恋愛の神様?
「アレクシア! お前には愛想が尽きた!」
殿下がそう高らかに叫んだ瞬間、城に轟音が響き渡った。
音は低く、長く天より鳴り響き、その合間にバタバタという音が重なる。
「今のはなんだっ?」
「雷だ!」
「雨、いや雹も降ってきたぞ」
誰かの言葉に窓の外を見れば、庭で焚かれていたかがり火が次々と豪雨で消されていくところだった。
現在私がいるのは城の大広間。
つい先程までは月が煌煌と輝き、星が瞬いていた空が、今や黒インクを流したように暗い。
雷鳴がわずかな余韻を残して去ると、殿下は一筋乱れた前髪を手で撫で付け、背筋を伸ばした。
「ふん、どうやら天もお前を裁きに来たようだな」
「なんのことでしょう」
「しらばっくれても無駄だ。悪事の証拠がある」
「悪事?」
「私の愛を欲して周囲の者を虐げてきた罪から逃れられると思うな」
優越感に満ちた視線を私に向け、殿下は侍従を呼んだ。
侍従の手には積み重なった書類が乗せられている。
「これがその証拠、証言だ」
殿下の言葉を受け、着飾った紳士淑女の皆さんが視線を私に向けた。
戸惑い、ひそひそと話し合い、やがて大広間は静まり返る。
元より不仲と噂の婚約者同士。
いつか破局する予感はしていたが、まさか王族が社交の場を乱すような行動をするとは思っていなかった。
紳士淑女の視線には私への同情がたっぷり込められている。
ため息をつきたくなって、でも堪えて私は殿下を見た。
「ふん、言い訳も出来ぬか。まぁこれだけの証拠を突きつけられたらさすがのお前も観念したようだな」
殿下は勝ち誇った笑みを浮かべ右手を天へ挙げる。
「私はお前との婚約を破棄すると宣言する!」
その途端、閃光と轟音が再び城を覆った。
「被害はどのくらいだ!」
「は! 城の一番高い塔に落雷しました!」
「一番高い塔というと、大広間の真上か」
「さようでございます、陛下。落雷により塔が崩れ、建材やシャンデリアなどの装飾が大広間に落下いたしました」
「ケガ人は?」
国王は青ざめた顔で身を乗り出し、宰相に問う。
「参加者の大多数が軽傷で済みました。骨折などの重傷者が数名」
「そうか」
「ただその…殿下ですが……広間の中央にいたため、落下してきたレンガなどの直撃を受け、右腕と右肩を骨折、全身打撲です」
「ふむ、医者の見立ては?」
「安静にしていれば五十日ほどで完治するとのことです」
報告を聞き、国王は頷いた。
しばらく思案していたが、端切れ悪く口を開ける。
「それで…その…」
「は…」
「息子がなんだ、その何か…」
「はい……」
「侯爵令嬢にその、何だな、うん…」
「……報告書をどうぞ」
国王は手渡された報告書に目を通し、宰相にいくつか問う。宰相は口重く答える。
沈鬱な空気のまま、二人は頭を抱え、夜は更けていった。
色々な手続きに時間を取られ、夜会の数日後にやっと登校すれば、学園では殿下と私の話で持ち切りだった。
「殿下が右手を挙げた瞬間でしたのよ」
「周囲が昼間のように明るくなって、ものすごい音がして…」
「突然の出来事に私たちも驚くことしかできませんでした」
私が教室へ入ると、本人たちのみがひそひそ話と思っている声高らかな会話が一瞬で静まった。
「皆さま、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
にこやかに微笑み合い席に着くと、女生徒たちが私を十重二十重と取り囲む。
「アレクシアさま、この度はご災難でしたわね」
「おケガはございませんの?」
「ありませんわ、皆さまありがとうございます」
「よかったですわ」
「殿下はあれ以来登校していませんけど、謹慎中ですの?」
「いいえ、ケガが重くベッドから動けないそうなの」
女生徒たちは目配せしあい、苦笑した。
「やっぱり……」
「やっぱり?」
首を傾げると、クラスの中心的存在である公爵令嬢が口を開く。
「殿下には天罰が下ったと言われているの、ご存知?」
「まぁ、そんな……」
「当たり前よね。ここ数年の殿下の態度は褒められたものではなかったもの。アレクシアさまを蔑ろにしてばかりで…」
学園に入学してから殿下は、私から話し掛けるとうっとうしそうにし、夜会でもおざなりなエスコート。ダンスはろくに踊ってもらえなかった。
極めつけは節操のない女遊び。
思い出すと疲労感が押し寄せる。
「知ってる? 重症なのは殿下だけじゃなくて、嘘の証言をした者たちもよ」
「そうなの?」
「糾弾されていたアレクシアさまは無傷。殿下と証言者が重傷。神の御心がどこにあるか、子供でも理解できるでしょう」
公爵令嬢の言葉に周囲の人たちが一斉に頷く。
「ほら、同意者ばかり」
「落ち着いて、皆さま。不敬よ」
「それだけじゃないわ。あの夜会でパートナーと共に出席したカップルにも影響があったのよ?」
「影響ですって?」
思い掛けない話になりそうで、私は瞠目した。
「えぇ、落雷の後、天井が落ちて来たりしたじゃない? その時に婚約者をかばいケガした男性たちがいたの」
「お気の毒だわ。ケガの程度は…」
「たいしたことない人ばかりよ。それよりかばう姿に惚れ直したり、かばってもらえたことに感激した女性たちとの間で愛が深まったの」
公爵令嬢の言葉に一部の女生徒たちから悲鳴のような同意が上がる。
「えぇ、私たちも以前より仲睦まじくなりましたわ」
「私を強く抱き寄せて覆い被さって下さった時、胸がキュンとしましたの」
「力強くて…このままこの人と一緒に居れば怖くないわって思いましたわ!」
公爵令嬢は興奮している女生徒たちを微笑ましそうに眺め、話を続けた。
「でも反対のこともあったわ」
「そうなんです! 私はかばってもらえなかったんです」
「私も! あの人、驚いて自分だけ逃げてしまって…」
「私もよ。軟弱な人だと思ってたけど」
「えぇ、このまま添い遂げていいものかどうか…」
「我が家も婚約を考え直そうと話し合っていますの」
「そ、そんな大事に……?」
私が青ざめると、公爵令嬢は首を横に振った。
「結婚前に本性が分かって良かったのよ」
「その通りです!」
「私、もっと良い人を探しますわ!」
その流れを受け、今まで婚約者がいなかった男性に女性側からアプローチがあり、社交界は活気づいているそうだ。
「アレクシアさまは恋愛の神様ですね!」
どうしてそうなった。
「一体なんなの……」
あの日以来、私は周囲からに崇め奉られるようになった。
どこにいても遠くから近くから手を合わせられ、常に居心地が悪い。
ランチを共にと誘う声も多すぎて怖くなり、昼休みは逃げ出すことにした。
中庭を突っ切り、生徒のいない研究棟へ足を運ぶ。
そんな私に向かい真摯に祈る女生徒たちのことは見ない振り。
研究棟へ入ると、最上階一番奥の部屋へ向かう。
きれいに装飾された扉をノックすると、かすかにくぐもった応答がある。ドアを開ければ、乱雑な部屋、埃まみれの床、積み上げられた書物。
その部屋でくたびれた教師が一人、だらしなく長椅子で寝そべって本を読んでいる。
「今日も来たのか」
「えぇ、居づらくて。ランチをここでしてもいいかしら」
「ダメだと言っても勝手にするんだろう?」
「もちろんです。崇拝の目で見られながらの食事なんて拷問ですわ」
「大変だな、恋愛の神様は」
「やめてください」
「二つ名としては立派すぎるかもな」
よれよれのシャツ、無精髭、伸び過ぎた前髪の彼に私はランチボックスを差し出す。
「それが今日の場所代か」
「えぇ。お口に合えばよろしいのですけど」
「食えれば何でもいい」
彼は無造作にサンドイッチを頬張る。
「婚約は完全に解消されたそうだな」
「えぇ。また殿下も私も新しい婚約者探しですわ」
「騙されやすい殿下にはお前くらいしっかりしている妻の方がいいんだけどな」
「私がお断りです。それと、しっかりなんかしてません」
「そうか?」
「しっかりしてたら、このようなことにならなかったでしょう。夜会で事を起こさせる前に殿下を止めればいいんですから」
「しようと思えばお前はしてたはずだ。お前は殿下を止めなかった」
「……分かったように言わないで下さい」
「分かってるからなぁ」
彼はのんびり立ち上がり、お茶を淹れてくれた。
「相変わらず、苦いお茶だわ」
「生まれつき不器用なんでね」
「あなたがそんなんだから弟に家督を奪われ、しがない教師になるしかなかったのよ」
私がそう言うと、彼はシニカルに笑う。
「権力とか家督とか、俺たちには必要ないってお前は昔から言ってただろう」
「……子供の頃の話よ」
「当たってるとは思う。でも五年前に後を継がないって宣言したの、ちょっと後悔してるんだよなぁ」
「そうなの?」
「あの時はヤケになってたし」
「ヤケに…?」
「欲しいものが手に入らないってのが確定したから自暴自棄にな」
「ふぅん」
この人の欲しいものってなんだろう?
私は彼をじっと見るけど涼しげな笑みを浮かべて、全然悟らせない。
昔からそうだった。人当たりはいいし、受け答えもやさしいのに本心は誰にも言わない。
「でもまぁ、人生は面白くなるもんだなぁ」
彼は食べ終わったランチボックスをたたみ、テーブルを拭き、お茶のおかわりを淹れてくれた。
やっぱり苦いお茶だ。
「面白くなるってどういうこと?」
「欲しいものが努力せずに転がってきたら、お前ならどうする?」
「ものによるわ。買えるものなら買うし、人の物なら拾って届けます」
「誰の物でもないなら」
「いただいちゃうと思う」
「だろ?」
彼は笑ってソファに座る私の前に立った。
背もたれに両手を付き、上から覆い被さるように私をのぞき込む。
距離が近い。鼓動が跳ね上がる。
「うかうかしてるとさらに転がっていくからな。こうして捕まえてないと」
「え、あの」
「俺の方が先に出会ってたのに、殿下に横からかっさらわれるとは思わなかった。それも貴族の事情とやらで」
国を滅ぼすか、何もかも捨てるか…。お前をさらって閉じ込めるか…とか散々思い悩んだんだけどな。
呟かれた不穏な言葉とうらはらな、きれいな笑顔。
伸びた前髪の向こうに見え隠れする瞳はやさしい黒。
独身の男女としてありえない距離に焦るが、胸は高鳴ったまま。
「逃げるなら今のうちだ。この腕からすり抜けていけ」
シニカルな笑みと余裕のある態度で腕の包囲網を狭めていく。
ふと反抗心が芽生え、身を屈めて彼の横からドアへ向かおうとしたら、抱きすくめられた。
「すり抜けていけって言ってませんでした?」
「誰が逃がすかよ」
「私に選択肢はないじゃないですか、もう」
隙間なくぎゅうぎゅうと抱きつかれるのが、幼子みたいでおかしい。恥ずかしいけど、うれしい。離れなくてはと思いつつ、両手は彼の背に回る。
「ふふ、あったかい」
「冬はよくこうしてお前に抱きつかれていたな」
「寒いのは苦手だから」
窓の外から小鳥の囀りが聞こえる。
私の婚約が決まる前は、どちらかの家の庭でよく聞いたこまどりの鳴き声だ。
鳴き声に誘われ、あの頃の夢を思い出す。
「私も、考えてたのよ?」
「何を」
「私は一人娘だもの。王家に嫁ぐなら従兄弟の誰かに侯爵家を継いでもらうしかないって思ってた。でも、私がお婿さんをもらえばいいのよね」
「そうだなぁ」
「お父さまが今から婿を捜すのは大変だと嘆くから、あなたでいいわ」
「言い方…」
ちょっと拗ねて頬を膨らます彼に自分の頬をあてて私は笑う。
「本当は優秀なのに失恋して世を拗ねて、でも私から離れられなくてうじうじと見てるだけの、どうしょうもない男なんて、私しか欲しがらないでしょ」
「言い方…泣く」
「事実だもの」
「君が好きで他に何もいらなくて、あきらめられなくてそばにいたって言ってくれたらいいのに」
「美化しすぎじゃないかしら」
「そうか?」
私がツンと澄まして言えば、彼はフッと表情をゆるめた。
「まぁ、いいか。良い子ちゃんで親に逆らえなくて初恋を胸に秘めたまま嫁ごうとして、心が折れそうになると俺のところへ逃げてきてばかりの、うじうじした女には確かにお似合いだな」
「言い方! 口が悪いわ」
「お互い様。しゃべってるとケンカになりそうだ」
ふさいでしまおう。
そう言って彼は私に口付けた。