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道具使いアンジェリカ  作者: ろん
七章【小さな天使と大教会】
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07-03 天使の仕事

 


 アンジェラ教会の総勢十五名の騎士と神官の一団は、『天使の子供達(エンジェルチルドレン)』であるマリアンヌに引率され、大教会から東に伸びる街道を進む。

 表面的な目的は、街道に蔓延る魔物の討滅……しかしその実態は、アンジェリカの実力を見定めたいというマリアンヌの希望による物だった。


 木組みの愛馬ヒッポカムポスに荷物を乗せ、行軍するアンジェリカ。

 昨日の夢を思い出しているのか、その表情は暗い。

「どうした?アンジェリカ。顔色が悪いようだが」

 先輩冒険者であり、今はマリアンヌの護衛戦士を担っているドワーフの斥候クールが、アンジェリカの顔色に気付き声を掛けてくる。

 冒険者として長く活躍してきただけあり、他者の機敏によく気が付くのだろう。

「ううん、大丈夫。ちょっと寝不足なだけよ」

 そんなクールに、アンジェリカはなんでもないとばかりに首を振り答える。

 心配を掛けまいと、強引に笑顔を作りながら。

「調子が悪いのなら、教会に帰って休んで居ても構いませんことよ。尤も、ただの穀潰しを置いておくほど教会は優しくはありませんけどもね」

 ふん、と鼻を鳴らすマリアンヌ。

 数日経った今でも良好な関係を築けていない事実を前に、アンジェリカは弱弱しく笑顔を作るばかりだ。

 言い返せない程に、彼女の精神は参っていた。


「天使マリアンヌ殿。前方より魔物の群れを発見致しました」

 先行していた騎士が戻ってくる。息も切らさず、冷静だ。

 マリアンヌは彼の言葉に頷き命令を下す。

「ご苦労様。総員、配備につきなさい」

「はっ!」

 マリアンヌの指示の元に騎士と神官が陣形を組む。

 敵の数は軟体のスライム種が五体、蜂型のバグ種が八体、剣を持った蜥蜴のリザードマン種が四体、バード種が三体の計二十体。

 数の差はあれど、大教会お抱えの騎士達ならば問題無く撃退出来る程度の数だ。

「アンジェリカ、仕事よ。精々足を引っ張らないように」

 その上で、マリアンヌはアンジェリカを指名した。

 騎士達も彼女の意図を察しているのか、攻勢に出る気配は無かった。

 アンジェリカを見据えるマリアンヌの目は鋭い。如何なる戦い振りも見逃さないとする目つき。

 自身に視線が注がれる事など、何度もあった。視線に慣れているつもりだった。だが。

 好奇の目、期待の目、そして怪訝な目。それは記憶の中に残るいずれとも違う異質な物であった。

 ピリピリと張り積める空気。高まる緊張感と不安感。心臓が早鐘を打ち、血流が脳に集まり眩暈すら覚える。


「少しは落ち着け、アンジェリカよ。いつも通りやればいいだけだ」

 見かねたクールが声を掛ける。彼の言葉にはっとなり、意識をこちらに引き戻すアンジェリカ。

 いつの間にか彼女の周りに道具達が寄り添っていた。不安げに見上げるぬいぐるみの一体を持ち上げ、ぎゅっと抱きしめる。

 その様子を見て冷静さを取り戻したと判断したクールは、ふっと息を吐き前方へと指を差す。

 見ると魔物達はすぐそこにまで迫っていた。騎士達が牽制をしている為か、すぐに襲い掛かる様子は無い。

「奴らは近隣の村を襲い、家畜や作物を食い荒らしているらしい。容赦は要らんぞ」

「……うんっ!!」

 覚悟を固める。

 魔物を倒す事が人々を守る事に繋がり、それは結果的にミツバを守る事にも繋がるのだ。

「行くわよ、みんなっ!!」

 不安を過去に置き去りにして、アンジェリカは手を前に突き出し、声を上げた。



 焦れたリザードマンの一体が剣を構えて駆け出す。

 すかさず懐からを拳大の玉を取り出し、投げつけるアンジェリカ。

「まずは……煙幕!行って、風猫のミケランジェロ!!」

 弾けた玉を黒い煙を勢いよく噴出させ、彼我の視界を遮った。

 飛び出した三毛猫のぬいぐるみは混乱する魔物の剣を素早く爪で弾き飛ばし、返す刀で尻尾を強かに敵の首へと打ちつける。

 ミケランジェロは続けざまに二体、三体と打ち倒していく。

 視界が遮られ仲間が上げる断末魔の声だけを聞かされ、リザードマンは錯乱したまま剣を振り回すが身体の小さなミケランジェロには当たらない。

 そこに数体のスライム種が割って入る。スライムは自身の身体を飛び散らせ、ミケランジェロの身体にくっつき動きを鈍らせる。

「オルトロス、挟撃して火炎放射!」

 暗闇に紛れ、双頭の獣のぬいぐるみオルトロスが炎を吹きつけ、スライムの群れを焼く。スライムはゼリー状の身体をくねらせながら苦しみ、炭となった。

 鋭い鉤爪を以って急降下を試みるバード種――草原の狩人グラスイーグル二体。その凶刃はアンジェリカの喉元を正確に狙っている。

 破裂音と同時に鉤爪が何かに弾かれた。必殺の武器を打ち抜かれたイーグル達はぐらりと態勢を崩す。

 次の瞬間、魔物達の身体が蜂の巣にされ、血を噴出しながら落ちていく。銃兵隊が一斉に銃撃を放ったのだ。

「グッジョブよ、銃兵隊達!……メリーさん、トドメッ!!」

 電気羊のメリーさんの身体が発光する。光は雷となり、バチバチと火花を上げて電気のフィールドを作っていく。

 突如、視界が真っ白に染まった。四方八方から襲い来る毒蜂アサシンバグを、稲光が無差別に焼き焦がす。巨大蜂は次々と力無く墜落していった。


 ゆっくりと視界が戻っていく。真っ白に彩度を失った自然に色が戻っていく。

 眩さに目を擦り、騎士と神官がようやく目が慣れてきた頃。

 視界から魔物の姿が完全に消滅していた事に気付き、彼らの間から感嘆の声が漏れた。



「ふぅん、無能ではないみたいですわね」

「あの頃と比べて大きく練度が上がっているようだな。アンジェリカ」

「……ふぅっ」

 ほっと一息を吐くアンジェリカ。

 クールとマリアンヌに腕前を褒められ、久しぶりに心から顔を綻ばせる。

「ありがとう、クールさん。……マリアンヌちゃんも」

「取ってつけたようなお礼など要りませんわ」

 マリアンヌはぷいとそっぽを向く。そんなマリアンヌの元へ一人の騎士が現れる。

「第二陣、来ます!」

 この群れで終わりではないと伝えられ、再び戦いの準備を始める彼女をクールが制止した。

 見ると、マリアンヌがフェンリルを伴って一歩前に歩き出していた。


「私も出ましょう……口だけの女と思われては敵いませんから。行きますわよ、フェンリル」

 マリアンヌが手に皮製のグローブを取り付ける。フェンリルは一つ嘶き、全身の氷のように白い毛が逆立っていく。

「お前達、早々に退避しろ!巻き込まれるぞ!!」

「はっ!!」

 クールの掛け声で騎士と神官が波を引くように退避していく。

 アンジェリカのあれだけの攻撃を前に微動だにしなかった騎士達が、である。

 訝しがるアンジェリカの視界の遠くに魔物の一団が現れた。彼女が相手にした物より数もずっと多い。

 マリアンヌは遠くに見える魔物達に焦りの顔一つも見せず、淡々と。冷徹に呟いた。

「フェンリル……好きにおやりなさい」

 フェンリルが大きく息を吸い、吐き出すとその口から凄まじい冷気が噴出す。

 吹き荒ぶ冷気は地面を、周囲の木々を、そして眼前に迫る魔物達を凍りつかせる。

 晴れ渡っていた空はいつしか暗雲が覆い、アンジェリカは冷える身体に身を震わせた。

「氷狼フェンリルの銀世界。とくとご堪能あそばせ」

 フェンリルから放たれる冷気が一際強くなる。

 アンジェリカはヒッポカムポスに身を寄せ、飛ばされないように身体を掴む。

 クールや他の騎士、神官達も武器を地面に突き立て耐えている。

 そんな中、マリアンヌだけはすました顔でフェンリルの攻撃を満足そうに眺めていた。

 吹き荒れた吹雪はいつしか止んでいく。

 全ての音が止み、アンジェリカが目を開くとそこには一面の銀世界が広がっていた。

 地面も、周囲の木々も、そして眼前に迫る魔物達も、全て美しい氷像となっていた。

 暗雲が去り、一面が太陽の下に晒される。日の光を浴びた銀色の箱庭はキラキラと輝き、その場に居た者達の心を魅了する。


「おお……お見事です、マリアンヌ殿!」

「あれだけ居た魔物が、あっという間に氷像となった!」

 騎士達が口々にマリアンヌを褒め称える。

 キラキラと輝きを放つ氷像達が太陽の光で溶かされて消えていく。

 魔物達が朽ち果てていく様を見ながら、マリアンヌは初めてアンジェリカの前で微笑を見せた。

「残党が何体か逃げていきましたわ。追討してくださいませ」

「ははっ!!」

 取り逃がした魔物を追い、騎士達が駆けて行く。

 それを見送ってマリアンヌはアンジェリカとクールに向き直った。


「マリアンヌちゃん、大丈夫?あの攻撃、凄かったわ。フェンリルもお疲れ様。とってもカッコよかったよ……きゃっ」

 アンジェリカもまた、騎士達と同じようにマリアンヌに寄っていく。

 そして自分の道具にするようにフェンリルに触れようとした時、かの狼のぬいぐるみはアンジェリカに鋭い牙を向けた。

 敵意をむき出しにして威嚇をするフェンリル。

 マリアンヌはそれを見届けると二者を引き剥がした。

「馴れ馴れしくしないでくださる?フェンリルも怒っていますわ」

 自身の道具を宥めながら、マリアンヌはアンジェリカをじろり、と睨む。

「貴方が弱い訳ではないのはよく分かりました。でも、私と貴方は決して対等ではありませんの」

「……っ」

 怯むアンジェリカをよそに、マリアンヌは敵意を隠さず、言葉を続ける。

「ゆめゆめ勘違いなさらないように。よろしいですわね?」

 がっくりとうな垂れるアンジェリカ。

「あまり気にするな。どうやらあのお嬢さんはそういう性分らしい」

「……うん」

 クールのフォローを聞きながら、去って行く幼子の背中を見送っていた。




「以上が、今回の作戦の経過報告となりますわ、法王様」

 戦いを終えて一行は凱旋。騎士団は一旦解散し、引率役のマリアンヌと補佐のアンジェリカだけが法王へ報告しに行く。

 先ほどまでとは打って変わって、満足げに胸を張りながら報告するマリアンヌ。

 法王レイアは娘に対し優しげに微笑みながら頷いていた。

「ご苦労様です、マリアンヌ。それにアンジェリカも」

「あ、ありがとうございます。あの、それで……」

「残りの細々とした出来事は、マリアンヌに報告して貰います。貴方はもう戻ってもよろしいわ」

「はっ……はいっ!」

 深々と礼をし、いそいそと部屋を出て行くアンジェリカ。残された二人は少し表情を硬くし、向き合った。


「それで、貴方から見て彼女は……道具使いアンジェリカは、如何ほどの物だったかしら?」

「実力面では問題ありません。数々の報告にあった通りの能力者ですわ」

 法王の言葉に淡々と答えるマリアンヌ。……が、しばし目を伏せ逡巡し。意を決したように顔を上げる。

「けれど精神面は……凡そ、魔物や魔王と戦い続けられるような器の持ち主では無いと思います」

「畏れながら申し上げますわ。アンジェリカお姉さまは、天使足る人物ではありません!」


「私が……『天使の子供達』は私一人だけで十分ですわ、お母さま」

 心の弱い人間を前線には出せない。魔王と戦う天使は自分だけで十分だと。語気を強くして訴えかける。しかし。

「……法王の決定が覆る事はありません、マリアンヌ」

「っ……!!」

 しかし法王は、そんな彼女の言葉を冷たく否定した。

 娘の訴えは、母に届く事は無かった。




「し、失礼しまーす……」

 暇を言い渡され、アンジェリカは一人ミツバの病室へと訪れる。

 ミツバは、相変わらず目を覚まさない。静かに寝息を立て、時折苦しそうに呻くばかりだ。

 そこへ午後の診察を終えた呪術医イオンが戸を引いて現れる。

「おお、天使殿……ミツバ殿の様子を見にいらっしゃったのですかな?」

「は、はい。イオンお婆様、ミツバの容態はどうですか?」

「相変わらずですじゃ。ワシも力を尽くしてはおるのですじゃが……」

「そっか……」

 イオンは深々と頭を下げる。

 医者として患者を助けられないという事実はあり得る事とはいえ、どうしても心苦しいのだろう。


 その後も、アンジェリカとイオンは取り留めの無い話を続けた。

 異界には多くの人々や、彼らの信仰する神が居るという事。呪術医は異界の神に祈り力を得る医師である事。

 アンジェリカとミツバの出会い。幼い頃のミツバの事。イオンにも孫が居るという事。その孫は既に居ないという事。

 イオンとの会話は、久しぶりにアンジェリカに安らぎを与えていた。




「……天使殿。少し、よろしいですかな?お耳に入れて貰いたい事がございまする」

「どうしたの?イオンお婆様」

 和気藹々と談笑していた二人。ふとイオンは表情を固くし真剣な顔つきに変わる。

 アンジェリカも釣られて静かに、声を潜めたる。

「これは……機密事項ですじゃ。他の誰にも、言ってはならぬ事ですぞ」

「う、うん。私が聞いてもいいの?」

 大教会の機密事項。本来ならアンジェリカが聞いてはいけないはずの内容。

 悪い事をしているようで後ろめたかったが、イオンの真剣な眼差しに逆らう事が出来ない。

「これは貴方だからこそ聞かねばならぬ事。……ミツバ殿は、天使の力の反動によって苦しめられておるのです」

「えっ!?」


 思わぬ事実に素っ頓狂な声を上げるアンジェリカ。

「大声を出してはなりませぬ!……最近、判明した事です」

 イオンに諌められ、慌てて口を押さえながら辺りを見渡す。そっと病室の扉を開けてみるが、周囲には誰もいないようだった。

 信じられないと言った顔をするアンジェリカにイオンはミツバの身体を横に向け、背中を見せる。

「て、天使の翼……!!」

 ミツバの背中には見間違えようも無い。アンジェリカが背中に持つ物と同じ、小さな白い翼が。

『天使の子供達』の持つ天使の翼がミツバの呼吸と共に静かに上下していた。


「その通り。これは貴方様もよくご存知の、天使の翼でございますじゃ」

 イオンはミツバを再び寝かせてやる。一瞬だけ苦しそうな顔をするミツバ。

 アンジェリカはミツバの持つ力に心当たりがあった。それは彼女の持つ三体のぬいぐるみだ。

 彼女の作った銃兵隊やヒッポカムポスは、道具達の心を読み取った上で魔法で動けるようにしているだけだ。

 その為、関節を作ったり筋肉となるゴムを取り付けねば自身の意思で動く事は出来ないのだ。


 しかしミツバのそれは根本から違った。ミツバのぬいぐるみには関節も筋肉も骨組みも必要無い。

 ミツバがぬいぐるみを作ってやるだけで、彼らは自身の意志を持ち自由に活動する事ができる。

 幼い頃のアンジェリカはそれを素晴らしい物だと思っていたし、村の大人達も同じだった。

 そんなミツバが、一時期ぬいぐるみを一切作らなかった事がある。ちょうど彼女の両親が亡くなった頃だ。

 彼女が十歳の誕生日だったその日を境に、アンジェリカがいくら頼んでも彼女はぬいぐるみを作らなくなったのだ。


 そして、アンジェリカが旅に出たその日から。ミツバは三体だけぬいぐるみを作った。

 炎を操る双頭の獣オルトロス。雷を発生させる電気羊のメリーさん。風のように素早い三毛猫のミケランジェロ。

 そして彼女は三体目のぬいぐるみを手渡したその日から、アンジェリカの目の前から姿を消した。

 アンジェリカの中で全ての点が一本で繋がる。ミツバのぬいぐるみは、天使の力による物だったのだ。

 その力によってミツバは病に倒れ、今もなお苦しんでいるのだ。


「しかし法王殿はこれを秘匿致しました。どうしてか、お判りかな?」

「そんなの、わからないわ」

 アンジェリカは目を伏せ首を振った。そんなアンジェリカの様子を見て、イオンは口元を歪める。

 うな垂れるアンジェリカの顎を撫で、続いて言葉を紡いだ。

「それは、ご息女であるマリアンヌ殿以外に天使を必要としておらぬからです」

「えっ?」

「天使となったアンジェリカ殿とミツバ殿を一箇所に集めて……始末をする為」


 始末する。始末。即ち、殺害。大教会は、法王レイアはアンジェリカとミツバを殺そうとしているのだろうか。

 口にするのも恐ろしいその言葉がアンジェリカの中で反芻される。

 頭の中がぐるぐるとかき回されたような感覚に襲われ、思考力が段々と低下していく。

「なっ、そ、そんなの信じられない……!!」

 アンジェリカは必死になってそれを否定した。

 そんな恐ろしい悪意を向けられている事など信じたくはなかった。

 だが、マリアンヌの普段の態度を思い返せば『もしかしたら』が僅かながら過ぎってしまう。


 ともすれば泣き出してしまいそうなアンジェリカに、イオンは優しげな笑顔を浮かべる。

「もちろん、これは状況証拠に過ぎませぬ。だが、近々法王殿はマリアンヌ殿と共に世界を回るそうですぞ」

「マリアンヌ殿を本物の天使として擁立する為に、のう……」

「ワシの言う事をそのまま信じろとは言いませぬ。しかし頭の片隅には置いておいてくださいませ」



「アンジェリカ殿。呪術医イオンはそなたの味方ですぞ。ふぇ、ふぇ、ふぇ……」

 肩を落とすアンジェリカの肩にぽんと手を置き、呪術医イオンが去って行く。

 静まり返った病室には、今は寝息を立てているミツバと両目から大粒の雫を零すアンジェリカだけが残されていた。




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