01-08 魂を冒涜する者
――救世の天使アンジェラよ。大神パープルよ。罪なき名もなき者たちの魂に安息を与えたまえ。
翌朝、神官達の主導により、倒されたアンデッド達の埋葬が行われた。
冒険者達で穴を掘り、アンデッド達を投げ入れ火を焚く。
本来ならばもっと丁寧な埋葬をしてやるべきだが、生憎多くの時間は取れないのだ。
アンジェリカには分かっていた。これが前哨戦だということに。
不自然に少なかった死の兵隊の数は、死体を数多く用意できなかったということもあるだろうが、何よりも本番の為に戦力を温存しているのだろう。
ここから、二十人の冒険者の一団は三つのグループに分かれる事になる。
一つは、とりあえずアンデッドを殲滅したという報告に戻る者。四人。
一つは、近隣の町の護衛を勤める者。八人。
一つは、敵の首謀者のアジトに乗り込む者とそのリザーブ。八人。
アンジェリカをはじめとしたトゲコロの宿の冒険者は、突入部隊に配属されている。
「あんたらが敵のボスと戦ってくれるんだな」
声を掛けてきたのは、相方のパーティのリーダーらしき男だった。
簡素な革鎧と革の盾、鞘付きの鉄の長剣を腰に提げたオーソドックスな冒険者スタイルで、他の仲間達も概ね同じような装備を身に付けている。
「今日はよろしく頼むよ」
手を差し出される。握手を求められているのだろう。
友好的で嫌味を感じさせない、爽やかさを絵に描いたような好青年のようだ。
「おう、よろしくな」ホックがそれに応じた。
差し出された青年の腕はしっかりとした筋肉がついており、剣を長時間振るってもなんてことのない逞しさを感じさせるものだ。
長い間、冒険者を続けていたのだろう。その瞳からは自信と余裕が垣間見える。
アンジェリカはとりわけ太いその腕が印象に残った。自身を守る新たな人形。その参考になるのではないか。
その意図を知ってか知らずか、リーダーの青年はアンジェリカに向けて微笑み掛けていた。
「敵の拠点に侵入し、親玉を倒す」作戦の概要は至ってシンプルな物であった。
八人が向かう鉱山はここから東方に存在し、徒歩で三時間ほどの、散歩と呼ぶには少々長い道のりを進んでいく。
坑道内は今現在も石炭が採掘され続けている新坑道と、掘り尽された旧坑道があり、敵は人気のない旧坑道の奥でアンデッドの研究を続けているそうだ。
「あの娘から聞き出すのは本当に苦労したよ。なぁ、ホック?」
「ああ、泣き出しそうなところを何度も宥めたな」
あの娘とは、教会の孤児であるシータの事だろう。兄のネックスを死の人形へと変えられた、悲劇の兄妹だ。
恐らく、教会で会ったあの時……。その時点でシータは兄の身に何が起こったのか、理解していたのだろうか。
兄が死霊使いデードスに何をされていたか、見ていたのだろうか。
ふと、隣を歩いていたシスター・エリーを見やるアンジェリカ。
エリーは腕を震わせていた。
下唇を噛み、爆発してしまいそうな何かを堪えているかのようだった。
兄妹の最も近くにいたのに守ってやれなかった。兄の死を目の当たりにした妹の心を救えなかった。
エリーの瞳には、アンジェリカから見てもはっきりと分かる、後悔の念と憎悪が宿っていた。
「死霊使い……倒そう。絶対に」
搾り出すような声で呟くエリーに、アンジェリカはただ頷いた。
コール鉱山は、採掘し続けても枯れることのない宝の山だとされている。
石炭の埋蔵量はこの世界の消費量で言えば四百年分であるとされ、その石炭を掘りつくしても、その奥にはタール溶岩洞のマグマ燃料がある。
鉱山内は常に人手が求められており、求人は常に飽和状態だ。しかしそこは、危険と隣り合わせの現場でもあった。
洞窟に生息している魔物や、タール溶岩洞から発生するアンデッドを鉱夫達自身が相手をしなくてはならなかったからだ。
故に国はこの旧坑道を捨て、新たな坑道を開拓せざるを得なかったのだ。
封鎖されていた旧坑道への道は既に壊されており、何者かが出入りをしている事は間違いないだろう。アンジェリカを始めとした八人は、周囲の警戒を怠る事無く奥へ進んでいった。
空洞に響く水音や、油が切れて使われなくなったランプ。
坑道内の道のりは廃棄されてから長い間放置されており、整備されずでこぼこした地面に、何度も足を取られそうになる。
「ちっ、酷いなここは……」
「ガスの溜まった部屋があるかもしれない。気をつけよう」
八人は互いに声を掛け合っていく。
こういった緊張の糸が張り詰めた状態である時に大切なのは、互いが仲間である事をを確認しあう事だった。
「ねえ、あそこで休憩しない?」
「うめぇだろ、おいらのかあちゃんが作ったんだ」
袋小路の部屋に休憩所を見つけ、思い思いの椅子に座っていく冒険者達。
弁当を広げ昼食を摂る。いつ敵が現れるか分からないこの状況で、ほっと一息をつくタイミングは貴重であり、積極的に取っていくことを徹底されていた。
「おいで、オルトロス」
アンジェリカの一声で、ホックの頭に乗っていた双頭の獣オルトロスのぬいぐるみはそこから駆け下り、アンジェリカの胸に飛び込んでくる。
ぬいぐるみにするにあたり細部のデフォルメはされているが、主に甘えたり顔を舐めたりするその仕草は、まさしく子犬のそれである。
「可愛らしいぬいぐるみですね」
相手のパーティの一人、人間の神官の男性が声を掛けてきた。眼鏡を掛けた四十代ほどの青年だ。
作戦から一日経った故に無精髭が生えており、神官服も土で汚れてはいるが
元は身なりのよい清潔感溢れる人物であることが伺える。
「ええ、ミツバ……私の友達が作ってくれたのよ」
愛おしそうにぬいぐるみを抱きしめるアンジェリカ。
ぎゅむり。ふわふわした綿で出来ているので、力いっぱい抱きしめると形が歪む。
ぬいぐるみはもちろん苦しそうな素振りも見せず、なすがままにされていた。
「オルトロスは、この炭鉱の守護神なのですよ」
神官の男性は語る。
野生の魔物であったオルトロスは、ふとしたことから炭鉱夫達と仲良くなり、その後大量に発生した魔物やアンデッドを相手に、炭鉱夫を守る為に戦い続け死んだという。
「その話、知ってるわ。天使伝説の一説だもの」
こうした人間と魔物を結ぶなどの奇跡を孕んだ物語には、必ずと言っていいほど救世の天使アンジェラの名が挙がる。
歴史上に何度も現れた、白い装束を着た赤い髪の乙女。その時々の勇者に寄り添い、数々の奇跡を起こした神の使い。
アンジェリカの名前も、その天使の名にあやかって付けられたものである。
救世の天使アンジェラは、暴れん坊の魔物オルトロスに愛を教え、人々を守るための炎を吐く力を与えた。
アンデッドは火に弱い。それは種族的な物だけでなく、儀式的な意味も含まれる。
火に焼かれた死者は神の御許へと還らねばならないのだ。
「頼りにしてるよ、オルトロス」
アンジェリカが首をくすぐってやると、オルトロスは気持ちよさそうに喉を鳴らした。
休憩を終え、更なる奥地へと向かう一行。行けども行けども、似たような道ばかりでどこを歩いているのか分からなくなる。
ランプの明かりは足りているか。帰りの分は残っているのか。いつまでも始まらぬ戦いに、余計な事ばかり考えてしまう。
「おい、向こうに明かりが見えるぞ」
誰かがそう言った。
暗い、暗い坑道の先にうっすらと差し込む光。敵のアジトであることは間違いないだろう。
「俺が行こう」
斥候のクールが様子見役として名乗り出る。
足音を立てないように、すり足で光へと近づいていく。
クールが光に向かって覗き込むと、しばらくしてこちらに来いとの手信号が挙がった。
足音を立てないように、七人も同じくすり足で光へと近づいていく。
部屋に近づく度に、一行は鼻をつく薬品の臭いに気付かされる。ツンとする嫌な臭い。この臭いの正体をアンジェリカは知っていた。
アンデッドを保存する防腐剤だ。臭いの拡散した屋外では気付く事はなかったが、臭いの充満しやすい屋内では、否が応にも嗅がされる事になった。
死霊使いデードスの姿が見えた。
アンジェリカとミツバの両親を殺害し、村を焼いた外道だ。
ホック程ではないがかなりの巨体躯を持つ背中が見える。
その背中の、急所はどこにある? 護衛のアンデッドはどこにいる?
飛び出して行きたい気持ちを押さえ込み、八人は様子を伺っていた。
「そんな所に隠れていないで、出てきたらどうだい?」
隙を探して、奇襲を掛けようとしていた目論見はデードスの一言によって脆くも崩れ去った。
気付かれ現れる八人にデードスは向き直る。
ローブのフードを脱ぎ、ボサボサとした青い髪を曝け出す。
角ばった無骨な顔立ちから想像できないほどの胡散臭い笑みを浮かべているが、その眼光は赤色に爛々と輝き、その不似合いさが不気味さを引き立てていた。
「驚いているようだね」
足跡を立てなかったのにどうして。
そんな疑問を素直過ぎる程に表情として浮かべてしまう一行。
「それはね、君が来るのを今か今かと待ち構えていたからだよ」
「ねぇ、愛しの君。アンジェリカ」
一行の視線が、アンジェリカへと注がれた。
アンジェリカの方といえば、そんな周りを一瞥もせずに憎き死霊使いを睨み続けている。
「私は君にとって数少ない仲間。君と同じく、生きていない者を思うがままに操れる」
デードスが口角を上げる。
その瞳はねっとりと。アンジェリカを値踏みするかのように。
「おいで、アンジェリカ。君を迎えてあげよう。私が抱きしめてあげよう」
独り善がりという言葉がお似合いの口上に、その場に居た全員が濡れた服を着ているかのような、絡みつくような不快感を覚えた。
「違うわ。貴方は仲間じゃない」
デードスの言葉を即座に否定するアンジェリカ。
アンジェリカにとって道具は死に者ではない。自分達と同じように生きている。
「貴方は生者を弄ぶ者。魂を冒涜する者」
故に、デードスを受け入れる事は決して出来ない。
アンジェリカは、道具使いなのだから。
「お父さんとお母さんの仇……ここで討たせて貰うわ!!」
アンジェリカの指示と同時に、人形達が飛び出していく。
人形達は武器を構えると、アンジェリカと同じようにデードスを睨んだ。
「そうかい、君とはいい友達になれそうだと思ったのだが」
デードスが右手を挙げると、鼻をつくようなツンとした臭いが更に強くなっていく。
物陰に潜んでいたのだろう。ゾンビやスケルトンなどのアンデッドの集団が
アンジェリカ達、八人の前に立ちはだかった。
「仕方が無い。君を殺してから私の可愛い人形にしてあげよう。ミツバもね」
「させるもんですか!!」
七人の勇士達が各々の武器を抜いていく。
アンジェリカも、残り九体の人形達を用意していく。
……道具使いと、死霊使いの戦いが始まった。
開戦と同時に、強烈な腐臭が立ち込める。
魚や海老が腐ったかのような、鼻の奥を突き抜ける不快感。
アンデッドの動きは非常に緩慢であったが、冒険者達のといえば、胃から喉に掛けて込み上げる嘔吐感をこらえるのがやっとだった。
「何を恐れているんだい? アンデッドが臭いのは当然だろう」
死霊使いデードスはそう言って笑う。
臭いに紛れて細工をしたのだろう。
まるで痺れ毒を吸ったかのように身体から力が抜けていく。
「なんだ、これ……ぐっ」
冒険者達が次々と膝をついていく。それは熟練の戦士たるホックやクールも例外ではない。
もはや彼らに、デードスに対抗する力は残されていなかった。
ただ一人、道具使いであるアンジェリカを除いては。




