「お見舞い」
ノックの音で目を覚ました僕は、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
(・・・ここは、ベッド?)
意識をはっきりさせるため頭を数回振り、もう一度周りを見渡す。
ようやく、自分が宿舎の自室にいるということを認識したところで、もう一度扉がノックされた。
ダルい体を起こすと、腹部に鈍い傷みが走った。
(そうか、僕は作戦中に気を失って・・・)
その時、扉が開いた。
「体調は、大丈夫?」
扉の前にいたのは、小さなバスケットを抱えた真衣だった。
「・・・ああ。眠れたのが良かった。大丈夫だよ」
扉を開き、真衣を通す。
「それは何より。貴方、丸一日以上寝てたのよ」
体のダルさから、うすうす感じてはいたが、やはりそうだったか。
「悪かった、こんな時に・・・」
「作戦中の負傷なんだから、どうしようもないでしょう。ケガ人は黙って寝てればいいのよ」
そう言って、真衣はベッドに腰掛けた。
「ドゥア達は忙しそうか?」
「調査の進行、報告書の作成、捜査部との会談に私の通常警護。明日はドゥアが丸一日寝てるわね」
「そうか・・・」
思い出したようにバスケット机に置いて、真衣はその中から林檎とナイフを取り出した。
「色々と持ってきたの。北部産の林檎だよ、久しぶりに食べるんじゃない?」
林檎は暑い地域では育たない。このヤシマでは北部に広がる山岳地帯の一部でしか収穫が出来ない貴重品だ。
「・・・気持ちは嬉しいんだけど、お前林檎の皮なんて剥けるの?」
そう言うと、真衣の背中がピクっと小さく跳ねた。
圧倒的なお嬢様―率直に言えば、かなりの世間知らずのお嬢様だ。林檎の皮剥きなんて庶民的なことを出来るとは思えなかった。
しかし、真衣はパッと顔を上げると、少し声を震わせながら、そして早口で言う。
「いや、私だってもう一人前の淑女ですよ?リタから色々と教わって、ちゃんとこういう家庭的な?庶民的な?ことだって出来るようになってるのよ!」
「・・・それは僕が悪かった」
思ったよりも強く反応され、少しビビりながら非を認める。
が、いざ彼女が皮むきを始めると、やはりそのぎこちなさが目立つ。
難しいのは助け船の出しどころで、下手の所で何か言うと、今度は言葉ではなくナイフが飛びかねない。
(・・・がんばれー)
ひとまず、心の中でエールを送ることに留めよう。
「いたっ!」
真衣が小さく声を上げると同時に、ナイフを落とした。
悔しそうに左の親指を口に含む。
「・・・ほれ、貸してみ」
流石にこれで諦めたろう。床に落ちたナイフを拭い、彼女の手から林檎を取り上げようとすると、真衣はそれを拒んだ。
「いい・・・。最後までやるから」
ここまで意固地になられたら、僕に出来ることはもうなにもない。
僕はため息を付きながら、ナイフを彼女に返す。
「仕事の方は、大丈夫なのか?」
「まあ、時間空いたから見に来てやったのよ」
よくよく考えれば、護衛対象の元王女様が、護衛の部屋に来ていること自体、他の近衛部隊のメンバ―に見られれば、かなり大きな問題となりうる。
既に今朝の作戦開始前から、今日の作戦後は非番になる旨は伝えられているため、作戦に参加したこの部屋に近い隊員達は、みんな町に繰り出しているはずだ。そう考えると、そこまで遭遇する機会は無いのかもしれないが。
しばらく後、普通の主婦よりは遥かに長い時間を欠けたものの、きちんと皮むきを成し遂げた真衣が、どや顔で林檎を見せびらかす。
「ほら―!出来たー!」
「すごーい」
拍手で応える。
「・・・なんか心が籠ってなくてムカつくわね」
「・・・なんだよ、泣いた方が良かったか?」
切り分けられた林檎を一つ摘まむ。
「おお、確かに美味しい」
「ねっ!良かったわ、持ってきて」
そういって、真衣は嬉しそうにはにかんだ。
「・・・大丈夫そうね、本当に心配したのよ。貴方、意識を失って運ばれてきたし」
「・・・面目ない。ケガは本当に大したことないんだ」
「そう・・・。なら良かったけど」
真衣も、林檎を一切れ摘まむ。
そんな彼女の姿を見ていると、ふいに僕の口からぽろっと言葉がこぼれた。
「・・・次は負けない」
真衣は何も言わずに、もう一切れ、林檎を口に運んだ。
僕は、自分に言い聞かせるように、もう一度繰り返す。
「絶対に、次は」
ゆっくりと林檎を飲み込んだ真衣は、やがて同じようにゆっくり、口を開いた。
「前、ちゃんと向けるようになったじゃん」
「・・・どっかの誰かに、怒られたもんでね」
肩をすくめて、そう答える。
「またぐちぐちと悩んでるかと思ったけど、安心した」
そう言って、真衣は僕の背中を叩いた。
「ま、私は、貴方が死ぬなんて思ってないし。・・・引き続き、よろしくね」
彼女は机のバスケットを指差す。
「そういえば、他にも色々持ってきたんだ。林檎はもう無いけどね」
「・・・何があるの?」
そう尋ねると、真衣は立ち上がって、バスケットから中身を次々に投げてよこした。
「みかんでしょ」
「やった」
「塩辛でしょ」
「・・・?」
「あとこれ、豚の角煮」
「・・・いや、なんで?」
食べ合わせ-50点ってとこだ。
良いものしか食べてないグルメ舌も、極まるとそもそもダメな組み合わせとか思い浮かばないらしい。
「え・・・。伊吹が好きなものを集めたつもりなんだけど・・・」
どうやら、本気でこいつなりに僕のことを元気づけようとしてくれているらしい。
「うーん。まだお腹空いてるし、私も一緒に食べちゃおっと」
そういって、バスケットの中から二つフォークを取り出したあたり、やはり何かがズレているが、その心遣いが素直に有難かった。
「あのね、伊吹」
じーっと塩辛の瓶詰めを見つめた真衣がポツリと呟く。
「なんだ」
「みかんに塩辛のっけて食べると、キャビアの味がするらしい」
「お前、僕のことバカにしてるだろ・・・?」