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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
118/192

二年季夏 大雨時行 1



 壮哲の執務室に入るなり、昊尚が聞いた。


「如何でしたか? お妃候補の方々との面会は」


 書類に目を通していた壮哲が、顔を上げないまま答える。


「それぞれ素晴らしい女性たちだったぞ」


 淡々とした言いように昊尚が苦笑すると、壮哲が付け足す。


「恐らく誰が妃になっても、役目は上手くこなしてくれるだろうと思う」

「随分冷めていますね」

「そういう訳では無い」


 執務机の前まで進み、昊尚が壮哲の正面に立つ。


「候補者の父親たちが宗正卿に探りを入れにきているそうですよ。陛下の反応はどうかって」


 昊尚の言葉を聞いて壮哲の眉根が寄る。その眉間を見ながら昊尚が続ける。


「候補の皆さんからの陛下の評判は上々のようです。特に孫氏のご息女はあれ以来、陛下の話ばかりしているそうです」


 壮哲が漸く目線を上げた。


「藍公。その話をしに来たのか?」


 あえて職名で呼びかけた壮哲に、昊尚がにこやかに応える。


「選定会議の前に、陛下のご意向を聞いておこうと思いまして」

「宗正卿にも伝えたが、蒼国の王妃として最も適任な人物を選んでくれれば従う」


 壮哲がそう言うと、昊尚の笑みが少し苦そうなものになる。


「そうですか……」


 昊尚が側に控えている佑崔をちらりと見ると、整った顔が曇っている。佑崔が以前から、壮哲には自ら選んだ女性と結婚してほしいと気にかけていたのを知っているだけに、今回のことは気が気でないのだろうと察する。

 再び書類に目を落とした壮哲に視線を戻し、昊尚が改めて聞いた。


「気が進まないなら……一旦中止しますか? 今無理に急いで決める必要はありませんよ」

「いや。進めてくれて構わない」

「本当によろしいのですか?」

「ああ。どの道、婚姻は蒼国のためにするつもりなのは変わっていない。妃はいた方がいいのだろう」


 壮哲は言いながら思った。


 もしかしたら自分は恋慕という感情を持てない(たち)なのかもしれない。もしそうならば尚更、王妃は皆にふさわしいと思われる人物を選んでもらった方が良い。

 候補者たちが自分の妃になるのを嫌がってはいないことは確認した。恋い慕うという感情は湧かないかもしれないが、少なくとも共に蒼国のために尽くす同志としての親愛の情は持つだろう。伴侶として尊重し、大切にすることはできる。相手が不満を抱くことがないよう、せめて心を尽くそう。


 昊尚からの言葉が途切れたため壮哲が顔を上げると、昊尚の青味がかった黒い瞳と合った。その目は一見冷たそうに見えるが、昊尚が自分のことを友人として案じているのが壮哲にはわかっている。


「本当に大丈夫だぞ」


 壮哲が言うと、昊尚は、わかったわかった、というように頷く。


「では、陛下はどなたが最も相性が良いと感じられましたか?」

「……そうだな……。人柄としては文莉殿がもっとも王妃には向いているんじゃないか?」


 あくまでも王妃としての基準で出した壮哲の答えに、昊尚が苦笑する。


「文莉殿とは上手くやっていけそうですか?」


 昊尚がせめてと聞くと、壮哲が口元に少し笑みを覗かせた。


「ああ。大丈夫だと思う。好ましい人だった」


 そう言う縹色の瞳を見つめ、昊尚が眉を下げた。


「わかりました。まあ、この話はまた今度、友人として聞きましょう」


 昊尚はこの場で、これ以上の壮哲の胸の内を聞き出すのを諦めると、表情を厳しいものに改めた。


「これとは別にご報告があって伺ったのですが、よろしいですか?」

「ああ。聞こう」


 壮哲が手にしていた書類を置いて聞く体勢をとると、昊尚が言った。


「近頃朱国で怪しげな動きが起きているようです」


 朱国では、前王徳資の代に内政が乱れ、農耕神である后稷神の加護を失った。それにより国を支えていた農業が振るわなくなり、国民が困窮するようになった。そこで朱国の第一皇子であった武恵が立ち上がり、紅国はじめ隣国の力を借りて反乱を起こした。結果、徳資王は廃され、腐敗していた高官も一掃、新たに武恵が王として立ったばかりだ。


 新王となった武恵は、朱国が再び后稷神の加護を得られるよう、国内の安定を目指して尽力していたはずだ。加護を失ったことにより農作物が以前のように豊潤に採れなくなったが、忠臣の景成らと天候に左右されにくい作物の研究に力を入れながら、何とか乗り切ろうと力を注いでいる。

 朱国の民たちも、王自らが農村に赴き、直接田畑に立つ姿を目にして、信頼を寄せていると聞いていた。

 その状況下で何が起きているというのか。


「朱国の北部の郷で妙な宗教のようなものが流行っているようです」

「妙な宗教?」


 壮哲が怪訝な顔をする。


「はい。事の起こりは、一月ほど前、広北県の西部にある郷に、跂踵(きしょう)が現れるという騒ぎが起きたことのようです」


 跂踵と聞いて壮哲が眉を顰める。

 跂踵とは、豚のような尾を持つ一本足の鳥で、それが現れた国には疫病が流行ると言われる怪物だ。


「そんなものが出たら一大事だな」

「そのとおりです。それで郷人が大騒ぎをしているところに、一人の道士が現れて、その跂踵を術によって退治したそうです」

「そうか。本当に跂踵を退治してくれたのならば、有難いことじゃないか」

「……問題はその後です。その道士はそのまま郷に居て、郷人を集めては講話のようなものをしているらしいのですが……」


 言葉を切った昊尚に壮哲が目で促す。


「その講話というのが、朱国が后稷神の加護を失ったことが原因で跂踵が現れた、これからもっと大変なことが起こるだろう、自らの身の振り方を考え直す時だというようなものだそうです」


 壮哲が腕を組んで唸る。


(あなが)ち間違った話をしているわけではないな。武恵殿は力を尽くしているだろうが、先行きはまだ何とも見えてきていないからな」


 壮哲のその言葉に昊尚も頷く。


「朱国の北部は元々はあまり農業に向いていない、痩せた土地です。だから特に后稷神の加護を失ってからの打撃が大きく、困窮する農民が他より多く出ています。我が国を含め、紅国を始めとする隣国からの支援を得ながら民の救済が行われてはいますが、末端までは十分に行き渡っていない状態です。加えて、新しく立った武恵様の政策がまだ実を結ばず、民は生活が改善されないことに強い不安を感じている状況でしょう」


 壮哲は昊尚の言葉を聞きながら、耳が痛いな、と大きく息を吐く。

 王が国を治めるために力を尽くすのは当たり前のことだ。しかし、努力をすればそれで良いというものではない。結果が伴わなければただの自己満足であり、為政者が自己満足で終わっていては国は滅ぶ。


 朱国の民たちも武恵が尽力していることはわかっているだろう。しかし、実際に自分の生活が楽にならなければ不満を抱くことは自然の成り行きだ。


「この状況下での道士の話は、農民たちを更に不安にさせるのでしょう」


 昊尚が少し間を置いて、眉間に皺を寄せつつ続けた。


「……話によると、その道士は練丹術を極めており、道士に特別に選ばれた者にはその丹薬を分け与えているそうなんです」

「ばかな」


 壮哲が反射的に言った。

 練丹術とは、不老不死の仙薬を作る術である。極めようとする道士も多いと聞く。成功したという話を聞いたことがないこともないが、実際にそれが本当であるのかは定かではないし、仮に完成させたとして、それをそう簡単に普通の民に分けるなどということは考えられない。


「いかにも怪しくないか?」

「はい。しかしその道士は自分も服用し、不老不死の命を手に入れていると公言しているそうです。だから食事もほとんどしなくても良いと」

「なるほど。食料に困窮する者にはもってこいの薬だな」


 ううむ、と壮哲が唸る。


「そうです。道士の講話を聞いて不安に駆られた者たちが、その丹薬欲しさに道士の元に集まっているそうです」

「そうなるのか……」


 民の切迫した状況の痛々しさに、壮哲が大きな溜息を吐く。


「既に結構な数の民が服用しているそうです」

「大丈夫なのか。そんなものを飲んで」

「どうでしょうね……」


 顎に手を当てて思案する昊尚の目が(くう)を見つめる。


「しかも、腹が空きにくいだけではなく、その丹薬を飲むと力が湧いてくるそうです」


 そう言って昊尚が壮哲の反応を窺う。壮哲の眉間のずっと刻まれたままの溝が更に深くなったのを確認して昊尚が言った。


「……甘婁(かんろう)の話を思い出しませんか」

「ああ。同じことを考えていた」


 十二年程前に蒼国の鉱山採掘場の近くの郷で起こった楊仁仲の騒動だ。薬師の楊仁仲が出す薬を飲めば、鉱山での採掘というきつい仕事も苦にならなくなる、と評判になり郷の多くの者が服用した。実はその薬は罌粟(けし)を阿片に精製したものだったのだ。結果的に甘婁郷の約三割の者を阿片中毒にした前代未聞の事件だ。


「その道士が阿片を使っているのかはわかりませんが、可能性はあるでしょうね。その道士は、黄翁と名乗っているそうで、信奉者たちは、手首に黄色の布を巻いて自分らのことを黄朋と称しているそうです」

「聞くだに危ないな」

「黄朋たちは、黄翁のお陰で不老不死になったのだからと言って、困っている農民たちの話を聞いたり農作業を助けたりしているそうです。……そうしつつ、布教活動をしているんでしょうね。徐々に他の郷へ進出しています」

「……ひと月という短い間にここまで事態が進むのは、手際が良すぎないか」

「はい。……思うに、跂踵が現れた、というのも怪しいですね。現れたのは夜だったらしいので、本当に跂踵だったのか、恐らくしっかりと確認した者はいないでしょうから」

「跂踵が出たと騒ぎ立てたのが仲間だった可能性もあるな」

「その時の状況を聞くと、深夜に突然恐ろしい鳴き声が響いたそうです。郷の者たちが外へ出てみると、村廟の横の大木に鳥が止まっていて、郷人の一人があれは跂踵だと言って騒ぎ出した。そこへ旅人として郷内の家に滞在していた黄翁が出てきたそうですよ」


 きな臭い条件が着々と整っているように感じる。

 壮哲は肘をついたまま、机をこつこつと指で叩き、物憂げに聞いた。


「武恵殿はどうしてる?」

「そういった動きがあることは把握しているようですが、手が回らないのではないでしょうか。黄朋とやらは、見かけ上は困っている農民を助けているだけですし。飽くまでも表面上は、ですが。そのうち徒党を組んで何かをしでかす前に手を打った方が良いと思うのですが」


 如何せん他国のことなだけに、と昊尚も渋い顔をする。


「取りあえず、我が国にそういった動きが波及していないか注意しておきます」

「ああ。頼む」


 壮哲が大きな溜息を吐いた。




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