理解
仕事も終えたし、今日も寝よう。今日はたくさん怒られた。いくら飽きがきたとはいえ、こういう変化はあまり望んでいない…。上司というのは、どうしてこうも頭ごなしなのだろうか。どいつもこいつも皆同じ態度に疲れ果てた。こういう時は転移に限る。そう思った俺は、引き出しから一枚紙を取り出し、いつもの呪文と模様を描く。こいつを枕に入れて、よし、出発だ。
…目が覚めると、俺は青灰の空に体を向けて倒れていた。まずは服装チェック。革のパンツに、綿か何かのシャツのような着物だ。肩から脇、脇から背中にかけて、ショルダーホルスターのようなものが締められていて、何に使うのかわからない棒が収納されている。むくっと体を起こし、あたりを見渡す。かなり広い平野のようだ。赤茶色の土はどこまでも広がっていて、木や苔といった植物は一切生えていない。その代わりに岩や、石を積み上げた山は多かった。石の山は以前現実世界で見たことがある。たしか道を行く人への祈りとしての儀式だ。この世界で同じことが言えるかはわからないが。
さて、まずは人探しだ。一人散歩も楽しいが、今は二人で散歩する気分だ。ちなみに個人的に三人は散歩向きではないと思っている。どの道に行くかを決めるとき、二人ならどちらかが説得されればいい。三人以上だと、誰かを味方につける必要がある。なので三人以上は、団体行動に近いと思っている。話がそれた。
まず、今立っている地面は周りと比べて堅い。これは人が通っている証だ。そしてこの石山は、確実に人が積んだもの。つまり今俺は、何らかの通路上に立っている。そして微妙な変化だが、土の質感を見るに、丁度三叉路の入り口だ。これで行く道は4本だと判明した。こういう時は、靴を上に投げ、方向を決めよう。俺が今はいている靴は…クロッグ型の木靴だ。こいつを上に蹴り上げる。伊達に元サッカー部ではない。靴は少し前方に、高く弧を描いて落下した…右に進もう。
なかなか荒涼とした雰囲気だ。空は雨が降りそうな色をしていて、あたりには赤茶けた地面と岩々が広がっているだけ。風はむわっと湿度を感じ、匂いも腐った葉っぱのような、嫌なにおいだ。こうも広い土地をぽつんと歩いていると、なんだか不安になってくる。しかし悪いことばかりでもない。広いところを一歩一歩踏みしめていくのは冒険の様でワクワクするし、次に歩く人の道筋を補完していくようで、少し誇らしくもなる。それにこの殺風景な景色も慣れればよいものだ。生き物の気配が全くないから、今ここで何をしてもいいという気分になる。試しに叫んでみよう。
「ホオオー――ーーーーーゥ!」
往年の名レスラーを真似た。こだまがないのは少し寂しいが、なかなか気持ちがいい。今度は歌ってみよう。
「~~~♪」
癖になりそうだ。ここらでやめよう。今度は岩の観察だ。じぃっと見ていると、小さな穴が沢山開いていることに気付く。岩に触れてみて驚いた。超柔らかい!触感はスポンジだが、柔らかさはプリンのようで、指でつまむと簡単にちぎれた。ひとかけ舐めてみる(れっきとした調査法ですが、むやみに口に入れるのはやめましょう)。…水を吸うとしぼんで硬くなるようだ。舌に触れた部分を触ってみると、木のような触感になり、どう頑張っても折れなそうな硬さになった。ふと気になって地面を触ろうとすると、
「おい貴様!何をしている!死にたいのか!」
と思いきり上に引っ張り上げられた。体重は軽くない方だが…。
「あ、えっと…」
「見慣れん顔だな?いでたちから見るに、メルジアン自治領の者か?」
声の主は俺をつまんだままくるっと自分の方に回した。声の主は中性的な顔で、青黒い肌に青いローブのようなものをまとった青年だった。ウミウシに六本足の生えたような謎の生き物に乗っている。
「えーと…まぁそんな感じ。」
「ふむ、最近越した者か?迷ったか?」
「いや、えっと、話すと長くなるんだけど」
「散歩しない?」
「…すると、貴殿はこことは別の世界から来たと。」
メルガ(足の生えたウミウシをそう呼ぶらしい)に乗せてもらって、てくてくと歩きながら色々話をさせてもらった。
「そういうことになる。俺は羽田宗次郎。君は?」
「短いのだな。私の名はファルゼー・ナ・ベリストイ・バ・ハルシだ。ハルシと呼ばれる。」
「長いな。もしよければ由来を聞いてもいいかい?」
「良い。“ベリストイ国のファルゼー家第7王子ハルシ72歳”だ。」
思わず驚いて、少し腰を浮かした。
「な、ななじゅっ…というか王子…?」
「おい落ちるなよ。そうだ。まだまだ若造の身だが、いずれは地方管理者になる。貴殿は見たところ年上の様だが…?」
「…俺は34だよ。」
今度は王子が驚いた。
「34!?まだ初等教育すら終えてない子供ではないか!こんなところにいてはだめだろう!」
「普段いる世界ではおっさんだよ…。普通は子供がいてもおかしくない。」
「ならば…我々でいうところの140歳くらいになるか…。そちらは短命なのだな。」
「まぁな。で、これは今どこに向かってるんです王子。」
「気を遣うな。違う世界の地位などミジアの塵にもならん。散歩に行きたいのだろう?私の好きな街道まで行くのさ。」
ミジアの塵…尻を拭く紙にもってところか?それにしてもこのメルガというのはかなり早い。時速80キロは出ているだろう。丁度メルガの頭が風防のような機能をしていて、風の強さは感じない。
「どこまで行っても荒野だろう?」
「まぁそうだが。石山は見ただろう?」
「ああ。三叉路にたくさん積んであった。」
「あれは最近の流行でな!どれだけ美しく積むかを競っている街道があってな。なかなか壮観だぞ!」
王子は目をキラキラさせながら楽しそうにしていた。話し方や肩書ではお堅そうなイメージがあるが、話してみると流行りものに乗るあたり、若者らしくてかわいらしい。
「そういえば、さっきなんで俺を止めたんだ?」
「ああ、この辺りの土は“雪土”と呼ばれていてな。足を踏み入れると多くは腰まで、深いところだと70mも深くまで沈んでしまう。普段なら周りをかき分ければ何とか登れるが、今日は雨の日だ。雨が降るとガチガチに固まってしまう。そうなったらまず抜け出せまいよ。」
なるほど、あの岩と同じ仕組みということか。するとこの道は、おそらく大量の土を盛って濡らして固めたのだろう。
「たまに運悪く死んでしまう者もいる。…私は死が怖い。雨の日にあの土を踏むのは、死を意味する。だから、たとえ嫌われようと、強引に持ち上げることにしている。」
鋭くも悲しい目で王子は言った。後ろからではわずか数センチしか顔色は伺えない。しかし、そこからでも悲しみと悔恨、怒りがにじみ出ていた。それはさながら、障子に空いた小さな穴から、冷たい冬の風が入り込むように。
「そろそろだ。メルガは牽いてゆこう。」
そういってメルガを止め、しゃがませる。俺が降りたのを確認して王子も降りる。ローブをはためかせながらもスムーズに降りるさまには、高貴さを感じた。と、メルガを立たせると、ぽつぽつと顔に当たるものがあった。雨だ。小雨程度だが、王子の言うことが本当なら、道は細くなっていくはずだ。石山は大丈夫だろうか。
「行こう。雨に打たれるのも悪くない。道は踏み外すな。」
しばし二人で歩いていく。地面をじっと眺めていくと、雨に当たったところからきゅうっと縮こまっていく。なかなか面白い。まさに雪のように沈み込んでいく。対する道はと言うと、水を吸ってすらいない。左右に均等に流れ落ちていっている。ガラスにシャワーが当たった時のような、そんなはじき方だ。5分もしないうちに、今歩いている道以外は全て30cmほど低く沈み込んだ。小さなころ、道路の縁石を歩いて遊んだ記憶がよみがえり、少し楽しい。
「ソージロー!あれだ!」
「おお!」
これはすごい…。道が三倍近くに広がっており、中央を除いて両サイドに遺跡かと見まごうほどの大量の石山が並んでいる。それぞれの高さは最低でも3mはありそうで、最も高いものはおそらく20mはくだらないだろう。
「早く行こう!」
巨大な石山…もはや山脈と表現したくなる。少し大げさだが、そのくらいの威容があるのだ。石山脈の谷部分を二人と一匹で歩き始める。石山はそれぞれ、ただ積まれているのではなく、様々な趣向が凝らしてある。ピサの斜塔のように斜めに立たせているもの、下が細く上に向かって広く大きくなっていくコマのような形のもの、石造のように指導者(王子曰く、ベリストイ国第一王子らしい)の形をしているもの。そういった多種多様な形の石山が山脈のごとくずらっと立ち並んでいる。途中、ぽこっと空いたところの真ん中に、寂しそうに石が積まれていた。しかし、これまで列にあったもののどれよりも特別な存在感を放っている。それは不規則な形、不規則な大きさの石を不安定に積み上げてできた、不自然な塔だった。
「こりゃあすごい…。魔法でも使ってるみたいだ。」
「どの魔法だ?」
「え?いや、わかんないけど…」
「?なぜ隠す?」
「へ?」
「うん?」
どうにもかみ合わない…。と、話を聞いていたのか、メルガが鼻と思しき所で俺の脇の棒を指した。なるほど。
「いや、俺魔術師じゃないんだ…。これも使い方わかんなくて。」
「なるほど。そういうことなら、少し心得がある。貸してくれ。」
ひょいと投げ渡すと、王子は王子らしく優雅に棒を振り、何事か唱えた。異世界の言葉は(なぜか)なんとなく理解できている俺だが、一切何を言っているのかわからない。
「…うん、今、魔法の強制解除をしたが、反応がない。つまり、これには魔法は使われていない。素晴らしい作品だ。」
王子は、うっとりした目で、この不自然に見える自然の理を眺めている。王子の言葉を聞いた俺も、この『理解』と名付けられた作品を眺める。不安をあおる積み方だが、風が吹こうと、雨が降ろうと一切揺れない安心を同時に与えられ、不思議な気持になる。
「王子。」
「ん?」
「どこに均衡があるかってのは、こうやって、いろいろ試さないとだめなのかもな。」
「…そうだな。安定を重ねる事でも均衡は保てる。しかし、一見あり得ない形でも、均衡はとれることもある。正しく理解さえしていれば。」
俺と王子は、しばしこの『理解』を眺めた。
ま、本当に頭ごなしなのか、何にも考えてないのかは本人しかわからない。こっちも腹立たしい態度だったかもな。別の接し方を試してみるか。なぁに、どうせ首にはなるまい。