08-01 雪と氷の世界へ
――たとえどんなに吹雪いても、貴方の心は凍らない。
――貴方の身体を温めてくれる仲間がいるから。
――震えて泣いている子が居たら、寄り添って温めてあげて欲しい。
――その子はきっと、貴方の助けを待っているから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いただきまぁす」
パンを一口サイズにちぎってパクリ。
大教会のお昼時。剣の訓練や道具の手入れ、午前の瞑想などを終えたアンジェリカ達は、食堂にてお昼からのエネルギーをチャージするのだ。
「もぐもぐ……うーん、旨いっ」
香ばしく焼かれたコッペパンと、鶏肉とイモやニンジン等を一緒に煮込んだクリームシチュー。
シチューは塩と胡椒でしっかり味付けがされており、パンを浸して食べると香ばしさが口の中に広がる。
道具使いアンジェリカと騎士テイル、神官のブルームはいつも三人で集まって楽しい会話と料理に舌鼓を打つのだ。
「ご馳走様でした。……うん、どうしたんだい?アンジェリカさん」
パンとシチューをぺろりと完食し、大地の恵みを天使に感謝していた三人。
ふとテイルはアンジェリカの視線に気付く。
「ずっと気になっていたけど、二人が飲んでるその飲み物は一体なぁに?」
アンジェリカはテイルとブルームの持つグラスに入った赤い液体に注がれていた。
「これは……なんというか」
「サービスのドリンクさ。騎士と神官だけの特別サービスだよ」
言葉を濁すブルームに対して、テイルはあっけらかんとグラスの液体を飲み干し舌で転がす。
苦い顔をして舌を出すテイル。あんまり美味しいもんじゃないよと苦笑した。
「ふーん。ちょっとだけ飲んでみていい?」
興味深そうにブルームの赤い飲み物を覗き見るアンジェリカ。ブルームは慌てて飲み干した。
「やめときなよ。食堂のおばちゃん怒られてしまうよ」
「そっか、残念」
がっくりと肩を落とすアンジェリカ。
見ると他の騎士や神官も同じような液体を食後に飲んでいた。他の者達も同じように飲み干した後に苦い顔をしており、
不味いなら用は無いとばかりにアンジェリカはすぐにその飲み物の事を忘れてしまった。
昼食の後、アンジェリカ達は図書館や呪術医イオンの残した書物等を拝借し、部屋に集まり読みふけっていた。
殆どは医学書であり、この世界でもよく見かける症例について書かれている物ばかりだった。
パラパラと本をめくるテイル。その中で、テイルは赤線を引かれた記述を発見する。
「なあ、これいいんじゃないか?目覚めなくなった人を起こす魔法の薬みたいだぞ」
「見せてくれ」
ブルームはひょいとテイルから本を取り上げ、テーブルの上に置く。
広げられた本は、この世界に現存する二種類の秘薬について書かれていた。
氷の仙草。
それは植物でありながら生命エネルギーの塊でもあり、生死の境を彷徨う人間に活力を与える宝具の一種であった。
「これなら、ミツバも……」
三人は頷き合う。氷の仙草は雪の大陸にあるらしい。
次はそこに向かう手筈が整うかどうか。法王に進言し、探しに行けるように交渉しようと決めた。
「ようこそアンジェリカ様。それでは二階の階段を登り真っ直ぐ進んでください」
「ありがとう」
翌日、朝ミサを終えた後。アポイトメントを取り付けておいたアンジェリカはテイル、ブルームと共に法王に謁見する。
法王の召集によって集められた事は何度かあったが、自分から会いに行くのは初めてだ。
大扉をノックする。どうぞ、という声を掛けられ、内側から大扉が開かれた。
白々とした空間に、玉座に座っている法王とその傍らに立つマリアンヌ。
楽にしなさいと告げられ、アンジェリカ達三人は恭しく挨拶をした。
「氷の仙草……ですか」
「私に行く許可をお与え下さい。法王様」
法王に事情を説明し、外の大陸へ出る許可を願い出る。
アンジェリカにはミツバを預かってもらっている立場があり、何より騎士と神官を連れ出すのだ。
無言で出て行って良いはずが無いと、法王に深々と頭を下げるアンジェリカ。
法王はマリアンヌに目を向ける。マリアンヌはぺらぺらと自身のメモ帳を捲ると、顔を上げて答えた。
「氷雪の町フリージアと、炭鉱城塞コール・タールへ公務に向かう予定はありますわ」
「どういうことですか?」
マリアンヌの言葉の意味を量りかね、アンジェリカは訊ねる。
「秘薬のある大陸までは、大教会は公務として赴く予定があるという事です」
「『天使の子供達』とその護衛として同行するなら、大教会の方で船は融通しましょう。しかし」
そう言って法王は首を振る。法王の言葉を待つアンジェリカ達を見て、代わりにマリアンヌが続けた。
「仙草のある氷の神殿は凡そ人の暮らせぬ危険な場所です。そんな場所に私用で行こうなんて感心しませんわね」
じろりとアンジェリカを睨むマリアンヌ。アンジェリカは何も言い返せない。
万物が凍る氷の神殿は危険な秘境であり、彼女がそこへ向かうという事は彼女に付いて行く二人も危険に晒すという事だった。
「テイルさん、ブルームさん……本当に、一緒に来てくれるの?」
アンジェリカは振り返り、改めて二人に意思を確認をする。
「なぁに、僕達がついていけば大丈夫さ」
テイルは自分の胸をどんと叩き、ブルームの肩を抱く。
「ここに強くてカッコいい騎士様も居るし、堅物だが頼りになる神官様もいるから。ね?」
「ま、そういうことにしておこう。私達の勝手な行動をどうかお許し下さい、法王様」
親指を自分に向けてアピールするテイルにくくっと苦笑し、ブルームもテイルに同意する。
「……お母さま」
法王に許しを請う意思を見せるアンジェリカと二人に、マリアンヌは法王に伺う。
「結論を急ぐ必要はありません」
沈黙を守っていた法王が口を開く。三人を見渡し、少しだけ堅い表情を和らげる。
「雪と氷の大陸は、人類の英知の及ばない極寒の地。自然の力に負け倒れた者達はその場に埋められ、町に帰る事もできません」
「本当に神殿に向かうかどうかは、かの地に赴き、それから考えてもよろしいのではないですか?」
まずは行ってみてから。法王の提案に三人はとりあえず頷いた。
「お母さままで……クール、クールは居ませんの?」
「ここに居るぜ、お嬢。お仕事か?」
マリアンヌに呼びつけられ、ドワーフの護衛戦士クールが姿を現す。
クールはアンジェリカの隣に付き、法王とマリアンヌにかしずいた。
「公務にて雪と氷の大陸に向かいますわ。明日出発できるように準備をなさい」
「承知した。アンジェリカ、お前も来るのか?」
「うん。クールさんも来てくれるのね」
「ああ。精々厚着をしてくる事だな。あそこは……寒いぞ」
アンジェリカの言葉にクールは首肯し、にやりと白い歯を見せた。
こうして、アンジェリカとマリアンヌ、テイルとブルーム、クールの五人は、大教会の任務として氷の大陸へ向かう事が決まった。
その日の夜は、雪と氷の大陸に出向く為の準備で賑わっていた。
ふかふかのコートは熱を逃がさず暖かい。
「この服、着れるかな?子供の頃の物なんだけれど」
「わぁ、ぴったり」
ブルームの用意をしてくれた服は、アンジェリカにぴったりだった。
赤と白を基調としており彼女の赤い髪によく似合う。
くるくると回って見せ、テイルとブルームの反応を伺うアンジェリカ。
「よかった。君は小柄だからと思ったが、妹の為にと残して置いて正解だったようだ」
「ほら、帽子も被ってみなよ。うん、可愛いじゃないか」
頭頂部の髪の黒い部分も、テイルが可愛いハンチング帽を被せてくれて目立たなくなった。
楽しげな雰囲気に誘われて道具達も顔を出していた。
小さな銃兵隊人形達は各々で好きなようにポーズを取り、ぬいぐるみ達は主人に甘えるように転がる。
「テイルさんもありがとう。不謹慎だけど、明日がちょっと楽しみなの」
「はは……その元気がいつまで続くかな」
アンジェリカはそんな道具達を抱きかかえ、雪と氷の大陸に思いを馳せていた。
暢気な物だと笑うブルームに気付かないまま。
緑の大陸から雪と氷の大陸まで、西へ向けて六日。
大教会所有の駆動兵器「シー・プリンセス」の乗り心地は今までの船とは一線を画し、どんなに波が荒れても、魔物の攻撃を受けても船が揺れる事が無い。
魔物への対応は主に騎士と神官が行い、アンジェリカ達は後方で待機をしていた。
空いた時間を使い、アンジェリカは人魚族の船員ケルヴィンや、その妻であり船長のラブを探したりしていたが、ついぞ見かける事は無かった。
船旅は概ね順調な物であった。
船の甲板に上がったアンジェリカは西の水平線を眺めていた。
ふと、ひやりとした風が頬を撫でる。空が黒くどんよりとし始め、訝しがりながら空を見上げると
白い何かがちらほらと空より舞い降りている。触ってみると冷たく、アンジェリカを驚かせた。
「アンジェリカさんは、見るのは初めてかな?」
「これが……」
気付くとブルームが隣に立って笑っている。初めての、雪との邂逅であった。
「……ぶるっ」
船を降り立ったアンジェリカは身を震わせた。
十分に着込んだコートは暖かいが、帽子や耳当ての隙間を縫って冷え切った空気が一行の体温を徐々に奪っていく。
「さ、さ、さ、寒い……ここが雪と氷の大陸かあ」
「相変わらずだね、ここは」
「ブルームさんはここの出身なの?」
「ああ。身を凍えさせる寒さと刺すような雪の冷たさがこの国の全てさ」
「でも……綺麗だね。まるで宝石箱の中みたい」
アンジェリカは足元の雪を手袋を付けた両手で掬う。雪はふんわりと柔らかで、冷たいが触り心地はとてもよい。
ぎゅっと握ると堅くなり、丸めるとボールのように投げる事もできる。森育ちのアンジェリカにとって新鮮な感覚であった。
マリアンヌは雪にはしゃぐアンジェリカを一瞥し、背を向けてさっさと先に進む。
「ふん、いい気なものですわね。早く行きますわよ」
「気をつけろよ。下手に肌を露出すると一瞬にして体温が奪われるからな」
クールの忠告を受け、一行は帽子を目深に被った。雪道の行軍の始まりである。
昼間は吹雪かないものの、雪に足を取られる事もあり、順調には進めない。
「ぶるぶる……町はまだかな?」
身を堅くしながらぼやくテイル。手がかじかみ、吐息で温めながら歩く。
雪国に初めて訪れるアンジェリカや、ドワーフ故に小柄なクールも、体力を消耗しつつあり顔色は少し白んでいた。
「そんな事で、氷の神殿へ行けるのかしら?町から神殿への距離は、船着場から町への距離への二倍もあるのよ」
「だ、大丈夫よ、たぶん……きゃっ!?」
呆れて言葉を掛けるマリアンヌ。
アンジェリカは疲れた身体も忘れて反論するが、踏み出した一歩を何かに取られて転んでしまう。
「大丈夫かい?アンさん」
スッ転んだアンジェリカに、テイルは慌てて手を差し出す。
アンジェリカは雪に強かに顔を打ち付け、痛みに呻きながらも差し出された手を取った。
「ちょ、ちょっと蹴躓いただけ。一体何に足を引っ掛けたのかしら」
立ち上がったアンジェリカは、蹴躓いた物の正体を暴こうと足元の雪を掘った。
それは、まるで何かの丸太のような物であった。
布と金属に包まれ、中身は弾力があるところと堅い所がある。
もう少し確かめてみようと少し力を入れたら、へこんで戻らなくなった。崩れた身からは何か赤い液体が流れ出る。
「……ひっ、こ、これは……?」
それは、人間の亡骸だった。生物としての色を失い、ともすれば樹木のように堅く硬直していた。
顔を見る勇気は無い。目を瞑り立ち上がり、二、三歩ほど後ずさる。
「どうした?……ああ、この国ではよくある事さ」
「酷い凍傷だな。魔物にやられた訳じゃないようだが」
アンジェリカの異変に気付いたブルームとクールが、亡骸を見つけて得心した。
「この人、死んでるの?まさか……」
クールが亡骸の調査を始める。若い男性と見られるそれは弓を持ち、矢筒を背負っている。
「狩りに出掛けた狩人かな。吹雪に道を誤り、迷った挙句に食料が尽きて倒れてそのまま……ってところか」
身体から熱を逃がさないように、力尽きた後も丸まっていたのだろう。死体は目を瞑り、口も堅く閉じていた。
「もうお分かりでしょう?私達の公務は、町の外で倒れた人々を埋葬し、その魂を慰める為の祈祷する事」
クールの調査が終わり離れると、マリアンヌは亡骸の傍に寄り跪く。
マリアンヌはアンジェリカに手招きし、アンジェリカが同じように跪くと、胸に手を当て祈るようなポーズを取った。
「恐れないで。貴方がいつも道具達にやってるようにすればいいだけですわ」
「う、うん」
マリアンヌに促されるまま、アンジェリカは亡骸に語り掛ける。
普段、道具達にやっているように。かつてアンデッドと化したデードスを救った時のように。
魂の在り処を探る。天に昇れず彷徨う魂を見つけ出す。
「名も知らぬ狩人さん。どうか私の言葉に耳を傾けて」
アンジェリカが言葉を掛けると、亡骸に隠れた魂はひょっこりと顔を出し姿を見せた。
「貴方の無念を、私に聞かせて。私が、貴方を天使様の所へ導いてあげるから」
努めて言い聞かせるように、安心させるように言葉を紡いでいく。
魂はアンジェリカの言葉を受け、声無き声を発し始める。
アンジェリカはその言葉を一字一句聞き逃さず、魂の話を聞いてやり、慰めた。
いつしか魂は言葉を発するのをやめ、満足するように天へと登っていき、消えていく。
寒さも忘れ、天を見上げる一行。空に遠く消えた魂を見届けていた。
「上出来ですわ」
アンジェリカに言葉を掛けるマリアンヌ。一瞬だけ顔を綻ばせたような気がしたが、すぐに顔を顰め背ける。
ふと見ると、男性の亡骸の表情は少しだけ和らいだように見える。
「アンジェリカさん、まるで本物のアンジェラ様みたいだったよ」
「ありがとう。……くしゅん」
上手くやれたとほっとするアンジェリカだが、気を抜いた途端にくしゃみをひとつ。
「おっと、身体を冷やしたんだ。早いところ町へ向かおう」
祈祷と埋葬を済ませ、一行は再び歩き出す。
半刻ほど歩いた頃、遠くに建物の影が見えてきた。
「見えてきましたわ。あれが氷雪の町フリージア」
「しばらくはあそこに滞在します。そこで、貴方達がどう振舞うか考える事ね」




