「情報」
「・・・それで、ヘトヘトになって帰ってきたわけだ」
「力になれなかった分、今から手伝うぞ~って言ってて・・・このザマよ」
クレアに急遽呼び出され、訓練を終えた後、僕は久しぶりにこのソフィアの間を訪れていた。
壁際のソファでは、ヤンが寝息を立てながら突っ伏している。
「スラムで泊りがけで奉仕活動なんてね・・・。さぞかし、疲れただろうに」
クレアの声は、どこか温かい。
「・・・クレア、何かあった?」
「え・・・?いや、なんでもないわよ」
そう言いながら、彼女はコーヒーをカップに注いだ。
「そろそろ起こさないと。何か伊吹に話したいことがあるからって、寝落ちする前に言ってたから、あんたに急いで連絡したわけよ」
机にカップを置き、クレアはヤンの体を揺する。
「ほら、ヤン。伊吹が来たわよ」
しかし、ヤンは体を仰向けにしたものの、起きるには至らない。
「ねえ、ヤン。急いでるんでしょ・・・ってきゃあ!?」
クレアが素っ頓狂な叫び声をあげた。
理由は一目瞭然だ。寝ぼけて目覚まし時計を止めようとしたのか、ヤンが思い切りクレアの胸をはたいた。
クレアが叫んだからか、それも繰り返し。
「・・・おっと。お邪魔のようなんで、僕は外で待ってます」
「冗談言ってる場合か!?」
クレアそう叫び、思い切りヤンの頭をぶん殴り、そのまま流れるように机にあったティッシュを僕目掛けて投げた。
ヤンはソファに沈み、僕はギリギリでティッシュを避けた。
「っぶな!なんで僕まで攻撃されるんだよ!?」
そんな僕の悲痛な叫びは彼女には届かなかった。
「最低・・・絶対殺す・・・。私の身体に、こんな風に触れやがって・・・」
これまででトップクラスに禍々しい雰囲気を纏ったクレアは、それはそれは怖かった。
なんとか場を和まそうと、必死に口を開く。
「だ、大丈夫だよ!そんなに元から大きくな・・・!?」
高速で僕を掠めたハサミは、そのまま壁に突き刺さった。
相当お怒りらしい。
「全力で、先ほどの発言は撤回させていただきます!!!・・・あー、ほら!ヤンは起きたみたいだ」
震えながらソファを指さす。
ソファの上では、頭を押さえながらフラフラとヤンが体を起こしていた。
「痛ってぇ・・・。どこで頭ぶつけたんだ・・・」
その横でプルプル小刻みに震えてる彼女が犯人だ、とは口が裂けても言えなかった。
幸い、恥じらいを抑えるのに必死でクレアはヤンに追撃をする余裕は無いようだ。
「・・・はぁ。よう、ヤン。インターンお疲れ様だな。それで、僕に何の用だって?」
僕の言葉に反応したヤンは、頭を振りながら立ち上がった。
「ここ・・・委員会の本部か。・・・ったく、寝落ちするなんて情けない」
認識が間に合ったらしい。頬を二回叩き、ヤンはようやくしゃっきりしたようだった。
「あー、そうだった。伊吹、ちょっと待っててくれ」
そう言いながら、ヤンは本棚の横に置かれていた筒状の何かを持ち出した。
「・・・それって、地図か?」
「そ。カシハラ周辺のね」
そう言って、ヤンは机の物をどかし始めた。
「おっ、このコーヒーって誰が淹れてくれたの?」
机に置かれた三つのカップにようやく気づいたヤンは、少し嬉しそうに振りむいた。
目が合った僕は、控えめにクレアを指さす。ちなみに当の本人は、まだうつむきながらプルプル震えていた。
「クレアが淹れてくれたのか。やりぃ、頂きま・・・って、なんでそんな不機嫌そうなの?」
思わず頭を抱えた。クレアの機嫌を損なうことに関してはこいつの右に出る奴はいない。
「・・・このアホおおおおお!!!」
目に止まらぬ速さで、クレアの肘がヤンのみぞおちに入った。
スローモーションで、白目を向きながらヤンが再びソファに沈んでいく。
「・・・一体、いつになったら僕は話を聞けるんだ?」
状況が振り出しに戻った。
しばらくしてヤンは再び目を覚まし、ようやく話が進むこととなった。
「まず、この地図を見てくれ」
先ほど気絶する前にヤンが自分で引っ張り出してきた地図を、クレアと僕で覗き込む。
「今回、俺が国土開発省のインターンで行ってきたのはここ、シルミアンク地区だ。だが、当初の予定だと・・・こっち、このホルズ地区を訪れるはずだった」
それぞれを指さしながら、ヤンは説明を続ける。
「予定が変更されたのは初日。スラムの市場でコーディネーターと会った時に知らされた。突然情勢が不安定になったから、ってな」
「スラム街で状況が安定してるなんて方が珍しいけど・・・、つまりよっぽど悪くなってたってことね」
クレアの指摘にヤンが頷いた。
「ああ。ここでちょっと話は変わるんだが・・・。伊吹、近衛部隊の方でこのホルズ地区に関する情報って上がってきてないか?」
「近衛部隊で?・・・いや、今のところは聞いてないな。隊長にもさっき会ったけど、しばらく作戦の予定は無いみたいだったし、こちらが関与するようなことは、少なくとも無い」
僕がそう答えると、ヤンの表情が少し渋くなった。
「けど、『同盟』に関する捜査では捜査部との連携は続いているんだよな?」
「ああ。明日もブリーフィングがあるけど、時間からして現状確認程度だと思う。そっちでもそこまで進展はないよ」
ヤンの質問の意図を、僕は上手く理解できないまま答える。
「・・・ヤン、捜査部と近衛部隊に、なんの関係があるんだ?」
僕はそう尋ねた。
すると、ヤンは懐から数枚の写真を取り出す。
「これはスラムのコーディネーターが見せてくれた写真だ。ちょうど俺がスラムに入った初日の前日、今から三日前に撮られたものだ」
「これは・・・武装してる兵士か何かの写真?」
クレアが一枚の写真を手に取る。
「ああ。・・・そいつらが『同盟』さ」
「なんだって!?」
衝撃的な報告に、僕は思わず聞き返す。
一方のヤンは、落ち着いて説明を続ける。
「元々、このホルズ地区は、ならず者が集まることで有名だったらしい。その状況が輪をかけて悪くなったのが、今から四日前。突然武装した集団がこのホルズ地区に押し掛けて、現地を占拠した。ここを治めてたギャングを追いだしてな。で、状況を訝しんださっきのスラムのコーディネーターが、部下を使って内情を把握の為に潜入した結果、その集団が『同盟』だと判明したわけさ」
あっけにとられたまま、しばらく僕は呆然としていた。
「・・・規模は?」
「三桁はいる。どうやらここで一度勢力を結集して、大きな行動を起こそうとしてるらしい」
クレアがなるほど、と膝をうった。
「警察と軍務省がその処理を押し付け合ってるスラム街、中でも治安が悪いことで知られているホルズ地区なら、勢力を集めるには好都合だったってわけね」
僕からすれば、痛いところをつかれている発言だ。一応は軍務省付きの僕よりも、その出自もあってクレアの方が遥かにスラムについては詳しい。
「こんな重要な情報を捜査部も近衛部隊も把握していなかったのか・・・」
捜査対象の大規模な集合、反抗作戦の前触れ。
そんな重大なシグナルを、愚かしい政治的な押し付け合いの結果、見落としている現状。酷く情けなく、そしてどうしようもなく腹が立った。
ただ、同時に、このタイミングで情報が得られたことは幸いだった。僕から近衛部隊を説得して、性急に打開策を撃つべきだろう。
「・・・ヤン、コーディネーターと僕が連絡を取ることは可能か?」
僕がそう尋ねると、ヤンは待ってましたと言わんばかりに端末を取り出した。
「・・・そう言ってくれて良かったよ。コーディネーターは近衛部隊が動くわけはないって決めつけてたけど、お前を通せば行けるって信じてたぜ。今から繋ぐよ」