「御前会議」②
自分の記憶と、寸分たがわないままだった評定所は、やっぱりその雰囲気も重々しいままだった。
部屋の奥まで正装に身を固めた面々が二つに分かれて列を作り、突き当りには御簾で仕切られもう一つの部屋がある。
「珠衛、ここに」
御簾の向こうから指示をされ、御簾のすぐ横にひざまずく。
「それでは、イルドリス。始めてくれ」
深々と頭を下げたドゥアは、両壁際に分かれた”彼ら”の前を通り、御簾の前で僕と同じように跪き、言った。
「まずは、このようなお忙しい中、陛下をはじめ、皆々様をお呼び建てしたこと、ならびに、急な申し出にも関わらず皆々様方がこれを快く承諾し、この場にお集まりくださって頂いたことに、この通り心から感謝を申し上げます」
ここで、ドゥアはもう一度深々とお辞儀をする。
合わせて、僕も深く頭を下げる。
「今回、皆々様にお集まりいただいたのは、私がかねてから心より願い、そしてこの度、晴れてその機が熟したからに他なりません。陛下、ならびに宮司、武部、八律、手間齋のそれぞれのご当主の方々。私は、空位でありました珠衛の当主を、この珠衛伊吹にお任せする旨、謹んで進言をさせていただきたいと思います」
再度、深い礼をし、ドゥアは元居た場所に戻った。
少しの間の後、御簾の向こうから声が再びかけられた。
「イルドリスの進言について、何か意見のあるものは」
この部屋で、評定に参加することが出来るのは20人。しかし、御簾の向こうの声に実際に答えられるのは4人だけだ。
そういうところが、僕がこの部屋を好きになれない理由でもある。
「恐れながら、申し上げさせていただきます」
御簾から見て右側の列の一番御簾側に控えていた、壮年の男が口を開いた。
「陛下、この場にいる我々、全員がこれまでの全てを賭け、政に精を出して参りました。誇りと矜持を持ち、励んでまいりました。だからこそ、この度のイルドリスの進言には賛同致しかねまする」
分かりきっていた反応だが、いざ実際に耳にすると怒りを覚えるより先に、前身から力が抜けていった。
ただ、こんなのは軽いジャブだ。向こうにはどう切り返されるか、その反応を楽しむ余裕がある。
「武部は、そう申して居る。珠衛、何かあれば申してみよ」
御簾の向こうからの乱暴な催促に、思わず笑みがこぼれそうになる。
あいつ、楽しんでやがる。
笑いを噛み殺し、一礼をしたのち、僕はこの場で初めて口を開いた。
「陛下、まずは私にこのような場に参上する機会を再び頂けたこと、並びに発言の機会を頂けたこと、深く心よりお礼申し上げます」
ここで言葉を切り、もう一度一礼。
またクレアに見られたら笑われそうな画だろう。
「武部殿のご指摘に対し、いくつか確認をさせて貰いたい点がございます。一つは、現時点で橿原法典に基づき、珠衛家の当主に就任できるのは私のみしかいないという点。二つ目は、一度その職を辞した場合、再びその職に就く際、なんら制限は設けられていないという点です。これらの点を鑑みれば、私が暇を頂いてから今日まで、空位であった珠衛家の当主に再び私が収まることに対し、一切障害は存在いたしません。この点を、お伺いしたく思います」
御簾の向こうの男が頷いた気がした。
が、御簾の向こうからの返答を待たず、武部は再び口を開いた。
「私は君の責任能力と自覚を問うているのだ。五年前、陛下より承った任を一方的に放棄し、そそくさと政の舞台から逃げおおせた君に、珠衛の当主を全うするだけの能力と自覚があるのか、私は大いに疑問に感じてなりません」
その隣にいる、いかにも堅物そうな男も続いて言う。
「陛下、我々は伝統と権威に基づいて、この場所に参上する権利を勝ち取っているのです。いくら我らと血筋が連なるとはいえ、職務を全うできずこの場を去った者に、そのような権利が再び授けられるべきではないと、私も強く思う所存です」
さらに隣にいる、眼鏡をかけた、でっぷりと太った男も頷いている。
この評定が、もっと言えばこの宮殿が嫌いな理由の、最もたるものはこれだ。
根拠を携えて議論を構えようとすると、いつも返ってくるのは埃を被った伝統と、犬も食わないプライドと忖度だ。
一部の文化論者は、日本が海に沈んだ際、そしてヤシマが遠く離れた土地に移されいくつもの民族を内包するようになった後、その文化、精神は大きく変化したと主張するが、どうにもそれには頷きがたい。
まあ、彼ら研究者はこんな場所を見る機会もないので、致し方のないことかも知れないが。
さて、沈んでいる場合ではない。
きちんと切り返していけば、この場はなんとか凌げる。
こんなのは所詮水掛け論だ。感情的になった方が、その未熟さをやり玉にあげられ、葬られる。
御簾の向こうの反応は、今一つ分かりづらい。
とりあえず指示が与えられないなら、こちらから動こう。
ため息を一つ。
意を決して口を開こうとしたその瞬間、凛とした声が響いた。
「逃げないことが、そのまま責任を果たしたことにはなりませんでしょう。自身の器の大きさに合わせ、身を引くという選択肢までも取れるその姿勢にこそ、責任感を感じられると私は強く思いますが」
声の主は、左側の最前に腰掛けている妙齢の女性だ。
武部の片方の眉が吊り上がる。
「そうでございましょうか、宮司殿?」
嫌そうに放たれたその返しに、僕の見知ったその女性はあくまで凛と答える。
「引き際を間違える老いぼれほど、見ていて虫唾が走るものはないでしょう。この珠衛に関しては、そもそもが特例とされたほど若年での当主就任であった事実も、ゆめゆめお忘れなきよう。自分の能力を正しく理解していた若者が成長を経て帰参したこと、歓迎されるべきだと私は信じます」
切れ味抜群な刀のような冷たさをその言葉尻に含みながら、真衣はそう言った。
「なにより、珠衛は先ほど橿原法典に基づいた根拠を述べたにも関わらず、あなた方はそろいもそろって感情的なことのみを口走る。外の目がないとはいえ、いつからこの評定もこんなに腐りきったものとなったのか・・・嘆かわしいことですね」
「控えよ!陛下の御前で、陛下の名のもとに召集される評定を侮辱するか!」
顔を真っ赤にした武部が、立ち上がりながら叫ぶ。
真衣は、全く動じない。
お転婆さは、彼女の中に未だ変わらずに存在する。
ただ、依然彼女がよく見せていた弱気な部分は、この武部の前でも暴かれることはない。
それだけの経験を、そしてそれ相応の辛い思いを、彼女はこの五年間、僕の見えないところで味わってきたのだろう。
そう思うと、胸が締め付けられる思いがした。
いずれにせよ、今回は僕達の勝ちだ。
陛下の前で声を荒げるという行為は、そのままこの場での敗北を意味するのだから。
ジャッジはすぐに下された。
「武部、宮司はそのような主旨の物言いをいたわけではない。控えなさい」
御簾の向こうから、諭すように言葉が投げられる。
納得が行かないという表情と、敗北を悟ったような表情がその顔に入交りながら、武部は仕方なく腰を下ろした。
「本日の評定はこれにて終了とさせて頂く。珠衛伊吹、そちはこの場に残るように。他の者は退散して貰おうか」
評定は、この一言をもって閉幕となった。