07-05 天使様の二人のともだち
大教会の午後。警備を終え交代した騎士達は、ゆったりとした昼休みを楽しむ。
身体を休める者。同期と会話を楽しむ者。昼食を取り、菓子を齧る者。
自然の中で羽を伸ばす者。恋人同士で噴水を眺める者。勉学に勤しむ者……。
彼らが思い思いの方法で昼休みを楽しんでいる中、アンジェリカは廊下を一人歩く。
商人から買い付けた取って置きの茶葉を持って、友人達の部屋へと向かっていた。
部屋の前に立つアンジェリカ。扉の向こうからは鼻腔をくすぐる甘い匂いが漂ってくる。
今日はどんな楽しい事があるのだろうか。わくわくしながら戸を叩いた。
「どうぞ」
落ち着きを払った女性の声が聞こえてくる。
左手で紅茶葉を握り、戸を開けると扉を開けると、二人の友人が彼女を出迎えた。
「こんにちは~。また、遊びに来ちゃった」
精一杯の笑顔を振りまいて、挨拶するアンジェリカ。
「いらっしゃいアンさん」
「こっちにおいで。今日はクッキーを焼いたんだ」
人間の神官の女性ブルームと、同じく人間の騎士の男性テイルが一つのテーブルを囲み談笑している。
真ん中に置かれたクッキーには手をつけた様子は無く、アンジェリカが来るだろうと踏んだ上で待っていてくれたのだ。
銀色の綺麗なストレートヘアの青年はテイル・ミース。二十歳の騎士。
まんまるな銀の瞳、細身で長身、そしてその身体に見合わない太く大きな左腕を持った若者だ。
少々軟派ではあるがあっけらかんとした性格と、他者と積極的に関わって行く行動力で年齢・性別をを問わず広い交友関係を結んでいる。
その為、情報収集に長けており流行のファッションや言葉、遊び、お菓子等に詳しい。
複数の恋人の存在も囁かれるが、残念ながらどうやら「そういう縁」は無いそうだ。
その理由は、やはり彼女の存在によるものが大きいだろう。
隣にいる金色の長い髪をシニョンキャップに纏めた女性はブルーム・マーダラ。十九歳の神官である。
テイルとは対照的に真面目・実直を絵に描いたようなタイプだ。
歳若い女性としては少々語調も固く、少々ツンとした青色の瞳と合わせて近寄り難い印象を持っているが
普段はとても穏やかで積極的に流行を追うような性格ではなく、旧き集合知からの独特のファッションを好む。
立ち振る舞いも凛としており、どちらかというと女性や年配からの人気を集めていた。
テイルとブルームは子供の頃に出会い、それから友好を築いているそうだ。
なんとなく一緒に行動し、なんとなく一緒に遊び、なんとなくこうして一緒に同じお菓子を食べている。
「テイルさん、新しく作った椅子の使い心地はどう?」
「いやあ、すごくいいよ。腕も置けるし、ゆったり座れるよ」
アンジェリカは時々、教会の壊れた備品などを修理していた。
足の折れた椅子やサイズの合わない机の新調、穂先が駄目になった箒など、そのまま廃棄してもいいような備品を選び、その人に合わせて作り直す。
テイルは左右の腕のサイズが違う為、人間用の椅子も巨人族用の椅子も都合が悪く難儀していたそうだ。
「ああ。貴方のお陰で随分と助かっている。道具の評判も上々だし、本当にありがたいよ」
「そう言って貰えたら嬉しいな」
ミツバが倒れ、マリアンヌともそりが合わず、外様も同然のこの環境の中で。
テイルとブルームという二人の友人が出来、二人や良くしてくれる人々に恩返しができる。
――その事実は、アンジェリカにとって確かな救いだった。
「もぐもぐ……おいしい!」
クッキーを頬張るアンジェリカ。一口齧る事に、甘さが口の中いっぱいに広がって行く。
テイルとブルームは、アンジェリカの世界中から幸せを貰ったかのような笑顔を見ながら優しく微笑む。
「あはは、それだけ美味しそうに食べてくれるなら作った方も冥利に尽きるよ」
「うんうん、ブルームは料理上手だよねえ。お嫁さんに欲しいくらいだ」
「ふふ、褒めても何も出ないよ。ほら、紅茶も飲んで」
「ごく、ごく、ごく……うん、美味しい」
ブルームはテイルのからかいに顔色一つ変えずにくすりと笑う。
アンジェリカはブルームに勧められ紅茶をすすっている。
テイルは二人の用意した紅茶と菓子に舌鼓を打ちながら、会話を楽しむ。
三人の楽しい午後のお茶会であった。
「アンさん、元気になったみたいで良かったね」
「うん。最初に会った時は病人みたいに顔色が悪かったから」
テイルとブルームはそう言って頷き合う。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
三人が始めて知り合った日。アンジェリカに最初に声を掛けたのは、テイルだった。
その日も、アンジェリカは中庭のベンチで誰に話しかける事もなくぼーっとしているだけだった。
「あの子、最近よく見るけど……ずっとあそこに座ってるだけだね」
「彼女は『天使の子供達』……。言うなれば、マリアンヌ様と同じさ」
「ふーん。でもその割には、普通の女の子にしか見えないじゃないか」
「ああ、話に聞いていたよりずっと。それに寂しそうにも見える」
大教会の昼休みは、中庭に騎士や神官が鎧や法衣を脱いで普通の若者のように振舞っている。
友人達と談笑したり、昼食を取ったり。
そんな中、目の前の赤い髪の天使だけは独りぼっちで。ただ、空を見上げている。
「だけど、笑えばきっと可愛いぜ。おおい、そこの君!」
「ちょっとテイル!ああ、もう……」
いたずらっぽく笑い、テイルが駆け出していくと、ブルームも遅れて追いかけて行った。
「やぁ、そこのお嬢さん。そんな暗い顔をしてどうしたんだい?」
「え?」
不意に声を掛けられ、アンジェリカが視線を下に下ろすと、見知らぬ男性が目の前に跪いている。
訝しがりながらその男性を見ていると、男性の右手からぽんと音を立てて薔薇の花が飛び出した。
「わわっ」
「僕は君の笑顔が見てみたいな。きっと太陽のように輝いているんだろうね」
男性は顔を上げてにっこりと微笑む。
アンジェリカはそっと花を受け取り、胸に抱く。ほんのりと甘い匂いがした。
「また、歯の浮くようなセリフを……すまない、アンジェリカ殿。この男が失礼な事を言った」
遅れてきた女性が、アンジェリカに頭を下げる。
「貴方たちは?」
「君に笑顔を取り戻す、白馬の王子様さ。それだけじゃ足りないかい?」
「やめないか。いや、貴方が暗い顔をしているのが気になってね」
女性に頭をはたかれ、男性が照れくさそうに頭を掻きながら立ち上がる。
それが、アンジェリカと、テイルと、ブルームの出会いだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ぷはっ、ご馳走様でした。ん?どうしたの?」
二人の視線に気付き、きょとんとするアンジェリカ。
「いいや、何でもないよ。また食べに来てくれると嬉しいな」
「うん。ありがとう、ブルームさん。それにテイルさんも」
ブルームの好意にアンジェリカの表情がぱっと明るくなる。それを見て、二人はまた微笑んだ。
アンジェリカはテイルとブルームが大好きだったし、テイルとブルームもアンジェリカが大好きだった。
翌朝、アンジェリカは法王レイアによって召集を掛けられる。彼女の隣には、マリアンヌの姿もある。
「ご足労ご苦労様です、アンジェリカ。それでは次の仕事ですが……」
「はっ、はい!」
アンジェリカは身を固くする。法王達への警戒を解く事は無かったが、
テイルとブルームのお陰で不安は大分和らぎ、冷静に不安と向き合う事が出来ていた。
「アンデッド……ですか?」
大教会の西にある洞窟。かつては盗賊達が住処にしていたが、魔物に襲撃されてゴーストとなってしまったのだという。
彼らは洞窟から出る事も無く、外に出て人を襲う事も無い。
騎士や神官が他の案件に出ずっぱりになっている以上、害無しと判断された彼らは対処は後回しにされていた。
「けれど最近活動が活発になり、対処せざるを得ない状況になったのですわ」
アンジェリカは目を瞑り考える。アンデッドの活発な活動は、風嵐の魔王サーニャに寄るものではないだろうか。
もしそうであるなら、山岳の国グランディア以来遭遇する事が無かったサーニャの足跡を追えるのではないか。
そう結論付けたアンジェリカは、顔を上げて決心する。
「分かりました。行きます!」
「よろしい。それでは数人ほど、護衛の騎士と神官をつけましょう。それでは希望者を募って……」
アンジェリカの言葉を聞き、法王は満足そうに頷いた。
彼女に随伴する騎士達を探すべく、マリアンヌに声を掛けようとするがそれを遮る者が現れる。
「法皇様。僕達が行きますよ」「アンジェリカ様は、私達でお守りします」
「テイルさん!ブルームさんも!嬉しいなあ」
「……どうやら彼女は、人の輪の中にあって力を発揮するタイプのようですね」
アンジェリカは二人の手を握って心から喜ぶ。
法王は彼女達のやり取りを見て安堵の笑みを浮かべていた。
「依存しているだけですわ、お母様。私なら誰にも頼らず戦えます」
マリアンヌは三人から目を逸らし、悪態を吐く。
法王はそんな娘に少しだけ、ほんの少しだけ悲しそうな表情を浮かべて。
「マリアンヌ……。そうね、貴方もお目付け役として同行しなさい」
「仰せの通りに」
マリアンヌに、出陣を命じた。
「ウウ……アアアァ……ッ!!」
「死霊退散!!」
ブルームの放った聖なる光が洞窟内部に瞬く。光を受けたテイルの剣が、ゴーストを切り裂いていく。
洞窟の内部は、ゴーストの群れで溢れていた。
「今よ、テイルさん!道を切り開いて!!」
「任せて!てぇい!!」
アンジェリカの号令と同時に、テイルの剣とオルトロスの炎が同時にゴーストに着弾。撃破する。
「ギャアアアアアッ!!!」
断末魔の悲鳴を上げてゴーストが消えて行き、周囲に敵の反応が無い事を確認すると一行はほっと息をつき、近くの椅子に腰掛けた。
洞窟内はかつて盗賊達が使っていた家具らしき物が散乱している。
そこには確かに生活の跡が残っており、それを破壊し尽くした魔物という存在に恐ろしさを感じていた。
「はぁーっ……次から次へとキリが無いね」
「お疲れ様、テイルさん」
「いやぁ、アンさんの笑顔で元気いっぱいになったよ」
椅子にしな垂れかかりぼやくテイルに、アンジェリカは薬売りのケイから買った薬箱を持って応対する。
テイルの表情はぱっと明るくなり、肩を回して無事をアピールする。
「現金な男だな」
ブルームもそれに釣られて苦笑する。
洞窟内は静かであったが、アンジェリカ達がいるその場だけは賑やかであった。
「ご苦労様。人の使い方だけは上手くなってきたのね。魔王に対抗するには、貴方自身に強くなってもらわないと困るのだけれど……お分かりかしら?」
マリアンヌは見ていられないとばかりに、アンジェリカに苦言を呈する。
風嵐の魔王サーニャと対等に戦えるのは『天使の子供達』だけであるとマリアンヌは主張する。
「人間の力などアテにならない。人間の指揮は人間に任せればいい。貴方は天使の役目を果たしなさい」
「あ、あはは……うん」
「相変わらず、マリアンヌ様はアンジェリカさんにだけは厳しいね」
そう言ってブルームは肩を竦める。
テイルに至っては表情をむっとさせマリアンヌを睨んでいる。
だが、アンジェリカはそれ以上にマリアンヌの別の言葉が気になっていた。
『人間の力などアテにならない。人間の指揮は人間に任せればいい』
マリアンヌの口ぶりは、まるで自身が人間とは別の生き物であると言いたげな内容であった。
他の人間とは違った耳。他の人間には聞こえない声。他の人間には存在しない背中の翼。
それらは全て、アンジェリカが持ち合わせている物でもある。
天使が人間でないとすれば、自分も……そんな思考が彼女の脳裏に過ぎった。
「ところで、聞いた?最近騎士や神官が行方不明になってるって」
「え?何それ。聞いたことないわ」
テイルの唐突な話題転換に、アンジェリカの思考は遮られた。
不幸な事故で殉職した騎士達の死体が、埋葬をする前に消えてしまうのだそうだ。
「ああ、よくあるつまらない噂だよ。盗まれた死体がアンデッドに作りかえられてしまうって話でしょう?」
「そうそう。なんだ、知ってるんじゃん。ブルーム?」
「貴方のゴシップ好き程ではないけどね、テイル」
白い歯を見せ、テイルはにししと笑う。
ブルームはそんなテイルに呆れ、ため息を吐いた。
本当ならば恐ろしい事態だ。この地で死んだ者は、まず大教会に運ばれる。
そして呪術医イオンにより祈祷が行われ、次に法王レイアの送魂会が行われた後に大教会の墓地に埋葬される。
その過程の間に遺体が消えているとすれば、遺体を盗んでいるのは大教会の者である可能性が高いのだ。
「つまらない話ね。それよりも今はアンデッドを討伐する事に専念なさい」
「はぁい」
マリアンヌはこの話を強制的に終わらせた。
彼女自身も、こういった噂が立つ事に懸念を覚えていた。
――それは、大教会に裏切り者が居る事を示唆していることに他ならなかった。
アンデッドの討伐は恙無く終わり、帰宅後すぐにミツバの元へ向かうアンジェリカ。
「ふぅ、ただいまミツバ。今日もお仕事頑張ったよ」
ミツバは何も言わない。目を閉じ、アンジェリカに労いの言葉を掛ける事もなく眠り続けている。
「ミツバが起きなくなって結構経ったけど。私、寂しくなんてないわ」
「お友達はできたし、気に掛けてくれる人もいてくれるから。だけど……」
大教会の人々は、アンジェリカに対して本当に優しく親切だった。
アンジェリカが一人で居れば誰かしらが声を掛けてくれたし、こちらから声を掛ければ快く迎え入れてくれる。
アンジェリカが頼めば、神官の誰かやブルームなどが赤色に染め直してくれるだろう。だが。
「やっぱり、ミツバとお話したい。ミツバに、この髪を赤い色に染めて貰いたい」
「だって、だって貴方は……」
ミツバの頬に手を掛け、すがるように撫で付ける。
少しだけ彼女の表情が和らいだ気がして、アンジェリカの心を慰めた。
「おや、アンジェリカ殿。今日もミツバ殿に会いに来たのですな」
「こんにちは、イオンお婆様。……今日も、ミツバは起きないのね」
そこへ、診察を終えた呪術医イオンが現れる。ぺこりと頭を下げるアンジェリカ。
その日もいつものように、今日起こった事や友人とのやりとり、仕事についての愚痴等を語り合う。
アンジェリカが何かを言う度にイオンは優しく頷き、続きを聞きたいと促していった。
それは傍から見れば、孫と祖母の楽しい会話にも見えているのかもしれない。
ふと、イオンはミツバを見やる。静かに寝息を立てる幼い少女の顔を見ながら、イオンはぽつりと言葉を漏らした。
「……ミツバ殿を起こす方法があると知ったら。貴方はそれを実行しますかな?」
イオンの思わぬ言葉にはっとなり、顔を上げるアンジェリカ。
目を丸くして驚くアンジェリカとは対照的に、イオンは頷き目を細めている。
「それがどんな方法であれ、天に逆らう事になったとして。貴方にそれをする覚悟はおありですかな?」
「それって、どういう……」
「大地槍。かつて救世の天使が使ったとされる伝説の宝具にてございます」
それは、創世の時代から存在する宝具。天地開闢、生命の誕生、人類の発展に関わる神秘なる力。
魔王との戦いに於いても活躍し、救世の天使アンジェラの分身とも言える存在であった。
「それがあれば、ミツバは……助かるの?」
すがるような瞳で、イオンを見上げるアンジェリカ。
「私からは何とも申す事は出来ませぬな……くくっ」
そんな彼女を見下ろす呪術医イオンの瞳は、怪しく光っていた。




