08-07 天使の子供達
氷の神殿の中庭。
二人の天使と護衛戦士、騎士と神官、そして氷の女神が相対していた。
「ブルームが、女神様に用事があるみたいなんだ。どうか少しだけ話をしてくれないかな?」
マリアンヌの不調を慮り、帰還を決めた一行を騎士テイルが引き止めた形だ。
「おい、テイル。よしてくれ。今はマリアンヌ殿の大事を取るのが先だ」
訝しがる一行だが、その中で神官ブルームだけが表情に焦りの色を浮かべていた。
「私は平気ですわ。早くその用事とやらを済ませなさい」
「……っ、分かり、ました……」
マリアンヌに促され、ブルームは女神に一歩前に立つ。
女神はそんなブルームの視線に気づき、困ったような表情を見せた。
「貴方は……アーシャ、なのか?どうして妹と同じ姿をしているんだ?」
やや、ためらいがちに切り出す。
アーシャと呼ばれた女神ははっと目を見開き、すぐに目を細めて両手を合わせ顔を綻ばせた。
「忘れないで、居てくれたんだ」
「忘れられるものか。全く同じ顔なんだ、十年前に姿を消した私の妹と……!!」
「ブルームさんと氷の女神様が……姉妹?」
二人の言葉に、改めてアンジェリカは二人の顔を見返す。
煌めく金髪に女性としては凛々しい目つき、女神の方がやや幼さを残しているが、言われてみれば確かに二人はどことなく似ているように見えた。
「……私の事なんて、忘れてくれればそれが一番幸せだって。そう思ってた」
「フリージア様?」
心配そうに顔を覗き込むアンジェリカ。
女神フリージアは、顔を伏せてぽつりぽつりと語り出した。
「私の本当の名はアーシャ・マーダラ。フリージアの町で暮らしていた普通の女の子」
「そしてブルームお姉ちゃんの、たった一人の妹でした」
女神の言葉に、周囲は色めき立つ。
「それじゃあ、やっぱり……!!」
「でもそれは、十年前までの話。今の私は女神フリージアなの」
「どういうこと?」
アンジェリカは頭の中に疑問符を浮かべる。
女神フリージアは胸に手を当て、大きく深呼吸をする。
やがて大きく息を吐きだした事を契機に、ゆっくりと口を開いた。
「聞いて、アンジェリカ。それにマリアンヌも」
「今から話す事は、本当に大事なこと。二人の出自にも関わる、始まりの物語」
「――私達は、女神の後継者なの」
「はぁ~……生き返った」
一行は滞在が長引くと判断し、マリアンヌの大事を取って焚火を囲む。
唐辛子で作った薬湯を呑み、冷え切った身体がじんわりと暖まる。
「すまない、マリアンヌ殿。私事にかまけて貴方の不調を見逃すとは……」
「平気だと言っているでしょう。それに私にも関係無い事ではないようですし」
顔色の悪かったマリアンヌも、その表情にほんのりと赤みを差してくる。
献身的なブルームの介護に大分、調子を取り戻したようだ。
神官でありながら彼女の不調を見抜けなかった事に、ブルームは自身の不甲斐なさを嘆いた。
保存食のハムやソーセージを木串に刺し、焚火の火で焼く。
こんがりと焼かれ、塩胡椒を振って香り付けされた肉はアンジェリカ達の空腹を鼻から誘い、歯を立てればじんわりと染みる塩味が食欲を呼び込んだ。
「あんた、火に当たって大丈夫なのか?溶けたりしないのか?」
クールが差し出したのは、熱々のハムの串焼きだ。
「しません!もう、女神を何だと思ってるんですか」
フリージアはクールの言い草に憤慨しながらも、串焼きを受け取った。
「……ああ、美味しい。久しぶりの人間の食事」
息を吹きかけ、冷ましながら口に運ぶ女神フリージア。
人間としての身体を持たない女神には、食事など必要無い。
だがかつて人間であったフリージアにとって、その食事は故郷を思わせる懐かしい味だった。
「女神様っていうからもっと固い人だと思ってたけど、思ったより気さくな人で良かったわ」
「私は、元々は人間だったんです。だけど先代のフリージア様がいなくなっちゃったから……」
人間の寿命は、六十年から八十年。長くとも百年程しか生きられない。
何故なら身体と同じように、魂にも寿命があり、年月を重ねるにつれ衰えてくるからだ。
魂は百年ほど生きているうちに、どんどん濁ってくる。
濁り切った魂は腐り落ちて消滅してしまい、残った身体は魂を持たない魔物となる。
その典型がアンデッドだ。ネクロマンサーは生物から魂を抜き取り、意のままに操る魔導士であった。
故に魂は、身体から切り離されたらすぐに天に昇って洗浄される。
そして洗浄された魂は、新しい肉体を与えられ新しい人間に生まれ変わるのだ。
「女神様だって無限に生きられる訳じゃないわ。人間より遥かに長いけど、いつかは魂が濁り始めちゃうんです」
温かい薬湯スープを飲みながら、女神は言葉を続ける。
「その周期が大体千年から千五百年。女神様の魂は時間を掛けて洗浄されて、新たな女神となるの」
女神の話を遮り、アンジェリカが声を上げる。
「ちょっと待って。女神様の魂を洗浄しているその間、誰が世界を見守っているの?」
六柱の女神とはこの世界の管理者であった。
市井に名の知られた救世の女神アンジェラや勇者ビクトリアはもちろん、
名前の残っていない残り四柱の女神もこの世界の構成要素を司る大切な存在である事はアンジェラ教の者なら誰でも知っている。
その女神が一人でも欠ければ――この世界のバランスが崩れ、滅びてしまうと言われていた。
「なるほど、だから世代交代をするって訳だな?」
合点が行ったかのように、クールがポンと手を打った。
「そうよ、ドワーフさん。その為に女神達は自分の子供となる者を創造した」
「それがアンジェリカとマリアンヌ。天使の子供達なんです」
目の前の女神の言葉に、アンジェリカは驚きを隠せなかった。
女神が姿を隠さねばならないなら、その間は代わりの者を立てればいい。
アンジェリカは理屈は頭では理解できたが、人知の及ばぬ世界故にただ目を白黒させるばかりであった。
「天使の子供達は、女神によって作られた小さな女神。人間よりずっと長い魂を持った半女神……子供達同士は、その長い耳で自分達が同じ存在だとなんとなく気付くんです」
「私達の、長い耳……」
アンジェリカは思わず自身の耳に手をかざす。
この耳が、彼女の友人である少女ミツバや、法王の娘マリアンヌを引き合わせたと女神は言う。
ミツバも、恐らくヤタック教を率いる彼も天使の一人――つまりはそういうことだった。
ちらりとマリアンヌを見やる。彼女はその事実に驚く素振りこそ見せていたが、
どこか落ち着いたような、既に真実を受け入れたかのような表情で女神フリージアを見つめていた。
「天使の子供達は作るのがとても難しいらしくて、完全な成功例は三人しかいなかったそうです」
「フリージア様は女神になるべき子供を作れなかった。だから代わりとして、私を呼んだんです」
「子供達は人間に預けられて育てられた。一人は砂漠の王に、一人は人里を離れた盗人の夫婦に……」
「あるいは自身の手で育てようと、女神の身を捨てて人間となり、それぞれが目の届く所に子供達を置いたと、フリージア様は言ってました」
女神の言葉の大半にピンと来なかったアンジェリカだが、砂漠の王に育てられた天使が自分である事だけは理解できた。
同時に、マリアンヌやミツバに当て嵌まる境遇も探していた。
ミツバの両親は何者だったのだろうか?コボルドの村に現れる前の彼女らについて知る術は一切無い。
マリアンヌの母、法王レイアは元は女神だったのだろうか?言われてみればそんな素振りがあったように見えてくる。
分からない事ばかりで頭の中がぐるぐると回り出し、一旦思考を打ち切る事にした。
「なあ、アーシャ。難しい話はそろそろ終わりにしよう」
話が終わった頃を見計らい、ブルームがそう切り出した。
ブルームは女神の隣に座り、女神の手を取る。
「私達と一緒に帰らないか?父さんも母さんももう居ないが、教会なら君を喜んで引き取ってくれる。姉妹でずっと一緒に暮らせるんだ。もう、一人で頑張らなくていいんだよ」
ブルームは幼い女神を諭すように、可愛い妹へ優しく微笑み掛けた。
ここで女神が姉の手を握り返し首を縦に振れば、姉妹はまた一緒に暮らせる筈だった。
「……ごめんね、お姉ちゃん。それはできないんだ」
「どうして?」
だが、女神はそうしなかった。
ブルームの手をそっと離し、困ったような面持ちのまま首を左右に振った。
「私は女神として、ここの人々を見守らなきゃいけない。見守るという事は、同時に人間の営みを管理するということ」
「意味が分からない。君は人間なんだぞ、アーシャ」
ブルームの語気が強くなる。離れた手を再び強引に取り、握りしめた。
女神は痛みに顔を顰めるが、そんな表情を見せたのは一瞬だけだ。
「この国が、定期的に吹雪に見舞われるのは何故だと思う?何人もの人間が行方不明になるのは何故だと思う?」
女神は女神の都合で人間を増やしたり減らしたりする。それが管理する者の仕事だから。
人間が増えれば狩りに出掛けた若者を吹雪で凍死させた。人間が減り過ぎれば鉱脈を作り出し多くの働き手を呼び寄せた。
それは凡そ人間の倫理を逸脱していた。かつて人間の娘だったアーシャは、もはや人間に戻る事は出来なかった。
「私はもう人間じゃないんだよ、お姉ちゃん。身体も、心も、魂も。女神になっちゃったの」
「アーシャ……ッ」
ブルームは狼狽するまま、力なく崩れ落ちる。
どれほど強く握られていたのだろうか。握られていた女神の手は痛々しく赤々と腫れていた。
しかしその手はすぐに元の白い肌へと戻っていき、人間離れした治癒能力が彼女が既に人でない証明であった。
「ごめんね、お姉ちゃん。私はもう帰れない。だけどずっと見守ってるから」
別れを前に膝を落としたブルームの背中を、女神は優しく抱いた。
人間を捨てた女神の身体に、人間の温もりは宿らない。ブルームが感じたそれは人ならざる女神の冷たさだった。
「お姉ちゃん大好き。だから……さようなら」
氷のように冷たくなった妹。
女神となったアーシャを抱き返しながら、ブルームは静かに涙する。
「ああ……さようならだ、アーシャ」
それが最後の別れの言葉だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アンジェラ大教会の夕刻。
行き交う人通りも少なくなった教会の廊下を、法王レイアは一人歩く。
大教会の本棟から渡り廊下を越えて別棟へ。
階段を降りて、魔物との戦いで怪我を負った騎士や病に倒れた神官が療養する病棟へ向かう。
「まさか、このような形で再会しようとは」
未だ目を覚まさぬミツバの病室の前で、法王はそう独りごちる。
法王は周囲を気にするように見渡しながら、音を立てないようにゆっくりと静かに扉を開く。
そして安らかな顔で眠るミツバを見て、安堵の笑みを漏らす。
彼女はここに足繁く通っていた。誰にも見つからないように。教会の騎士や神官はもちろん、
アンジェリカや娘であるマリアンヌにさえここに訪れている事を隠していた。
「一度捨てた筈の貴方が、こうして戻ってくるなんて思いもしなかったわ」
ミツバの傍に座り、優しく頬を撫でる。
絹のような白くきめ細かい肌に法王の指が沈んでいく。
「貴方は私を恨んでいるかしら?それとも、私の事なんて忘れてしまった?」
指先から伝わる生の温もり。命の暖かさ。
死んだように眠ってはいるが、ミツバは確かに『生きて』いた。
「今さら母親面する資格など無い。そんな都合のいい話なんて無い。でも、今だけは――」
「――今だけはどうか、貴方の目覚めを祈らせて欲しい。私の最初の娘……」




