「再会」
65点くらいの昼食を半分ほど片づけたところで、ヤンが財布から小銭を取り出した。
「さて、お二人さん。ジュース飲みたくない?」
ニヤニヤと薄ら笑みを浮かべているが、突っ込むのも面倒だ。
「じゃあ、私野菜ジュース」「僕はコーヒー。ブラック無糖で」
「いや、じゃんけんよ、じゃんけん」
拗ねたようにヤンはぶーたれた。
「じゃあいいや」「僕もいらない」
今度は無言でうなだれた。
「一人で買ってくる・・・」
そういうと、ヤンはしょんぼりとしたまま売店に向かっていった。
「学習しないわね、あの男」
クレアが呆れたように、そのしょぼくれた背中を見送る。
「姐さんに集ってくる、いつもの奴らに比べればマシだと思うけど・・・」
そんなことを呟いたら机にフォークが突き刺さった。
「あんた、次にあいつらの話出したら・・・コレ、当てるわよ」
僕は頭を机にねじりこまんばかりの勢いで下げた。
「ま、当分は来ないわよ。今頃燃え上がった自分ちの車思いだして、呆然としてんじゃない?」
「姐さん、それは・・・どういう・・・」
「スラムじゃ車に火が付くなんて日常よ。何か?」
「いえ・・・」
外出先で絡んできた数人の男達に対しての、この逆襲っぷり。
南部の女子は逞しいなんて話をよく聞くが、あながち間違いじゃないらしい。
「ふん、南部のスラムに比べれば、カシハラ周りのスラムなんて子供の遊び場よ。地方軍閥も周辺国とのいざこざもなし。私たちはね、ただの根無し草とは訳が違うのよ、訳が」
やっぱりだ。
地方官僚の令嬢でありながら、紆余曲折を経てスラムに落ちのび、そこから這い上がって家督を奪い返し、挙句には都の大学に優勝な成績で進学という、この女一人で長編が書ききれる経歴の持ち主である。
「そもそもね、中央の治安管理の杜撰さに問題があるのよ。名ばかりの軍閥解体、不法定住者への不徹底な取り締まりに、飛び交う賄賂・・・」
「姐さん、ストップだ、挙げてくとキリがない」
「何よ。そうだ、今度この辺の問題のディスカッション、委員会の方で主催するから手伝ってよ」
「行動力の塊だなー・・・」
「タイトルは『南部スラムより、治安改善への切なる請願』」
「それはディスカッションではなく、姐さん個人の演説会じゃ・・・」
「文句が?」
「ノー、マム」
学生自治会委員会の委員長を務めるクレア。その権威は理事長をも凌ぐという噂は、あながち間違いではないのかもしれない。
ため息をつきながら、ふと売店の方向を見ると、ヤンがこちらに向かってきていた。
ヤンという男は、見た目に反して気が利く。
ただ、頭は回る分、不器用な点が目立つ。
たった今、この瞬間も。
そう、結露のためか、ヤンの腕からジュースが滑り落ち始めたのだ。
すぐにそれに気が付き、慌てて抱え直そうとするが、無情にも差し出された指の隙間から紙パックは抜け落ちていった。
あー、あー。
助けに行こうと席を立つ。
その時だった。
どこからか来た人影が、ヤンの前にしゃがみ込み、落としたジュースを拾い上げたのだ。
昼休み只中の食堂。
今まさに、ここはこのキャンパスで、最も混雑する場所だ。
ヤンがジュースを落としたその瞬間ですら、周りの数人が目をやっただけ。
ただ、そんな喧騒の中、思わず魅了されてしまうほどの優雅さで、その人はジュースを拾い上げた。
醸し出す気品に目を奪われる。
「はい。あまり欲張って運んじゃ、ダメですよ」
少しおかしそうに微笑みながら、彼女はそういってヤンにジュースを渡した。
「あ、ありがとう・・・」
ようやくそう呟いたヤンに会釈をし、そして彼女は僕の方に振り向いた。
偶然、彼女と僕の視線が、一瞬ぶつかる。
「あっ、」
その瞬間、思わず口から出そうになった声を、僕はなんとか飲み込んだ。
彼女も一瞬だけ驚きの表情を浮かべ、その瞳が揺れた。
が、すぐに何事も無かったかのように元のにこやかな表情に戻って、そのまま出口に向かって行った。
その後ろ姿を見つめたまま、僕は微動だにできなかった。
「・・・とんだ美人だな、あの子」
ヤンがジュースを机に置きながら、そう言った。
「・・・ああ、そうだな」
そう、言い返すのがやっとだった。
「・・・ちょっとちょっと、ヤンはともかく伊吹も見とれてるってのは、これは大ごとよ!」
後ろでは、クレアが少し興奮しつつ、机から身を乗り出していた。
「そりゃあ伊吹だって、年頃の男の子ですよ。あれだけのべっぴんさんを目の前にすれば、棒立ちになることだってあるさ」
ヤンが謎のフォローを加えながら、野菜ジュースをクレアに手渡す。
「あ、買ってきてくれたんだ。あんがとね」
「気が利く男でしょ」
クレアは何も言わずに、嘘っぽい笑みを返していた。
「はあ・・・。お前もいつまでそっち向いてるんだよ。はい、コーヒー」
「あ、ああ。ありがとう」
差し出されたコーヒーを受け取る。
―どうして、あいつがここに?
次々にこみ上げてきた疑問を、慌ててコーヒーで流し込む。
苦く、渋い味わいは、いつまでたっても口の中から消えることはなかった。
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階段の脇にある太い柱。
その前でしきりに周りを見まわしていた女性が、私が階段から下りてくるのを見つけると、一目散に駆けてきた。
「あー!やっと見つけた!どこにいらっしゃったのですか!」
「ごめん、ごめん。ちょっとキャンパスがどんな感じなのか見たくって」
「ごめんじゃありませんよ!少しはご自覚を持たれてください!特に今回はお忍びでの訪問なんですよ!」
「うん、分かってるって。ごめんなさい。軽率でした」
そういって頭を下げたが、リタの小言モードは収まらない。
「全く、そもそもお嬢様に名代をお任せになる陛下も陛下なのです。何か特別なご用事があるとのことで、ドゥア様もこれからの合流ですし・・・。警戒感が無さすぎなのですよ、みなさん」
ため息を一つ挟んで、更にそのモードが続くようだったので、慌てて話を遮る。
「そうだリタ、芦森教授から連絡はあった?」
「もうすぐ到着されるとのことです。イルドリス記念講堂の三階での集合とのことでしたので、急ぎましょう」
パッとモードを変えて行動が出来るのはリタの大きな長所だ。
年は二つしか変わらないが、彼女がいなければ私の公務は滞って仕方ないだろう。
取り扱い方にはコツがいるが、そこもまた愛嬌だ。
「どっち?」
「こちらから。東側に抜ける渡り廊下を通ります。・・・なんですか、お嬢様。楽しいことでもありましたか?」
「え?」
気が付かない間に頬が緩んでいたらしい。
「・・・何でもないよ。ちょっと懐かしい感じがしただけ。それだけ」
呟くような私の返答にリタは首をかしげていたが、やがてすぐに歩き出した。
その背中を、二歩ほど後ろから追いかける。
気づかれないように、頑張って平静を装うが緩んだ頬は上手く治らない。
胸にこみ上げてきた感情は、それほどに大きかった。
丁寧な装飾が施された天井を仰ぎ見る。
―あいつ、元気そうでよかったな。
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