07-02 幼き天使マリアンヌ
マリアンヌに連れられ、アンジェリカは教会に一時の宿を提供される。
教会という組織自体も風嵐の魔王サーニャと対立しており、ミツバの事もあって教会の庇護を受けるのが最善という結論に至った。
法王の間を出て階段を降りずに廊下を渡り、マリアンヌが教会の神官に挨拶等を掛けるのを横目に見ながらとある一室へと辿り着く。
「ここが貴方の自室ですわ。あのミツバとやらの容態が回復するまで居てもいいとのお達しよ」
「その代わり!しばらくは貴方も天使として働く事になりますわ。よろしいですわね?」
一応とばかりに念を押すマリアンヌにアンジェリカは頷く。
アンジェラ教の総本山の中で働く事は、アンジェリカにとっても吝かではない。
「ええ、ありがとう。何から何までごめんね」
愛想よく笑顔を返すアンジェリカだが、マリアンヌは興味もなさそうにそっぽを向きため息を一つ。
「勝手に迷って立ち入り禁止区域に入られても困りますから。四階以上と、地下室は入らないで下さいまし」
「うん、一つ、質問いいかな?」
「答えられる範囲ならいいですけど……」
「天使って事は、貴方も道具を使えるのよね?お互いの道具を見せっこしましょうよ」
マリアンヌは露骨に苦い顔をする。
自分よりずっと幼い少女の態度に、さすがのアンジェリカも笑顔も引きつらせてしまう。
何か気に障ったのだろうか?二人の間に気まずい空気が流れる。
「……よろしいでしょう。来なさい、フェンリル」
「わっ」
マリアンヌの掛け声と同時に、開け放たれた窓から銀色の狼が現れた。
ツンとした鋭さを持つ、氷のような毛並みのぬいぐるみ。
その表情は凛として気高く、行儀良くマリアンヌの傍に寄り添う姿は育ちの良さを思わせる。
「か、カッコいい……次は私の道具達も見て。オルトロス!」
アンジェリカはその姿に深い感銘を受け、競うように双頭の獣オルトロスを呼び寄すと、
オルトロスは肩掛けのバッグからひょっこりと顔を出し飛び出した。
『何か用事?呼んだ?』とでも言いたげに主人を見上げる二つの頭はとても愛らしい。
「可愛いでしょう?こう見えてとても強くて頼りになるの」
「ふ、二つの頭……なんだか不気味ですわね」
アンジェリカはそんなオルトロスを抱き寄せ頬ずりするが、
マリアンヌはその光景にあきれ果て、眉間に皺を寄せて渋い顔をする。
「どっちの頭も個性豊かよ?」
「どうでもいいです!!」
ぺろぺろと主人の頬を舐める方の頭を撫でながら首を傾げるアンジェリカに対し、マリアンヌの反論が教会内にこだました。
「こっちはのんびり屋の電気羊のメリーさん。このつっけんどんな三毛猫は風よりも速いミケランジェロよ」
「ふーん……あんまり強そうじゃありませんわね」
落ち着きを取り戻したマリアンヌは、次々とアンジェリカの道具を評する。
が、どれもあまり評価は高くないようであった。
「マリアンヌちゃんは他の道具は居ないの?フェンリルだけ?」
「もちろん居ますわ。……だけど、この子以外は皆凶暴な子ばかりですので」
にやり、と笑うマリアンヌ。
「お気をつけなさいまし。私の命令一つで、この子は貴方の道具など一呑みにしてしまいますから」
「むぐぐ……」
幼き主人に呼応するように、フェンリルも誇らしげに胸を張る。
アンジェリカは悔しげに呻くが、確かにその実力は本物のようでアンジェリカの道具達はフェンリルを見ながら身を固くしていた。
その後、しばしの自由時間を与えられマリアンヌと別れたアンジェリカは、大教会の中を一人歩く。
目的はスフィアやホック、ラブ船長の合流。二階の来賓室へは案内版があるので迷う事はなかったが、どこもかしこも似たような区画ばかりで戸惑っていた。
何度か、教会の神官や騎士とすれ違う事があった。
彼らは足音を立てる事も無く、すれ違うアンジェリカを一瞥する事も無く、忙しそうに歩く。
先の西風の街ホープでの件から彼らも幻影なのでは?という思考が過ぎったが、こちらから挨拶をすれば返してくれるし、彼女がアンジェリカである事に気付くと喜んで握手を求めてきた。
また、道を尋ねれば快く道順を教えてくれる。やや無機質な印象だが、彼らは間違いなく優しい人々であった。
同じような廊下が延々と続いているように見えるのは、真っ白で代わり映えのしない通路だからだろうか。
「アンジェリカじゃないか。どうした?」
不安を覚えるアンジェリカに前方から声を掛ける者が居た。
先ほど出会ったドワーフの冒険者、クールだ。
「あっ、クールさん。ホックさんにはもう会った?」
「ああ、相変わらず元気そうで何よりだ。……嫁を取っていたのは、さすがに驚いたが」
「エリーさん、とっても綺麗だったわ」
「シスターは俺達ドワーフのアイドルだったからな。奴のアピールがよっぽど効いたんだろうが、悔しいな」
くくっ、とクールは笑う。こうは言っているが後輩の幸せを祝福しているのだろう。
クールと別れ、ようやく来賓室へと訪れたアンジェリカ。
ノブに手を掛け、扉を開け放つとソファに座り退屈そうにしていたスフィアと目が合った。
「あ、やっと戻ってきた」
ソファに座ったまま、スフィアは手を頭の後ろに組み、うーんと唸りながら背筋を伸ばす。
白で統一された部屋の中は、信徒の為に用意された聖書と白い世界に浮いた緑色の観葉植物がある程度で、彼女の退屈を紛らわせる物は無かった。
部屋の中を見渡してもホックの姿は無い。
「……あれ、ホックさんは?」
「ちょっと外の空気を吸ってくるってテラスに。あれから私達も法王様に呼ばれてさ」
アンジェリカの問い掛けに、スフィアは外を指差す。
別の話を切り出され、アンジェリカもスフィアの言葉に耳を傾けた。
「アンちゃんを護衛する戦士として、ここに残って欲しいんだって。いいお給料も出るし」
「なんだ、いい話じゃない」
アンジェリカは両手をポンと合わせて喜んだ。
知らない人ばかりのこの地で一人取り残されるアンジェリカにとって、頼れる仲間がここに残ってくれるのはとても有難い。
しかしスフィアの顔は渋い。その意味を問い掛けようとした時、テラスよりホックが戻ってきた。
「アン、戻ったか」
「ホックさん、ホックさんもしばらくここに滞在しようよ。私だけじゃ寂しいんだぁ」
「……さて、どうだろうな。確かにここで暮らせば金にはなるんだろうが」
声を弾ませるアンジェリカだが、心なしかホックの声は暗い。腕を組み沈黙を守っている。
「うん、ここは……ちょっと、静か過ぎるね」
彼の態度に訝しがるアンジェリカだが、スフィアもホックに同調していた。
「なら、今すぐここから立ち去ってくれませんこと?」
「ま、マリアンヌちゃん?」
「ああ?なんだてめぇ」
三人の会話を外から聞いていたのか、マリアンヌが間に割って入る。
ホックは自身の三分の一の丈も無い小さな闖入者にも変わらず威圧するが、マリアンヌはそんな大男にも態度を崩さず、じろりと睨み付けた。
「ここは、貴方達のような所が暮らしていい場所ではありませんの。お分かり?」
「マリアンヌちゃん、そんな言い方は酷いわ」
マリアンヌの言葉を制するアンジェリカ。
「いや、そちらのお嬢さんの言う通りだ。私達は一旦帰らせて貰うよ……久しぶりに、兄上とタイガさんの顔が見たくなったんだ」
しかしこのやり取りを一歩離れていた所から見ていたスフィアは構わないといった様子だ。
むしろホックの態度を諌めるように、肘でわき腹をつんとつついている。
ホックは妹と大して歳の変わらない少女に凄んだ事を、バツが悪そうに頭の後ろを掻く。
「そうだな、俺様も十分稼いだし。嫁さんとの新婚生活に戻らせて貰うぜえ」
「す、スフィアさん、ホックさん……」
また、離れ離れになる。そう予感したアンジェリカは、二人に縋る。
ホックには愛すべき妻が居た。スフィアには守るべき民が居た。
そんな二人を引きとめる事は、わがままであると彼女自身も理解していた。
「そんな顔をするなよ。……今度は、すぐに戻るから」
「どうしてもしんどいなら呼べ。エリーさんとヤマメの次くらいには気にかけてやるからよ」
だが、そんなアンジェリカに二人は優しく声を掛けた。
最初に家族が倒れ、親しい者が次々と離れていく中、アンジェリカ自身も新しい環境に放り込まれる。
大の大人でも参ってしまいそうな環境だ。
アンジェリカが憔悴しているのは二人の目にも見て取れるらしく、彼女を慰めるように諭す。
「……うん」
再会を約束する三人。アンジェリカは力無く頷いた。
「マリアンヌさん、だっけ?この教会では多くの孤児を引き取ってるって聞いたけど」
すれ違い様に、スフィアはポツリと告げる。マリアンヌの眉がぴくりと動く。
「グランディア国はゴタゴタしてるけど、落ち着いたら必ず何らかの援助をすると約束するよ」
「小国の支援など必要ありませんわ。……ですが、一応法王様には伝えておきましょう」
スフィアの提案にマリアンヌは不口元をへの字に結んでいた。
会話をする際も顔を背け、目を合わせない二人。
スフィアの考えも、マリアンヌの思惑も、アンジェリカはその表情から読み取る事は出来なかった。
去って行く二人を冷たい瞳で見送るマリアンヌは、アンジェリカへと向き直り、淡々と告げた。
「アンジェリカ。貴方に天使としての初めての仕事よ」
「内容は魔物の討伐。出発は明朝。よろしいですわね?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日、アンジェリカは夢を見た。世界の片隅にある、深い森の奥。
毛むくじゃらの犬のような姿の妖精コボルドの住む村で幼い頃のアンジェリカは暮らしていた。
『こりゃあ!この悪ガキども!ワシの畑をめちゃくちゃにしおって!』
『うわわっ、ごめんなさぁい!』
コボルドの長老の怒号が飛ぶ。幼い頃のアンジェリカと、彼女と同じくらいの子供のコボルドと、
それより少し小さい子供のコボルドが悲鳴を上げながら畑の土手を走っていた。
『まーたジジイに怒られちまったぜ。ちょっと畑の野菜を拝借しただけなのにさ』
兄コボルドが村の片隅の木陰でどっしりと座り込む。三人の手には丸々として赤いトマトが三つずつ。
アンジェリカはくすくすと笑いながら、戦利品を頬ずりしていた。
『そうよね、こんなに甘そうなトマトが食べて食べてって言ってるのが悪いんだわ。もぐもぐ』
そう言いながら、トマトを一口。甘さとすっぱさが口の中に広がって行く。
『アンジェリカちゃんのその力、本当にすごいよね。果物や野菜の食べごろが分かるんだもん』
『それほどでもないわ~』
コボルド村には子供が少なかった。
子供は天使からの授かり物だと信じられ、大切に育てられていた。
『次は何して遊ぶ?』『虫取り!』『えー、僕虫取り苦手……』
子供達は毎日泥んこになりながら遊んだ。いたずらもたくさんした。毎日が楽しかった。
『ただいまー!あ、ミツバ!』
『お、おかえりなさい、アンジェリカさま……』
アンジェリカが帰ると、いつもミツバが出迎えてくれた。
五歳の頃に同じ村にやってきて、それ以降一緒に暮らしている女の子。
身体が弱く、外で遊ぶよりも家の中でお裁縫をしている方が好きな子供だった。
『ミツバはまたぬいぐるみ作ってたのね。たまには外で遊ばないと!』
『……うん、あのね』
おずおずとミツバはぬいぐるみを差し出す。異界の本に描かれたテディベアというぬいぐるみを差し出す。
『あっ、このぬいぐるみかわいい!ミツバが作ったの?』
『えっと……アンジェリカさまに、プレゼント』
『本当?ありがとう!ミツバ、だいすきっ!!』
茶色を基調としたカラーで丸っこい耳が可愛らしいそれを、アンジェリカはぎゅっと抱きしめる。
『お帰りなさい、アンジェリカ。今日もいっぱい遊んできたのね』
夕方、ぬいぐるみを抱きしめて帰ってきた娘を、彼女の母親が迎える。
金色の長い髪を持つ母親は、夕飯を作りながら娘に語りかけていた。
『うんっ!お母さま、今日も絵本読んで?』
右手にぬいぐるみ、左手に絵本を持って母親におねだりをする。
甘え上手な娘があんまりにもいじらしいものだから、母も父もつい甘やかしてしまうのだ。
『アンジェリカは天使様の絵本が大好きだものね。ご飯の時間だからミツバも呼んでいらっしゃい』
『はぁい!ミツバ~!!』
足早に廊下を駆けるアンジェリカの背中を見つめながら、母は優しく微笑んだ。
夕飯の後、母はアンジェリカに絵本を読んでやっていた。
『こうして、天使様は魔王を倒し、世界に平和が……あら?』
母がふと気付くと、娘は既に寝息を立てている。
アンジェリカは、いつも結末を見届ける前に眠ってしまっていた。
『貴方がここに居るのも、きっとアンジェラ様の思し召しなのね』
母はそっと、愛おしい娘の頭を抱いた。王より託された、世界で一番かわいい娘。
『ゆっくりおやすみなさい。私の、かわいい天使――』
いつまでも、この幸せが続けばいいと。誰しもが思っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アンジェリカは目を覚ます。自分の知らない、真っ白な天井。
日はまだ登っておらず、外はまだ暗い。
「……ほんとにみんな帰っちゃった」
言葉にして呟き、自分が一人になってしまった事を改めて自覚する。
「ホックさんは結婚したばかりだし、スフィアさんは国が大変だし」
「私が引き止めちゃいけない人達なんだって分かる。分かるけど……」
じわりと、目頭が熱くなる。とめどなく雫が溢れてくる。
「寂しいよ……寂しいよ、ミツバ……」
いつしか堰を切ったようにアンジェリカは泣き出していた。




