「”元””上司のお呼び出し」
柔らかい陽の光で一杯のテラスに、一人、愛想のなさそうな屈強な男が立っていた。
その頬には大きな傷跡が目立つ。初対面でこの後を堅気の人間だと思える人は、まずいないだろう。
そして何を隠そう、この愛想皆無な男が僕の元上司、ドゥア・イルドリスその人である。
警備本部で受けた電話で、ドゥアに請われるがまま、僕が向かったのはここ、戦没者慰霊公園だ。
急ぎの話ということだったので委員会の本部には戻らず直接ここに来た。
幼馴染ではあるが、五年前既に若くして近衛部隊副隊長を務めていた元上司の呼び出しだ。
何が目的か、全く予想もできないまま、ここまで足を運んでいる。
このテラスの周りには、これまでの戦乱で犠牲になった兵士たちの名が刻まれた慰霊碑が、所せましと立ち並ぶ。
その向こうには、遠くではあるが王宮の姿も見える。
我々の祖先が遥か遠い海の向こうから持ち込んだ伝統を、色濃く残し続けているその外観。この国を建国した際には、民衆の瞳に一体どのように写っていたのだろうか。
足音を聞いてか、僕の方に顔を向けたドゥアが、傍目では分かりにくいが、少し嬉しそうに口を開いた。
「五年ぶり、だな。少し背が伸びたか?」
「・・・どうだろう?最近測ってないけど、そんなには変わってないと思う。お前は・・・変わらないな。何も」
元上司で、幼馴染。物心が付いた頃からの付き合いだが、ドゥアは最後に会った時からはあまり変わりがないように見えた。
「隊長って役職はどうだい?色々考えること、多そうだよな」
五年前、僕の上司であったころは副隊長だったドゥアは、今や史上最年少の若さで近衛部隊隊長の任に就いた。
「多すぎて首が回らんよ。そろそろ退職願を叩きつける日も近いかも知れない」
目頭を抑えながら呻くその姿から、いとも簡単に日頃の激務の様子が想像できた。
「そういうお前はどうだ?学生生活、楽しそうじゃないか」
「そうだね、充実はしているよ」
上手く説明は出来ないが、ドゥアにうまく学生生活の楽しさを説明できる気がしなかった。前に真衣と話した時もそうだったが、やはり宮中か外かで生活は全く違う。
きっと、ドゥアや真衣からすれば、僕の学生生活は遠い異国のおとぎ話と何も変わらないのではないか。
何にせよ、僕のその短い答えに満足したのか、ドゥアは頷いた。
「ああ、あと遅くなったが、真衣様の件は本当に助かった。改めてお礼と、迷惑をかけた詫びを言わせてくれ」
ドゥアは頭を深々とさげた。
代々、ヤシマの王を護衛する近衛部隊をまとめ上げてきた家柄の出身だ。
教養、礼儀、立ち居振る舞いは、中世の貴族をも思わせる。
納得の出来ない物や、自分が必要でないと判断したものに関しては、非常に強い抵抗感を示す一方で、王家への忠誠心と仲間に対しての気遣いは他の誰よりも出来る。
ドゥアはそういう男だ。
「真衣の件は、気にしないでくれ。偶然居合わせただけだ」
僕がこう言った後も、ドゥアの頭は下がったままだ。
「あの・・・だからもういいんだけど」
そういうと、やっとゆっくりドゥアは頭を上げた。
「それで、話って何?」
僕がそう促すと、ドゥアは言葉を探るように切り出した。
何か辛いものをこらえるような彼の表情に、何かが引っかかる。
「伊吹。これがお前にとって、ただの重荷にしかならないことを、俺は理解しているつもりだ。だが、それでも俺はお前にこれを頼まなければならない。国の為にも、真衣様の為にも、だ」
そう言って、ドゥアはポケットから取り出した一枚の写真を裏向きにして手渡した。
「信じたくはない・・・。だけど、見てくれ」
何を言っているか分からないまま、僕はそれを受け取り、表に返す。
そして、僕は息を吞む。
それはある紋章を写したものだった。
人魚。
三つの穂先を持つ槍を二本持ち、それらを胸でクロスさせている人魚だった。
脳の表面を、透明で重たい、そして冷たい何かが覆っていく。
それが広がるにつれて、僕は何も考えることが出来なくなった。
息すら出来なくなった僕は、ただ写真を見つめることしか出来ない。
やがて、震えだした指先から写真がこぼれ落ちた。
ゆっくりと歩み寄ってきたドゥアが、僕の肩を抱く。
「・・・」
何も言わずに、ドゥアはと僕はしばらくそのまま突っ立っていた。
ようやく口が開けるようになった僕は、震える声でドゥアに問う。
「ドゥア・・・こんな物を、どうして今・・・?」
ドゥアの表増も、辛いものを必死でこらえるように、苦しい。
「最近、南部で検問所が爆破されたり、きな臭い事件が多かったことは聞いてるよな。ちょうど大学での、あの事件の日だ。俺は軍務捜査部に呼ばれて、南部の実行犯のアジトの一つに行ってな。世間で言われてるように、捜査部も『新世界同盟』を睨んでて、実際その建物も『同盟』と関係があったことが今でも分かってる」
そこで言葉を一度切り、息を深く吸い込んでドゥアは続ける。
「これはな・・・そのアジトにあった机に彫られていたものなんだ」
ドゥアは僕の肩から手を離し、力なくテラスの手すりに身体を預けた。
「あの日、カシハラに戻る途中で大学での一報が入った。真衣様の大学への訪問はもちろん聞かされていたから、ピンと来たんだ。・・・もしかして、ってな」
風が、無言の僕達の間を、颯爽と吹き抜けていった。
巻き上げられた木の葉が、螺旋を描きながらゆっくりと落ちていく。
静かにその葉が地面に触れた時、ドゥアは口を開いた。
「伊吹、俺は今回の大学の事件とここ数カ月南部で起こった事件が、どうにも無関係には思えない。今回の奴らの狙いは・・・真衣様だ」
風が、再び僕達の間をすり抜ける。
「どうして・・・」
思わず叫んだ。
「・・・もう真衣が狙われる理由なんて無いだろう!」
ドゥアは、静かに答える。
「俺にも動機は上手く分からない。ただ、当時の状況から考えれば、あのテロは確実に真衣様を標的にして行われている。その背後でこの紋章が出てきたとなれば・・・」
頭を力なくドゥアは振った。
「もう一度、麗希様に繋がる人間を利用すれば、目的が叶うと錯覚している人間がいるのか、ただの憂さ晴らしか・・・」
必死に何かを言おうと、口は動こうとする。だが、言いたいことがまとまらない。
そんな様子を、ドゥアはしばらくじっと見つめていた。
「捜査を担当している軍務捜査部とも協議した上で、真衣様が巻き込まれた以上、近衛部隊も捜査には協力することになっている。そこで、お前に俺は伏して頼みたい」
ドゥアが頭を下げた。
「今、お前がどんなことを考えているのか、何に苦しんでいるのか、理解は出来ているつもりだ。その上で、俺はお前に戻ってきてほしい。いや、戻ってきてもらわないといけないんだ」
風が、三度、僕たちの間を吹き抜けた。
「あの組織を、ウンバールを倒すには、お前が必要なんだ」
空を見上げる。
ポツリポツリ、空から落ちた雨粒が、少しずつ地面を濡らしていく。
少しずつ、少しずつ、濡らしていく。
今日中にあと二話ほど投稿予定です!