06-02 隷属の鐘
仲間達と、噴水の前で別れたアンジェリカは街並を歩く。
「スフィアさんったらひどいわ。私を子供みたいに!」
不機嫌そうに大股歩き。足をならし、腕を振り。
ぬいぐるみ達はその後ろから付き従うようについてくる。
「スフィアさんの方が小さし、年下なのに。ねー?」
アンジェリカはそのうちの一体、疾風の三毛猫ミケランジェロを抱えて問い掛ける。
ミケランジェロは彼女の顔を一瞥すると、興味なさそうに顔を背けてあくびをした。
「あっ、ぬいぐるみ達まで馬鹿にする!もう、酷いわ!」
そんなぬいぐるみの様子に、アンジェリカはますます憤慨しぬいぐるみを放り捨てるが、
ぬいぐるみは放り捨てられた空中で三回転半をし、転ぶ事も無く綺麗に着地した。
街往く人々はアンジェリカ達を訝しげに注目していた。
「おい、あの子……」
「ぬいぐるみに話しかけてるわ。変わった子ね」
興味深げに見つめる者。彼女とぬいぐるみのやり取りに笑い出す者。
「いや、あの赤い髪……それに、動いてるぬいぐるみ……」
「あの子が、人形使いアンジェリカなんじゃないか?」
彼女の姿を見た事があると主張する者。そして彼女の活躍を知っている者。
人々はそれぞれの反応を見せながら、彼女を一目見ようと集まってきた。
「わわっ、人が集まってきたよ」
人形劇を主に生活の糧にしているアンジェリカにとって、
好奇の目に晒される事自体は珍しいものではない。
しかしそれは、あくまで人形劇の人形劇の演者としてだった。
「あの子が、コール・タールやグランディアを救ったっていう?」
「あんまり強そうには見えないがな……」
好奇の目は人を呼び、人がまた別の人を呼びながら街角に小さな人だかりを作る。
群がる人々に驚いて狼狽えるばかりのアンジェリカであったが、
すぐに意を決し顔を上げ叫ぶ。
「ようこそ皆様、道具使いアンジェリカの小劇場へ!」
自分の周りへと集まる人々に、アンジェリカが出来る事と言えば
やはり人形劇で人々を楽しませようとする事くらいであった。
「本日は皆様に、少しばかり時間を戴いてちょっとした芸を披露いたします」
「主演はこの双頭犬のオルトロス、電気羊のメリーさん」
「そして風のように身軽で素早い三毛猫のミケランジェロが、皆様に楽しいひとときをお約束しましょう」
アンジェリカの掛け声によって、オルトロスは勇ましく。メリーさんは上品に。
ミケランジェロはクールに。それぞれの挨拶をする。
何か催し物が始まったと感じた人々はアンジェリカに注目した。
それを確認するとアンジェリカはグローブをし、鉄の輪を取り出して宙に放り投げる。
オルトロスがその鉄輪に炎を吹きかけると、それは火の輪となって辺りは熱気に包まれた。
「うわっ、なんだなんだ」
鉄輪は二つ、三つと増える。それらにもオルトロスは炎を浴びせかけ、次々と火の輪へと変えていく。
その間、アンジェリカは火の輪を一度落とす事も無くジャグリングのように投げ上げ続けていた。
「とくとご覧あれ!ミケランジェロの火の輪くぐり!」
アンジェリカが掛け声を上げると、ミケランジェロが飛び上がる。
空中で火の輪をくぐり、綺麗な着地でポーズを決めた。
「おおー!」
「娯楽島で見た事があるぞ!」
観客から驚きの声が上がる。しかしこれで終わりではない。
二度、三度、四度、繰り返すたびに観客の声が一層大きくなる。
「あ、熱い……」
しかし当のアンジェリカは観客には届かない声で熱さにぼやいていた。
鉄輪には取ってが取り付けられており、耐火のグローブを身に着けているとはいえ熱いものは熱い。
観客の熱気は十分であるし、ここらが潮時であろうとフィニッシュを決めて、
愛馬ヒッポカムポスと人形の銃兵隊に用意させた水で消火する。
と、まさしく火を消そうとするその瞬間に花びらが舞った。
銃兵隊の上げた紙ふぶきだ。観客の目はいそいそと消火しようとするアンジェリカから目が逸れる。
紙ふぶきが舞うと同時に、銃兵隊が軽快にラッパを鳴らした。
電気羊のメリーさんが飛び上がり、電気の火花を散らすと紙ふぶきはぽんと弾けて
中に仕込まれた砂が赤、青、黄色に輝き出す。
「きれーい!」
その幻想的な光景に観客が目を奪われる。
キラキラした輝く砂の世界が、観客達にちょっとした非日常を感じさせていた。
人形劇を終えて挨拶し、人々が捌けていく。
観客は概ね満足しているようでおひねりが次々と投げ込まれていく。
「いやぁ、楽しかったよ。ありがとう」
ヒトの老紳士がアンジェリカに声を掛ける。身なりがよく、上品な男性だ。
「これで今日も生きる気力が沸いた。おひねりはこちらでいいかい?」
次は建築関係の労働者と思しき巨人族の男性だ。彼も気前よくお金を箱に投げ入れた。
「面白かったよ。次はもっとすごいのを期待してるわ」
「ありがとう、人形遣いのお姉ちゃん」
観客の中には仲睦まじいドワーフの母と娘もいた。
アンジェリカの芝居を見た観客は皆一様に顔をほころばせ、満足そうに去っていった。
「わ、わ、ありがとうございます」
絶え間なく投入されるおひねりに、アンジェリカは感謝の言葉を述べる。
冒険者の仕事が入るようになってから生活は安定しているが、
このおひねりは道具使い本来の仕事が評価の表れであり、アンジェリカは心を奮わせていた。
いつも彼女に付き従うミツバがいたならば、我が事のように喜んでくれていただろう。
それだけに彼女はミツバの不在を非常に残念がっていた。
人が完全に捌けた頃。不意にアンジェリカの思考を遮るように遠方から鐘の音が鳴り響く。
「何?これは……鐘の音?」
重々しく響くその音は、明るく賑やかであった街の様子を一変させる。
「ああ……始まってしまった」
朗らかな老紳士も、たくましい巨人族の男性も、仲睦まじいドワーフの親子も。
どんよりと目を濁らせ、彼らは皆一様に同じ方向へと向かっていく。
高い塔が見える、堅牢な城門へ。迷う事無く、足を進めていく。
「み、みんな、どこへ行くの?」
その場にはアンジェリカだけがただ一人、取り残される。
不気味に思い、急ぎ集合場所である豊かの噴水へと足を向けた瞬間に。
一際強く、重々しく鐘が鳴った。
「……っ!?」
その音にアンジェリカは強く心を動かされる。
私もそこに向かわねばならない。そう強く思うようになった。
自分が自分でないような、ふわふわとした、非現実の中にいるかのような思考のまま。
塔へと続く大扉の前に、足取り重く向かっている。
目に見える街の者が全て入って行ってもなおも開かれたままの城門。
アンジェリカは鐘の音に導かれるまま、そこに足を踏み入れようとした。しかし。
「近付くな!!」
しわがれた男の声がアンジェリカの耳に届いた。
「えっ?きゃあ!」
その声はアンジェリカを現実へと強引に引き戻す。
彼女が我に返ると同時に、城門は大きな音を立ててゆっくりと閉まっていった。
「ふぅ、間に合ったわい……お嬢さん、あの扉はとても危険な場所へと続いているのじゃ」
アンジェリカに声を掛けてきたのは、初老と思しきドワーフの男性であった。
ぼさぼさの白髪に、これまたぼさぼさの白い髭。くたびれた服装に、不釣合いな意志の強い瞳。
そしてドワーフと呼ぶには大きな体格と、鍛え上げられた筋肉が特に彼女の目を惹いた。
「ドワーフのおじいさん、何か知ってるの?」
目の前に現れた不思議な老人に、アンジェリカは問い掛ける。
「あの扉の先で、この街の住人達は働かされておる。そこに自由意志などない。王の命令で、あたかも奴隷のようにな」
「どれい?って何ですか?」
聞き慣れない言葉に、アンジェリカは聞き返す。
「奴隷を知らんか……お前さんは幸福じゃな」
奴隷とは、異界からやってきた架空の概念であると老人は告げた。
人間を種族や階級で分けその最下に位置し、壊れるまで働かされるという。
アンジェリカにとっては信じられない言葉であり、少なくとも彼女や仲間の住んでいた土地では存在しない物であった。
「あの塔を見るがよい。この国の王はあの塔の最上階で贅の限りを尽くしていると言うぞ」
白髭を蓄えた老人は、顎鬚を弄りながら目線だけを忌々しげに遥か高く積み上げられた塔へと向けていた。
「民には過酷な労働をさせておいてな……聞こえるじゃろう。塀の中から響く彼らの悲鳴が」
「……うん」
アンジェリカはそばだてる。塀の中からは低く重々しい怨嗟の声や、子供の泣き声。
我が子を庇う女の叫び声が聞こえてくる。
やめてくれ。許して。助けてくれ。思わず耳を塞ぎたくなるような声が、アンジェリカの胸を押し潰さんと響いている。
「中では、一体何が起こっているの?」
アンジェリカは問い掛ける。己の中の不安を払拭する為に。
白髭の老人はその問い掛けに答える事は無く、塔を睨んだまま言葉を続ける。
「他者の道具であることが即ち不幸ではない。賢く優しき主であるならば、その下におる者も幸福じゃ」
「それはお前さんの道具達を見れば分かる。お前さんを慕い、愛しているのが見て取れるからの」
塔から視線を外し、アンジェリカに向き直る。
銃兵隊も、ヒッポカムポスも。三体のぬいぐるみも、アンジェリカに身を寄せる。
新入りの三毛猫のミケランジェロも、走り飽きたのだろうか、彼女の胸に抱かれたまま身を委ねている。
白髭の老人は彼女達の装いを見てかすかに顔を綻ばせたように見えた。
「しかしこの国の王ムーチョスは、どうしようもない愚王じゃ。必ず取り除かねばならぬ」
アンジェリカが彼の表情に安心感を覚えた束の間、白髭の老人の表情は元の鋭い瞳に戻っていた。
彼の瞳に宿るのは、かの暴虐なる王への憎悪か。それとも、塀の奥で起こる見えない悲劇への哀れみか。
「この国の幸福を勝ち取らねばならぬ。分かるな?道具使いよ」
「おじいさん、貴方は……何者なの?」
三度目の問いかけをするアンジェリカ。老人は目を伏せ、逡巡し。
「ワシはチョムス。ここらで暮らしとる……ただのジジイじゃよ」
顔を上げて口元をへの字に結んだまま答えた。
一行は再び噴水の前に合流し、ラブ船長に案内されるまま宿へと向かう。
宿の管理人も居ないので、予め許可を取っておいた上で宿帳に記名をし、ヒッポカムポスを預け、荷物を降ろしてようやく人心地が付いた頃。
「おう、あの鐘はなんだ?」
ホックは、アンジェリカと同じく耳に届いた不思議な鐘の音について訊ねた。
「アレを聞いた途端、街の連中がゾンビみたいに城へ向かって行ったね」
両手を前に突き出すような仕草をするスフィア。
彼女も街の光景を不気味に思ったようで、ラブ船長へと疑問を投げかけていく。
二人に促されたラブ船長は、がらんとした街中を窓から眺め粛々と答える。
「あれは隷属の鐘。街の人間の精神を操り、まるで道具のように……」
そこまで言ってはっとなりアンジェリカを見やる。
視線に気付いたアンジェリカは一瞬きょとんとし、その意図に気付いて身振り手振りで気にしていないとアピールし続きを促す。
「道具のように、自由に働かせる事が出来る……神話級の魔法アイテムです」
ラブ船長はほっと胸を撫で下ろし、一つだけコホンと咳き込んで続けた。
西風の街ホープは、異界からの道具が時折浜辺に流れ着く。
西から吹く風に乗って、異界の貴金属や貴重な魔法アイテムなどが流れ着き、それを手に取った人々によって興った国だ。
たとえばネジを回せば永遠に回り続けるオルゴール、念じるだけで炎が噴き出す杖、着るだけで身が引き締まる下着など……。
この国はそういった異界の品を他国に売る事によって商業都市として発展してきたが、こういった事件が起こる事も歴史上に何度かあった。
「おいおい、そんな鐘を聞かされた俺達はどうなるんだ?」
「一度聞いたけど、別段何か変わったような気もしないんだけど」
ホックとスフィアは、あの鐘を聞いていたが特に身への変化は訪れていないようだった。
「あの鐘を、一度二度聞いた程度で精神に大きな影響を受ける事はありません」
ラブ船長はやはり静かに、二人の疑問へと答えていく。
「この鐘は、街で暮らす人々に十年、二十年とこの鐘を聞かせ、長い時間を掛けて精神を蝕んでいきます」
「そして精神を完全に乗っ取った時期を見計らい、生きたまま傀儡としていくものなのです」
「気の長い話だなぁ、おい?」
ホックは肩を竦めた。
此度の調査は、この国で起こった異様な光景をを訝しがった他国の商人が大教会に直訴したことが発端である。
この世界に於いて大教会は最も尊重されるべき宗教機関だが、個々の国家の治世はそれぞれの国王が任されている。
大教会の法王は他国への内政干渉を避けようと考えていたが、度重なる訴えに重い腰を上げたのだという。
「ね、ねぇ、ラブ船長さん」
ラブの言葉に疑問を抱き、アンジェリカは声を上げた。
「どうかされましたか?アンジェリカさん」
「この鐘の音を初めて聞いた人が、同じように……」
アンジェリカは息を呑む。
彼女の中に降って湧いた疑問は、場合によっては彼女の今後を決定付けるかもしれない。
そう思うとなかなか言葉が出ない。
アンジェリカの言葉を待ち、スフィア、ホック、ラブ船長、ケルヴィンの四人の視線が彼女に集まる。
長い沈黙。四人が訝しげに顔を覗き込むと、アンジェリカは意を決し疑問をぶつけた。
「同じように、ふらふらと導かれてしまう事ってあるのかしら?」
疑問を投げかけられ、四人はますます首を傾げる。
「そう言った話は、聞いた事がありませんわ」
それがラブ船長の答えだった。
「ですが、特に感受性の強い方や幼い子供であればあり得るかもしれません。それが何か?」
「アンちゃん、もしかして?」
四人の中で、スフィアだけがその意図に気付く。
「私もこの街の人々と同じように……あの鐘に誘われて、門の先へ向かおうとしたわ」
目を見開くケルヴィンとラブ。沈黙し、腕を組むホック。
やはりと言った表情で肩を落とすスフィア。それぞれの反応を見せる一同。
「分からない、分からないけど……」
「ああ。だが、たった一つだけ分かる事がある」
沈黙を解いたホックにアンジェリカは目を瞑る。肩を震わせ、ホックの次の言葉を待つ。
しかし彼女には、既に次の言葉の予想は出来ていた。そうなる事が必然だったからだ。
「アン、お前はこの作戦に参加できねえってこった」
それは、事実上の戦力外通告であった。




