真実の愛は一つだけ
「ナターシャ!貴様との婚約は破棄させてもらう!」
ギャンギャンと喚く小虫が、煩いことこのうえない。
全く…まさか“そんな事”を言うために、わざわざ我がライン公爵邸まで来たというの?
馬鹿なのかしら、この方は?
「“婚約解消”ですね。ウラル殿下。では、陛下からの書状をお見せください。」
本来なら、王家と公爵家との間で結ばれた婚約は、簡単には覆すことなど出来ない。その上、この方は誠に認めがたいが、この国の王太子。次代の国王になるお方。
そんな方とライン公爵の一人娘である私、ナターシャとの婚約は、もちろん完璧な政略結婚であり、当たり前のことだが殿下の一存で違えることなど決して無理である。
まさか、それを理解してないなんてこと無いわよね…?
「書状?そんな物は必要ない!今、この場で破棄すればいいだろう。わざわざ城に向かって、どうするつもりだ!」
…この子、こんなにおバカだったかしら?
少なくとも私が学園を卒業する半年前までは、まだマシだったわ。
私のいない間に何をしていたのかしら?
そんな疑問を抱いたが、その答えは一目瞭然である。
なぜなら、先程から殿下の“隣”で、我がもの顔で寛いでいる女がいるからだ。
あら、この方…殿下と同学年の子爵家の三女じゃない?
確か、名前はランナ・レウクス。レウクス子爵が溺愛しているという、あの…
「ナターシャ様。どうかお許しください。私とウラル様は『真実の愛』で結ばれているのです。」
「そうだ!我々は『真実の愛』で結ばれているのだ!」
切実に、かつ可憐な容姿を最大限に発揮し、ランナ・レウクスは訴える。
あと、殿下は相変わらず喧しいわ。
あざと…
何、この子?ご自身の立場が分かっているのかしら?そもそも初対面なのだから、まずは挨拶するのが礼儀よ。
もちろん、夜会などで顔を見かけたことはあるけど、正式な自己紹介をしていないのだから、私たちはまだ知り合ったことになっていない。
貴族なら常識でしょう?
しかも、まるで私が“婚約解消”を渋ってるみたいな言い方。“解消”する為にどのような手順を踏まなければならないのか知らないと、こんな言葉は出てこないわ。
溺愛してると聞いたけど、ちゃんとした淑女教育すら受けてないようね。子爵がさせなかったのか、本人が拒んだのかは定かではないけれど、これじゃ学園では苦労したでしょうね。
特に、女関係で。
まあ、いいわ。
今回は特別にこの態度に関しては、許しましょう。
ですが、婚約云々は別よ。
「『真実の愛』など、貴族間の政略結婚には不要です。そして、陛下からの書状がないのであれば、お引き取りください。
どうしても、その『真実の愛』とやらを貫きたいならば、正しく手順を踏んで、またお越しください。」
その程度のことも出来ないと言うなら、それこそ彼女らの言う『真実の愛』とはその程度のものだったということだ。
ここで幾ら議論しようが、結局のところ、陛下のお許しと私のお父様を説得出来なければ“婚約解消”など夢のまた夢。
私もこんなおつむの弱い子たちと話している暇などないのだから、さっさっと帰らせましょう。我がライン公爵邸に、喧しい小虫も無礼な小娘も不要よ。
あら?小虫と小娘って、意外とこの二人お似合いじゃない。
そうして、私はメイドと執事らに彼らを外に送り出してもらう。
何かぎゃあぎゃあと騒いでいたけど、所詮小虫と小娘の鳴き声。
あぁ、不愉快でたまらないわ。
「馬鹿者!勝手に婚約破棄するなどと、何を考えている⁉︎」
「私は『真実の愛』を見つけてしまったのです!どうか父上、ナターシャとの婚約を破棄し、私とランナの婚約を認めてください!」
「ほう…我が娘では物足りぬと。殿下は随分とわがままになってしまわれたのですね。これはライン公爵として、今後のことを考え直さなければ。」
「待て、ナートル!頼むから国外に行くのだけはやめてくれ!」
「お待ちください!ライン公爵!私はわがままになったのではなく、『真実の愛』を–––」
「ええい!お前は黙っとれ!今、王国の危機なんだぞ!分かっとるのか⁉︎」
「陛下、誠に残念で御座います。この国は気に入っていたのですが…」
「ナートルゥゥ‼︎」
かくして城では、国王陛下が必死で説得するも、あっさり隣国に移ることを決めた国内きっての切れ者との呼び声高い宰相であるライン公爵が、実に良い顔で笑っていたという。
後日…
「待ってくれ!ナターシャ!」
「あら?如何されましたか、殿下。」
「この前はすまなかった!やっとナターシャの大切さに気づいたんだ!」
あら、白々しい。
我がライン公爵の後ろ盾を失ったことにより、庶子だけど優秀さも腹黒さも五男一女の中で随一と言われる第二王子に王太子の座を奪われたから、焦ってるのかしら?
まさか、我が家の後ろ盾なしに王太子になれるなんて、本当に思ってたのだとしたら笑いものだわ。
「殿下。レウクス子爵令嬢はどうされたの?
なんたって、『真実の愛』で結ばれているお相手なのでしょう。」
「あ、あれは嘘だ!」
「嘘?」
「勘違いだったんだ‼︎本当に『真実の愛』で結ばれていたのはナターシャ、君–––」
「殿下。『真実の愛』はこの世に一つだけですわ。
私、恋愛小説を読んで勉強しましたの。」
そう言って、私は微笑む。
そんな軽々と『真実の愛』と宣う殿方なんて、こちらから願い下げだわ。
それに私、既に隣国の第二王子との婚約が決まってるのよ。流石、お父様。
そして、私は隣国へと旅立つ。
これは後から風の噂で聞いたことなのだけれど、どうやらあの小虫殿下と子爵家の小娘、色々やらかして貴族籍を剥奪されたそうよ。
でも、きっと大丈夫よね。
だって、あの二人は『真実の愛』で結ばれているのだから、どんな所でもお互いさえいれば幸せのはずよ。
「ナターシャ、何をしているの?」
あら、主人が呼んでいるわ。
そろそろ行かないと。
では、最後に。
皆さんも『真実の愛』は一つだけということを、お忘れなきよう。
ごめんあそばせ。