「夏の夜空の下で」
気が付けば、僕は中庭まで歩いてきていた。
夜露に濡れた芝の上に腰掛ける。
空は暗く、星は一つも見えない。
そのまましばらく、何もない空を見上げていると、足音が近づいてきた。
「・・・何も見えないね」
僕は空を見上げたまま返事をする。
「ああ、何も見えない」
しばしの沈黙の後、真衣が僕の隣に腰掛けた。
「下、濡れてるぞ」
「正座してるから平気よ」
「いや、どのみち服が濡れるだろ・・・」
相変わらず、何かがズレている幼馴染は、我関せずといった感じで口を開いた。
「さっき、私が自分からああいう発言をしたこと、伊吹には受け入れがたいもの、だったよね。この前、自分の命を諦めようとしたって、貴方には言ったことがあったし」
僕は何も答えずに、じっと暗い空を見つめ続ける。
真衣は少しおいて、話を続ける。
「まずは、本当にありがとう。まっすぐに、純粋に、私のことを心配してくれて。あんな風に、怒ってくれて」
僕は、何も答えない。
「貴方は、色々な物が見える人だから、もう分かってはいると思うんだ。輝頼だって、ドゥアだって、私のこと、貴方と同じくらい気にかけてくれているの。ただ、あの頃は無かった、色んなしがらみだったり、考えなきゃいけないことが一杯増えて」
一度、真衣は言葉を切る。
涼しげな風が僕達の頬を撫でた。
雲が、少しずつ動いていく。
「どうすれば、一人でも多くの人が幸せになれるのか。難しいね。昔は、周りのみんなが幸せだったら、それで十分に思えたのに。大人になるって、こういうことなのかな」
「・・・数百万人の幸せを願ってる連中なんて、この国にはお前たち以外誰もいないよ」
雲の流れが、少しずつ早くなっていく。
「大人になったら、人はもっとエゴイストになっていく」
「欲張りになった、ってことなら、きっと私達はそうなんだと思う。けどね、伊吹。貴方は違うよね。姉様のこと、私のこと、輝頼のこと。今は大学であった、ヤン君とあの女の子も。貴方は、ずっと変わらずに自分の大切な人たちのことだけを考えて、今も生きている」
「大切に思っているのは本当だけど、別にそんな風にほめられたものじゃない。人間としては、よっぽどそっちの方が普通だよ」
「そうね、そうなんだと思う」
そう言って、真衣は少し黙った。
雲が切れ、ようやく月明かりが差し込む。
「それでも、私はこうやって生きていくことに決めたんだ。姉様のように、一人でも多くの人を想いながら、私は生きていきたい。伊吹に助けてもらって、もっと強くそうやって思うんだ」
真衣の言葉は、落ち着きを伴いながら、それでいて強い熱を奥に帯びていた。
「伊吹、私のわがままを、一緒に叶えてくれない?」
ようやく、僕は真衣に視線を移す
その真剣な瞳に対して、僕は抗う言葉を持ち得なかった。
「・・・なんとしても守り抜く。だから、なんとしてでも生き延びてくれ」
真衣は力強く頷いた。
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10日後、僕達はカシハラ大学、伏見大講堂にいた。
作戦はこうだった。
「おびき寄せるにしても、何かいい場所はあるのかい?」
あの夜、真衣と共に小広間に戻り、再び始まった話し合いの口火を切ったのはトモだった。
「さっきも言ってたけど、ウンバール兵相手だと、一般兵はどうにもならんのだろう?それに、今回の目的はウンバール兵を捕らえることにある。追い返すだけじゃ不十分、むしろ世間的には逆効果だろう」
そのためには、完勝できるほど守りに適した場が必要になる、という意見だった。
「戦略的に見れば、真衣を連れ出す以上、さらにその点は重要になるだろうな」
とはいえ、思い当たる場所はない。
しばらく嫌な沈黙が流れた後、ドゥアがはっと顔を上げる。
「それならば、いっそカシハラ大学はどうでしょう?」
「なぜ?」
輝頼が眉をひそめる。
「まず、警備のしやすい大きな建物があるという点があります。前回のテロのように、何も対策をしていなければ被害は大きくなりますが、前もって部隊を配置できれば問題はありません。加えて、マスコミを使う以上、真衣様がいても不自然でない場所を選ぶべきです。報道はされていないので、真衣様が大学でテロに会われたことはもちろん知られてはおりませんが、同年代の数多くの犠牲者に心を傷まれ、現地で祈りを捧げることは自然です」
「そういえば、ちょうどカシハラ大学の学生自治委員会が主導して、追悼式を行うことになっている。その場の来賓として、真衣が来れば・・・」
僕の指摘にドゥアが頷いた。
「流れは極めて自然だな。・・・委員会との交渉、お前が出来るか?」
ドゥアと目が合う。
僕はゆっくりと頷いた。
「なんとか・・・説得して見せる。誰も傷つけないようにする」
輝頼が言った。
「問題は失敗した時だ。最悪の場合、このタイミングで真衣を外の催事に参加させ、挙句その身すら守れない。テロがすでに起こされた場所というのも相まって、これ以上ないほど近衛部隊と軍部への求心力は低下する」
横で頷いた真衣が、口を開く。
「伊吹の言う通り。だけど、そもそも私を使う時点で、どこでこの作戦を実行しようが諸刃の剣よね。だからこそ、私は成功した時の成果を最大限に求めるべきだと思う。大学での作戦には賛成よ」
相変わらずその言葉には強い芯がある。
その後も議論は続いたが、結局、この案が決行されることになった。




