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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
圭徳の記【改訂版】
11/192

二日目下午 喜招堂 4



 範玲はしばらくぼんやりと月を見上げていた。

 月の青白い姿を見ていると、心のざわつきがほんの少しだけ和らぐ気がする。

 そうしてどれくらいそのまま座っていたのだろうか。


「眠れないのか」


 沈黙の中、わずかな気配とともに背後から静かに声をかけられて振り返ると、手燭を手にした彰高が立っていた。


「戻っていらしてたのですか」

「ああ」


 返事をすると、彰高は歩みよってきて、範玲にふわりと肩掛けをかけ、少し離れたところの庭石に腰を下ろした。


「あ……。ありがとうございます」


 どれくらいこうしてぼんやりとしていたのだろう、掛けてもらった肩掛けの暖かさで範玲は実は寒かったことを思い知る。


「どちらへ行ってらしたのですか?」


 範玲が聞くと彰高が淡々と答えた。


「壮哲の屋敷へ。あと、帰りに夏邸も見て来た。どちらもまだ兵士に見張られていた」

「……そうですか……」


 沈黙が降りる。

 範玲は膝の上の手をぎゅっと握りしめ、その手に視線を置いたままぽつりと言った。


「……兄上は、無事なのでしょうか……。壮哲様のお父上も、その、大丈夫なのでしょうか……」

「……そうだな。無事だと信じるしかない。まあ、陛下の御前で尋問をされるとのことだし、無闇に命を取られることはないだろう。そのつもりならば()うにそうしているはずだ」

「そう、ですね……」


 英賢のことを思うと、やはり何もしないでいる自分に焦れ、不安で押しつぶされそうになる。

 命は無事かも知れないけれど……。

 張り詰めた表情で俯く範玲の気を逸らすように、彰高が、それにしても、と話を変えた。


「こんな時間にふらふら出歩くなんて、随分と不用心だな」


 範玲は握りしめていた手を緩め、少しだけ頬を緩ませると池の水面へと視線を移した。


「……家にいたときも、こうして時々夜に庭に出てたんです。……夜は静かだから」


 人が活動する昼間は、どうしてもいろんな音がする。だから大抵屋敷の書庫に引きこもっていた。人も草も木も眠ってしまった夜ならば、安心して外に出られた。そして心を休ませることができた。


「……その耳飾りは役に立たないのか?」


 彰高が範玲の耳へ視線を流して聞いた。


「いいえ、とんでもない。……この耳飾りはとても役に立ってます。素晴らしいものです。これをつけると聞こえすぎてた音が和らぐんです。これがなかったら周りの音が煩さすぎて……」


 耳飾りが無かった頃を思い出す。


「これ、最初は……ああ、もう九年前になるんですが……十三の頃にいただいたものなんです。それまでは本当にひどい状態で……。物音に怯えて、耳に蓋をして、音を遮断してもらった部屋に引きこもって、誰にも会わず、自分の声すら響いてしまって気持ち悪いから誰とも話さず……」


 当時のことを思い出し、頭の天辺がきいんと冷たくなって手が震える。

 あの頃よく気が狂わなかったと範玲自身思う。

 でも。


「初めてこの耳飾りをつけた時のこと、今でも覚えてます。世界が変わるってこういうことなんだって。音が優しく聞こえる、ってわかりますか? ずっと怒鳴られている感じだったんです。それまでは」


 この耳飾りには感謝しかない。

 触れてその存在を確かめる。


「でも、多分普通の人と全く同じ、という程度にはなってないのだと思います。きっと他の人より音を拾っているし、ずっと雑音はしているから。ええと、よくわからないのですけど、普通は常に雑音とかしないんですよね? あ、でも、今つけているのは三つ目にいただいたものなんですけど、最初のよりすごく良くなってるんですよ。雑音も最初より少なくなっていて……。くださった方には本当に、本当に感謝しかありません」


 範玲の話に彰高は静かに耳を傾けている。手燭の炎に照らされた表情からは何も読み取れない。


「……ごめんなさい。喋りすぎました」


 我に返り、範玲は途端に恥ずかしくなった。

 聞かれてもいないことまでべらべらと話した自分に赤面する。


「いや」


 彰高からぼそりとそうとだけ返され、気まずい沈黙が降りた。

 範玲は俯いてもじもじと手を擦り合わせていたが、ふと今日のお礼をきちんと言っていなかったことを思い出した。


「あの、今日はありがとうございました」

「何が」

「宮城から連れて帰ってきてもらったり、さっきも……助けてもらったり」

「……ああ」


 相変わらず返事が素っ気ない。

 しかし、今度は予想外に気遣いの言葉が返って来た。


「いや、こちらこそすまなかった。宮城では無理をさせたようだな」


 範玲が驚いて彰高を見る。

 気にしてくれていたのだ。


「いえ。私が甘かったんです」


 範玲はそう答え、思い切ってこの機会に、昼間考えるのを先延ばしにしたことを口にした。


「あの……宮城の帰り……背負っていただいたと聞きましたけど……あの、手、を、掴んでました?」


 どんな聞き方だ、と思うけれど、他にうまい聞き方は思いつかない。


「落とさないように掴んではいたと思うが……。まずかったか?」


 あっさりと答えが返ってきたので範玲が重ねて聞く。


「いえ……そうではなくて。……ええと……彰高殿って……その、生きてます、よね……?」


 聞き方を完全に間違えている。

 しかし彰高は気にした様子もなく答える。


「何だそれは。今のところ死んだ覚えはないな」


 それはそうだ。

 でもしかし、じゃあどうして平気でいられたのだろうか。彰高に触れられても、彼の思考は何も流れてこなかったということだ。こんなことは今までなかったのに。


 首を傾げる範玲に彰高が、何故そんなことを聞くのかと、話の続きを促すように目線を送る。

 範玲は手燭の灯りを映す青味がかった黒い瞳を、不思議な思いで見つめ返した。

 冷たいくせにともすると温かみを感じる。

 範玲はその瞳から視線を逸らすと、擦り合わせていた手を止めて迷った挙句にぽつりと言った。


「……私、耳が良いだけじゃないんです」


 他人に話すべきことではないのかもしれない。

 でも、この人なら話してしまっても大丈夫なような気がして範玲は続けた。


 つい昨日会ったばかりだというのに。

 そっけない受け答えしかしてくれないのに、信頼できる気がするのは何故だろう。


「触れると、その人がどんなことを考えているか、わかってしまうんです」


 驚くだろうか。それとも馬鹿なことを言っていると笑われるだろうか。


 恐る恐る範玲が顔を上げると、彰高は依然表情を変えず範玲を見つめていた。


「ああ、それで手を掴んでいたか聞いたのか。じゃあ、その時も私が考えていることがわかった、ということか?」

「それが……何も伝わってこなかったので驚いているんです」


 すんなりとこの話を彰高が受け入れていることにも驚きながら、首を振る。


「それで私が生きてるかどうか、疑っていたというわけか」


 ははっ、と彰高が思わず笑った。

 怜悧に整った顔がほころぶと印象がほんの少し幼くなった。宮城での、女官たちへ向けた胡散臭く感じた笑顔とはまた違う。

 こんな顔もするのかと範玲は期せずして目を奪われる。

 そんな範玲の思いに気付く様子もなく、彰高が言った。気のせいか、声が少し優しい。


「種明かしをしようか。私が感情を出さないように意識を無にしてたからじゃないか。普段から思考や感情を出さないようにしている。以前仙人の文始先生のところで修行していた時に、そういう技術を学んだんだ」

「そんなことができるのですね」


 新たに謎の部分が増えたと思いながら、範玲が感心して聞いた。


「でもどうしてそんなことを? 一体彰高殿は何者なんですか?」


 どこまでも得体が知れない男をまじまじと見つめる。


「まあ、色々と。それより、人に触れると思考が読み取れてしまう、というのに関してはその耳飾りは役に立たないのか」


 誤魔化されたのか問いには答えないまま、範玲への質問に代えられた。


「はい。直接触れると伝わってきてしまうんです。薄い布越しでもちょっと……。多分耳で聞いてるのではないのだと思います」


 それは大変だな、と考えるように目線を外して彰高が呟いた。

 普段は取りつく島のない彰高だが、今の雰囲気は話しやすい。


 よし。


 範玲は調子に乗ることにした。


「……あの、試させてもらってもいいですか?」


 ためらいがちに聞いた範玲を彰高が怪訝な顔で見る。


「何を」

「本当に触れても大丈夫か」

「…………構わないが……」


 間が空いたが承諾の言葉が返された。

 では、と範玲が立ち上がり歩み寄ると、彰高は右手を差し出した。

 差し出された手に、範玲はそろそろと指先でほんの少し触れてみた。

 ——何も起こらなかった。


「何も感じない……!」


 勇気を出して差し出されている手を握ってみた。

 やはり何も起こらない。

 むしろ、雑音が消えて静寂がやってきた。

 背負われた時に”静か”と感じたのは気のせいじゃなかったのだ。


「え、すごい。静かだわ」


 今度は両手で彰高の手を握ってみたが、やはり何の感情も流れ込んでこない。

 思わず差し出されていない方の膝の上に置かれたままの左手でも試してみる。

 変化はない。


 すごいすごい。

 人に触れても何も感じない!

 初めての感覚!


 範玲は興奮のあまり、つい調子に乗りすぎた。


「……おい……」


 声をかけられて我に返ると、範玲の目の前に彰高の整った顔があった。

 範玲は両の手で彰高の頬を挟んでいた。


「そろそろ離してもらえないだろうか」 


 表情をなくした彰高に冷たく言われ、範玲は弾かれたように手を離した。


「ご、ごめんなさい……」


 範玲はあまりの衝撃につい昂った気持ちを自制できず、べたべたと彰高に触れまくっていたのだ。

 穴があったら入りたい。

 ひたすら羞恥にまみれ真っ赤になって謝ると、彰高は苦笑して言った。


「まあ、嬉しそうでよかった」


 彰高が怒っていないことに、範玲はほっと胸を撫で下ろす。


「……触れると思考が流れ込んで来るどころか、雑音がなくなったから不思議で……」


 言い訳をするように範玲が言うと彰高は、「意識を無の状態にしているからそれが影響しているのではないか」と親切に考察までしてくれた。 




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