僕の休息について
これは僕の糧になったあるできごとのお話し。
きっかけは一枚の方眼紙だった。
有名出版社新世社担当編集さんが渡してきたその方眼紙はペラペラとしていてかつ無機質なごく一般的な方眼紙それだった。
いきなり渡されたその方眼紙は渡されて数秒で鉛へと変わった。いや、変わってはいない。もちろん比喩だ。一瞬で鉛に変わる方眼紙などあってたまるものか。
だが、僕は本当にそう感じた。
理由は担当編集さんが放った一言にあった。
「この方眼紙のマスをほぼすべて埋めて小説を書いてきてください」
言われた瞬間頭痛と胃痛が同時にしだした。
この依頼をされたのがある程度のベテラン作家なら喜んで引き受けるかもしれない。しかしながら僕は経験も浅い、2ヶ月前新人賞をとってデビューしたばかりの新人作家である。
無理がある。というかこの事象の無理以外の形容の仕方を知らない。
目の前にいる新世社の担当編集さん曰く
「今度新しく創刊する雑誌に方眼紙のストーリーと題して方眼紙をぎりぎりまで埋めて作った作品を毎月掲載するんで第一号になってほしいんですよ」
との事だった。
なるほど、犠牲者第一号か。
正直受けたくないと思ったが受けざるを得ない状況であった。新人賞を受賞して数か月、ここから生きていけるかが決まってくるのだ。多少身の丈に合わない仕事でも受けなければこれから食っていけない。
かくして僕は無理難題を引き受けた。
引き受けたはいいがどうしようか。この難題が難題たる所以はこの3千字足らずのブランクにどれだけのことを詰め込めるかにある、濃い文章を書かなくては話もろくに終わりはしない、それに、短い話であればあるほどオチが面白いものでなくてはならない、それだけのオチを考えるのうがあるかと聞かれればないと言えるだろう。
しかし受けてしまった仕事なのだからベストは尽くそう。
そう思ってペンを握り方眼紙と向き合う。
思えばペンを握るのは久しぶりかもしれない、最近はパソコンでカタカタと打ち込むばかりでシャープペンシルや消しゴムなどは文具入れを肥やすばかりだった。
久し振りの感触に小さなノスタルジーを覚えながら何を書こうかと仕事の材料を探す。
ペンを握って10分弱、何も浮かばないままいたずらに時が過ぎた。
ああ、なぜだろう。いつもならぱっとアイディアが浮かんで書き始められるのに、こんなことは小学生以来だ。
あの頃から僕は本をよく読む子供で、小説家になりたいからお話を書くと言ってよく親が用意してくれた原稿用紙に向かってアイディアが浮かぶのを待っていたが、その時点で浮かぶことはなく、飽きて外に遊びに行った頃にやっとアイディアが浮かぶものだった。そして、飽きて遊びに行くのを見越して持ってきたメモ帳にアイディアの一端を書いては家で小説の形にはめて行くのであった。
だが、最近はどうだろう、休みは休み、仕事は仕事と分けて考えるようになり休んでいる間はアイディアがたとえ浮かぼうともメモの一枚にも書かないようになってしまった。小説のネタはその場で考えて小説っぽい姿にするという事が多くなったように思う。そのため、テーマや形式が決まったものは作れなくなってきていた。
この3千字足らずを完成させるには昔のように外に出た方が良い方向に転がるだろうと考え、昔から好きだった神社に向かった。
何故神社なのか、理由がある。
僕は昔から神社の雰囲気が好きだったからである。まるで自然が人間に立ち入ることを許した唯一の場所のように思えたのだ。より分かりやすく言うとすれば自然と一体になれる場所とでも表現しようか、そんなふうに神社を定義していた。
神社に行ったのはこればかりではない。神社までは距離があり、行くまでに考え事の一つ二つ三つできるだろうからその中でアイディアが浮かぶやも知れない。
この二つの理由により僕は神社へ向かったのである。
歩き出してすぐに長距離歩くことへの面倒くささを感じ始めた。
出発前はそんな感情もアイディアに繋がるからなどと考えていたのだが、その時の楽天的な自分を張り倒したい。しかも今は夏だ花火だと人々が狂喜乱舞する季節。強い日差しに吸われていく体力が、外に出た事への後悔を強めていく。
あぁ暑い、夏なんか大嫌いだ、春で季節が止まってくれればこんなことにならなかったのに。
そんな無理な願いもアイディアにすればいいのだが、日差しの中ではそんなことを考えるのもおっくうになる。
こんな日差しの中でお金も持ってこなかった僕は自販機でコカ・コーラを買うこともできなかった。
そのため神社につくなり手水舎に行きひしゃくでガブガブと水を飲んだ。その後、奥へ進み鈴を鳴らして二礼二拍手一礼。この仕事の成功を祈ってから石段になっている場所に座る。
木々の間からさす優しい光と、木々を求めて飛んでくる野鳥の鳴き声に身を任せながらふと神社の景色を見渡す。あそこの木は樹齢百年を超えてるんじゃなかろうか、なら凄いパワーが宿ってるんじゃなかろうか、あそこの茂みは祟り神のようななものが出てきそうだななんて考えていると、いつの間にか脳は使えそうなアイディアで埋め尽くされていた。
アイディアが消えないうちにペンを動かし、持ってきていたメモ帳を黒く染める。そのうち、アイディアは結びつき物語になっていく。
そうしてストーリーの大枠はできた。早くストーリーの中で踊る彼らが見たい。
期待に胸を含ませ家まで走る。いつもより速く走れた気がした。
無事に家に付くと机の上の方眼紙に書きなぐるようにして書く。
二時間と少し後、小説は完成した。
完成した小説は翌日新世社に持って行った。
ただそれだけのお話。