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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
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二年季夏 蟋蟀居壁 2


 名残惜しそうに見送る理淑に後ろ髪を引かれながら夏邸を出ると、月季は外に待たせていた護衛代わりの兵士を従えて皇城へと向かった。


 月季自身が王を護衛する役目なのだから護衛なんかいらない、一人で行く、といつも言うが、それは聞き入れられない。それこそ先ほど理淑に説教じみて言った言葉が自分に返ってくる。公主であることは責任も制約も多くままならないことばかりだ。

 昊尚への取次を申し込んでから、そんなことを考えて待っていると、既に顔見知りになった藍公付きの事務官が月季を迎えに来た。

 執務室の横の応接室へ通され少し待たされたが、間も無く昊尚がやって来た。


「すまん。待たせた」


 昊尚の顔を見た途端、月季の胸の奥が、しくと疼いた。

 思わず月季の眉根が寄る。

 昊尚と顔を合わせるのはあれから二度目。やはりまだ駄目か、と月季は自分自身に腹が立つ。


「相変わらず忙しそうね」


 窓辺にもたれ、外を見るふりで視線を外しながら月季が言う。


「月季も頻繁に行き来してご苦労だな」


 声だけ聞いて肩をすくめると、息を吐き、平常心になったのを確認して視線を昊尚に戻す。


「文始先生の薬は理淑殿に渡しておいたわ」

「すまんな。英賢殿もこれで取りあえず安心するだろう」


 昊尚が礼を言うと、月季が頷く。


「で、他にもまだ話があるんだろ?」


 椅子に掛けながら昊尚が尋ねる。


「ええ。この間、楊更真から聞いた件」


 月季の言葉に昊尚が身を乗り出す。


「どうだった? その後、謐の郷は?」


 そこへ外から声がかかった。


「昊尚、入るぞ。月季殿が来てるって?」


 事務官に聞いたようで、応接室にいる客を承知の上で入って来たのは、佑崔を従えた壮哲だった。

 窓辺にもたれる美しい姿を見つけると、壮哲が言う。


「話し中にすまないな」

「何? 私に用事でもあるの?」


 つっけんどんな言い方をしたが、壮哲が現れたことに、月季は内心ではほっとしていた。昊尚と一対一で話さなくてよくなったことに、緊張していた神経が解れるのを感じる。


「いや、特に用事はない。用事があるふりをして逃げて来たんだ」


 壮哲が疲れた顔で言うと、昊尚が訝しげに聞いた。


「誰からですか?」

「敬克叔父だ」

「……ああ」


 合点がいったように昊尚が頷く。

 壮哲の叔父の秦敬克は宗正寺の長官の卿を務めている。宗正寺は青家に関わることを管掌しており、王族の婚姻についてもその範囲としている。つい最近、全くその気配がなかった英賢に奏薫という相手が現れたことで、王である壮哲の縁談についても俄然やる気になっているというのを昊尚も耳にしていた。


「宗正卿の話も聞いてあげればいいじゃないですか」

「聞いていたさ。……だけど、姿絵を何枚も見せられて、どれも同じ顔に見える、と言ったら一人ずつ長々と説明が始まったから昊尚に用があるからと出て来た……」


 溜息をつく壮哲を昊尚が気の毒そうに見る。

 やりとりを見ていた月季が、先日、恭仁に迫られた時に面白がっていたことへのお返しとばかりに鼻で笑う。


「この間私を見捨てた報いよ」


 それに対して壮哲が顔をしかめる。


「あの時私を巻き込んでおいて、その言い草はないだろう」


 月季が、つんと横を向く。


「まあまあ」


 昊尚は苦笑しながら二人の間を取りなすと、


「月季、話があるんだろう?」


 と、話を元に戻した。


「陛下にもどのみちご報告する件ですから、一緒に聞いてください」

「何の話だ?」


 促されて壮哲が座り、月季も渋々席に着くと昊尚が言った。


「先日長古利から聴取したことについて、その後の経過を知らせに来てくれたそうです」


 そう聞いた壮哲の表情が引き締まったのを見ると、月季も不機嫌を収めて話し始めた。


「先日は、楊更真……長古利への聴取に便宜を図ってくださりありがとうございました」


 月季は先ず過日の執り成しへの礼を丁寧に言う。しかし畏まったのはそこまでで、後は口調をいつもの調子に戻した。


「更真……古利から聞いた辛受叔のことを調べたの。予想通りだけど、玄海近くの庵には辛受叔はいなかったわ」


 そうだろうな、と昊尚が頷く。


「どのくらい前に居なくなったのかわかるか?」

「庵もかなり荒れてたから、結構時間が経ってると思う。何せ人里離れたところだったから、郷人とも交流が殆どなくて正確なところはわからないのだけど、受叔は時々、薬を作って売ってたらしいの。それが三、四年くらい前から姿を見かけた人がいなかったわ」

「古利が受叔の元を出てから一、二年か」


 昊尚が古利の調書を思い出しながら呟く。


「辛受叔の足取りは?」


 壮哲が聞くと、月季が首を振る。


「文始先生が受叔のことを知ってたから、人相書きを作って付近の郷で聞いて回ったけど、見つからなかったわ。墨国との国境だし、もしかしたら墨国へ行った可能性もあるけど……わからないわね」

「文始先生はどうして知ってたんだ?」

「一時期、同じ師匠(せんせい)についていたんですって。でも、途中でいなくなったって言ってた」

「古利が受叔のことを、はじめ仙人だと思った、と言ってたのはあながち間違っていなかったってことか」


 昊尚が考え込む。

 古利が、受叔は動物を手なずけることが上手かったと言っていたのは、仙人の修行の際にその技を習得したからなのだろう。それにしても、土螻(どろう)を手懐けて言うことをきかせることは仙人でも難しいはずだ。古利の話からも、受叔がそれ程の技術を会得していたとは思えない。

 判然としない受叔の存在に気色の悪さを覚えながらも、昊尚が話を進めた。


「謐の郷はその後どうだ?」

「謐の郷のことを公にはできないから、私と禁軍の口の固い者の少数でしばらく警備してたの。それで、周辺も探索したのだけど、土螻もいなかったし、特にその後の襲撃もなかった。……私は帰って来たけど、今も警備は残してきてるから大丈夫よ」

「……そうか」


 昊尚が少し考えてから聞いた。


「……奥には行ってみたか?」

「……奥って?」

「黒涼山の麓の方だ」


 月季は迷っているように昊尚を見た後に言った。


「……兄上と文始先生が二人で調査に行った。どの程度の調査をしたのかは、ごめん、私からはまだ言えないわ」


 玄海の奥に進めば、黯禺がいる。だから思考を漏らさないようにできる者でないと、踏み入ることができない。大雅と文始先生で、ということは、奥の調査に行ったということだ。

 文始先生が長らく留守だったのは、相当奥へ進んだか、何か時間のかかる調査をしたということなのだろう。月季が話せないと言うからには、何か見つけたということか。

 それが何なのか知りたいが、直接関わりのない蒼国に渡す情報ではないということなのだろう。


「そうか」


 昊尚が思案の顔で呟いたところへ、扉の外から事務官が昊尚を呼んだ。


「すまん。次の会議が入っているんだ。今日、泊まってくんだったら、うちに行けばいいからな」


 壮哲に退出を断ると、そう月季に言い置いて、昊尚が(せわ)しげに出て行った。

 昊尚を見送って月季が言った。


「貴方はまだいいの?」


 壮哲に目を向ける。


「ああ。そうだな。そろそろ宗正卿も諦めて帰ったかな」


 そう言って、壮哲が立ち上がる。


「何処も同じね」


 月季が呟くと、壮哲が月季を見た。

 王族の婚姻は個人の問題ではないから、本人の意志だけで決められるものではないことが多い。


「妃をとることが嫌なの?」


 月季が壮哲を見上げて聞いた。


「いや。そういう訳ではないが、あの勢いで来られるのが……」

「宗正卿って、蒼国でも親族が就くものね。その分遠慮がない感じになるわよね」

「そうなんだ」


 壮哲が先ほどのことを思い出して溜息をつく。

 蒼国の官職は、建国の際に紅国を手本にしたため、ほぼ同じ職制を用いている。紅国でも宗正寺は王族に関わることを掌管しており、月季もつい先日、その長官である大叔母に捕まって長々と説教をされたばかりだ。


「蒼国の王は純然な血筋の継承ではないから、必ずしも妃をもうける必要は無いんだがな……」


 壮哲が頭を掻く。


「まあ、しかし王だから仕方ないな。国のためになる婚姻をするつもりではいる」

「……しつこく言われるのが嫌だったら、自分で早く決めたらどう? 王だからそれくらいの権限はあるでしょ」


 言われて壮哲は、うーん、と唸る。


「そういうのは、正直よくわからないんだ。……だから家臣たちで協議して決めてくれていいんだが……」

「何それ。貴方としては誰でもいいってこと?」


 月季が不愉快そうに言う。


「そう言われてもなぁ……」


 沈黙が降りる。


「……頼みにくいわね……」


 月季がぼそりと呟く。


「何か言ったか?」


 壮哲が顔を上げると、月季が不機嫌に話し始めた。


「……大叔母が……宗正卿なんだけど……この間の翠国からの打診のせいで、最近、私の嫁ぎ先の選定に力を入れ始めたのよ」


 月季はどう言おうか迷いながら話す。


「……私が謐の郷に行ってる間に、翠国の皇太子から文がね、届いてて」


 卓の上に置いた左の手のひらを右の親指で擦りながら言いにくそうにしている月季に、それで? と壮哲が促す。


「……ほら、私が貴方に一方的に想いを寄せてる設定にしたじゃない。それをわざわざ書いて来たのよ」


 壮哲が眉を顰める。


「それを大叔母……が見てしまって」


 月季の歯切れがますます悪くなる。左の手のひらを摩る動きが止まり、下を向いたまま月季が黙り込む。


「それで何だ」


 促されて月季が目を泳がせながら渋々答える。


「……そういうことなら蒼国を第一候補に、って……」

「は?」


 壮哲が聞き返し、月季の向かいの椅子に戻って座る。


「……蒼国は言っては何だが小国だぞ。そもそも大国の紅国が公主を嫁がせる必要はないだろう」


 不貞腐れたように月季が椅子の背にもたれる。


「そうは言うけど、陛下は蒼国に一目置いてるのよ。この間の絹織物の技術といい、工業技術が進んでるしね」


 月季の言った言葉で何かを考えている壮哲を、月季がちらりと見る。


「……それで、そういう話が来たら断って欲しいの。それを貴方にお願いしようと思って」


 月季の滅多に見られない上目遣いにも怯むことなく、壮哲がその精悍な顔を盛大にしかめる。


「……大国の申し出を理由もなく断るのは難しいぞ」

「だからね、貴方がさっさと妃を娶っちゃえばいいと思うのよ」


 月季が椅子に座り直して提案する。


「ちょっと待て。この間、しばらく結婚する気はないと言ったらちょうどいいと言ってなかったか?」

「あれは、もし貴方に好きな人がいたら、巻き込むのはその人に悪いな、と思っただけよ。とにかく、事情が変わっちゃったのよ」

「勝手な奴だな」


 壮哲が呆れたように椅子の背にもたれる。そして、まるで他人事のように言った。


「……蒼国のためを考えるのならば、紅国の公主を迎えることはまたとない国益になる。そんな話が来たら、是が非にでも受けるべきだと皆が言うだろうな。特に宗正卿は大喜びするな」


 それを聞いて月季がぎょっとする。


「ちょっ……やめてよ! 何言ってるの!? だから早く相手を決めてって言ってるのよ」

「無茶を言うな。どうして月季殿のために、私が急いで妃を決めないといけないんだ」


 壮哲は淡々と言うと、腕を組んで続けた。


「実際問題として、もしそういった申し入れが来てしまったら、受けることになるだろうな。嫌なら、そうなる前にそっちで何とかしてくれ」


 尤もな言い分に、月季は反論の言葉を詰まらせた。

 そんな月季に、壮哲は同情の気持ちを込めて言った。


「それに、わかっていると思うが、もしこちらが断っても次の候補がいるだろう。根本的な解決にはならないぞ」


 月季は琥珀色の瞳に珍しく弱気な色を浮かべて、壮哲の目から逃れるように視線を逸らした。



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