コランダムの恋人
……誰だ? また身の程知らずが盗掘しにやってきたのか?
んん? 『とんでもない、ただの通りすがりの旅人ですよ』?
……ふん、ぼろぼろのマントに古びたカバン、女のように優しげな顔立ちにいかにも華奢な体つき……。どうやら話は本当のようだな、疑ってかかってすまなかった。なに、ここはここいらじゃ潤沢な鉱山なもので、盗掘しにかかる馬鹿者が後を絶たないのでな。
何? 『この鉱山は一体どなたのものなのですか』? おかしなことを訊く男だな、もちろんこの山は俺の物だよ。俺が神に許しを得て、俺一人で千年かけて掘っているんだ。
……はは、少し話の展開が急だったようだ。まあ安心しろ、お前の目の前にいる男は狂ってなんかいやしない。どのみち探し求めている鉱物も今日明日には掘り出せまいし、少し採掘の手を止めて、昔話をしてやろう。
……昔むかしの大昔、神に創られた天使がいた。天使には神にあてがわれた妻がいた。しかし天使は本来の妻とはどうにも気が合わず、その後になって神の創った人間の女に恋をしてしまったのだ。人間の女も自分の夫を愛せずに、天使の男の方を愛した。
神は自分の思惑通りに動かぬ天使の男と、人間の女に怒りを覚えた。神は二人に罰を下し、二人は天界から下界へと堕とされた。そうして天使には「人外の老いぬ体」と「うんざりするほど永い寿命」を与え、人間の女には……。人間の女には、天使と同じく「永い寿命」と……「宝石の体」を与えたのだ! コランダムという鉱物の体を! しかも五体バラバラにな!
……下界の人間たちのあいだで、多く「サファイア」と呼ばれる鉱物……有名なのは青い色のものだがな、その他にもとりどりだ。「イエロー・サファイア」、「グリーン・サファイア」、蓮の花の色の「パパラチア・サファイア」……。
俺はこの山を狙う人間どもを追い散らし、時には集団で襲ってくる盗掘者どもを皆殺しにし、「鉱山の魔物」と恐れ蔑まれながらも、千年かけて色とりどりの恋人の体を掘り出しては組み立ててきた! おかげで五体はほぼ完全にそろったが、瞳だけがな……。愛しい相手の両眼だけが、いくら探しても見つからないのだ! 神の野郎め、うまいことかすかな希望を持たせておいて、俺たちを再会させる気はその実さらさらないと見える!
だが俺にはあきらめられぬ、こうなればもう男の意地だ! この魔物の体、すりきれて無くなるまでもたった独りでこの鉱山を掘り続け、愛のもと死んでみせようぞ!
* * *
半ばやけくそに笑ってみせた青年に、旅人は少しためらった後、カバンの中から小さな箱を取り出した。箱の中からさらに黄ばんだ綿のかたまりを取り出した。古綿にくるまれて隠れていたのは、明らかな赤い宝石だった。人間の眼球の形を模した、一対の赤い宝石だった。
「……遠い国で手に入れた『虹の目玉』という宝石です。これは紅玉だそうですが、聞くところによるとサファイアと同じ『コランダム』という鉱物だそうですから、きっと相性が良いでしょう……」
旅人はどこか後ろめたそうに微笑んで、後は黙ってその目玉をさし出した。魔物の青年は数回口をぱくぱくさせたが、とうとう何も言葉にせずに宝石をむしり取るように受け取って、そばの粗末な掘っ立て小屋へとかけ出した。
小屋の中には、きらきらと目にも彩な宝石の人形が、壁にもたれて輝いていた。人型の魔物は人形の蓮の花色のまぶたを開き、がらんどうの目の穴に「虹の目玉」をはめ込んだ。蓮の花色のまぶたは硬質に輝き、虹の双玉に覆いをかけてそのままゆっくり閉じてしまった。
希望の後の絶望に打ちのめされ、魔物の青年が泣き崩れそうにひざをつく。声を殺して泣き出した魔物の目の前で、人形がかすかにまぶたを震わせた。
「あ」
思わず声にした旅人に、魔物の青年もはっとして涙に濡れた目を上げる。虹から彫り出したような宝石製の人形は……、いや、鉱物の体を持つ生き物は、そこで初めて鮮やかな赤色の目を開いた。
「…………」
旅人には聞き取れないくらいかすかな声で、魔物が恋人の名を呼んだ。
ようやく命の器を得て、魂のこもった宝石製の生き物は、泣き出しそうに微笑んで魂の契り人にすがりつくように抱きついた。
おそらくは天界の言葉で熱く語り合い、涙ながらにきつく抱き合う恋人たちに、「旅人」の青年は声を出さずに一礼した。そのまま背を向けひらりとマントをひらめかせ、ひっそりと鉱山を後にした。
皮肉なものだ。遠い遠い国の国宝として「虹の目玉」を据えたのは、二人の愛をひがんだ神の、最後の嫌がらせだったのだろうか。
いや、おそらく彼ら二人には、これからも様々な「試練」がふりかかることだろう。現に今だって、ふもとの街に戻った「旅人」を取り囲み、街の者たちは鉱山の様子を問い詰めていた。
「なあ、魔物の旅人さん! 鉱山の様子はどうだった?」
「あの憎たらしい魔物は、未だに生きてやがるのか? それでも鉱山が潤沢だったら構わねえ、大人数で銃や爆弾で攻め込んで、今度こそあの鉱山を人間のものにしてやるんだ!」
殴りかからんばかりに街の者に問い詰められ、魔物の旅人は……その実流れながれの腕利きの盗賊の青年は、二三度まばたいて微笑って答えた。
「……残念ながら、魔物はまだ生きています。そうして鉱山にはもうまともな鉱物はないようですよ。あの魔物、鉱物を食らって生きる種類らしい。鉱山を食い尽くしても意地汚なにカスの鉱物をほじくって、後は餓死するばかりですが……なんせ相手も人外ですから、寿命の尽きるにはあと数千年かかるでしょうね」
旅人のとっさの出まかせに、街の者はそろってがっくりと肩を落とした。崩れ落ちそうにがっかりしている人の輪を抜け、盗賊の青年はぼろぼろのマントをひるがえしてまた旅に出た。
おそらくは、もう人間にあの鉱山を襲う意思などないだろう。「鉱物を食い荒らした」魔物の青年が憎らしいのは心底だろうが、「取りカスばかり」と知らされた鉱山には興味もなし、ただの腹いせのためだけに命がけで復讐する程、短命な人間は暇でない。
つまり、その点でしばらくはあの恋人たちは、蜜月を味わえるという訳だ。
――らしくない。
腕利きの盗賊の青年としては、まったくらしくない善行だ。
自分自身で分かっている、俺は相当な性悪だ。位の高い悪魔の父が、行きずりに魔物の女を犯し、産み落とされた魔性の子。普段は魔力を隠して人間の旅人のふりをして、機会さえあれば盗みも殺しもしたい放題。その上にすさまじい特殊能力も持っている。
例えばメスの蚊を一匹食べれば「透明な羽根を持ち、牙が四十七本ある吸血鬼の化け物」に。亀を食べれば「恐ろしく堅い鎧を持った魔物の騎士」に……。
何て便利な能力だろう! 食らった生き物の特徴を有したとんでもない化け物に、一定時間姿を変えられるなんて!
そもそもが「虹の目玉」も、ライオンを食って化け物になり、ある王宮の者どもを皆殺しにして容易く手に入れたものだった。今まではその赤い玉を、「女どもを釣る餌」にしていた。
高級娼婦ばかりを狙い、赤い宝石をちらつかせ、「打算で惚れたふりをしてくる」女をまずはベットの供にする。「寝込みを襲って『虹の目玉』を奪おう」とたくらむ女をベットの上で翻弄し、たまらずぐったり気を失った女の部屋の、一番金目の物を盗んで夜明け前に旅に出る……。そんなことを繰り返す、便利な道具に使ってきたのだ。
今回街の者たちの依頼を受けたのも、良心からでは断じてなかった。最近になって身につけた「生き物だけでなく、無機物を食しても変身出来る」という能力を、使ってみたかっただけだった。
いくら美しい宝石だろうが、用を足すのに二つも数は必要ない。まずいわくつきの鉱山に登り、「虹の目玉」を一つ食らって堅い体の化け物になり、「鉱山の魔物」を倒して食らう。そうしてなおなお素晴らしい化け物と化した後、鉱山のふもとの街の者たちを食らい尽くし、あざ笑おうという肚で依頼を受けたのだ……。
盗賊の青年は、そこまで考えて肩につくほど首をかしげた。
正直、よく分からない。
どうして急な善行をなしたのか、自分でもよく分からない。いや、本当は柄にもなく「真実の愛」とやらに心を洗われたのだと分かっているが、どうしてもそうは認めたくない。
「……いや。こうなれば俺は『神に逆らった大罪人』だ。そんなだいそれた大罪人とやらに、なってみたかっただけなのさ!」
魔物の青年はそううそぶき、口もとを歪めて独りで微笑う。その微笑が普段浮かべる表情より、ずっと好ましい笑顔だと、鏡もないのになぜか分かった。
青年は大きく首をふり、ほこりだらけの靴を鳴らして歩き出す。虹の目玉二つ分軽くなった古びたカバンに、ほんの少しの希望が詰まっているような……。そんな気がして、青年はかすかにはにかんだ。
晴れ渡る青い夏空から、さんさんと日の光が降りそそぐ。それは「天の恵み」という形容がぴったりの晴れやかさで、憎らしいほど美しかった。(了)