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道具使いアンジェリカ  作者: ろん
六章【道具使いと砂漠の塔】
51/64

06-08 咎人たち

 


 怒りのままに町長に殴り飛ばされ、ムーチョス王は大きく吹っ飛ばされる。

 王は頭を強かに打ち付けられ、塔の外壁を赤く濡らした。

「チョムスさん!!」

 声を上げ、駆けつけようとするアンジェリカ。

「……!?ホックさん、放して!!」

 しかしホックが無言でアンジェリカの腕を掴む。

 振り解こうとするアンジェリカだが、自身の腕より何倍も太いそれを若い娘の力で振り解く事は叶わない。


 意識を手放そうとするムーチョス王の胸倉を掴み、町長は王を揺り動かし意識を現実へと引き戻した。

 町長はがくがくと激しく揺らす。その度にムーチョス王の頭から赤い命の筋を流す。

「昨年、孫が産まれました。まだ歩く事もままならないが、本当に可愛い子でね」

「まだ乳離れも出来ないような赤子だった。そんなあの子から、貴方は父と母を奪ったッ!!」

 掴んだ胸倉を放され、転がされるムーチョス王。

「ぐっ……!!」

 痛みに呻く彼から町長が離れ、次は幼い少年が王の前に立つ。

「……俺の爺ちゃん、この前定年を迎えてさ。老後をどうやって楽しむかわくわくしながら話してたよ」

 少年の蹴りが王に突き刺さった。そこに浮かぶ鬼気迫る表情は少年だけの物ではない。

 後ろに控える街の者達は皆一様に、怒りと憎しみに満ちた顔で王を睨んでいた。

「死んだ娘は成人を迎えたばかりよ!この前、恋人が出来たって……どうしてっ!!」

 老婆が王に石を投げつける。石は王の左目に直撃し、王の目蓋を赤く腫らしていく。

「がぁっ!?」

 王は抑えきれずついに声を上げた。

 痛み、悲しみ、悔しさ。多くの感情を混在させ、度重なる暴力によって歪んだ王の顔に雫がこぼれ落ちていく。

 そんな彼に街の者は口々に罵声を浴びせ、苛烈な仕打ちを与えた。


「ホックさん、放して!止めないとチョムスさんが死んじゃうわ!!」

 顔をくしゃくしゃにして泣き腫らすアンジェリカ。

 目の前で起こる悲劇を、見ていられないとばかりにホックの腕を振り解こうと暴れる。

「やめろアン。……あれはもう、止められん」

 諦めたように首を振るホック。それでも、決してアンジェリカの腕は放さない。

 多くの血と涙と呼吸が混じり、熱気を放つ。人間が生み出した小さな地獄。

 あの場に無防備に飛び込んで無事で居られる者がいるだろうか。


「サーニャの仕組んだ事とはいえ、ムーチョス王が多くの民を死なせた事は事実だよ」

 スフィアは目の前で展開される正視に耐えない光景を、腕を組み見据える。

 努めて淡々と語るスフィア。しかしその腕はかすかに震えており、アンジェリカには自身の身を自身の腕で抱いているようにも見えた。

「あいつの力なら、数日もあればこの街は滅ぼせる。王は生贄を差し出す事で、それをギリギリで防いでいたんだ」

 勇者としてあの渦中に飛び込み、彼らの凶行を止めねばならないのはスフィアにも分かっている。

 しかし彼女の足はそれでも動く事はない。悔しそうに、歯噛みするばかりであった。

 ……強大な力を前に屈し、生贄を選び差し出す。それは力及ばぬ人間が出来る数少ない生存の手段だった。

 しかし生贄となった者の家族は思うだろうか。

「何故自分の家族が犠牲になったのか」「他の者ではダメだったのか」

 その思いが、生贄を選んだ当人へとぶつけられる。アンジェラ教の影響下を離れた人間の生の感情だ。

 人間が人間を憎み傷つける事は、魔物によって人間の命が奪われる事のそれ以上にやるせない。

 もはやこの暴力は誰にも止められない。王が息絶え、物言わぬ肉片となったとしても続くだろう。

「民は得体の知れない魔王ではなく、目の前にいる王に怒りをぶつけるしかないのよ」

「この国は、とっくの昔に魔王に屈していたのね。……マドーン将軍が敗れた、その瞬間に」

 人だかりのある方角から、ついに人間の身体から鳴ってはならない音が鳴った。

 いつしかぐったりと動かなくなるムーチョス王。

 スフィアも、ホックも、ケルヴィンも。その場に居た者は皆一様にこの光景を見続ける以外に無かった。

 その場に居た誰しもが、そう思っていた。




『……本当に、そうでしょうか?』

 それに異を唱える者が、現れた。

 凛とした声がその場に響いた瞬間、周囲から声が消えた。

 その声はアンジェリカより発せられ、周囲の喧騒を一時停止させる。

『それでもわたくしは。この国がまた立ち上がれると信じています』

 スフィアは声の主を見やる。そこに立っているのは、確かにアンジェリカであった。

 しかし彼女の醸し出す雰囲気とその佇まいは、かつての彼女の物とは大きく異なる。

 年齢に似合わない普段の幼さはなりを潜め、代わりに老成したような落ち着きを払っていた。

 背中の小さな翼は、スフィア達を助けた時と同じように、彼女の全身を包み込む程に大きく。

 光源が月明かりと松明だけであるはずの夜の採掘場は、彼女の周りだけうすぼんやりと明るい。


「アンちゃん?」

 スフィアはふと不安になり、アンジェリカだった女性に声を掛ける。

 すると歳の頃なら大して変わらないはずの女性は、スフィアに気付くと柔らかに微笑み掛けた。

 どきりとする。近くに居るだけで、身体が畏まる。声を聞くだけで、魂が揺さぶられる。

 目の前にいる人でありながら人ならざる存在。神話に綴られた現人神。

 この世界の誰もが憧れ、敬い、畏れ、そして愛する存在。

 スフィアは直感する。目の前にいるこの存在こそが、救世の天使なのだと。

 救世の天使アンジェラが、アンジェリカの身体を借りて顕現したのだと確信した。


『お待ちなさい、砂漠の国の人々よ。希望の民の者達よ。そしてどうか、わたくしの言葉を聞いて下さい』

『わたくしはアンジェラ。開闢の大地の女神アンジェラ……あなた方が、救世の天使と呼ぶ者です』

 アンジェラの声に、怒りに我を忘れていた街の人々は自身の行為を再確認し、その恐ろしさに後ずさる。

 一歩歩みを進める毎に、人垣が離れ分かたれて行くと無残な姿で横たわるムーチョス王が居た。

 彼女は虐待を受けボロボロの雑巾になったような姿の王に、一瞬だけ眉を顰め、歩み寄っていく。


 アンジェラは町長に背を向け、無言で王に手をかざす。

 二、三言ほど何かを呟くとその手の平から暖かな光が起こり、光に包まれた場所から王の傷が消えていく。

最上位治療魔法(マキシマム・ヒール)」。多大な魔法力と引き換えに対象のいかなる傷をも治療する魔法である。

 現在では遺失魔法の一つとして数えられており、天使と並び古い書物の中だけに存在する物であった。

 土気色だった王の身体に、血の巡りが戻る。折れた骨が急速に修復され、その衝撃で一瞬だけ表情が苦痛に歪む。

『……もう、痛みはありませんか?』

「すまない……だが、ワシは……」

 ムーチョス王は意識を取り戻し、むっくりと身体を起こす。

 身体を動かせる事を確認するように、二、三ほど腕を回しうな垂れる。


 救世の天使と王のやり取りを見てはっと気が付く街の人々。

 そして天使が自分達と対立する人物だと判断し、王との間に入るアンジェラに詰め寄った。

「あ、あんたはっ……我々を止める気か?」

『はい』

 彼らに背を向けたまま、それでも迷い無く答える天使。

 町長の中年はたじろぐも、より語気を強めてアンジェラを詰問する。

「街を傷つけて、無理矢理働かせて……我々の大切な家族を奪ったこの男を、許せと言うのか!?」

『……その通りです』

「ふ、ふざけるな!この国は未来を奪われたのだ!!」

 天使の答えに町長は怒りの声を上げた。

「子供も、若者も、老人も!男も女も!!皆、死んだ!!その男が殺した!!」

「許せぬ!許せる筈が無いッ!!そこをどいてくれ、あんたに拳を向けたくないッ!!」

 返答次第では、何者であろうと。たとえ女であろうと。自分達を助けた恩人であろうと。

 家族を死に追い遣った男を庇うのであれば容赦はしない。そう言いたげに町長はぎゅっと拳を握った。


『彼がした事は、確かに許される物ではありません』

 振り返る事無く、背中越しに天使はぽつりと呟く。

『しかし彼が居なければ、この国はとうに滅ぼされていた事でしょう……風嵐の魔王サーニャによって』

 魔王サーニャ。街の人らもその名は聞いていた。

 かつて炭鉱城塞コール・タールにアンデッドを使って攻め込んだ魔王。そして山岳の国グランディアの王を殺害した魔王。

 彼らも薄々感づいていた。心優しきムーチョス王がこのような凶行に至ったのは魔王の影響に寄る物ではないかと。


『かの魔王の手によって、たくさんの悲しい事件が起きました』

『魔王の手駒の多くはこの国から生まれた。この国が完全に滅ぼされれば、恐らくその国々も……』

 町長が逡巡している間にも、アンジェラは言葉を続けた。

「そ、そんなものは……!だから、許せと言うのか!?」

 彼らは自分達が責め立てられているような気がして、心乱されていた。

 自分達のしでかした事の罪悪感を振り払うように、反論する。しかし。


『全ては天使の不手際です。王にはつらい決断をさせてしまった』

 ここで初めてアンジェラは立ち上がり、街の人の方へと振り返った。

 その表情は微笑みを絶やさぬまま、しかし瞳は悲哀に満ちていた。

 街の人が怒りのままに過ちを犯したことに対して。同時にその過ちを止められなかった申し訳なさに満ちていた。

『そして皆様にも、このような残酷な事をさせてしまった。申し訳、ありません』

 アンジェラは街の人々に頭を下げる。彼らの怒りが燃え上がるほど彼女の心は悲しみに暮れていた。

 人々の怒りが静まっていく。感情を発散し、冷静な心を取り戻した彼らは、やがて自分達が恐ろしい暴力に手を染めていた事に気付き始めていた。

 しかしアンジェラはそれさえも魔王の仕業であると強く主張していた。

 人々が王を傷つければ傷つける程、それが魔王の力になると。貴方達に罪は無いと。そう訴えかけた。


『わたくしはここに宣言します。皆様を傷つけた風嵐の魔王を必ず討伐すると』

『この悲しい事件を二度と起こさせないと。約束致しましょう……』

 どよめきの声が上がる。町人達は驚きと困惑に互いに顔を見合わせる。

 ……それはやがて歓声へと変わっていった。

 救世の天使アンジェラに任せていれば全ては上手く行くと、街の人々は心の底から信じた。

 喜びに暮れる人々は、それ故にいつの間にかうずくまり気を失っている天使の姿に気付かなかった。



「アンちゃんっ!!」

 スフィアが駆け寄る。

 抱き上げて、薄ぼんやりと目を開いたあどけない少女の顔は、スフィア達のよく知るアンジェリカの表情であったと、彼女にごく近しい者達だけが気付いていた。

「チョムスさん、ううん。ムーチョス王様。貴方はきっと、最後の生贄になるつもりだったんでしょう?」

「……ワシはそれだけの事をした。生贄を選ぶ者は、憎まれ役を買って出るのと同じ事だ」

 アンジェリカとムーチョス王は、言葉を交わす。

 よろよろと起き上がり、王の手を握るアンジェリカ。

「結果的に命を弄んだワシは報いを受けねばならぬ。……魔王は、お前が倒してくれるのだろう?」

「……うん。サーニャのことは、私達に任せて」

 アンジェリカは天使の言葉をおぼろげながら覚えていた。

 天使に身体を貸している間、アンジェリカは彼女の言葉や起こした奇跡をまどろみの中で見つめていたのだ。

 アンジェリカが告げると、ムーチョス王は安心したように目を閉じた。

 救世の天使によって傷は癒されたが、失われた体力は戻ってこないのだろう。

「やろう、アンちゃん」

「こんな仕打ちがうちの嫁さんに向けられると思ったらな。やるしかねえだろ」

「微力ながら、お手伝いするわ」

 もはや自分ひとりの戦いではない。

 多くの人の苦しさと悲しみを一緒にサーニャにぶつけよう。皆の希望を取り戻そう。

 若者達は立ち上がり、互いの拳を合わせて誓い合った。


「話は聞かせて戴きました」

 どこからか声がする。アンジェリカ達は辺りを見回し、声のする方向へと目を向ける。

 すると暗闇の中からゆらりと。彼女達の見知った人魚族の女性。ケルヴィンの妻であるラブ船長が目の前に現れた。

「ラブ、遅かったじゃない。今までどこへ行っていたの?」

 ケルヴィンは驚き、妻に向かって問い掛けるが、ラブは首を横に振って制した。

「ごめんなさい、ケルヴィン。これまでの事を教会に報告しに行っていたの」


「そして、申し訳ありません、街の皆さん……。ムーチョス王の身柄は教会の方で預からせて戴きます」

 口調は穏やかだが、その表情は険しい。教会は私刑を許さないからだ。

 ラブの言葉にようやく浮ついていた人々は落ち着き、続いて困惑の声を上げた。

「なんだって?」「しかしこの王は……」「だけど……」

 無宗教国家であったこの街の人々は、昨日までならこの要求を突っぱねただろう。

 しかし一日の間に二度も奇跡を見せられては、彼らも教会を信じざるを得なかった。

「この国の鐘は取り壊します。教会からも騎士と神官を派遣します」

「さぁ、貴方達も教会に身を委ねなさい。皆さんは我々アンジェラ教会が守りましょう」

 ラブは両手を広げ宣言する。その言葉に人々は大いに驚いた。

「お、俺達はもう塔を作らなくていいのか?」

「はい」

「今までのように、パンを売ったり宝石を仕入れたりできるの?」

「はい」

「もう、よく分からない何かに怯えなくていいのですか?」

「はい。アンジェラ教会が皆さんの『今まで』を保証しましょう」

 ラブは口々に言う街の人々の言葉ににっこりと頷く。

「おお……おお!」

 たとえこの場に居なくとも、救世の天使は自分達を見つめている。自分達より遥かに大きな存在に、守って貰っている。

 その事実は街の人々に大きな安心感を与えた。もはやこの場に、ムーチョス王を顧みる者など居なかった。


「アンジェリカさん。いいえ、救世の天使アンジェリカ様」

「もう、ラブさんったら。いきなり畏まっちゃって恥ずかしいわ」

 ラブ船長はアンジェリカに向き直る。敬称をつけて呼ばれ、照れ隠しに頭を掻くアンジェリカ。

「貴方にはその資格があるのです……教会に招かれ、天使として崇められるその資格が」

 アンジェリカの手を取り、ひざまずくラブ船長。

 教会に於いて目上の者に向けられる最敬礼は、彼女の畏れを乗せてアンジェリカへと向けられていた。

「どうか我々とご同行下さい。私達の法王様に会って戴きたいのです」

 ラブ船長はやや興奮気味に、アンジェリカへと詰め寄った。

「ほ、ホックさん、スフィアさん……」

 彼女の様子に戸惑い、アンジェリカはスフィアとホックに目配せをする。

「会ってみりゃいいんじゃねぇか?」

「招かれたのはアンちゃんだ。心配なら私も付いていくよ」

 頼れる仲間に後押しされ、アンジェリカは力強く頷く。

 法王とは即ちアンジェラ教の首長であり、教会の騎士や神官、司教などを束ねる最高責任者である。

 もちろんアンジェリカ達が直接会った事はなく、表舞台にも好んで現れる事も無いその人物は一般市民にとって長く謎に包まれた人物であった。

 尤も、かの人物が表に出てこないからといって大きな問題になる事は無い。

 この宗教から進んで離れない限り、教会によって安定した生活と安全が保証される。一般人にはその事実だけで十分過ぎるのだ。

 それは当然、アンジェリカ達にとってもそうだった。故に、アンジェリカは今、最も気になっている事をラブ船長に訊ねる。

「ミツバの様子は、どうですか?もう、元気になりましたか?」

 ミツバという名前を聞き、嬉しそうに微笑んでいたラブ船長の表情が一瞬だけ陰る。

 容態がよくないのだろうか?ミツバの最後の様子がアンジェリカの頭によぎった。

「その辺りも含めて、向こうで説明致します……アンジェラ教会の総本山。大教会のあるところへ」



「天使アンジェラの始まりの地へと、ご案内しましょう」



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