第十一章 「朋輝と月のホテルと 3」
月明りが綺麗だ――
しかし、照らされた巨大な球蟲には美辞は咲かない。
「…………!」朋輝はとり急ぎ、周囲を確認する。ここは渓谷――つまり谷間だ。
ヤツはでかい。丸まったまま押しつぶすのが定石だろう。
まず――、
「河原だ、そこへ降りる。国道沿いに寄るんだ、あいつはデカすぎて逆に隙間が出来る」
「うん、それしかない。でもそこからどうしよ」『よよ~』
「アレが団子虫なら丸まり解いて腹這いで来るはずじゃ?」稚子の当然の示唆。
「……最後まで、諦めない」「……朋輝」
こんな土壇場で名案が浮かぶのは漫画だけだ。桃玉で細かい子分ダンゴ虫は回避できる。
でもあの本体が本来の虫の形態で圧殺してきたら終わりだろう。
まるで台所に追い詰められた夏の黒い蟲の気分になっていた。
「……最初に謝っとく。お前を巻き込んだ、俺の罪だ」
「つ、罪とか言うなよ!……なんでそんな!……なんで」稚子の言葉に涙が混じり始める。
ただの幼馴染で、最初は男の子同士という(思い込み)関係だった。
こんな辺境で。こんな馬鹿みたいな状況で最期なんて。
グギギ。ゴォォン。団子虫本体が動き始める。まだ丸まったままだ。
【――勝つ。二言はない。有言実行だ!】【あぁ、二番手はねぇ、一番になる!】
こんな時に去来する。あの時を思い返す。
小学生大会の大詰め――朋輝と琉左は、年末の音ゲー大会の決勝に臨んでいた。
しかし、結果は――。
「く、来やがる……!」雑念を振り払い、動向を値踏む。
親ダンゴ虫の動きはまだ鈍い、金切り声が混ざった様な軋みのまま迫ってくる。
姉の様な〈特別〉なら解る。でも何故自分なんだ?――何故俺を狙う。
「俺は、二番手なんだぞ……」「……朋輝」「俺は」
ギギギ、ダンゴ虫の脚音。自分の今の歯ぎしりもきっとそんな音をしている。
「琉左の”サポートでいいや”……って本音はそれだけで。あいつに付き合ってた」
睨む、巨蟲を、自分の過去を。「ガキの頃は、それが……すごく楽だった」
「でも、たぶん、きっと……いや、」
朋輝はふと月を見上げる。
月は――地球に寄り添う衛星。太陽の光を映し、夜を照らす。
「俺は、あいつの月だった――でも、」
小学生の――ある日。
古びた万屋に置かれた使い古しの筐体のリズムダンス音楽ゲーム。
習い事終わりのソラ姉との待ち合わせにやっていた時分に琉左と雉子と出会う。
気弱で小さかった朋輝は、初めて他人に認められる。
【――おめぇ、ちょっと巧いな――】
そこから。
二人との交流が始まり――ついには全国大会にまで出る腕前になる。
朋輝にとって音ゲー、いやダンスは……自分が始めて他者に認められた核だった。
昨今には〈プロゲーマー〉という道が出来ていた。
二人は、その道を知り――少なくとも大人になるまでの夢として、それを目指した。
幼いゆえに些事など無用。ただ突き目指すだけで青春だった――
「俺は……ただ、あいつの」
決勝は惨敗だった――二人は誓う、【負けたままじゃ終わらねぇ】――そして年明け。
その終わりは突然に。
唐突に――琉左は消えた――何も言わずに、海外へ一家もろ共、転出していた。
初めて出来た親友。
初めての心の目標。
全ては――何事もなく無に帰って……風が吹く。
元のただの小学生の一人に戻っていた。
稚子の慰めも効かず。朋輝は三学期を虚無に過ごし――中学になって今の朋輝が生まれた。
手を伸ばす――月に。そして終わりが見えた。
鎧が欲しかった。外を偽り、護るだけじゃなく、――心の中から世界を覆う鎧を。
「あいつの……俺はただ、隣りに……」
虚無な自分は誰かに依存しているからこそだ。依存さえすればラクでいられる。
強い心は誰かに保証して貰うのではなく――
「あいつの、隣りに起って……!あいつと共に現実と闘いたかった……」
それだけ。
それだけで自分は自分を裏切らないで済む。それで、それが何になるのかなんて。
「わからない。でも、俺は――生きたい……脇で泣くだけで終わる、なんて」
ダンゴ虫の巨影が眼前に迫る。
お為ごかしの、抵抗なぞ無駄だった……国道が削られ圧潰する。
河原の何もかも、破片が飛沫となって降りかかる。逃げ場などなかった。
稚子に肩車して這う移動なぞ、あっさり追いつかれ――
【死】が――
「俺は……!もう、泣いて終わりなどしねぇんだぁあああああぁぁ!!!」
月に手を伸ばす――朋輝のただの咆哮。ただの吐露。
負け犬の遠吠えか。朋輝自信も無自覚の心の発露――それが。
「……え?」
銀色の〈何か〉が朋輝の手を覆う。「なに……?」朋輝も知らない〈何か〉が。
そこに桃色の〈何か〉も混じる。絵の具のような。色彩の融和が具現する。
そして起こる。銀と桃色が混ざった〈何か〉が膨れ上がり、右手を覆い、
それは大いなる腕となって天空を掴んだ。
ガァッシイイイイン!!
いや、〈何か〉がダンゴ虫を受け止め掴んだのだ。
それは巨大で、巨躯で、薄い桃色と銀の――「これ……!?」
腕だ。
朋輝の腕が、翼をまとった腕に覆われて生えて、いた。
『……シュライク……』
朋輝の頭に泊まっていたアイレが茫然とした顔でそう告げた。
「シュライク……、あのロボット……?」確かに、あの時の黒焦げの翼に似ていた。
「朋輝……!?」稚子も息が詰まる。信じられない光景だった。
朋輝の体躯で、何故アゥエスの腕をまとい、受け支えているのかが分からない。
だが――、
「うぁああああああああああああああ!!!」
バギィイン!鷲掴みにした外皮がヒビ割れる!そして、
朋輝は腹の底からの、渾身の咆哮でダンゴ虫の外皮にシュライクの腕を叩きつけた!
ガァッオオオォォン!
ダンゴ虫が僅かに飛ばされた……!見れば、足元にいた小ダンゴ虫たちが一斉に退いてゆく。
「……うっそ、朋輝、どうしちゃったのソレ」稚子の当然の驚嘆。
「わからん、だが……」朋輝は廃ホテルの瓦礫の山をその腕で掴むと、
「そおぉ、りゃ!」巨大ダンゴ虫に叩きつける。投げつける。バラ撒きぬける。
「よし、少し時間が稼げる……今のうちに!」「うわ、ちょっと待っ……」
ドバァッァアン!銀桃の腕で地面を叩きつけると、その反動で跳躍する。
それは人外な跳躍で、朋輝自信もがむしゃらでの行動であった。
河原の大樹や標識などを綱渡りに飛ぶ。跳ぶ。舞い続ける。
「わ――ッ!きゃーっ!」「騒ぐな!俺も驚いてる!」
とにかく距離を置く事だけを一念に。まるで猿のように軽快に。
(これじゃ琉左を猿吉くん扱いできねーな)何とも不敵な笑み。
巨大ダンゴ虫も足場を乱され、中々前進できないでいる。
「――へ、そこでもがいてろデカ虫!」その声に反応したのか、ダンゴ虫が丸まりを解く。
腹這いの、虫本来の歩行形態に戻って前進しはじめた。
「こらぁ!朋輝がそんなオラつくから!」「くっそ、蟲を思い出してんじゃねぇ!!」
やはり、多脚の虫ゆえの機動性。朋輝もシュライク腕で地面を叩いて跳躍を繰り返す。
だが綱渡りの曲芸まがいの朋輝の移動なぞ、一期に詰める。縮める。
「蟲ごときに!」「やっだ!待って待ってキモい!怖い!」
二人の怒声もドロスィアの攻勢には蚊ほどの羽ばたき。
轟音を立てその巨蟲は河原をも飲み込まんと猛攻をかましてくる。
「ちっくしょ!」ダン!朋輝は思い切ってダンゴ虫へ跳躍。「うわ!何すん……」
ダンゴ虫に衝突かと思えば外皮を腕で、まるで跳び箱のように飛び越した。
そして民間用なのか、小さな吊り橋に手をかけ、そのまま小道に潜り込む。
スタッ。そして一息。
「うっわ朋輝、思い切りいい……」「ふぅ、はぁ、あのデカブツじゃすぐには来れまい」
朋輝も自分の大胆さには驚いていた。
(護るモノがあれば、俺でも……!)至極単純な倫理だった。
「どうだ?携帯繋がるくらいにはなったか?」……とりあえずダンゴ虫は追ってこれてない。
どうもドロスィアには電波を乱す何かがあるらしい、ずっとスマホが繋がらなかったのだ。
「あ、うん。どうにかいけそう、何処に掛ける?」
稚子を背中におんぶしていて、左手で支えている。稚子だけが頼みだ。
「ソラ姉に頼るしかない……山散策で迷子になったとか言って……――え?」
影が。影が降ってきた――違う。それは、巨大ダンゴ虫の到来。
「くっそ、もう来やがった。圧し潰す気か!どんな機動性だよ!」「やぁぁあ!?」
とっさの回避。ガッオォン!――ギリで躱せたのだが、
「やだ!?スマホ落としちゃった……!」衝撃で手からこぼれ落ちたのだ。
「このクソ蟲……」山道に割くように作られた山道ゆえ、ダンゴ虫は入ってこれない。
だからこそ、再び小ダンゴ虫が放たれる。
「く、またか。アイレ!また頼めるか?」「アイレちゃん!?」『………………』
駄目だ。頭にへばりついてるハズのアイレに返答がない。
「アイレちゃん、頬けたまま微動だにしないよ」「……く、都合よくいかないか」
またしても腕で跳躍。木々を掴んだり、とにかく追いつけないように。
「く、ふぅ、はぁ!」桃玉が使えないせいで、とにかく逃げるしかない。
シュライク腕のおかげで跳躍移動できてはいるが、いかんせん疲労が溜まってくる。
ダンス等で鍛えていたおかげで体力があるのが助かりではあった。
「は、はは……ガチ、やっべぇかも」「ゴメン。ごめんね……」稚子も涙が混じる。
小ダンゴ虫がせまる。上空を巨大ダンゴ虫が覆う。息が切れてきた。
――こんなちっぽけな存在に何が出来たもうか。
「生きて帰れたら、琉左のヤツと会話しても……いいかもな」
「それ死亡フラグすぎて、哀しい」
「そうだな……俺たちは普通に話さないといけない、か」
「うん――そうしてよ」
前方に道が途切れる――いや、次の吊り橋が見えたのだ。民間用の小さな吊り橋。
そこを渡ったら、これだけのダンゴ虫と親ダンゴ虫のいいマトでしかない……。
「……稚子、今までありがとな」「やだ。悲しいからやだ、それ」
もうどうしようもない。やるだけやったのだ……褒められはしないけれど。
そして飛び出す――ここで、俺達は終わり。
「二番手で終わるか――、つまんねぇなぁ…………」
ドッガアァアアアアアアアアン!!!
「え?」――何か、ツメの様なものが二人の上空を駆け抜け、ダンゴ虫にぶち込まれた!
『パァアアアアァァウウゥゥゥゥゥ!!!』
猛々しい怒声と共にその何かが躍りこむ!
ツメの鋭い前足での攻撃。振り返っての後ろ足の蹴り。見事な野生の立ち回り。
ジャ!ジャ!と体皮から何かが射出され、小ダンゴ虫たちを貫き、退避させる。
「……なんだ!?ライオンか犬の様な……いや、見覚えある――」
見れば――その黒い影の上部に誰かが乗っていた。
「大丈夫ですか!?お二人ともー!」「え?……その声」ひょいっと姿をみせる。
「あ、はい!1-Aの不知火恋縫です!」獣犬と、その主人――不知火恋縫の姿だった。
――それから。
獣犬ことペロの攻勢で、ダンゴ虫は諦めたのか撤退していった。
最初の一撃で外皮にかなりの陥没が見えた処、結構なダメージを与えていたのだろう。
さて、獣犬の主人たる恋縫なのだが、
「ソラさんが”朋輝帰ってこないから、ペロちゃんと探しに行って”って頼まれたんです」
……という事だった。(後で聴けば蒼穹も自転車で探し回っていたらしい)
「え、えぇ!?不知火さん?」「あ、はい恋縫です」恋縫に詰め寄る雉子。
「その、あの、でっかい犬みたいの何?」「あ、ペロです……って、え?」
そして獣犬――ペロの背中に乗って、三人は”はるる野”へ移動していた。
そこから、話が早かった。
「……そうですか。家治さんも”見えて”、しまったんですか」
幸か不幸かという恋縫の落胆。「まー何でかね、つい先日から見える様になっちった」
「しかし驚いたよ……先日といい、不知火さんには驚かせる」
「あぁ~……その、実は」恋縫は語る。洗脳の様な状態だったと、ソラとの闘いで融和し、
今はペロォ人間だと。
「……助かったよ。不知火さんが居なければまず死んでた。ありがとう」
「ほんっと、色々ビックリだけど、ありがとおぉ」抱き着く雉子。
「あ、いやハハ、クラスメイトですし」そう、雉子、朋輝、恋縫はクラスメイトだった。
一息ついて。「――そういや、ソラ姉には連絡してしまったり?」
「いえ、まだ」念話で王子と交信できるが、少し様子見していた。
「じゃ、ソラ姉には黙っててもらえるかな、俺の事とか」「え?」
朋輝は語る――蒼穹にはまだ朋輝の事を語るべき時期ではない、と詳細こもごもを。
「段階ではない、ですか。解りました。では二人が”遭難してたので救助した”、とだけ」
「我が儘でゴメン……助かるよ」朋輝も素直に頭を下げる。
「……その、妖精みたいな子については……」至極当然な指摘。
「――それは」「何か、恋縫と同じで、ドロスィアの臭いがします」
「……え?」意外な指摘だった。(こいつが……敵の)
「”混じっている”が正解です――不安定です。危険、かと」
「…………」朋輝の顔色が曇る。今までの不可思議さを見れば、分からない話でも無かった。
「アイ……」朋輝が雉子の口を閉じる。「むがが!にゃによぉ」
「ね、図々しいついでに、コイツの事も黙ってて貰えるかな?」「……承服しかねます」
「……その混じっているが本当なら……多分、コイツには元に戻れる可能性がある」
あのまま寝入ったアイレを抱きかかえると、優しく撫でてやる。
「もしかすると、俺がこいつに出会えたのも、俺が何とか出来る鍵なのかもしれない」
恋縫も死ぬような目にあったのだ――人外の世界のそれ、を。
「蒼穹先輩は特別なのです――彼方くんがそれに倣えるほどとは……」
「本当に不可能と悟ったらすぐにキミを呼ぶ。ソラ姉にも打ち明ける……どうか!」
こんな処で土下座に近い平伏という。それほど――。
「彼方くん……」「不知火さん……あたいからもお願いしたいよ」稚子も頭を下げる。
「俺は、こいつを裏切りたくない」
それは――朋輝の心の叫びでもあった。
「コイツを……独りには、させたくない」歯を食いしばり、心を縛る。
恋縫も、”それで最悪なケースになったらどうなのです?”そう問いたかった――しかし、
「……承服はしかねます……が、」瞳を見据える。「経過観察、ということにします」
「不知火さん……すまない!」少し目じりが熱くなる。朋輝自身も驚いた。
「状況が悪化するならば、恋縫の方からも介入しますゆえ」「――あぁ、それで頼むよ」
風が揺れる。アイレのツインテールが風で流れる。
(アイレ……俺は、お前たち二人を……)――その先はまだ答えにならない心。
「恋縫ちゃんて呼んでいーいー?」稚子が抱き着いた。
「はは、構いませんっ稚子さん、秘密共有です」ジャレつかれるのは慣れてないらしい。
恋縫も甘いなぁと嘆息するも、(やはりソラさんの弟分ですね)と瞳を閉じた。
「あ、彼方くんも先日の恋縫のアレ、秘密ですよ!」「え……あ~裸Y……いや、はは」
「あたしの事も恋縫って呼んで下さい」「あー、じゃ俺も朋輝呼びで」
「あー何か秘密あるなーくそー」稚子がムズがる。二人の笑い、和やかに。一段落へ。
「――あ、はるる野見えてきたよ」しばらくして、稚子が街の灯りに気付いて指をさす。
上空から見るはるる野の夜景は美しく――これからの展望すら映せない。
「……恋縫たちは何でこう、奇妙な隠し事ばかりなんですかね」「だよねぇ」
「……いつか陽の目を拝める未来にしてみせる」「あ、かっくいいなぁ、それ。イイよ」
聴けばペロはずっとこの山間部が生息地だったらしく慣れた挙動だった。
恋縫という主人を経て――色々学んでる最中だという。
若さはいつまでも暗中模索なのかもしれない。一歩一歩、踏みしめ確かめるからこその。
月が照らす――三人と獣一匹と妖精が一人。
不安は残る。希望も残る。五里霧中ではなく、灯火は消えてはいない。
春がうっすらと終わり、初夏の風を運ぶ気配が緩やかに踊っていた――
【第一話 おわり】
またしても少し間が空きます。道筋はあるのですが構想・構成もっと練ります。しばしお待ちを