「追悼式」④
爆音と共に、アリーナの椅子が宙に舞った時、三階席から舞台を覗いていた俺は、素早く引き金に置いた指に力をこめた。
(いよいよ、か。しくじるなよ、ケーナン)
自分自身に、そう言い聞かせる。
近衛部隊に所属する以上、その護衛対象の優先順位はいつだって王族が一番に来る。
自分の場合は真衣様に、この身体が例え粉微塵になれども、その御身を守り抜くと誓った。
だが、武力衝突の現場では、全員が真衣様の御身だけを案じれば良いか、と問われればもちろん答えはノーである。
隊長が真衣様の命をお救いするために最適な計画を立案し、我々隊員はそれを元に与えられた役割を全うすることで、初めて御身の無事に繋がるのだ。
この場で、俺に割り振られたのは、侵入者の食い止め、及び排除だった。
一応は厳しい訓練に耐えてきた身だ。
まだ若く、経験こそ少ないが、身体能力も状況判断もある程度の自信があった。
だからこそ、アリーナから真衣様に破片が飛ぼうとも、俺は彼女の御身を気にしない。
その役目は新入りだが、どうにも才覚に溢れているあの男の物なのだ。
すると、白煙の中から、黒ずくめの男達が躍り出てきた。
落ち着きながら、照準を定め、引き金を引く。
スコープ越しに身体を撃ちぬかれた男の一人が、派手に前に倒れた。
その直後、傍らにいた男が何かをこちらに投げ込んだ。
(手榴弾!)
瞬時に通路に飛び込む。
鼓膜を破りそうなほど大きな音と共に、自分がコンマ数秒前までいた周りの椅子が派手に飛んだ。
なんとか回した腕によって顔は守れたが、ザシュッという嫌な音と共に足に異物が入り込む感覚があった。
爆風に流され、思っていたよりも遠くに、そして強く身体を打ち付けた。
耳鳴りは止まらないが、じきに回復するはずだ。
違和感を感じる足の箇所に手をやる。
(右のふくらはぎ・・・。表面を少しえぐられた感じか)
目をやると、確かに血がとめどなく流れてはいるが、恐れていたほどではない。
びりびりに破れた軍服を繊維に沿って裂き、ひも状にして負傷箇所の少し上できつく縛る。
結び終えた次の瞬間、今度は10メートルほど横が爆音とともに吹き飛んだ。
慌てて頭を下げる。
ヘルメット越しに何かが落ちてきたのを感じ、視線を移すと肉の破片だった。
ちょうどその場所にいたはずだったのは、近衛部隊の先輩隊員だった。
周りを見回すと、大なり小なり、頭の上に落ちてきたものと同じような肉片が散らばっている。
無口な人で、あまり面識は無かったが、悪い人ではなかった。
一度だけ頭をさげ、三階席の最前の手すりまで這って進む。
ようやく顔をあげる態勢を整えたところで、耳に音声が流れ込んできた。
『・・・は負傷!三階席、状況を!三階!』
その通信が自分たちあての物だということに気づき、通信機を手に取った。
「ケーナンです、キム隊員が死亡!自分も足を負傷しましたが、上から撃つくらいは出来ます!」
『援護射撃頼む!アリーナ部隊はほぼ全滅だ!二階席右翼側、アリーナに降下!中央の奴らは何人かそっちにカバーいけ!準備は!』
五秒して、二階席から通信が入った。
『いけます!』
『三階、援護!』
その声と共に、手すりから身を乗り出し、銃を乱射する。
左翼側にいた一人も、血まみれの顔で援護射撃に加わっていた。
『降下!』
その声と共に、身を隠す。
弾倉を交換する。
『アリーナ、侵入口の当たりに数人いる!上から黙らせられるか!』
弾倉をはめながら、通信機に顔を近づけた。
「自分が!」
身を再び乗り出して、未だ煙に囲まれている侵入口付近に銃を撃つ。
弾倉が空になるまで引き金を引き続け、もう一度身を隠そうと視線を上げると、煙の向こうにうっすらと舞台上で男と鍔迫り合いをしている伊吹の姿があった。
相手は見るからに手練れのようだ。
その瞬間、下から数発、自分のすぐ横に銃弾が飛んできた。
慌てて頭を下げる。
舞台で伊吹が戦っているということは、その背後にある避難路はまだ生きているということだ。真衣様も無事なのだろう。
ひとまず胸を撫でおろす。
弾薬を再び変えながら、息を整える。
ああ、ロゼまで後何発か。
漏れそうになったため息と、呼吸の度に走る足の痛みをこらえながら、俺はもう一度手すりから身を乗り出し、引き金を引いた。
視界がモノクロから、色彩に溢れると同時に、僕は前に飛び出した。
どのように剣を振るのか、そんな考えは頭にない。
ひたすらに、本能のままに僕は腕を動かした。
剣とナイフがぶつかり合い、火花が立て続けに飛ぶ。
全力で首をめがけて振り切った剣は、しかしまたしても男に防がれた。
「怒りや絶望・・・負の感情に任せて剣を振るうのは恥ずべき行為ですよ、『観測者』」
呆れたように男は首を横にふった。
「時には芸術、そして精神のあり方まで規定するのが剣です。・・・貴方の今の剣は美しくない」
「うるさい!!!何も!!!何も!!!言うな!!!」
吠えるように叫んだ。
精神のあり方も何もかも、今の僕には関係がない。
蹴りを入れられ、僕の身体が後ろに吹っ飛ぶ。
男はため息をついた。
「がっかりですよ。時間も食いすぎましたし、そろそろ終わりにしましょう。目的は貴方を倒すことではありませんし。とはいえ、一度私の夢を叶えてくれたのは確かです。それについてはお礼を」
そう言って男は深々と頭を下げた。
舞台袖まで飛ばされ、壁にめり込んでいた僕はがれきの中からよろよろと身を起こす。
頭を強く打ったからか、朦朧とする意識の中で、再び麗希が現れた。
(麗希・・・。僕達のあの戦いは、一体なんの意味があったんだろうな)
全てを捨てて、それでもその先により良い未来があると信じて、僕達は戦った。
そして、彼女は命を落とした。
(もう・・・何も・・・)
その時、ふと真衣に言われた言葉が浮かんだ。
『もし、今まで姉さまが生きてたら、どんな感じだったのかなって、その時思ったの。本当に、漠然と、もしそうだったら、みんなもっと幸せだったのかな、なんて』
あの日、五年ぶりにちゃんと彼女とちゃんと話した時の言葉だ。
『分かんなかった。答えが出るのが怖かったし、そんな答え出す前に、死んじゃえばいいと思ったの』
普通ならバカ言うなとか言って、彼女をしかりつけるのだろうが、その時の僕はとてもそんなことを言う気にはならなかった。
麗希が命を落として、その死に最も打ちのめされ、そして全てを変えられたのは真衣だ。
幼い頃に両親を亡くした二人は、複雑なその出生も関係して苦汁を舐めたことも、多かった。
まだ宮中がどんな場所なのか、深く理解しないまま彼女たちと接していた僕にも分かっていたくらいだ。きっと、二人だけで耐えてきたことは、その何倍もあったのだろう。
そんな誰よりも近しい肉親を失った真衣は、大人たちの欲望の渦の中で王族でありながら、臣下である宮司家の当主に据えられた。
それからの五年間。僕が目と耳を閉ざし、新しい生き方を見つけようとしていたその間、彼女は黒く、暗い宮中で生き抜いた。
そんな彼女が、僕にポロリと漏らした生の執着の無さは、彼女のこれまでの人生での辛さ故の物だ。
だからこそ、僕は彼女を叱れなかった。
自分の事しか考えられず、ただ逃げ続けた僕には、そんな資格は無いからだ。
では、今はどうだ?
僕は、結局過去から逃げ伸びることに失敗し、その清算のために再び戦場に戻ってきた。
そして今、五年前の自分の戦いと、そして誰よりも大切だった人の死の意味を否定された。
『宝玉』は今でも存在する。
右手を見た。
剣を握る僕の手は赤く染まっている。
この手で剣を振るい、様々な苦難を乗り越えて達成したものを否定された僕の心を覆うのは虚無感だ。
だが、それはどこまでもエゴイズムに支配されている。
右手を感触を確かめるように握りなおす。
もし、僕の五年前の全てが水泡に帰したとして。
仮に、麗希の死が、未来に大きな影響を及ぼさなかったとして。
それでも、僕はこの世界の誰にだって、それらを無駄だとは言わせない。
「・・・言わせてたまるかよ」
悲鳴を上げる全身を無視して、僕は立ち上がる。
崩れ瓦礫に足を取られながら、それでも僕は立ち上がる。
「止まり続けなければいい・・・。彼女の死が報われるまで、止まり続けなければいい!」
喉から絞り出すように、声を出す。
それを見た男が、夢中で手を叩く。
「ああ!それでよろしいのです!!!さすがです、尊敬です、素晴らしい!!!さあ、もう一度手合わせを!『宝玉』に魅入られ、魅入った我々に、決着を!!!」
「黙れ!!!」
大気の震えを肌で感じるほど、僕は強く叫んでいた。
一歩、右足を前に出す。
「『宝玉』が、まだ存在するなら、それでいい」
一歩、左足を前に出す。
「お前たちが持っているなら、壊せばいい」
もう一歩、右足を前に出す。
「僕は・・・。俺は、何があっても進み続ける!過去の為じゃない、明日の為に生きていく!!!」
その瞬間、視界が再び七色の光に満ちていく。
澄み切ったそれぞれの色たちが、僕の視界を埋めつくす。
鮮やかに、しかし、それは先ほどまでとは違い、禍々しさを感じさせなかった。
透き通る、その高潔さを僕は説明できる言葉を持たなかったし、きっと世界中をくまなくさがしても、そんな言葉は存在しないのだ。
ここにきて、ようやく男は異変を感じ取ったようだった。
「お待ちください・・・。貴方からあふれ出るその光は、一体・・・?」
「人には分かるまい。理解など、決して及びはしないのだから」
その一言に、何かを感じ取ったのか男は怒りで震えだした。
「貴方・・・、私の『宝玉』への理解を侮辱なさいましたね・・・?それは、それは!!!いくら『観測者』でも許されることではなああああああい!!!」
喚き、唾を散らしながら男がとびかかってきた。
次の瞬間、男は自分は振るおうとした右腕がないことに気が付いた。
「な!?私の、私の腕が!?いずこに!?」
辺りを見回した男のすぐ横に、ドンという重い音と共に何かが落下した。
男がまさか、といった表情で目をやると、それはナイフを握りしめたまま胴体から切り離された男の右腕だった。
やがて、男の肩から鮮血がほとばしる。
「いいやあああああああああああああああああああああああ!?」
もう片方の手に握られていたナイフを捨て、その手で必死に男は肩を抑える。
止まらない血に驚愕の表情を浮かべ、男はこちらを見つめる。まるで、物語の中から恐ろしい怪物が出てきて、目の前に現れたのかのような瞳で、だ。
「私が、分からなかった・・・?気がつかなかった・・・?一体、どうやって、どうやって・・・」
男はもう一度肩を見つめ、そして唸った。
「貴様、一体何をしたああああああ!?」
僕は、男を静かに見つめた。
ゆっくりと、剣先を男の胸に向ける。
「これが『観測者』だ。『宝玉』に魅入られたんじゃない、憑りつかれているんだ。利用してるんじゃない、利用されてるんだ」
そして、俺は男に向かって、優しく微笑んだ。
「これでも、まだお前は俺に憧れるのか?」
血走った目を見開き、男はもがくように俺に手を伸ばす。
口にあぶくを貯めて、声にならない叫びを叫びながら、手を伸ばす。
刹那、俺はもう一度剣を振るう。
男の左腕は宙を舞った。