「国王陛下」
頭を下に下げ続け、全員を見送った後、御簾を隔ててこの部屋は二人だけの空間となった。
流石にもういいかとも思い、頭を上げ、姿勢を元に戻す。
「・・・俺はまだ頭を上げていいとは言っていないが」
いつ話が始まるかと退屈そうに待っていたら、御簾の向こうから始めにかけられた言葉はそれだった。
思わず、吹き出す。
「・・・ははっ。これは申し訳のないことを。ご無礼をいたしました、陛下」
そう言い、とりあえず再び頭を下げる。
数秒後、御簾の向こうの人物が立ち上がった音がした。
思わず顔を上げると、御簾を跳ねのけ、その人物はこちら側に入ってきた。
平安時代の文学上でなら、なんとも逢瀬向きのシチュエーションだが、1500年前のロマンティックさは、もはや現代ではかび臭い。
目の前に仁王立ちになった男に尋ねる。
「なあ、まだ頭上げていいって言われてない」
「それなら下げ続けろよ、せめて」
もう一度、吹き出した。
こちらも立ち上がる。
「全く。もうちょっと、若者に優しい進行を頼みたいもんだなぁ」
「伊吹、あのメンツで無理なことを言うな」
肩を叩かれる。
「よく、戻ってきたな」
少し照れくさくなり、何を言おうか迷う。
ぶっきらぼうに口をついた言葉は、なんとも面白みにかけるものだった。
「ああ。ただいま、陛下。いや、輝頼」
そういって、僕は強く彼の手を握りしめた。
「酒、もう飲めるようになったんだよな」
いたずらっ子のような目をして、そんなことを言う輝頼に、僕はもう一度吹き出してしまった。
「どうも、威厳とか感じられないなぁ」
「お前の前で威厳も何もないだろう」
そういって笑うと、輝頼は僕を手招きして、テラスに進んでいった。
「随分と、楽しそうな生活を送っているみたいじゃないか。どうだ、キャンパスライフは。画に描いたようにバラ色か?」
「頼むよ、なんか節々がオヤジ臭い。・・・そうだな、何もかもが楽しいよ。恋愛とかの方面は、僕には縁遠いが」
「それはもったいない。夜の街を出歩くのも学生の日常だと思い込んでいたが、事実はそうではないのかな」
「人によるさ。それに、元々そんなの僕のキャラじゃない。人間、根っこの部分が変わるのは難しいよ。五年なんてあっという間だったし、さ」
心地よい風を頬に受ける。
こんな感じで、この男ともう一度言葉を交わすことになるとは。
「・・・そういえば義妹が世話になったな。また、お前に助けられた」
そういって、輝頼は頭を下げた。
「国王陛下ともあろうお方が、そんな風に頭を下げなさんな。ドゥアにも言ったが、真衣のことは礼を言われるようなことじゃないよ」
手を振りながら答える。
「それと、ドゥアから話は聞いた。軍務省の方にも話を通しておいた。・・・頼んだぞ」
「ああ。ありがたい」
「・・・まあ、お前が加わってくれれば、なんとかなるだろう」
そういって、輝頼は僕の肩に手を置いた。
「お前が帰ってきてくれて、俺は本当に安心したよ。全く、俺をどんな風な人間かと想像するのは勝手だが、人であれ神であれ愚痴の一つや二つは許されるだろうに。なあ、伊吹ここ五年間、俺は壁に向かって愚痴を吐いてたんだぞ。信じられるかお前」
「真衣にでも言えばいいじゃないか。頭撫でながら慰められるぞ」
「この年になって・・・義妹に頭撫でられながら・・・慰められる・・・?」
身の毛もよだつ、と言った風に体を震わせる我が国の陛下。
「冗談だよ。ま、基本的に五清家にしか顔を合わせないストレスなんて、正直とんでもないよな」
「だろうなぁ。・・・なあ、伊吹。なんかお前、変わったよ」
「僕が?どんなふうに?」
顎に手を当て、数秒考えた後、輝頼は言う。
「雰囲気が落ち着いたよ。元々大人びてたけど、もっと滑らかになった」
「それを言うなら丸くじゃないのか?」
「いや、尖ってるのは昔のままさ。切れ味は鈍ったが、未だ威力は恐るべき、って感じ」
昔の僕はキレる不良少年だったのか。
「・・・とりあえず褒められてるの?」
「さあ?若い時の変化ってのは全部成長ってことらしいから、そうなんじゃないか」
なんともしっくり来ない解答だ。
「さて、もう帰りな。まだ宮中に引っ越しはしないんだろう?」
「そりゃあ、今日やっと帰還のお許しが出た訳だし・・・。まあ、あらかた事が収まるまでは、帰っては来ないと思うけど」
「そうか・・・。伊吹、外の空気、吸い続けろ」
「え?」
輝頼の言葉の意味が飲み込めず、思わず聞き返す。
「お前だけだぞ、ちゃんと宮中の外を経験して、この場にいる人間。出自はどうであれ、お前は馴染んだんだ。俺たちが避け続けていた部分を、もしくは願っても叶わなかった部分を、お前はきちんとこなしてる。その視点を、立場を忘れるな」
今度は真っすぐと、その言葉が胸に届いた。
「・・・ああ。頑張るよ」
優しく微笑んだ輝頼は、そのまま室内に踵を返す。
「何かあったら、すぐに報告してくれ。出来る限り、力を貸す」
ああ、と頷き、そういえばと思い、二歩先にいる背中に問うた。
「なあ、一つ聞いていいか。・・・あの日、どうして真衣は大学にいたんだ?何をお前はあいつに頼んだ?」
一度歩みを止めた輝頼は、そのまま室内に進んでいく。
「いや、まあ野暮用さ。気にするな」