06-03 彼女の戦う理由
アンジェリカ・ラタトスク。18歳。
彼女は魂を持つ様々な存在と心を通わせ、友とする道具使い。
道具使いとなるべくして生まれ、コボルドと呼ばれる二足歩行の犬のような魔物と共に育ってきた。
コボルドは魔物でありながら救世の天使アンジェラによって魂を見出され、以降は天使の友人として人間と同じ扱いを受けるようになった存在だ。
家族は父と母に加え、彼女の一族に仕える夫妻とその娘であり無二の友人であるミツバの六人暮らし。
アンジェリカの住む村で人間は彼女達六人だけで、残りは気のいい隣人であるコボルドと小さな妖精ばかり。
やんちゃなボルトと、臆病なルドルフのような数少ない歳の近い友人といたずら盛りの毎日。
森の奥にあるような小さな村であったが、彼女は確かに幸福であった。
反芻する。自分は確かにコボルド村のアンジェリカであると。
遠い異国で暮らしていた事は無く、生まれも育ちもコボルド村であると。
そんなアンジェリカに突きつけられたのは、この国に存在する隷属の鐘に操られたという事実だった。
この国に長く暮らした者の精神にしか影響しないはずのそれは、今、彼女と、仲間の枷となっていた。
ホックから戦力外通告を受け、自失状態となるアンジェリカ。
そんな彼女の背中を、スフィアはぽんと叩く。
「……ま、敵との戦闘中に操られて後ろから攻撃されても困るからね」
「致し方ありません。アンジェリカさんには、宿の中に残っていて貰いましょう」
ラブ船長もがっくりとうな垂れ、その肩を夫のケルヴィンが抱いた。
アンジェリカがうろたえている間にも、作戦会議は進行していく。
まずはケルヴィンが先行して潜入し、実情を把握する必要があるだろう。
「けけっ、てめぇに出番なんざねぇよ。全てこの俺様が片付けてやるぜ」
ホックがアンジェリカを慰めるように、彼女の頭にぽんと手を置く。
「ちょ、ちょっと待って!みんなぁ……」
その行為でアンジェリカははっと我に返り、休息を取りに部屋に向かう仲間達の背を追った。
草木も眠る夜。
月明かりに照らされて、アンジェリカはふと目を覚ます。
街の人々は未だ働かされているのだろうか。それとも、もう戻ってきたのだろうか。
月を見ようと仰向けになり、隣のベッドで眠っているはずのスフィアが窓辺から外を眺めていた。
「アンちゃん、起こしちゃったかな?」
月が雲間に隠れ、辺りが闇に包まれる。
衣擦れの音に気付き、スフィアが振り向く。
夜風に髪をなびかせながら、顔を見合わせて目を細めるスフィア。
「……ううん、私も月を見たかった」
アンジェリカはベッドに腰掛ける。砂漠の冷たい夜風はアンジェリカの頬を撫で、
秋の深い夜のしんとした静けさのお陰で二人の声はよく通っていた。
「昼の事、夕方の事。まだ怒ってるかな?」
スフィアもまた窓の縁に腰を掛け、アンジェリカに問い掛ける。
思い起こされるのは幼稚だとからかわれた事。そして戦力外通告を受けた事。
アンジェリカは少しだけ、迷うような仕草を見せてやや申し訳なさそうに頷いた。
「からかいすぎて悪かったって思ってるよ。ちょっと大人げないともね」
遠慮がちに頷く彼女を見て、スフィアは苦笑した。
が、すぐに真剣な表情へと変わる。
「でも、やっぱり今回はどうか引いて欲しいと思ってる」
「後ろから攻撃されたら困るから?」
「それもあるけど」
「あるんだ」
不満げに頬を膨らますアンジェリカ。
そんな彼女を見て、スフィアは再び苦笑いをした。
「でも、それ以上に――」
そこで言葉が止まる。気付くと、スフィアは窓から空を眺めていた。
「アンちゃんは強い。護衛のぬいぐるみはもちろん、銃兵隊の殲滅力も大したもんさ」
「手荷物の丸薬にも助けられたし、あの音楽に勇気付けられた騎士も多いんだ」
彼の日の戦いの日々が二人の脳裏に浮かぶ。
いずれも、激しい戦いであった。アンジェリカは常にその戦場にに立っていた。
「アンちゃんは立派な戦士に相応しい実力を持ってる。でも、それでも」
「なんでかな。私はアンちゃんに普通の女の子で居て欲しいんだよね」
一際強く風が吹き、雲間から隠れた月が顔を出す。
淡い光がスフィアの顔を照らす。その顔は困ったような、慈しむような。
「スフィアさん……」
アンジェリカを友として心配する、優しい少女の表情だった。
二人は今一度思い出す。今までに戦ってきた敵の数々を。
人間を一瞬で焼き焦がす駆動兵器フォートレスのレーザー攻撃。
ネクロマンサー・デードスの成れの果てとなった魔物の全てを切り裂く風の刃。
残忍な手段で相手の命を狙うヤタック教団。その豪腕による一撃でスフィアの義兄タイガを再起不能にした傀儡夫婦。
あらゆる物を溶かす駆動兵器アシッドレイクの酸の霧。歴戦の騎士を混沌に陥らせた海竜リヴァイアサンの狂歌。
いずれも、アンジェリカのような普通の少女がまともに受けて無事でいられるはずが無い。
皆一様にして、恐るべき力を持つ者ばかりだった。
「アンちゃんは、風嵐の魔王を追ってここまで来た。それは分かってるんだ」
「だけど、それに関係が無いときくらい……戦いを忘れていいんじゃないかって」
「たぶんホックさんも、同じように考えてるんじゃないかな」
スフィアはアンジェリカを戦士として最大限に尊重していた。決して見くびっていた訳ではない。
だが、戦士としてはあまりに脆すぎた。吹けば飛んでしまうほどの小さな存在だった。
それでもスフィアやホックといった戦士に守られながら、なんとか戦っていた。
アンジェリカにはそれがスフィアの気遣いである事が分かった。分かりすぎてしまうから。
「……分かった。今回は大人しくしてる」
ぷいと、スフィアに背を向けベッドに寝転がる。
「どうせ今回行ったって、足手纏いになるだけだもの」
すねるように、悪態をつきながら。
何度目か分からない苦笑をし、肩を竦めてスフィアも自分のベッドに潜り込む。
「スフィアさん」
うつらうつらとし始めた頃にアンジェリカはスフィアに声を掛ける。
「ん?」
「心配してくれて、ありがとね」
互いに背を向けたまま夜明けを待つ少女達を、月は優しく照らしていた。
「ん……朝?」
肌をちりちりと焼く感触がして、アンジェリカは目を覚ます。
日が昇り少し経った頃、目を擦り起き上がる。
「スフィアさん、おはよう。……スフィアさん?」
隣で出発の準備をしているだろうスフィアに声を掛けるが、返事は無い。
それどころか部屋の中には誰も居ない。ぬいぐるみと人形だけが彼女の傍にただ静かに寄り添う。
「ホックさん!ケルヴィンの姐さん!ラブ船長さん!!」
寝巻きのまま部屋を飛び出す。親しい友人達の名を呼びながら、宿の廊下を走る。
他の宿泊客の訝しげな目線など気にせず、アンジェリカは仲間達を探す。
「誰もいないの?ねえ!」
しかし、ついに宿のどこにもいないと理解した時。
自分を置いて先に行ってしまったと気付いた時。
「……本当に、置いていかれちゃった」
アンジェリカはがっくりと肩を落とし、ぺたりと膝をついた。
「おはようございます。アンジェリカさん。朝から賑やかですわね」
自分が寝巻きである事に気付き、すごすごと部屋へ帰ろうとするアンジェリカに声を掛ける者がいた。
声の主は宿屋の女将だった。朝方から騒がしい少女に苦笑しながら、一通の手紙を差し出す。
「ロー様から言伝を預かっておりますわ。お読みくださいませ」
ローとはラブ船長のファミリーネームだ。
アンジェリカは慌てて手紙を受け取ると、意を決して封を切り開く。
そこには街を自由に散策をして良い事。昼頃と陽の落ちる前には宿に戻り、鐘が鳴ったら耳を塞ぐ事。
決して街から出ないようにと書かれていた。いずれもアンジェリカの身を案じる項目ばかりだ。
「船長さんにも、心配掛けちゃってる」
彼女の周りには常に優しい人々が寄り添っている。
改めてそう自覚しながら、アンジェリカは部屋で服を着替えていた。
アンジェリカは砂漠の街並を歩く。
降り注ぐ日差しを防ぐ為に、市場で買った可愛い麦わらの帽子を被って。
「魚だよー!安いよー!」
「新鮮なりんごの入荷だ!今買わなきゃ損だよ!」
「さぁさぁ、フリージアで作られたこの美しい衣服はいかがですか?」
「コール・タールの奥地で採れた宝石だよ!火山で圧縮された炭素の奇跡だ!」
店先で行われる客寄せの掛け声と共に、街の人々や旅人が群がって行く。
アンジェリカはそんな街の活気に胸を撫で下ろしていた。
街は昨日の様相が嘘であったかのように、活気に溢れていた。
昨日の事はただの悪い夢であり、この活気が夕方まで続き、
夜になれば街の者は家に戻って家族と夕食を楽しむのだと。そう思いたかった。
「っ!!」
しかしその願いも、重く響く鐘の音に掻き消される。
照りつける太陽はアンジェリカの真上に昇り、隷属の鐘が昼を告げた。
アンジェリカは咄嗟に耳を塞ぐ。
この鐘を聞いてしまえば、彼女も街の者と同じように操られ城壁の向こうへと入ってしまうだろう。
事実、街の者達から目の光は消え失せ、かつて見たアンデッド達のように覚束ない足取りで
一方向へと向かっていく流れがアンジェリカの目に映っている。
彼女は建物の陰に身を隠し、鐘の音が収まるのを待つ。
どうやら精神的な影響を受けるのは、アンジェリカの場合は直接耳に入った時だけなのだろう。
だが、街の者は鐘の音に抵抗する事もなく足を進めていく。彼らにはもはや耳を塞いでも意味が無いのかもしれない。
「鐘……止んだ?」
恐る恐る耳から手を離す。
鐘の音は聞こえない。意識が遠のく事も、操られる感覚も無い。
ひとまず危機は去ったようであった。
「誰もいない……」
アンジェリカは辺りを見渡す。
あれほど賑わっていた街は、最近訪れた旅の者を除き人間がいなくなってしまい閑散としている。
彼らは逆に耳を塞がなくても影響が無いのだろう。街の急変にただ首をかしげていた。
「さっきまで、あんなに人で賑わっていたのに」
安全を確認したアンジェリカは、人々が消えた街を歩く。
市場の呼び込みも、広場の喧騒も、噴水の前の憩う声も聞こえない静けさに包まれた街。
不気味ささえ覚えながら、再び城門の前へと足を運んで行く。
アンジェリカは目の前に立ちはだかる城門を。そしてその奥に聳える塔を見上げる。
塔の頂上は雲間に隠れ見えない。あそこに、この街を治め民を苦しめる王が居ると昨日の老人は言っていた。
スフィアは、ホックは、ケルヴィンは。皆、あの奥に向かったのだろうか。
ムーチョス王は本当に民を苦しめる愚王なのか。自分は本当に何も出来ないのだろうか。
「お前は……何故、まだこんな所にいる?」
そんなアンジェリカの頭の中で回り続ける思考を、強引に引き止める声。
「え?」
アンジェリカは驚き振り返る。
そこには昨日会ったぼさぼさ白髪と白髭の老人チョムスの姿があった。
チョムスは昨日と変わらない場所で、昨日と変わらない眼光を持ってアンジェリカを迎える。
「お前は、道具使いは。何か目的があってこの街に来たのではないのか?」
「こんな所で燻って、鐘に怯えて耳を塞いで……お前は、何をしているのだ?」
ぎろりとアンジェリカを睨み、詰問する。その瞳には怒りと失望が入り混じっている。
アンジェリカは老人の眼光に一瞬怯むが、一つ、二つほど深呼吸をしておずおずと答えようとした。
「わ、私は、死霊使いのサーニャを追って……追って……?」
自分の目的を反芻する。アンジェリカは父と母を殺され、その敵を討つ為に村を出た。
唯一の友人であるミツバと共に。それは偽らざる本音である。
「ううん、ちょっと違うんだ」
しかし旅を続けるうちに。スフィアやホックと共にあるうちに。
それとはまた別の感情がアンジェリカの中に生まれていた。
「確かに、サーニャはお父様とお母様の仇。でも、今やりたいのはそうじゃない」
「スフィアさんや、ホックさんや。友達の助けになりたいから、この街に来たんだわ」
自分の中にある、決して忘れてはならない使命とは別に、大切にすべき物。
それは外の世界に触れて新たに出来た友人と楽しく生きる事。
彼らと、ミツバと笑い合いながら生きる事。新たに芽生えたアンジェリカの生き甲斐であった。
そうしたくなるほどに。生まれ育った村の仲間と同じように。
外で出来た友人達は、彼女に優しかったのだ。
「だから足手纏いになっても……ううん、それじゃ意味が無い」
「足手纏いにならないやり方で、私は皆を助けるんだ」
アンジェリカは胸の前で拳を作る。やりたい事を決めたなら、そこに至る筋道を立てねばならない。
「よし、宿に戻って作戦会議よ!おじいさん、ありがとう!」
友の手助けをしよう。高らかに拳を掲げるアンジェリカ。
心配してくれているからこそ、彼らとの友情に応えねばならないのだ。
チョムスに礼を言い、今後に向けての会議を開くべく宿に向かって駆け出して行った。
「ふっ……ありがとう、か」
走り去る少女の背中を見送りつつ、チョムスは口角を上げて笑う。
「奇しくもあの娘の訪れたこの街が、風嵐の縁の地であるとは皮肉なものだな」
「さて、ワシも動くか……あやつらを待ち構えねばならんからな」
地面に筋肉質な腕を立て、のっそりと立ち上がるチョムス。
アンジェリカと同じようにぐっと拳を握り、去っていく彼女の背中へと突き出す。
「次は、戦場で会おう。道具使いアンジェリカよ」
それは老人なりの彼女への敬意であり、そして。
同時に、宣戦布告でもあった。




