00:彼こそが勇者
夜の森の中をひとり、赤毛を揺らして少年が駆けていた。ずっと走り続けているせいで、喉はひゅうひゅうと息苦しさを訴えている。半ズボンから覗くむき出しの素足には、草木で作られたであろう痛々しい切り傷がいくつも付いていた。
――物心ついた頃から両親や村の人から聞いていた、男を捕まえ恐ろしい目に遭わせるという魔物たち。話で聞いたときには勇ましくも自分の魔法で退治してやるなどと息巻いていたが、いざ出くわしてみれば、少年の操る火球など、マッチ棒よりも頼りないものであった。
あまりの恐怖にちっぽけなプライドなどかなぐり捨てて逃げ出したのに、あの粘着質な、熱のこもった気味の悪い視線は、今もなお背筋をなで続けている。
そんな少年の少し後ろを、くすくすと笑いながら追いかける女性体の魔物たち。布地の極端に少ない、雄を刺激するためだけの衣装に包まれた豊満な肉体は、月に照らされ妖しく輝く。
木々の間を丁寧に縫う大きく黒い翼は、その気になれば一瞬で少年に追いついてしまえる。だが彼女たちはあえてそれをせず、ぎりぎりのところで速度を緩めては希望を与え、娯楽としての狩りのように、獲物の反応を楽しんでいる。
それに気づかない哀れな少年は、うまくいけば逃げられる、この先にある魔法使いの住まう町にたどり着けば助かると思い込み、その一心で走っていた。
「もう少し、もう少しで町に……、……あっ!」
ようやく出口が見えてきたところで気が抜けたのか、木の根に足を取られ、少年は派手に転んでしまう。慌てて立ち上がろうとするも、脚はとうに限界を迎えていたらしく、言うことを聞かない。
パキ、と枝の踏み折られる音がして、少年を異形の影が覆う。四対の赤く光る瞳が、少年の全身を舐めまわした。
「や、やだ……っ、来るな、来るなぁっ……!」
少年は半狂乱になって、両手を振り回し裏返った声で叫ぶ。怯えと怒りと混乱とが一緒くたになった哀れな姿に、魔物たちの興奮は最高潮に達する。
少年の小さな心臓の音が全身に響き、視界がゆがむ。少年の顔を包み込むように魔物が手を伸ばし、もはやこれまでと絶望に暮れた――その瞬間。
魔物たちを吹き飛ばす、大きな影が飛び出してきた。
「……ぁ、……」
「……――SM嬢のお姉さんを……『召喚』ッ!!」
影が何事か呟くと、途端に闇が白に染まる。逆光の中浮かび上がった、逞しい青年の背中を目に、少年は意識を手放した。