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道具使いアンジェリカ  作者: ろん
七章【小さな天使と大教会】
52/64

07-01 アンジェラ大教会

 


 ――決して、下を向かないで。貴方には、貴方を助けてくれる人が必ず現れる。


 ――貴方の背中を押してくれる人がいる。貴方を守ってくれる人がいる。


 ――彼らは、貴方にとってとても大切な友達。いつも寄り添っていてくれる友達。


 ――だって、貴方にはいつまでも前を向いていて欲しいから。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 船に揺られること三日。船は大海原を越えて遥か北東へ。

 緑の大陸の最北端にある宗教区域は、かつて救世の天使アンジェラの生誕した小さな村であったとされ、海を越えてやってくる巡礼者も多い。

 この区域の付近はアンジェラ教会の聖なる力に誘われて協力な魔物が寄ってくるので、巡礼者達はここに訪れる際、教会が改めて雇い入れた冒険者に随伴してもらう事になる。

 教会を臨む眼前の町は、自然溢れる緑に囲まれ子供達が遊べる広場が用意されている。

 この町に訪れた人々の為に宿屋や土産物屋が完備されており、巡礼者は教会にて天使に祈りを捧げ、そして満足して日常へと帰って行くのだ。


 そんな「大教会」と呼ぶべき施設を前に、アンジェラ教会の船長ラブに引率され、道具使いアンジェリカ、勇者スフィア、巨人族の戦士ホックの三人は立つ。

「こ、ここが……大教会?」

「噂には聞いていたけど、本当に大きいね」

 アンジェリカとスフィアは教会を前にして上を見上げる。

 六階建てであるその建物は、山岳の国グランディアの城より高く西風の街ホープの塔よりもどっしりと構えられ、

 天使の聖なる心を思わせる真っ白に染められた壁には汚れ一つ無い。

「俺様も、エリーさんと一緒にここで暮らしてみたいもんだぜ」

「呼ばれたのはアンちゃんだけなんだけど……ま、呼ばれてないのは私も同じか」

 大口を開けて笑うホックに肩を竦めるスフィア。

 各々の反応を垣間見てラブ船長はくすりと笑い、三人を中へと招き入れた。



 エントランスでまず目に入ったのは救世の天使アンジェラを模したとされる石像だ。

 石像の持つ水瓶からは絶え間なく水が流れ、ちょっとした水場を作っている。

 大教会は広く、歩き疲れた巡礼者が周囲に置かれた椅子に座り、足を休ませ噴水を見て目を癒している。

 病室に向かう間も、アンジェリカは気が気では無かった。

 ミツバ・ラタトスク。アンジェリカが五歳の頃から一緒に居て、妹のように接してきた無二の親友。

 日射病と思われる症状で倒れ、それきり音沙汰が無いまま数日間を過ごしていた。

 そんなに経過がよくないのだろうか。何日もベッドから起きられない程に悪いのだろうか。

 ホープの街では色々あって頭の片隅に置くようにしていたが、改めて意識し始めると途端に不安が増大する。


 ラブはまず、ミツバの待つ病室へ向かうと告げた。

 病室のプレートに書かれた、ミツバの名前を見た瞬間、アンジェリカは居てもたっても居られず病室へと飛び込んだ。

「ミツバっ!!」

 妹に等しい少女の名を呼ぶアンジェリカ。

 しかしその返事はミツバの声ではなく、しわがれた老婆のものであった。

「お静かにお願いしますじゃ。病人の前でございまするぞ」

 そこにはベッドに横たわり、衰弱したまま目を覚まさないミツバと、見た事の無い極彩色の衣装に身を包む老婆の姿。

 老婆に窘められ、慌てて口を押さえる。

「呪術医イオン殿。ミツバ様のご容態はいかがですか?」

 ラブ船長の問い掛けに、イオンと呼ばれた老婆は金属の輪がいくつもついた錫杖をしゃらりと鳴らす。

「運び込まれた時と変わらず、と言った所ですな」

「う、うあああ……」

 苦しそうに呻くミツバ。声を掛けようとするアンジェリカを制し、呪術医イオンは杖に念を込め何か呪文のような物を唱える。

 杖の先端から光が放たれそれがミツバを包むと、光を浴びたミツバの呻きは静かな寝息へと変わった。


「……ミツバ。どうして、こんなことに?」

 声を潜め、ポツリと言葉を漏らす。

 呪術医イオンはしばしの逡巡の後、目を伏せ首を振る。

「私の口からそれを申し上げる事は出来ませぬ。それはあまりにも恐れ多い事でございます」

 アンジェリカはその言葉の意味を理解出来なかったが、ラブ船長は「そう」とだけ告げ、アンジェリカへと向き直った。

「アンジェリカ様。ミツバさんはきっとイオン殿が元気にして下さいますわ」

「ご期待に添えるため、力を尽くしておりまする」

 ラブとイオンはアンジェリカに向けて礼をする。

「お、お願いします、イオンさん……!」

 アンジェリカはそんな二人に対し、二人よりも深く深く頭を垂れた。


 一行は次に三階にある大きな扉の前へと案内される。

 ラブは二、三回ほどノックをし、中からの返事を確認すると扉のノブへと手を掛けようとした。

 が、ふと思い出したように一行の方へと向き直る。

「ここからはアンジェリカ様だけ、ご入場が許されます。他の方はどうかお控え下さい」

 ラブの言葉に、スフィアとホックの二人は大人しく引き下がる。

 アンジェリカは一人となる事に不安を覚えたが、ラブが優しく手を取ると安心したように頷いた。

「おい、アン。その法王様とやらによろしく頼んだぜえ」

「はいはい、さっさと下がるよホックさん」

「うん、行ってきます」

 二人に後押しされ、ラブと共に扉を開ける。

 彼女の目に飛び込んできたのは……真っ白な世界であった。

 壁はもちろん、床も、天井も、玉座でさえも一面の白が支配している。

 狂うのは方向感覚ばかりでなく、ともすれば平衡感覚でさえ信用できなくなるような錯覚を覚える。

 色があるのは自分自身と、隣にいるラブと。目の前にいる二人の人物くらいだ。



「アンジェリカ様をお連れしました」

「ご苦労。下がっていなさい」

 法王と思われる女性が、ラブに労いの言葉を掛ける。

「は、初めまして、法皇様!アンジェリカと申します……」

「顔を上げなさい。話には聞いています」

 恭しく挨拶をするアンジェリカ。法王と思しき女性に言葉を掛けられ、おずおずと顔を上げる。

「私はレイア。皆は私を法王と呼びます」

 法王は自身をレイアと名乗った。

 赤い法衣に緑色の髪を髪留めで結び、線の細い体つきのシルエット。神経質そうな鋭い瞳が印象的だ。

 アンジェリカがあまり見ないタイプの女性だった。


「アンジェリカ。この世界に現れた第二の『天使の子供達(エンジェルチルドレン)』……」

「この時代に、二人も同時に天使が覚醒したのは何か意味のある事なのかもしれませんね」

「第二の……どういう事ですか?」

 アンジェリカは疑問を投げかける。

 法王レイアの言い方は、自分と同じような人間がもう一人居るという口ぶりだ。

 レイアはアンジェリカの問いには答えず、言葉を続ける。

「貴方のお陰で、西風の街ホープを教会の傘下に入れる事が出来ました。自治区に教会を置く事は出来ない。いざという時に、助けに行く事ができない」

「貴方は彼らの未来を救った。彼らに代わって、感謝します」

 そう言って法王は深々と頭を下げた。アンジェリカの方も恐縮し、お辞儀を返す。


「かつて、ホープは……救世の天使アンジェラとは、違う神を信仰していたのです」

「世界を支える六柱の一つ。その名はそよぐ風の女神サーニャ……今では、魔王と呼ばれている女です」

「サーニャ……!!」

 風嵐の魔王。アンジェリカの故郷を滅ぼした元凶。

 かの魔王が遠い昔、救世の天使と同じように愛され、信仰されていたというのだ。

 この世界に存在する魔王もまた、世界を支える女神と同質の存在。

 信じていた神に裏切られた民の気持ちは如何なるものか――アンジェリカの胸が締め付けられるように痛む。

「彼らは自らの信仰する神に虐げられている為に、教会に助けを求める事が出来なかった」

「我々アンジェラ教会は、風嵐の魔王を倒さねばなりません。貴方も協力してくれますね?」

 法王レイアが、アンジェリカに手を差し出す。法王もまた、サーニャを倒す為に尽力している。

「……はいっ!!」

 アンジェリカは手を取る代わりにその場に跪き、共に戦う事を、誓った。




「お母様、もうよろしいですか?」

 もう一人。法王レイアに随伴していた、紫色の髪と赤いリボンをつけた少女が口を挟む。

「マリアンヌ。大人しくしていなさいと言ったでしょう」

 その娘、マリアンヌに口を挟まれ、レイアが窘める。

「でもお母様、私も新たな天使様をお迎えに上がりたいのですわ」


「初めまして、アンジェリカ様。私はマリアンヌ。貴方と同じ『天使の子供達』ですわ」

 マリアンヌはスカートの端を持ち、おしゃまに挨拶をした。

 年のころなら十二、三と言ったところだろうか。

 髪だけでなく、肩、腕、腰と赤いリボンをつけたフリフリ白レースの茶色い服。

 そして人より少し長い耳が、アンジェリカと同じ力を持っているのだとアピールする。

「ほら、私の背中にも可愛い天使の羽がついているでしょう?」

 くるりと一回転するマリアンヌ。その背中にあった白くて小さな翼は、彼女のやや地味な服装に映える。

 髪の色こそ違うが、やや釣り目がちで自信に溢れたその表情は母レイアにそっくりだった。


「本当だ。とっても可愛いわ」

 その愛らしさにうっとりするアンジェリカ。

 自分の背中を見る機会はなかなか無いが、同じ物が自分のついていると思うと心なしか心がうきうきする。

「だから私の事も仲間……いいえ、姉妹と思って下さって構いません事よ。よろしく、アンジェリカお姉様」

「ありがとう。よろしく、マリアンヌちゃん」

 マリアンヌから右手を差し出し、アンジェリカがその手を取る。

 マリアンヌはその手を左手で包みにっこりと微笑むと、法王レイアに向かい合った。

「お母様、私は教会内をアンジェリカ様に案内して回りますわ」

「ええ、貴方に任せましょう」

 アンジェリカの手を取ったまま、マリアンヌは部屋の外へと歩き出した。


 彼女に連れられるまま部屋の外に出るアンジェリカ。少しでも多く友好を結ぼうと微笑み掛ける。

「えーっと、マリアンヌちゃん。まずはどこに案内してくれるの?」

「……馴れ馴れしくしないで下さる?」

 結んでいた手をにべもなく振り解かれ、アンジェリカの表情は笑顔のまま固まった。

「え?」

 部屋を出た途端、突如態度を豹変させるマリアンヌ。

 その変わり様にはっとなり、アンジェリカは目をぱちくりさせた。

「たかが森育ちの田舎者風情が、私にちゃんを付けて呼ぶなんて。生意気にも程がありますわ」

「い、いなかもの……」

 大いに戸惑った。

 今まで出会った人々は、初対面でも笑顔で語り掛ければ誰もが心を開いてくれた。

 そうする事でアンジェリカは誰とでも仲良くなれたし、友人もみるみるうちに増えていった。


 しかし、そんな彼女を打ちのめす存在が現れた。

「何?その顔は。同じ天使なのにどうして?って顔をしてますのね」

 マリアンヌはアンジェリカの表情を見て、口元を釣り上げた。

「私と貴方では、天使様の力の強さも、質も、輝きも。全てが段違いですわ」

 サーニャのような歪んだ欲求とは違う。ヤタック教の暗殺者とも違う。

 はっきりとした侮蔑と嫌悪の瞳。マリアンヌはアンジェリカを明確に見下していた。

「お母様は貴方を迎え入れてしまったけれど、私が同じ考えとは思わないように。よろしくて?」


「お嬢、そこまでにしておくんだな」

 狼狽するアンジェリカに更なる追撃を加えるマリアンヌに、聞き覚えのある男の声がストップを掛けた。

「あ、貴方は……!!」

 そこには、アンジェリカが炭鉱城塞コール・タールで初めて一緒に仕事をしたドワーフの男、アンジェリカとホックの先輩冒険者である斥候のクールが腕を組み立っていた。

「あらクール、ごきげんよう。貴方はいつから私に意見出来るようになったのかしら」

 マリアンヌは彼を一瞥するとわざとらしく慇懃に、挨拶をする。

「少し見ていられなくなったものでな。……アンジェリカ、久しぶりだ」

 クールは彼女のそんな態度に慣れきっているのか、気にする事もなくアンジェリカににやりと笑顔を向ける。


「クールさんお久しぶり!どうしてここに?」

 クールと言う男を改めて見る。

 騎士や神官が闊歩し、一面真っ白に塗りたくられた教会内では、皮の鎧や腰に提げた複数の短剣を装備した彼の姿は少々浮いている。

 浮いているという意味ではアンジェリカを含む冒険者という職業全てがそうなのだが、それにしても彼は特別に物々しい。

 まるで今これから戦いに赴くといった様相だ。

「この男は私の召使いですの。ねえ、クール?」

「……法王殿からはお嬢の護衛戦士として雇われたはずだが」

「私に護衛など必要ありませんわ。そこにいる他人に戦わせて自分はのうのうと命令するお方と違って」

「の、のうのうと命令……間違っちゃいないけど」

 肩を竦めるマリアンヌに、クールはうんざりと言った表情でため息をついた。

「まぁ、よろしいですわ。私、これからこの方を案内しなくてはいけませんの」

 その隣でがっくりとうな垂れるアンジェリカをよそに、マリアンヌは歩き出す。

「自分で宣言した事くらいはこなしませんと。それでは、ごきげんよう」

 足早に歩き出したマリアンヌをアンジェリカは慌てて追い掛ける。この広い場所で置いて行かれては迷子になるのは必至だ。

「ま、待って、マリアンヌちゃん!クールさん、またね!」


「ったく、ここに俺を連れてきた事といい……法王さんは何を考えているのかね」

 クールはそんな二人の小さな背中を――二人の天使の小さな翼を見てもう一つため息をついた。

 これから起こる一波乱を予感するかのように。



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