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道具使いアンジェリカ  作者: ろん
六章【道具使いと砂漠の塔】
44/64

06-01 西風の街ホープ

 


 静かな湖畔の森の中。木々がそよぐ爽やかな風に包まれたコボルド村の家屋の一室で。

 金色の毛皮と翡翠の瞳を持つ、二足で立つ獣のような容貌の魔物の老人――コボルドの長老が、静かに紅茶を啜っていた。


 コボルド達だけが暮らすこの村で、

 人間は現在の地主である夫婦とその娘であるアンジェリカ、その一家に従事している夫婦とその娘であるミツバだけであった。

 彼らは種族の違いなどを気にも留めず、良き隣人、良き友人として仲良く暮らしていたが、つい先日の事故でミツバの両親が亡くなり、村は悲しみに暮れていた。


 彼らの葬儀を済ませ、ようやく落ち着いたと思った矢先。

 この村の数少ない子供の軽い足音が、どたばたと響き静寂を振り払った。

『おじい様!どうしてミツバにぬいぐるみ作りを禁止したの?』

 勢いよく開かれた扉が壁を打ち、壁掛けの家具が揺れる。

 部屋の入り口には、憤りと悔しさに顔を真っ赤にした幼き頃のアンジェリカが息を切らせて立っていた。


『お前は知らなくてよいことじゃ、アンジェリカよ』

 コボルドの長老はアンジェリカに一瞥もやることはなく、窓の外を見つめながら紅茶を啜る。

 その態度が、ますますアンジェリカを憤らせた。

『ミツバ、自分の道具を作れるって喜んでたわ。私にもプレゼントをしてくれるって。どうして?』

 問い詰めるアンジェリカの後ろから、またも小さな足音がぱたぱたと響く。

『アンジェリカさま、やめて!わたしはもういいの……』

 足音の正体はこの村のもう一人の子供、ミツバであった。

 ミツバは後ろからアンジェリカの腰を抱きながら懇願した。


 アンジェリカはそんなミツバの前に向き直り、屈んで肩に手を置いて諭す。

『ミツバ……貴方の力はとても素敵よ。誰にも抑え込まれちゃいけない貴方だけの物なのよ』

 それは小さな村で、誰にも咎められる事もなくのびのびと育った少女の理屈であったが、

 故にその言葉が前の前にいるミツバと、窓の外を見つめるコボルドの長老を打ち据えた。

『そりゃ、周りの人はびっくりするかもしれないけど。私はそれも含めて貴方が大好き。だから、それを大切にして欲しい。それはきっと、貴方の未来を輝かせてくれるんだから』

 アンジェリカは幼いミツバの肩を抱き締め、ひとしきり自身の温もりを与えるとコボルドの長老に「あっかんべー」をしながら部屋を出て行った。


 長老は孫のように可愛がったアンジェリカの行為に困ったものだと呆れながらも、

 自分が注いだ愛情と同じように、彼女もミツバへ愛情を注いでいる事に安心感を覚えていた。

『行ったか……あやつには、お前の両親の死を事故死だと告げておる』

 紅茶を置き、呟く長老。ミツバはぴくりと肩を震わせる。

『わ、わたしが……わたしのぬいぐるみが、お父さんとお母さんを食べちゃったの……』

 ミツバの両親の死の原因は、ミツバのぬいぐるみが制御を失い暴れまわったことであった。

 彼女の持つ力によって暴走したぬいぐるみは、まず両親を襲い、命を奪った後にその凶刃を主人であるミツバへと向けた。

 そして現場を目撃したアンジェリカの両親が、ぬいぐるみを押さえ込み撃破したのだ。


 その事実を知るのは、アンジェリカの両親とミツバのみ。

 アンジェリカの両親に事情を聞かされた長老はこの一件を「急な病死」としてまとめ、村に発表した。

 この件はミツバと最も親しいアンジェリカにさえ知らされる事もなく、闇の中へと秘匿される。

『あれはやはり事故じゃよ。お前が悪い訳じゃあない。だが、分かっただろう?』

 ふ、と息を漏らす長老。彼自身もミツバを責める気は無く、むしろ彼女にこのような運命を与えた天使を呪った。

『お前の力は、今の未熟なお前では扱い切れぬ。このままではいつかあやつを……お前が最も敬愛する、アンジェリカをも失う結果になるやもしれぬ』

 再び紅茶に口をつける長老。長老の口にした未来はミツバにとっても彼自身にとっても最も恐ろしい事であった。


『時を待て、ミツバよ。お前が十五となったその夜に、三体だけぬいぐるみに命を与えるがよい』

『そしてあやつが大きく成長したと思った時にだけ、そのぬいぐるみを与えるのだ……それまでは、お前が縫ったぬいぐるみに決して命を与えてはならぬ』

 ミツバは頷いた。自身の力が制御できるようになるその夜まで。

 ……命の無いぬいぐるみを作り続ける事に、五年の月日を費やした。




 アンジェリカ一行がアンデッド達が率いる幽霊船と別れてから二日、緑の大陸を出てから七日が経った日の早朝。

 一行はようやく、砂漠の大地へと降り立った。


「砂漠の大陸へと到着致しました。どうぞ、足元にお気をつけてお降り下さい」

 タラップから降りて行き、砂で広がる大地を踏み締める。

 そんな彼女達を最初に出迎えたのは、カンカンに照る日差しだった。

「ううん、暑いねえ」

 手の甲で日差しを遮りながら、アンジェリカは空を見渡す。

 先日の嵐などはどこへやら。雲ひとつない青空は遥か遠く続き、嵐どころか雨さえも降りそうにない。

「ここから少し歩きますわ。体温の管理と水分の調整にはご注意下さいね」

「こう日差しが強いと……あっ」

 ミツバがくらりと膝を折る。地面に衝突しそうになる身体を受け止めたのはホックであった。

「おっと、さっそく日差しに当てられた奴が出やがったな」

「この子だけでも、船に残して置いた方がいいんじゃない?」

 スフィアの言葉にミツバははっとなり、いやいやと首を大きく振る。

「はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ。わ、わたくしなら大丈夫ですわ」

「全然、大丈夫に見えないんだけど……」

 森育ちで元々日差しに弱いのも手伝い、息も絶え絶えで身体が既にほってりとしたミツバを、アンジェリカはそっと抱き寄せる。

「ミツバ、無理しないで。私は今回も必ず無事に帰ってくるから」

「ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません……」

 必ず帰ると約束するアンジェリカに、苦しそうに息を吐き答えるミツバ。

「ならばせめて、この子をお持ち下さい。力は弱いですが、必ずお役に立ちますから」

 ミツバは主人に一体のぬいぐるみを寄越す。白黒茶色と三色の毛に覆われた猫のぬいぐるみだ。

 目は黄色く、細い黒目が主人たるアンジェリカを一瞥するとぷいとそっぽを向く。

「……うん、ありがとう。大事にするね」

 アンジェリカは三毛猫のぬいぐるみを受け取り微笑むと、ミツバを涼しい船の中へと送り返して行くのだった。


 船の中に戻るミツバを見送り、残されたスフィアとホック、アンジェリカは彼女に託されたぬいぐるみを囲んで値踏みするように見つめていた。

「なんだこれ、猫のぬいぐるみ?」

 三毛猫のミケランジェロは、スフィアをじとりと見つめるとやはりぷいとそっぽを向いた。

 その愛想の悪さにスフィアは腹を立て、ぐいぐいと顔を向けさせようとして引っ掛かれてしまう。

「いたたっ、な、生意気なやつめ!」

「けけっ、ちっこいクセに一丁前に威嚇してやがるぜ。誰かさんにそっくりだな?」

「なんだって?」

 からかうように笑うホックを睨むスフィア。

「こらこら、ケンカしないでよぅ」

 その様子があまりにミケランジェロとそっくりで、アンジェリカまでつい噴出してしまう。

 作られたばかりの三毛猫はあんよを覚えた赤子のように落ち着きが無く、アンジェリカが抱きかかえようとしてもすぐに振りほどき、彼女の胸から飛び出して駆け出す。

「わっ、わっ、待ってってば!」

 やんちゃな子猫を追いかけアンジェリカは走る。遥か遠くの視界に黒い影が映り、それが街並であると気付いた頃にはホープの街はすぐそこまで迫っていた。


「さぁ、ここが西風の街ホープよ」

 街の門の前に立ち、ケルヴィンが手を広げて中に入るように促す。

 大きな街にも関わらず、簡素な木の柵だけで囲まれた塀はこの国に於ける外敵の少なさを物語る。

「ここが……」

 アンジェリカは入り口から街中を見渡していた。

 建物はグランディアと同じく石造りであるが、岩を切り出しただけのあちらに対してこちらは石をレンガのように加工し積み上げているという違いがある。

 雰囲気は似ているが、砂塵が舞い散っている為に少々粉っぽい。

 街はやはり物が集まる商人の街だけあり、商売に精を出す男達の声で賑わっていた。

 しかしそれら以上に、グランディアの城よりも遥かに大きく高く積み上げられた王城が大きく目を惹いた。

「すごい……ところだね」

 見上げても見上げても果てが見えない。まるで天まで届くような高い高い塔のような城。

 世にも不思議な光景が、アンジェリカに感嘆の声を上げさせた。


「あーっ、喉が渇いたぜ。水だ、水を寄越せ!」

 塔に見入りぽかんと口を開けたアンジェリカを押しのけ、ホックはずかずかと街へと入っていく。

「手配した宿の手続きをして参ります。それまで、皆様は自由行動をなさってください」

 豊かさの象徴である噴水の前に集まり、一時散開を命じられる冒険者達。

 指示を下したラブ船長は、一旦は彼らから離れ宿へ向かおうとする。が、ふと思い出したように彼らに向き直り、そして。

「くれぐれもあの大扉には、近付かないようにお願い致します」

 真っ直ぐ王城へ向かう城壁の扉を指し、冒険者に今一度釘を刺したのだった。



「……やっぱり、胡散臭いね」

 背中を向け雑踏に消えて行くラブ船長。そんな彼女の背中を見ながら、スフィアは呟いた。

「ああ、ケルヴィンの嫁だって言うからどんな奴かと思ったが」

 珍しくスフィアに同調するホック。彼女自身は真っ当なアンジェラ教の信者である事は間違いないだろう。

 言動に特におかしな部分がある訳でもないし、幽霊船との協力体制をすぐに取れたのも彼女の働きによるものが大きい。

 それは結果的に水竜との戦いを犠牲者を出さず終わらせる結果になり、彼女の優秀さを裏付ける証拠となりうる。しかし。

「どうにも無味乾燥すぎる。ああいうタイプ、どっかで見た事あるんだけど?」

「奇遇だな。俺様もだよ」

 彼女の態度、言動は誰かを彷彿とさせる。今までに出会った誰か。誰か。誰か。

「あら、ご挨拶ねえ。あれでも結構情熱的なのよ」

「そうよ、憶測で悪口を言うのはよくないわ」

 思い出そうとする二人の思考をケルヴィンが遮る。

 二人が振り返ると、そこには肩を竦めて笑う彼と、その隣で頬を膨らませ不満を露わにするアンジェリカの姿があった。


 アンジェリカは敬虔なアンジェラ教の信徒……というより、熱心な天使のファンであった。

 そんな彼女にとってラブ船長は教会の中で信頼を勝ち取り、多くの騎士と神官を抱える船のリーダーである。

 彼女は救世の天使アンジェラに憧れを抱くように、同じくラブ船長に憧れを持ったのだ。

 ラブ船長の夫であるケルヴィンに至っては言わずもがなである。

「ああ、悪かった悪かった。そんなにむくれるなよ」

 杞憂であって欲しい。そう願いながらホックはアンジェリカの髪をわしゃわしゃと撫でていた。


「もう。それより、せっかくの自由行動なんだから。街の散策でもしましょうよ」

 ぐちゃぐちゃにされた髪型を直しながらアンジェリカは提案する。

「行くなら一人で行ってきな。俺様は宿でたらふく水を呑んでくるからよお」

 しかしホックはアンジェリカの誘いを断り、ラブ船長と同じく街の喧騒に向けて足を向ける。

「あたしも休憩しようかしら。アンジェリカちゃんはどこへ行くの?」

「ちょっとそこまで~」

 同じく街中へ足を向けたアンジェリカに、スフィアは声を掛けた。

「アンちゃん、一人で行く気?ミッちゃんがいないと心配なんだけど」

「失礼ね、迷子になんてなったりしないわ」

 くるりとアンジェリカはスフィアに向き直る。

 その傍にはアンジェリカを守るように三体のぬいぐるみがぴったりと寄り添っており、炎と、雷と、風の守護者達は心配するなと言わんばかりに誇らしげに背伸びをする。


「まぁ、ぬいぐるみ達がいるから心配はいらないか」

「ぬいぐるみ以下!?」

 まるで後頭部を殴られたかのように目を白黒させるアンジェリカ。

 その表情はあまりに滑稽で、スフィアはつい噴出してしまう。

「いいもん、一人で行くわ!」

 からかわれたと悟り、アンジェリカはますます憤慨する。

 再びスフィアに背を向け、大股歩きで歩き出す。

「……私は出店でも回ろうかね」

 去って行くアンジェリカの背中を見送りながら、スフィアもまたアテも無く。

 冒険者達は豊かの噴水の前から立ち去り、人ごみの中へと消えて行った。



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