第五節「ソラと仔犬と母親と」
24/05/30 修正
この街は本当に片田舎だ。
駅前の繁華街は賑わっているものの、少し外れれば都会を忘れてしまう。
昭和の景観が残る、あたしは何だか好き。庶民の世界だ。
結論から先に言うと恋縫ちゃんには逢えなかった。
ここからどんどん深淵に足を踏み入れる訳なんだけど――
……さて、まずは竜地の言う通りだった。
恋縫ちゃん家は河川を挟んであたしの家の対岸にあり、かなり遠い。
普通の住宅密集地。恋縫家は多少年代ものだけど良好で。
家庭菜園に拘る親御さんなのだろう、童話めいた草花に囲まれた家。
手向けられたけた花々は、誰かに帰ってきて欲しいためなのか。
「ガキん時以来で緊張するが……ともあれ俺が呼び鈴押すわ」
「任せたー」
花々に囲まれた木製の玄関ドアの前に立つ竜地だったが、
「……あれ、キミ竜地くん?」
か細い声が横から聞こえた。
……足取りが朧げで儚げでオーラが無い。
母親だ。すぐにわかる。
恋縫ちゃんを大人にした様ですっごい美人。
でも高一の娘が居るにしては老け顔にみえてしまう。悲しい色。
「こんばんわ。迦土です、お久しぶりです。
こっちは部活の部長、汪鳥です」
あたしも、どうも初めましてと会釈する。
「竜地くん、部長さん。ようこそ。
竜地君はあの娘の失踪の時以来ね、手伝ってくれて本当に有難う」
あの失踪事件の前後の顛末を少しするも、
竜地が不躾ながらと事情を伺った。
恋縫ママさんの顔が曇る。
他所の人間に踏み込まれたくない困惑、という色にはみえなくて。
「そうよね……気になるわよね……あの子をああしちゃったのは私」
駄目な母親ね――哀しく微笑む母親の顔が切なく見えた。
■
帰り道。すっかり夜がふけていた。
さて、
恋縫ママさんから聴いた話をまとめるとこんな感じだった。
母親はもっと上の学校へ進学させたがってたのに
恋縫ちゃんはわざわざ街中の偏差値低い、そこそこのウチを選んだので
ギスギスしてたらしい。
年の離れた長兄と同じ優秀さを求めていた母親は、
その失踪が起きるまでは大層に口が悪かったらしい。
一週間失踪のすえ、娘の死も覚悟した母親は――突然のその生還に
号泣し、すっかり大人しくなったそうだ。
「私は自分の正しさだけに酔ってたのよ……あの子の目線で何も見てはいなかった」
自分だけの”正しさ”――。
……元々親友らしい友人も少ない娘。
親の押し付けた正しさは我が娘をいたずらに孤独の檻に閉じ込めた。
けれども。
生還してからの恋縫は奇妙な明るさがあった。
妙にテンションが高く、ともすれば、すぐ何処かに遊びにゆく。
思いつめた表情が消え、最初から無かったように微笑む娘。
母親は理解不能に震え、畏怖を感じていた――。
頭を下げるその姿は憔悴した母親の苦悩がにじみ出ていた。
「ママさん……色々あったろうに辛そうだったな」
「ガキん頃は優しかったんだがな、最近は重かったな、確かに」
時間が経てば人は変わる。そうでなくても、時代は流れてゆく。
「にしても。九死に一生を得て意識が変わったにしても妙な気するぜ」
「高校デビューともちょっと違うかんじだよね」
「だな。俺の知ってる恋縫は……なんつか今のあの母親と同じ気質だ」
「恋縫ちゃん、幼い時どんなだった?」
「……昔か、寂しそうにしてるガキンチョの娘が近所に居たからよ。
妹が声をかけたのが最初で、つい俺も遊ぶようになった感じだ……。
ちょいと兄貴よか父親気分だったのかな……」
「竜地さー。パパ味あるもんね」
「うっせ。まぁ俺も中学とかになると男友達としか遊ばなくなるしよ、
疎遠になっちまうのはよくあると思うぜ……」
「……そこを思い悩んで、とか?」
「そうだと思った、部室に来た時はな。
俺が自分を忘れてヨロシクやってるのが気に喰わないとか、嫉妬かと」
「あのー、普通に幼馴染に初恋って線はないの?」
「あいつがか……ん?ちょい待て……いや、わがらん」
「うん。鈍い竜地はたぶん気付いてない!」
「う、ぐ。言い返せん……お前も誰かに好かれろ」
ははー、とおどけるあたし。今はプラモが恋人さ。
「竜地自身が誰かを好きになったと仮定してさ、やられたら嫌な事が
あったりしたんじゃないの」
「俺が……好きに……」
(ん?なんでそこであたしの方を見る?あたしの居る方角に好きな
子がいる……的な?)
後ろを振り向く。うん、あの方角はウチの学校だな。よし。
「初恋、実るといいな!竜地くん」
「な、なんでそこで応援すんだよ、おめーがよ!」
またも友人コントしてる場合でもなかった。
「ま、確かに俺も鈍いのは認める。気付かない処で傷つけてたのかもな。
女心はムズい。わからん」
夢の中の――「あたしを見捨てないで」という張り紙。
仔犬は恋縫ちゃんで……やはり予知夢だったんだろうか。
竜地は気恥ずかしそうに。
「あいつとさ、ガキん頃みたいに気軽に遊びにいけてたらな」
「そこはスッパリ先日ごめーん、今度遊びに行こうぜ!って」
「……いかねーのが俺だろ」
「そうだねー。半端なヤンキー入ってますもんね」
「お前なー気兼ねなくツッコミ入れてるのか喧嘩売りてーのか……」
「気兼ねなく、そういう姿勢で心開けばよくない?恥ずかしさノン」
「……………………」
竜地は暫し先を歩き、街灯で立ち止まる。
「……ガキん時な……女の子一人と遊ぶとかキメェって煽られてから見栄はって
疎遠になった。あいつと逢っても目線そらしてた。今さら後悔してる……」
夜空を仰ぐ竜地の横顔。くやしいと情けねぇが入り混じる色。
やがてあたし達は鉄橋に差し掛かる。
「……細かい理由はわかんね。だが、そうだな。お前の言う通りだ。
意固地になってた。決めつけもよくねぇ。昔と違いすぎて、
落差にケンカ腰になっちまった俺も……大人げ無かった。
勧誘は無理っぽそーだが、俺は幼馴染として声かけてみる」
「だね。自分に素直になれば見えてくるものあるよ」
「……だな。すまんかったな色々。んじゃ、明日学校でだ」
そう言い残し手を上げて、竜地は帰宅の途についてった。
「うーん、難しい……幼馴染か。いろんな形、あるんだね」
学んだ日。
暮れた夜空には満月が――TVドラマなら綺麗に終わる。
静かにエンドマークを描いて終わり――……
だったら良かったのに。
この直後。
あたしはとてつもなく後悔する羽目になる……それは――