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犬人間

男たちが来た方向へ走ると、半日もせずに村が見えてきた。インフェルノはそのまま村へ入ると、メッツェンガーシュタインから降りて言った。


「向こうの草原で、三人の男性が亡くなりました。最後の一人は息があったのですが、私が駆け寄るとすぐに亡くなってしまいました。その方が、この村まで馬と積荷を届けてほしいと言っていました。どなたかご存知の方はいらっしゃいますか」


近くにいた村人はすぐに駆け寄って来た。積荷を調べると、どこの家の男たちなのかを察したようで、それぞれの家へ知らせが走った。


「お嬢さん、お名前は何というのでしょう。どこかの村からお越しになったんですか」

「私はフランツィスカ・バソリー。兄に会うために旅をしていたのですが…途中、宿で襲われ着の身着のままに逃げて参りました。その途中で御三方に出会い、ここまで辿り着いたのです」


決めたばかりの名前は一旦隠すことにした。不思議とこの世界の住人が話している事は理解できたが、それが言語の違いを超えたものなのかは分からないままだった。村の入り口にある看板が見覚えのある字で刻まれていたのを見た以上、自分の耳がおかしくなったとも言い切れなかった。それならば、地獄を意味する名を名乗るのは、いささかリスクのあることだ。


頼み込むまでもなく、村人たちはインフェルノを迎え入れた。旅の支度が整うまで滞在すれば良いとさえ言った。村の中を見て回りたいと言うと、それもまた快諾した。男たちが死んでいるのは村に近い場所だったから、それほど時間は残っていなかった。


「この村も昔は栄えていたのですが、いまはすっかり寂れてしまいました。村人の半分は老人ですし、子供も十人ほどしか居りません。あの馬たちに乗っていた三人も、まだ子供はいませんでした」


痩せた畑の間に木製の家屋が並ぶ村だった。村人たちはインフェルノを見ると顔をしかめた。事情を聴くと、気まずそうに挨拶をした。よそ者など、滅多に来ないのだろう。案内をしている初老の男も、どこか面倒くさそうに見えた。


「あれは何でしょう」


インフェルノが指さしたのは、荷車を引く生き物だった。全身が銀色の毛で覆われ、骨格は人間の男に犬の頭を乗せたようなものだった。服は着ていない。荷車が悲鳴を上げそうな荷物を、一度に運ばされていた。


「あぁ、驚かせてすみません。あれはうちの『コヤシ』です。あれも昔は沢山いたんですが、最近はめっきり数が減りました。今じゃあれが村で唯一の『コヤシ』です。村の若い衆も少ないですから、ああして力仕事をさせてます」

「口枷と鉄球を着けているのは?」

「暴れないようにです。去年の暮れ、あれの妹にあたるのが村の子供らと遊んでいる時に事故で死んでしまって。それ以来、変なことを言うようになりましたのでああしているんです」

「事故。それは残念な事でしたね。労働力を失うのはさぞ痛かったことでしょう」


同情すると、男はやや機嫌を良くしたようだった。その日は男の家族にもてなされ、野菜のスープとパンを食べた。嘘つき男はこの家の息子だと聞くと、息子さんは最後まで家族や村を気遣っていましたと答えた。家族はそれを信じ涙を流し、インフェルノに一番良い寝床を譲った。


「犬人間、きみに興味があるんだ。話を聞かせておくれよ」


家族が寝静まると、インフェルノは家を抜け出した。戸棚から持ち出した鋏で口枷を切ると、それを地面に投げ捨てる。

犬人間は村の端にある小屋に繋がれていた。手足の鎖は壁に伸び、地面に張り付くように俯せになっていた。


「時間が無いんだ。もしかすると最後まで聞けないかもしれない。君の妹さんについて教えておくれ。一体どうやって死んだのを、あいつらは『事故』なんて誤魔化したのさ」


犬人間は答えなかった。ただ、目の前に立ったインフェルノを見上げて、スンスンと鼻を鳴らしただけだった。


「この村の男たちはね、草原を彷徨う私を見つけて、きみの子供を産ませようかと企んだんだ。だから殺してやった。ついでに馬と荷物も奪って、この村からもなるべく多くの物を取っていこうと考えてる。もうすぐそれが始まるんだ。だから──」


犬人間が口を開いた。鋭い牙と薄い舌が覗いていた。無理に鎖を引いて、何とか起きようと足掻いていた。


「あんた、焼かれたのか」


もう一度鼻を鳴らして、犬人間は言った。


「俺には分かる。あんたは焦げ臭い。生きたまま焼かれた臭いがする。妹と同じだ。俺も背中を焼かれた。あんたは俺と同じ臭いがする」

「随分と見た目通りの物言いをするじゃないか。でもね、私は今日ここに来るまでに二人燃やした。その臭いだろう」

「違う。あんたが焼かれて、今も燃えている臭いだ。糧にもならず恨まれもせず、ただ焼かれただけの──」

「もういい、もういい、分かった。分かったから、それ以上言わないでくれ」


インフェルノはその場に屈むと、鋏を地面に何度も突き刺した。犬人間は黙ってそれを見ていた。


「そんな事じゃない、そんな事じゃないんだ聞きたいのは。私の事なんてどうだっていいんだ!」


石に当たって、鋏は曲がってしまった。力任せに放り投げると壁に跳ね返って、曲がった先がまた地面に刺さった。


「なぁきみ、妹が殺されたのにどうしてこんなところにいるんだ。どうしてそれでも従っているんだ。妹の事が嫌いなのか? それとも、大好きでもそこまでする程じゃなかったのか?」

「家族がいるんだ。妹を焼き殺した奴らにも」

「だから殺さないのか?」

「夏になると子供たちは近くの街に泊りがけで出掛ける。その間に家族を殺して、戻ってきたらそれを見せてやる」


ぐるると犬人間は喉を鳴らした。小屋に差し込んだ月明かりに照らされて、その瞳が蒼いのがよく見えた。


「じゃあやろう」


インフェルノは言った。


「今夜は私がいるんだ。夏の旅行に拘る事なんてない。今ならできる。やろう」


木の壁は周りを燃やすだけですぐに壊れた。犬人間はインフェルノを担いで教会の屋根に上り、インフェルノは村全体を見下ろした。


「なぁ、きみの呼び名の『コヤシ』って何なんだい」

「俺だけの名前じゃない。俺たちは死んだら石臼で挽かれて畑に撒かれる。働いて働いて、どんなに足掻いても最後はそうなるって意味だ」

「なるほど、『肥やし』か! それできみの名前は」

「アルクトス。父が付けた名前だ」

「それじゃあアルクトス、また会おう。私が呼ぶまで死なないように!」


村を取り囲むように火を放つと、インフェルノは嘘つき男の家へ走った。


「月明かりを眺めていたら、村の肥やしが子供を殺しているのが見えたのです。私はよそ者だからと逃がされましたが、放っておくわけにはいきません。火の手が迫っています。教会前の広場に集まって迎え撃ちましょう!」


メッツェンガーシュタインを借りて、インフェルノは同じことを村中に伝えて回った。足の悪い老人が向かうのを手伝いもした。村人たちは燃え盛る火を見て、すぐに信じ従った。武器や金品を手に教会前に集まった。

全員が集まると、ようやくインフェルノを疑う者が現れた。殺されたはずの村の子供が、全員教会の前にいたからだった。

疑われた時、インフェルノは弓を構えていた。村人の持ち出した武器は弓と農具ばかりで、それ以上の脅威はなかった。弓を持った者を射殺すと、教会に隠れていたアルクトスを呼び出した。


「さぁ、きみが殺したい順に殺したまえ!」


メッツェンガーシュタインで村人の周りを駆けると、村人に連れてこられていたバソリーとフランツィスカも、それに続いて走りまわった。それを潜り抜けるのに成功した村人は、インフェルノの火矢で倒れた。

最後に子供たちだけが残ると、インフェルノは地面に降り立った。


「火を貸してくれ」


アルクトスは血に濡れた身体で言った。教会の前には血の海が広がっていた。


「良いのかい? 燃やすより、きみのその爪で腸を引きずり出す方が気が晴れるかもしれない」

「良い。例えそうだとしても、妹と同じ苦しみを味わせるのが良い。どんなに苦しかったか、熱かったか、痛かったか、怖かったか、全て分からせてやる」

「あぁ…そうか、そうだね。その通りだろう」


インフェルノが放った炎が消えるまで、アルクトスはその場から動かなかった。やがて日が昇ると、井戸水で血を流し、荷馬車に積めるだけの食料と金品を載せた。

三頭の馬は、インフェルノと同じようにアルクトスの言う事もよく聞いた。アルクトスは人間のように服を着て、三頭の手綱を握った。


「力仕事のできる下僕が欲しかったんだ。犬人間、これからよろしく頼むよ」


荷物の隙間にシーツを敷いて、インフェルノは満足そうに眠った。


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