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異聞蒼国青史  作者: おがた史
圭徳の記【改訂版】
1/192

一日目 事の始まり 1

2023.7.17 圭徳の記を改訂しました。基本的な設定は同じですが、全体を見直しました。また、2021年にアップしたものから新しいエピソードが増えています。



 古い紙の匂いが満ちる書庫で、空気が僅かに揺れた。

 本に囲まれながら読み物をしていた範玲(はんれい)がふと顔を上げる。


 すると間もなく、入口の戸が静かに開き、蒼国(そうこく)王族の一つ、夏家の年若い当主である英賢(えいけん)が現れた。


「範玲、いるかい? これから登城しないといけないことになったんだけど……」

「え、もう夕刻だよ」


 範玲が返事をする前に、たまたま奥にいた理淑(りしゅく)が棚の間からひょこりと顔を覗かせた。


「ああ。理淑もここにいたんだね。ちょうど良かった。うん……ちょっと呼び出しがあって。緊急の案件だと思う」


 英賢は碧色の瞳で少し困ったように微笑むと、少し迷った様子を見せた後、再び口を開いた。


「それで、ちょっとお願いしたいことがあるんだ」




**




 蒼国。正式には青蒼国(せいそうこく)という。

 穏やかな青い海と厳かな蒼い霊山に護られた小国。大国に挟まれながらも二百年近く続いている国である。

 起源は三人の若者により、神の住まう霊山、蒼泰山(そうたいざん)に現れた玉皇(ぎょくこう)大帝との誓約により建国されたという。

 若者の名は、夏賢成(かけんせい)周文幹(しゅうぶんかん)秦思廉(しんしれん)

 建国の際、三人の若者は、夏氏、周氏、秦氏の三氏により蒼国を治めることを玉皇大帝に誓った。

 それにより、蒼国は、以来純粋な血の後継による王位継承は行わず、夏氏、周氏、秦氏の三家の血を持つ者のうちで最も王に相応(ふさわ)しい者が主となり、三氏がそれを補佐し国を安んじてきた。

 蒼国を治める彼ら三家の王族は青家、その当主は青公と呼ばれ、それぞれ色合いの異なる青い瞳を持つことからも、夏氏は(へき)公、周氏は(らん)公、秦氏は(ひょう)公と称されるようになった。


 現君主は周氏の血筋の啓康(けいこう)。周氏現当主の弟にあたる。

 その治世は歴代の王の中でも長く、元号を圭徳(けいとく)としてから二十六年を迎える。温厚にして清廉、民のことを第一に考える賢君と慕われている。


 青家の一角である夏家は、(よわい)二十八の英賢が当主を担う。三年前、病により亡くなった父の跡を継ぎ、当時二十五という若さで碧公となった。英賢には六つ下の範玲、さらにそれより三つ下の理淑という二人の妹がいる。なお、三人の母親は理淑を産むと間もなく他界している。




**




「私が出かけたら、士信(ししん)にこれを喜招堂(きしょうどう)へ届けさせて欲しいんだ。そこに梁彰高(りょうしょうこう)という者がいるはずだから、その人物に渡してもらうように伝えてくれるかな」


 そう言って英賢は油紙で幾重にも包まれた(ふみ)のようなものを差し出した。


「士信は出かけてるの?」


 理淑がそれを受け取りながら聞くと、英賢は一瞬、瞳の碧色を揺らしたが、いつもどおりの穏やかな声で言った。


「……うん。そうなんだよ。でも、もうすぐ帰ってくると思うんだ。お願いできるかな」


 範玲が理淑の手元を覗きながら聞いた。


「これは何ですか?」


 届け先の喜招堂といえば、都で最も手広く(あきな)う店の一つだ。

 士信は夏家に仕えている腕の立つ筆頭の侍従で、その彼に明日を待たずわざわざ届けさせるという。ただの文ではなさそうだ。


「……頼んでおいて申し訳ないけど、中身は知らない方が良いかな。本当は私が持って行こうと思ったのだけど、その時間がないようだから士信に頼もうと思って」


 英賢は範玲と理淑を交互に見つめ、無理に微笑んだような顔を見せた。







 英賢が出かけた後、範玲たちはしばらくの間はそわそわとしながら士信の帰りを待った。

 しかし帰って来ない。

 (とき)だけが過ぎるうちに、二人は揃って(つくえ)に置いた包みを黙って見つめていた。


「……ねえ、これ、中身は何だろうね。何が書いてあるんだろ」


 とうとう沈黙に耐えられなくなった理淑が口を開いた。包みを持ち上げて透かすように燭台の灯りにかざす。


「兄上の様子からするとただの文ではないわね。でも見ては駄目よ。知らない方が良いって言ってたじゃない」


 そうは言いながらも、範玲も中身が気になる。理淑が掲げた包みを目で追う。


「士信は何をやっているのかしらね。早く届けなくていいのかしら。……でも、どうして士信じゃないといけないのかしらね」

「ね。何でだろ。兄上の様子も何だかいつもと違っていたし」


 理淑が元のとおり包みを置くと、再び沈黙が訪れた。

 じりじりと蝋の燃える音だけがやけに大きく聞こえる。

 そして。

 その沈黙を破ったのは今度は範玲の方だった。


「知らない方が良いとは言ったけど、見てはいけない、とは言っていなかったわよね…」


 理淑が包みから範玲に視線を移してこくりと頷く。

 範玲はそれに頷き返すと、すう、と息を吸い込んだ。


「……開けてみましょう。待っても士信は帰ってこないし、中身がわからないと重要性も緊急度もわからないから」


 言い訳を口にしながら範玲は恐る恐る包みに手を伸ばした。

 かさかさという音を恐れるように、そうっと油紙を開く。三重になっていた油紙を広げると、中から折りたたまれた一枚の紙が出てきた。

 それを取り出し、卓の上に慎重に広げた。


「……これって……」


 範玲が声を詰まらせる。

 そこに現れたのは思いもよらないものだった。


「どうしてこんなものを喜招堂に持ってくの? 梁彰高って、誰?」


 理淑が現れた紙を凝視する範玲に聞くが、範玲にもわかるはずがなかった。

 しかし、これは悠長にここに置いていて良いものではないのではないか。

 英賢が自身で届けるつもりだったと言っていた。それができないから、止むを得ず士信に託すことにしたということなのだろう。

 何故そうしなくてはならないのかは判らないないが、英賢がそうしろと言ったのならば、必ず理由があるはずだ。

 緊急の案件で呼び出された英賢。そして、託された届け物。

 もしかしたら何か良くないことが起きようとしているのではないか。

 ざわざわと胸の辺りが騒ぎ出し、範玲に言いようもない不安が押し寄せてくる。

 範玲は大きく深呼吸すると、広げたそれをたたみ直して元のとおりに戻した。しかし、震える手と胸騒ぎは元には戻らなかった。







「どう?」


 範玲が理淑の背中に囁く。

 日没を知らせる鼓楼(ころう)の鐘からどれほどの刻が経っただろうか。

 空に浮かぶ月は遠慮がちにぼんやりと光を放つ。人目を忍んで歩くのに邪魔にはならない程度の月明かりだ。


「大丈夫みたいだけど……。何か聞こえる?」


 理淑が屋敷の裏口から辺りを窺いながら、暗い色の襦裙(じゅくん)に着替えた範玲を振り返る。理淑はいつもの通りの胡服(こふく)だ。


「ん……。今のところ、大丈夫そう」


 範玲の言葉に理淑が頷くと、二つの影はこっそりと屋敷から抜け出した。


 二人は帰ってこない士信を待たず、英賢に託されたものを自ら届けることにしたのだ。

 家の者には言っていない。すぐ帰ってくるつもりではあるが、万一のために「出かけてきます。すぐ帰りますから心配しないように」という書き置きを残した。


 最初、理淑は喜招堂へは一人で行くと言い張った。

 理淑は王族の県主(ひめ)君でありながら、禁軍の兵士たちに混じって剣の手合わせをしたりと、控えめに言ってかなり活動的である。

 慣れているから一人で行けると主張し、範玲がついてくることには反対した。

 確かに範玲は生まれてこの方、ほとんど屋敷から出たことがない。届け物をするのに適しているとは言い難い。

 しかし、範玲は範玲で、夜に理淑を一人で外に行かせることには姉として断固して許可することはできない、それに自分を連れていった方が便利なはずだ、と譲らなかった。


 範玲がそう主張するのにも理由があった。


 範玲は耳が良い。

 いや。

 「耳が良い」という当たり障りのない言い方で済ませられる程度のものではない。そのつもりになれば隣の屋敷の会話も聞くことができる。音を振動として捉え、異常な精度でそれを受け取ることができる特殊な能力を備えているのだ。

 だからもし危険が迫った場合はいち早く察知できる、と範玲は言い張った。

 珍しく譲らない範玲に、結局理淑が折れて二人で出かけることになった。




「なんだか緊張するわ」


 屋敷の敷地から出た途端に範玲がぽそりと呟いた。


「ほら。まだ間に合うよ。帰った方が良いってば」


 理淑が立ち止まる。


「大丈夫。緊張するだけだから」


 そう言うと、範玲は足を早めて理淑を追い越した。


 範玲が屋敷を出たのは何年振りになるのだろう。

 耳が良すぎるという能力のせいで、範玲にとってこの世界は酷く騒がしいものなのだ。通常の物音でさえ彼女にとっては騒音となる。

 だから屋敷の中でひっそりと過ごしてきた。


 そんな範玲の耳には亀甲形の青い耳飾りが揺れている。北の玄海(げんかい)に棲むと言われる珍しい青い玄亀(げんき)の甲羅で作られたとされるもので、不思議な力を持っている。これをつけていると、聞こえすぎる聴力を和らげることができるのだ。

 とは言え、範玲はむやみに外に出ることはなく、小さな頃からいつも一人で部屋にこもっていることが多かった。お気に入りは屋敷の書庫である。


 おかげで範玲の姿を目にしたことがある者は稀で、夏家の一の県主(ひめ)君は病弱で寝たきりだそうだ、いや酷い醜女(しこめ)だから外に出てこないのだ、陽の光を浴びると角が生える……などなど(ちまた)では好き勝手言われているらしい。

 しかし実際には耳が良すぎる以外は他の者と変わりないし、容姿に関しては全くその噂とは逆である。

 もちろん陽の光を浴びても角など生えはしない。


 夜の闇を集めたような漆黒の髪。形の良い小さな顔は、陽の光に当たらないゆえに少し青白く見えるが、その肌は磁器のようにきめ細かく滑らかだ。長い睫毛に縁取られた瞳は、少し憂いを帯び、まるで輝く碧玉のよう。鼻筋はすっきりと通り、唇は薄いが青白い肌とは違いほんのりと色づく。そして穏やかに微笑む嫋やかな立ち姿は、さながら月夜に降りた女神を彷彿とさせた。

 対して妹の理淑は、範玲とその造形をほぼ同じくするが、全てが陽の光で炙り出したようである。髪は範玲より茶色がかっており、肌は同じく艶やかであるが、薄桃色の頬が決定的に範玲と印象を異にさせる。大きな瞳は明るめの碧玉の色で、唇は範玲よりほんの少し厚みがある。そして、陽の光を思わせる笑顔が理淑の最大の特徴でもある。


 明るい陽の下では人の目を引くことこの上ない二人だが、うまく夜の闇に溶け込むことができた。

 そろそろと自信なげに歩き出した範玲を理淑が追い越しなおし、長めの上衣の下に隠した細身の剣を握りしめて範玲を守るように前を陣取った。

 範玲は今度は何も言わず、理淑の後を早足で歩く。

 二つの影は人気(ひとけ)のない通りを急いだ。




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