の言うとおり、蒼国への申し入れはなかったに違いない。

 引っ込みがつかなくなって、一人落ち込んでいる月季の姿が目に浮かんだ。

 おそらく月季は自分のことは一人で溜め込む質なのだろう。だから、昊尚のことにしても、誰も傷つけないように、結局自分の胸に収めることにしたようだ。

 そしてどんなに落ち込んでも、毎朝の素振りを休むことはないに違いない。


「我が儘そうに見えるが、実は真面目で不器用だろう。あれだけ容姿が良くて大国の公主としてちやほやされてきたら、もっと傲慢になっていても不思議ではないのにな。外見は完璧なのに、内面は結構ごたごたしてるところが見ていて面白いとは思う」


 自分がそんなふうに思われていると知ったら、月季は琥珀色の瞳を(いか)らせて噛み付いて来そうだな、と壮哲から笑いが漏れた。それを昊尚がじっと見ていた。


「何だ」


 視線に気づいて壮哲が聞くと、昊尚が笑う。


「よく見てると思って」


 そう言って嬉しそうに壮哲の杯に酒を注ぎ足す。


「しかし、お前は誤解しているようだが、月季殿は私のことを好いてなどいないぞ。蒼国に嫁ぐことを望んでいない」


 壮哲が昊尚の期待に水を差すと、そうなのか、と昊尚が少し残念そうに言う。

 どうしたものか、と壮哲は思案した。


 壮哲自身としては、月季を王妃として迎える事自体は嫌ではない。月季の人となりも問題ない。

 紅国とのつながりが強化できるのは蒼国には望ましいことだ。月季の王妃としての資質がどうなのか分からないが、何だかんだ言っても大国の公主だ。王族としての自覚もあるし、真面目な性格だから嫌だろうと役割はこなすだろう。


 しかし。月季は好きな人と結婚したいと望んでいる。そして月季は自分のことを好きではない。おまけに蒼国には昊尚がいる。失恋した相手と毎日顔をあわせる可能性が高いところへは、尚更嫁ぎたくないのではないだろうか。


 月季の心中を考えると、壮哲としては気にしない訳にいかなかった。


「しかしこちらとしては打診が取り下げられなければ受けるしかないだろうな……」


 昊尚が複雑な顔をして言う。そして付け足した。


「……そうなったら、お妃候補の方々には申し訳ないことをしたことになるな」


 昊尚の言葉に、とんだ無駄足を踏ませてしまったな、と壮哲は蓮池で会った五人の候補者の顔を思い浮かべる。その中でも文莉の穏やかな笑顔が頭に残った。


「ああ。……特に文莉殿にはな……」


 壮哲が言うと、昊尚は範玲の話を思い出して苦い顔をする。


「文莉殿に話を漏らした者は厳罰だな」


 そう言って残りの酒を飲もうとして、昊尚がふと手を止める。


「壮哲は文莉殿の方がいいのか」


 壮哲が考え込む。


「……どうなんだろうな。文莉殿はよくできた女性だと思う。きっと王妃になれば完璧に役割はこなしてくれるだろうな」

「それはこの間、聞いた。そうじゃなくて、壮哲自身が文莉殿を自分の妻になる女性と考えてどうなのかを聞いてる」


 昊尚が言うと、壮哲は椅子の背にもたれ、眉間に皺を寄せて目を瞑る。


「確かに、文莉殿といたときは気が休まった」


 壮哲は文莉の凪いだ水面のような瞳と、優しげな声を思い出す。同時に、昼間、叔父の宗正卿が言っていた言葉が浮かぶ。

 客観的に見ても文莉は自分に合っているのだろう。


「私はあまり細かいところまで気を使えないから、私の足りないところを文莉殿なら補ってくれるような気がする。私のような者には文莉殿の方が良いのかもしれないな」


 本当に紅国からの打診を受けることになったら、あの穏やかな人を悲しませることになるのだろうか、と壮哲の胸が痛んだ。

 渋い顔で壮哲が杯を空けるのを、昊尚は後ろめたさを感じながら見守った。結局壮哲には、王としての責任を果たすことを強いているのだ。


「……そう言えば、縹公とは何か話したか?」


 昊尚が聞いた。縹公にとって壮哲は主君ではあるが、嫡子でもある。その婚姻には何らか思うところもあるだろう。しかし、昊尚には縹公が妃候補の選定会議では意見を言うのを自重しているように見えた。


「父上は私の判断に任せる言っていた」


 そう言うと、壮哲が思い出したように苦笑を(こぼ)した。

 王妃選びの話が出てから、壮哲は縹公と二人の時にそのことについて意見を聞いてみた。

 すると縹公は「陛下のご意向に従います」と(いかめ)しい口調で答えた。そして「壮哲が考えて決めたことなら正しいと思うぞ」と父親として励ますように肩を叩いてくれた。


 しかしその後、「ただ、孫は見たいな」と(いか)つい顔を緩めたことは、昊尚には言わなかった。



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