08-03 雪の捜索隊
酒場に戻ったアンジェリカは、仲間達にもう少しだけ酒場に残ると告げ、
席を取りホットココアを注文した。
酒場といえば情報収集だ。懐にいくらかのお金を忍ばせ、
情報を提供してくれた酒場の客にお礼としてお酒を奢るのだ。
「スノーベル?ああ、知ってるぞ。あれを追って行くとお宝がザックザックらしいぜ」
「恋人と二人でスノーベルに会うと、その二人は永遠の愛で結ばれるそうよ」
「ああ見えてすごく強いらしいよ。この町が危機に瀕した時、僕達人間を守ってくれるらしい」
他にも多くの者に尋ねたが、スノーベルに関しては内容に差はあれど概ね好意的な物であった。
自分の席に戻り、女将に迎えられ温かいココアを振舞われる。
ココアを冷ましながら、こくりと飲み下す。
甘い香りが鼻をくすぐり、心の中まで温かくなりそうな気がする。
「あんた達、スノーベルについて調べてるのかい?」
「うん。みんな、妖精さんの伝説に思い思いの気持ちを込めているのね」
そう言って頬に手を当てる。口の中に甘さが広がり、ほっぺが落ちてしまいそうだ。
「くだらない。あんなもの、魔物とどう違うのかしら」
ココアを冷ましながら、マリアンヌは悪態を吐く。
「そうは言うけど、あの時のマリアンヌちゃんは楽しそうだったわ」
「そ、そんなことはありません」
アンジェリカはマリアンヌがスノーベルと共にくるくると回って居た事を思い出し、くすくすと笑う。
バツが悪そうにそっぽを向くマリアンヌ。
「ま、とにかくスノーベルはこの町の名前にもなっている女神フリージアの使いさ。悪いもんじゃない」
氷雪の女神フリージア。女将によれば救世の天使アンジェラ、そして勇者ビクトリアに同じく世界を見守る女神の一柱とのことだ。
他二人の女神に比べると陽気で、子供っぽい女神らしい。
「うちの教会のブルームは、アレにいい感情を持っていないようですが」
マリアンヌの言うように、気になるのはアンジェリカの友人である神官ブルームの反応だ。
この町の人々の言う『良いもの』ではなく『悪魔』。彼女は確かにそう言った。
「ブルームだって?やっぱり、あたしの見間違いじゃなかったのねえ」
女将は思案するように腕を組む。
ブルームは十五年程前に両親を失い、大教会に引き取られたそうだ。
「あの子は……可哀そうな子だよ。母親を失って妹まで……」
「あたし達が何度言っても、『アーシャは生きてる』って。そればかり言っていたさ」
「分かるんだよ。吹雪で家族を失った女は、みんなそう言った。あたしも、他の女達もね」
そう言って口を噤む女将。それ以上の事は尋ねても何も教えてはくれなかった。
気になる事も多いが、これ以上聞き出すのはアンジェリカも心のどこかで憚られた。
氷雪の町フリージアの宿屋。
宿は酒場の二階にあり、昼も夜も賑わう酒場を下に常に騒がしく休まる暇は無い。
『いらっしゃい、道具使いさん。いらっしゃい』
宿の一室を訪れる度に、宿に置かれたタンスやベッドと言った家具や、タオルや箒などの備品が道具使いの来訪を喜ぶ。
彼らにとって道具使いは唯一と言ってもいい話し相手だからだ。
初日は、彼らと夜遅くまで会話する。それはどこの宿屋でも変わらなかった。
家具や備品との会話が熱を浴びてきた頃。アンジェリカの部屋に控えめなノックの音が響く。
「やっほー、アンさん。遊びに来たよ」
「お邪魔するよ、アンジェリカさん」
客人はアンジェリカの友人、騎士テイルと神官ブルームだった。恭しく二人を迎え入れるアンジェリカ。
いつも神殿でやっているように二人はお菓子を広げ、アンジェリカが紅茶を振舞う。楽しいお茶会の始まりだ。
今日のメインは異界フソウから流れてきた抹茶クッキーだ。甘いばかりでなくほんのりと舌にしびれる苦さが新鮮なアクセントになる。
この町は異界に繋がる穴が多く存在しており、そこから異界の人間や品が流れ着く事があるそうだ。
そして、その穴に消えたとされる事例も眉唾ながら報告されているらしい。
ちらりとブルームを見やる。クッキーを齧りながら微笑む彼女は、
スノーベルを『悪魔』と呼んだ時の怒りと悲しみを感じさせないいつものブルームだ。
「どうしたんだい?アンジェリカさん。じっと私の顔を見て」
「ううん、なんでもない」
ブルームが視線に気づきこちらを向く。慌てて取り繕うアンジェリカだが
気を抜けば彼女に根掘り葉掘り聞きだそうとしてしまいそうで、紅茶と共に強引に呑み込む。
「どうせ見るなら僕の顔を見ておくれよ。ほらほら」
「もう、テイルさんったら」
自身に指を差しからかうテイルに、くすくすと笑うアンジェリカ。
彼の意図はどうあれ、ブルームの奥底に不用意に踏み込まずに済み、アンジェリカはほっと一息を吐いた。
翌朝、大教会の後発隊と合流し、本格的に行方不明者の捜索が始まった。
「魔物が出たら大声で叫ぶ事。これは絶対に徹底しなさい」
マリアンヌから念入りに注意事項が通達される。
互いに三人以上のパーティを組み各自散開。行方不明者の捜索に当たった。
アンジェリカが組むのは当然、騎士テイルと神官ブルームだ。
「私達も探しましょう。……マリアンヌちゃんは?」
辺りを見渡すが、マリアンヌの姿は無い。探そうとするとテイルが引き止める。
「おっと、はぐれたら大変だよ。マリアンヌ様ならクールのおっさんと向こうに行ったぜ」
「なんだと?二人だけで大丈夫だろうか」
降り積もる雪に、視界は少しずつ悪くなっていく。
三人は既に姿の見えない二人を探しつつ、行方不明者の捜索も同時に行うと決めたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
騎士達の群れから離れ、マリアンヌはフェンリルを傍に置き一人雪の中を進む。
それに少し遅れて彼女の護衛戦士、ドワーフのクールが追従する。
「おい、あまり離れると合流出来なくなるぞ」
「あらクール。ついて来なくてもよかったのに」
クールが引き留めようとするが、マリアンヌは聞かない。
それどころか一向に速度を落とす事も無く、視界の悪い雪の道を突き進んだ。
「お嬢の護衛が俺の仕事だ……それに、なんだか嫌な気配を感じるぞ」
クールは大きな耳をそばだてる。静かな雪道に、かすかながら荒々しい呼吸の音が聞こえる。
招かれざる客。ゴブリン型と狼型の魔物が既に二人を包囲していた。
数にして十五体、六体。まだ増えるかもしれない。
素早く武器を抜くクール。いざとなれば身を挺してマリアンヌを守らねばならない。
彼自身は戦いは得意ではない。そんな彼がなぜ護衛戦士に選ばれたのかも彼には分からない。
だが、任されたからには仕事をこなす。クールはそんな男だった。
「人間の匂いに釣られて魔物達がこちらにやってきますわ。私の仕事はそれを撃退すること」
クールは耳を疑った。騎士や神官が恙なく職務を果たす為に、自身が全ての魔物を引き受けようと言うのだ。
言ってしまえば露払いだが、しかしその人員にクールは予定に入っていない。
マリアンヌは自分ひとりだけでこの数を相手取ろうとしていた。クールは慌てて問い質す。
「それなら尚の事、アンジェリカも同行させた方がいいだろう。何故他の騎士と同じように捜索に当たらせている?」
「……来ますわよ。離れていなさい」
クールの問いには答えず、身を隠しているようにと告げるマリアンヌ。
どう動くべきか。考える間もなく、一体の狼型の魔物アイスウルフが飛びかかってきた。
「おおっと!?ちっ、素早いなこいつら……」
すんでのところで飛びかかりを回避するクール。アイスウルフの口元では鋭い牙が光っている。
まともに攻撃を受ければただでは済まないだろう。しかし魔物達はそんなクールの事情など構いもせず、次々と襲い掛かる。
「この雪の中では、フェンリルの吹雪も効果は薄いでしょう。なら……っ!」
マリアンヌが手に取った何かでアイスウルフの牙が弾く。手元にはくの字の形をした木製の何かが握られていた。
クールにはその武器に見覚えがあった。ブーメランと呼ばれる投擲棍棒だ。
マリアンヌはブーメランを振り被り、飛び掛かった魔物に投げつけると、強かに急所を打ち付けられた魔物は大きく吹っ飛ばされもんどりうった。
強烈な一撃だ。マリアンヌは一息吐く間もなく次々にブーメランを投げ、二体、三体と魔物を打ち倒して行く。
ひゅう。思わず口笛を鳴らすクール。
「見事な腕前だな。だが、そいつの弾にも限りがあるだろう?」
クールの言うように、マリアンヌは武器を投げ尽くし手持無沙汰の状態だ。
ブーメランは投擲武器だが、あくまで棍棒の一種だ。投げても戻ってくるが、何かに当たれば勢いを失いその場に落ちる。
拾っている時間はない。その時間をクールが稼がねばならない。そう思い武器を取るクール。しかし。
「ご心配無く。彼らは『当てても戻ってくる』のですから」
彼女の手には既にブーメランが彼女の手に戻ってきていた。
もう一度ブーメランを投げ、小鬼型の魔物ホブゴブリンを吹っ飛ばす。
雪の上に落ちるかと思われたブーメランは、回転の勢いを失う事無くマリアンヌの方へと戻ってくる。
そして彼女の手に戻る直前で突然回転を停止させ、すっぽりと彼女の手に収まった。
「っ!?……アンジェリカの人形達と同じか!」
クールは思い出す。マリアンヌの持つ道具には意思がある。心がある。魂がある。
マリアンヌは道具達の意思に語り掛け、自由に動かす力があるのだ。
「彼らには『私の手元に戻る意思』が先にある。この形状はそれを補佐する物に過ぎません」
そう言ってもう一つブーメランを投げる。倒されても立ち上がる魔物に加え、
戦闘の音を聞きつけ駆けつけてくる魔物達が続々と集まってくる。
一つ、二つ、三つ、四つ。投げては取り、取りは投げ、
いくつものブーメランが乱れ舞うように戦うその姿は、まるで道化師のジャグリングのようだ。
「……随分と器用なこったぜ。そらよっと!」
手にした短剣で敵の攻撃を避けながら、クールも敵を一体ずつ仕留めていく。
マリアンヌ程ではないが、彼もまた斥候である。危機を回避する力は一流だ。
「邪魔をしないでくださる?貴方は私の働きを見ていればいい」
「おいおい、それじゃあ俺は何をしていればいいんだ?」
邪魔をするなと言いつけるマリアンヌから、凄まじい威圧感が噴き出す。
「聞こえなかったかしら?『見ていればいい』のよ」
「おい、だんだんと数が増えてきたぞ。加勢しなくていいのか?」
血の臭いに呼ばれるように、魔物の数は依然と増え続けるばかりだ。
加勢しようとするクールを制止し、両手に四つのブーメランをキャッチした。
「離れていなさいクール。そこに居るのは、危険ですわよ」
マリアンヌの両手がキラリと煌めく。
腕を十字に構え、解き放つと光が一瞬の収縮し、拡散。
同時に背中の翼が大きく羽ばたいた。
両手に持った四つのブーメランは光り輝くチャクラムに。茶色のワンピースは純白のドレスに。
無数の羽毛を撒き散らし、マリアンヌは空高く飛び回る。
その神々しい様相は、例えるならばまるで……。
「これが……天使なの、か?」
クールが呟くと、マリアンヌはくすりと微笑んだ。
「私のかわいい道具達。天使の輪となり悪しき者を切り裂きなさい」
四つの光輪が同時に放たれる。光輪は縦横無尽に飛び回り、魔物達の身体を容易く切り裂いていく。
後方から忍び寄るウルフに強烈な肘うちが入る。
大きく跳躍して棍棒の唐竹割りを繰り出すホブゴブリンを戻ってきたチャクラムが寸断する。
前方、左右、後方はもちろん、上空でさえ彼女の死角にはならないのだ。
「すげえ……これが、天使の力」
あまりに圧倒的な力の差に、我を忘れ見惚れるクール。
それ故に、後方から飛んでくるチャクラムに気づくのがほんの一瞬だけ遅れた。
「うおっと……ぐっ!?」
「っ!?」
チャクラムがクールの脇腹を掠める。
ほんの僅かに切り裂いただけであったが、痛みにクールの表情が歪む。
蹲るクールに、マリアンヌが血相を変えて駆け寄る。
「何をしているのです!離れていなさいと言ったでしょう!?」
マリアンヌはクールの脇腹を確認する。幸い傷は浅く、綺麗に切れているためすぐにくっつきそうだ。
「わ、悪い悪い……それにしても、あんたすげえな。見惚れちまったよ」
にやりと口の端を吊り上げるクール。その場にどっかりと座り、傷を労わるように撫でている。
「馬鹿な事を言わないで。天使の力は人間にとって危険なのよ!」
からからと笑うクールに、マリアンヌは憤り声を上げた。
決して人間が近づいちゃいけない、故に戦いの場から離れるように言ったのだ。
マリアンヌはクールの患部に手を当て、治療の魔法を掛けようとしたが……。
「ああ、うう……」
がっくりと項垂れ崩れ落ちる。手を挙げる事もままならず、雪の地面へと突っ伏した。
「お、おい、どうした!?……気を失った……のか?」
クールはマリアンヌを抱き起し、揺さぶった。しかし起きる気配はない。
先程の戦いで力を使い切ったのだろうか。だとしたら、どれほど前のめりで危険な戦い方だろう。
気が付くと、彼女の道具、氷狼のフェンリルが彼女に寄り添い背を向ける。
「なんだ、お前が運ぶのか?おう、任せたぜ」
クールがフェンリルの背中にマリアンヌをそっと乗せてやる。
フェンリルは彼女を乗せたまま、雪の道を歩き出す。
「……やれやれ、手間の掛かるお嬢さんだぜ」
頬を掻き、クールもそれに続いた。
天使とはどういうものか。天使に付き従う者とはどういう者か。胸に刻みながら。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アンジェリカ殿、遺体を発見致しました。祈祷をお願い致します」
「わっ、はーい!」
雪を掻き分け、行方不明者の遺体を探す。
見つかった遺体はアンジェリカの力で魂を女神の元へ送り、その後埋葬される。
そうする事で魂の未練を断ち切り、自然的なアンデッドの発生を防ぐ事ができるのだ。
尤も、ネクロマンサーによる死体改造を防げないが、それでもかなりリスクを下げられる。
アンジェリカは遺体に残された魂に語り掛ける。
魂はやはり悲しみの色で包まれており、導く為にかなりの労力を費やした。
魂の嘆きを受け入れる事。特に生者への妬みの強い魂は、容赦無くアンジェリカの精神を蝕む。
侵食され掛けたアンジェリカは錯乱しそうになるが、彼女の荷物から飛び出したぬいぐるみを抱きしめる事で事なきを得た。
「……大丈夫よ。天使様はきっとあなたを受け入れてくれるわ」
アンジェリカがそう呟くと、魂を覆う色は激しい嘆きから穏やかな物となり空へと立ち上りながら消えて行った。
仕事を終えて、その場にどっと座り込むアンジェリカに、すぐに神官の女性が駆け付ける。
「どう見ても普通の女の子にしか見えないのにねえ」
テイルとブルームは、そんなアンジェリカを遠目に見つめていた。
尻餅をつき、駆け寄った神官の手を取るアンジェリカ。
照れ笑いを浮かべながら立ち上がるその姿は、たとえ天使と言われてもおいそれと信じられない。
「だが、彼女の祈祷は特別製だぞ。何せ死者と直接対話できるからね」
魂と直接対話をする道具使いの力は、迷える魂を直に説得できる。
その力以上に彼女自身の柔和な性格が、死に戸惑う者達を優しく導いてやることが出来るのだ。
「このご時世だ。魂を迷い無く導く力は、神官にとって喉から手が出る程に欲しい……尤も、私も引けを取るつもりは無いが」
ブルームはくすりと笑う。自嘲とも取れるその笑顔は、しかし彼女の闘争心が燃え上がる証であった。
「お、今の笑みはちょっと惚れ直したよ。もっと笑いなよ、ブルーム」
「私は今、真面目な話をしているつもりだったんだがな」
肩を竦めるブルーム。そうしていると、埋葬を終えたアンジェリカが二人を見つけ、駆け寄ってきた。
「テイルさん、ブルームさん。今日の仕事はおしまいですって」
「……けど、マリアンヌちゃんとクールさんは?」
アンジェリカと、彼女の言葉に促された二人は、三人をして周囲を見渡す。
一面の白ばかりの世界。遠目に黒い二つの影が見え、それがクールとマリアンヌを背負うフェンリルであると気づくのに時間は掛からなかった。
「よう、心配掛けてすまなかったな」
「クールさん!……マリアンヌちゃん、気を失っているの?」
フェンリルに負われたマリアンヌは、揺すっても声を掛けても目を覚まさない。
しかし外傷も無く呼吸も穏やかであることから、命に別状は無いとブルームは言った。
「どうやら、天使の力を使うとこうなっちまうらしいな」
「と、と、と、とりあえずマリアンヌちゃんを町で休ませてあげよう。ね?」
一行は、一路フリージアの町へと戻る事にした。マリアンヌの安否を、気にしながら。




