「動乱の夜」②
思わず息を飲む。
(いつの間に・・・!?)
まだ昼の熱気が残っているにも関わらず、黒いパーカーを着ている。
その顔はフードの陰になっていて、良く見えない。
「・・・全く、これだから素人に任せるのは嫌いなんですよ。誰かに、それも一般人に後をつけられるなんて。見回りにきて正解でしたね」
いつでも動けるように体制を整えながら、声をかける。
「見た感じ、これは爆弾にしか見えないけど。あんたも共犯なのか?」
パーカーの男は首をすくめる。
「共犯?いやいや、一応私、上司なんですよ。この役立たずは下っ端でね」
コツコツと足音を立てながら、パーカーの男は壁際で伸びている若い男に近寄った。
「実力も知識も考えも、何一つ足りない君みたいな役立たず、どうしてくれましょうかね?今夜は待望の第二幕なのに、ねえ?」
上手く男の言うことが飲み込めない。
その時、遠くの方で花火が弾ける様な音がした。
音は男にも聞こえたのだろう、その方向に顔を向けた男はため息をつく。
「さて、向こうでも始まったみたいですね。どうしてくれるんです?失敗したの、君だけですよ」
声をかけられた男は、相変わらず壁際でピクリとも動かない。
「まあ、何にせよ連れ帰るのは面倒ですし。さようならです」
そう言うと、パーカーの男は突然パーカーの深いポケットから右腕を抜き、そしてその手に持っていたナイフで伸びている男を突き刺した。
ためらいの無い、滑らかな動きで後ろから首を刺された若い男は、しばらく身体をビクビクと震わせていたが、やがて動かなくなった。
「お前・・・!」
思わず声を荒げた僕に、男は少し驚いたのか半身下がった。
「どうしたんです。荷物はいつだって、少ない方がいいんですよ」
そう言って首を傾げた男は、次の瞬間僕の目の前に立っていた。
「それに、あまり他人心配してる場合じゃないですよ。祈りは済ませましたか?」
その異様さに、心臓が跳ねあがる。
この男は、危険すぎる。
本能のまま全力で飛びずさったその時、僕が立っていた場所を男のナイフが通過した。
一瞬でも遅れていれば、僕もあの壁際で事切れている若い男の二の舞になるところだった。
「あら、随分と俊敏に動きますね。素人にしては上出来・・・いや、お若いながら何か訓練でも受けていたのですかね?」
何度かその場でナイフを素振りしながら、男は興味ありげに言った。
無論、答えてやる義理も無いので、僕は黙っている。
「・・・まあ、いいです。大体、悪い方向を想定しながら行動するのが一番なんですよね」
男はおもむろにフードを脱いだ。
思わず息を吞む。
男の顔面は、そうでない所を見つけるのが難しいほど、切り傷で覆われていた。
「ふふふ、私の顔を見て、叫びださなかっただけでもお褒めいたしましょう。大抵、金切り声を上げられるものなので」
そういいながら、男はひと際大きい鼻を斜めに走る切り傷を撫でる。
「私にとっては、この傷の一つ一つが生きる意味。・・・さて、少しお話が過ぎましたかね?これで随分と狙いは付けやすくなりましたから。次こそさようならです!」
その言葉と共に、僕に向けて男は突進した。
両手で構えられたナイフは、確実に僕の急所を狙いすます。
(間に合うか!?)
なんとか身体を横にずらそうとするが、一瞬体重を移動した瞬間から、ナイフの切っ先に修正が加わる。
(クッソ、これだけは・・・使いたくは無かった!)
眼前に迫るナイフ。
その時、僕の視界が鮮やかな七彩に染まった。
ナイフが僕の身体をかすめた。
そのまま壁際ギリギリで動きを止めた男は、くるりとこちらを振り返る。
その表情は驚きと、そしてなぜか嬉しさで一杯だった。
「貴方、もしや・・・」
男はそう言いかけて、しかし首を振った。
「いえいえ、そんな偶然など・・・。全く、失礼しました。・・・次は避けれはしませんよ!!!」
男はもう一度素早く距離を詰め、そして鋭く切り込んできた。
だが、無駄のない動きで繰り出される連撃を前にして、再び僕の視界は鮮やかに色づいた。
まるで、白昼の花園にいるかの如く、見えるものすべてが色彩に溢れていく。
(見える・・・)
繰り返し襲い掛かるナイフ、その全てを躱し続ける。
たった数秒の攻防だ。
それでも、男の表情が徐々に強張っていくのが分かる。
迷いが生じたのか、首を狙った払いの挙動がそれまでより少しだけ大きくなった。
かがんでそれをやり過ごした僕は、その一瞬に全てをかける。
(今しかない!)
後ろに大きく体重を崩し、自然に厨に投げ出された足をそのまま男のみぞおちにめがけて蹴り出す。
これがうまく入れば、男はしばらく身動きが取れなくなる。
しかし、男は自分の左腕を即座に僕の足とみぞおちの間に投げ出した。
骨ばった手と、僕の靴が当たる鈍い音がすると同時に、僕は全力で横に飛んだ。
体勢を大きく崩しながらの一撃だ、その場に留まれば反撃の餌食になる。
だが、男も後ろに二歩ほど後ずさった。
もろに蹴りを受けた手の甲をさすりながら、男は何かを考え込んでいるようだった。
一方の僕は、いつ再び攻撃を加えられても回避できるよう、隙を見せずに身体を構え続ける。
何かを呟き、僕に視線を移した男は二回首を振り、そして突如右袖を手で破り捨てた。
その行動の意味が理解できず、瞬間足に力をこめたが、男はその場から動かない。
男は腫れた左手をゆっくりと持ち上げて、自分が袖を破り捨てた事であらわになった右腕を指さした。
思わずつられて視線が動く。
そして、僕はその右腕に彫りこまれた入れ墨に気が付いた。
気が付いてしまった。
思わず、小さく口から悲鳴が漏れた。全身から血の気が引いていく。
男は、傷だらけの顔に満面の笑みを浮かべた。
「・・・貴方、知ってますね?」
足元がふらついた。耳鳴りが始まり、平衡感覚が保てない。
(まずい、やられる・・・)
頭ではどれだけ理解していても、身体が思うように動かない。
全身から吹き出た冷や汗はシャツを濡らし、不快にも身体に貼りついた。
一瞬、視野が狭くなった。
崩れ落ちそうな膝を抑えると、視界の端で男がゆっくりと動き出した。
満面の笑みを崩すことなく、男は一歩ずつ、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
動かなければ。
しかし、震えだした足を抑えるのに手一杯で、動こうとすれば、そのまま地面に倒れこみそうになる。
乱れた息を整えようとするが、吸った分だけ胸が苦しくなる。
なんとか顔をあげると、男はもう目の前にいた。
満面の笑顔はそのままで。
ただ、その声には少し残念そうな響きを少しだけ持たせながら。
男はゆっくりと、口を開いた。
「それではー」
「そこまでだ」
誰かの声と同時に、辺りが強い光に照らされた。
ただでさえ揺れていた視界は、その光の眩さでほとんど効かなくなっていた。
だが、そこに飛び込んできたその声は、僕に馴染みのある声だった。
そう、つい数時間前に聴いたあの声だ。
「・・・ドゥア?」
「全く。想定外にもほどがあるが・・・ファインプレーだ、伊吹。待たせたな」
徐々に視界が回復してきた。
瞬きを繰り返した後、通路に目を向けると、そこには僕の元上司が立っていた。
周りを見回すと、周りを囲む建物の屋上にも軍服を来た兵士が、傷だらけの顔面の男に銃を向けながら待機している。
「ふむ・・・。ハメられましたかね?」
男は首を傾げたが、その表情は追い詰められた人間とは思えないほど、余裕に満ちていた。
ドゥアは壁際の既に息絶えている死体を指差した。
「こっちが追ってたのはそいつでね。祭りの夜だ、何かしらゴタゴタがあると見た捜査部が張っててくれて助かったよ」
その言葉に、男は不満げに返す。
「・・・その言いぶりだと、どうやら他の連中もあなた方の網に引っかかったみたいですね」
ドゥアは頷いた。
「ああ。ことごとくね。一件だけ、爆弾をどうにか持ち帰ろうとしたアホが、人気の無い公園で追跡中に転んで爆発しちまったがな。音、聞こえなかったか?」
言われてみれば、確かにこの男がここに入ってきた直後、花火が弾けた様な音がしたことを思い出した。
一歩、通路からこちらにドゥアが歩みを進めた。
「さて、ご同行願おうか。聞きたいことも沢山あってな。そっちも話したいことが沢山あってくれれば嬉しいんだが」
ドゥアのその言葉に、男が笑いだした。
「いや、それは残念。私からお話できるようなことは、何一つありません。そして非常に心苦しいが・・・ここらでお暇させていただきます!!!」
そう叫んだ次の瞬間、既に男はドゥアのすぐ目の前まで飛んでいた。
素早く反応したドゥアは頭を低くしたが、その横にいた二人の兵士の動きは間に合わなかった。
男が振るったナイフの軌跡を追うように、兵士たちから吹き出た血が放射状に飛び散る。
「この野郎!」
ドゥアは腰から抜いた拳銃をそのまま男に撃ったが、全て避けられた。
屋上で待機していた兵たちも発砲を始めるが、男は軽やかに射線を切りながらすぐに闇に消えていった。
「チッ、今すぐ追え!」
通信機に向かってドゥアががなり立てている。
その景色が、ゆっくりと揺れて行く。
身体が崩れ落ちているのだと分かったその直後、僕の記憶は途切れた。
今日の更新分、これにて終了です!感想など、お気軽にどうぞ!