05-03 海竜リヴァイアサン
アンデッドと共闘するという話が騎士や神官達の間に広まってすぐ、当然の事ながら彼らの間から抗議の声が挙がった。
全ての人間にとって魔物やアンデッドは敵であり、見かけたらすぐに討伐せねばならないという教義だ。
その教えを彼らは徹底しており、今回の幽霊船も「天使様のご友人だから」見逃しているだけだった。
ましてや「共闘」など絶対にあり得ない。そう言った主旨のものであった。
彼らの主張は一見傲慢だが、裏を返せば自身の信仰に対して誠実であるとも言えた。
しかし、いざ戦いが始まればそのような事を言っている場合では無いと、彼らは一様にして理解する。
天を突き響く海竜の七つ首から放たれる歌声。
ただでさえ湿った空気は突如鈍重に、その場に居た多くの生物の上に圧し掛かった。
「な、なんだ、この声は……!?」
「あ、頭が割れる……!!」
割れるような痛みに蹲り、頭を抱える騎士と神官達。
中にはのた打ち回り、体中をかきむしる者まで現れる。
「ぐあああっ、ああっ、あああっ!!」
ひとしきり叫んだ後、騎士の一人が苦しがるのをやめてすっくと立ち上がる。
その目じりはだらんと垂れ下がり、だらしなく開かれた口からよだれが滴り落ちていた。
「おいっ、何をする!?やめろ!!」
その手に握られた剣。仲間の様子がおかしい事に気付いたとある騎士が声を上げた。
狂った仲間が振るう凶刃。騎士の懇願も空しく、それは無慈悲にも振り下ろされる。
「うわああああっ!!」
船のあちこちから起こる悲鳴が引き金となり、歌声に狂った騎士達による同士討ちが始まった。
「落ち着くのだっ!『サニティ』!!」
滴る血糊。ほとばしる血しぶき。苦しみながらも正常を保つ神官によるサニティの魔法が飛び交う。
錯乱した精神を落ち着かせる神聖魔法だ。
「冷静になれっ!傷は浅いぞ!!『ヒール・プラス』ッ!!」
「まずい、治療が追いつかぬ!聖なる癒しの祈り……『シスター・プライ』!!」
神官達の必死の治療の魔法が騎士達に掛けられるが、止まらない歌声による止まらない悲劇は
船上を一瞬にして地獄絵図に変えていた。
海竜の歌は、アンデッド達にも影響を与えていた。
身体の殆どの機能を失ったアンデッドに、生身の声を聞く力は当然の如く存在しなかった。
上位種レブナントであれば話は別だが、彼らはそうではない。
しかし竜の歌は耳だけではなく魂にも響く。耳と魂から精神を破壊する二重奏だ。
「ど、どうするの?スフィアさん!船の皆が怯えているわ!!」
魂だけで聞いたアンデッド達は、海竜の歌に強い不安を覚え
向こう側の船上で戦う人間達ほどではないが、所在無げにうろたえていた。
「『竦み怯えよ』……いいや、もっと上位の。相手に恐慌を与える魔法の一種か」
海竜の歌声と、周囲の異常な様子にスフィアは焦りを覚えていた。
幽霊船の甲板に存在するアンデッドの戦士達の殆どが一瞬にして機能を停止し、
残った戦士達も戦闘不能になった仲間を救助するのに手一杯だ。
『七つ首が同時に魔法を詠唱する事で、大規模で深刻な恐慌状態を持続的に与える事が出来る』
『奴が厄介な理由の一つだ。やれるか?勇者よ』
アームストロング船長の義眼が軋み、ギシリと音を立てて海竜を睨む。
「出来ない訳が無いだろ。どんなに強力になっても魔法は魔法だ」
手で魔法力を練りながらスフィアは答える。
強力な魔法を封じる手段はいくつかある。その中で最も簡単で効果が高いのが『封ぜよ(シール)』の魔法だ。
何しろ総魔法力を相手よりも上回っていればよく、その魔法力も勇者となったスフィアは十分竜に対抗できる量を蓄えている。
しかしスフィアが封印できるのは七つ首のうち一体だけであり、残りの六体は教会の神官達の協力が必要だ。
攻勢に出るには彼らに戦線復帰をしてもらわねばならない。しかしここからスフィアのサニティの魔法は届かない。
「アンちゃん、一時的にあの歌を止めたい。なんとかならないかな?」
故にスフィアはアンジェリカを頼った。彼女ならば、スフィアの知らない解決法を見出してくれると思っていた。
「任せて。本当はこんな使い方はあんまりしないけど……っ!!」
アンジェリカは彼女の期待に応えるべく、自慢の道具達を総動員する。
取り出したるは駆動兵器フォートレスを相手に使った手回しハンドルを持ったスピーカーと、
どこか機械的で稲光を思わせる不思議な弦楽器を持って飛び出した人形の音楽隊。
「さぁみんな!楽しい音楽の時間よっ!」
アンジェリカがスピーカーを作動させると同時に、音楽隊が一斉に弦を弾く。
ギュイー……ンッ!!奇妙な楽器からこれまた奇妙な音が響き渡る。
「響け、私達の魂っ!届け、天を貫くようにっ!」
「ここにいるみんなに伝えたい、私達の歌声っ!!」
アンジェリカの叫びに呼応し、熱く、激しく、やかましく楽器をかき鳴らす音楽隊。
『くくっ、何をするかと思えば……』
「けれど、心が熱くなる……っ!魂が燃え上がるみたいだ!」
――異界アーメリックが発祥とされる大衆音楽。
激しく楽器をかき鳴らし、力の限り声が枯れるまで叫び上げるそれは人々の心を高揚させ、聞く者に戦う力を与える物だ。
アンジェリカ達の演奏は遠く離れた船に居た者達の魂をも奮わせ、勇気を与えていた。
それにいち早く気付いたのはホックだ。
「アンの野郎、何をおっぱじめやがった!?」
彼は自分の中にふつふつと湧き上がっていく力を感じていた。
そしてその歌は、同じ船に乗っていた騎士や神官にも影響を与える。
「この歌は……我らに力を与えてくれるのか?」
狂乱に陥っていた騎士達は、はっとなり正気を取り戻していく。
サニティやシスター・プライを掛け続けていた神官達の魔法力も回復していく。
「この音楽を奏でているのは誰なのだ?まさか……!!」
騎士と神官達は一様に顔を見合わせ、そしてアンジェリカが乗っている船を見つめていた。
「音と音をぶつけ合うッ!私達の歌で、貴方の魔法を押し返すっ!!」
聞いた者の精神を狂乱させる歌と、聞いた者に力を与える奇跡の歌。
二つの歌が空中でぶつかり合い、音圧がせめぎ合う。
強大で暴力的な音をぶつけられた海竜が、ほんの一瞬だけ歌を止めた。
『歌が止まったようだな……』
「まだまだ。これだけじゃすぐにまた歌を再開してしまう」
スフィアの言う通り、海竜はすぐさま歌いだそうと大きく息を吸い込んでいた。
「クカカカカ!おいおい、前よりも騒がしくなってるじゃあねえか!」
「そうでなくっちゃなあ。そうでなくっちゃなあ!面白くねえぜえ!!」
ホックが戦いの悦びに猛る。
「次の魔法が来るぞ!こちらも封印魔法を掛けるのだ!!」
神官達が、一斉に魔法の準備に取り掛かる。
詠唱の開始と同時に彼らの身体から白い光が生まれ、
暗い嵐の中で広がるそれはさながら夜明けの日の出のようであった。
「アンカーを射出しろ!奴の身体に飛び移るぞ!!」
騎士達も同じくアンカー射出の準備に取り掛かる。
巨大な水勢生物の動きを止める為に使われるもので、巨大なそれは突き刺さった瞬間に
海竜の鱗を砕き血しぶきを上げて、再び歌いだそうとする海竜を叫び声と共に強引に引き止めた。
「おらあ!おらあ!おらあ!俺様が一番乗りだぜえええええっ!!」
アンカーのワイヤーを駆け上がるホック。
その肩には駆動兵器アシッドレイクから鹵獲接収した巨大なハンマーが担がれている。
「恐れるな!あの巨人族の彼に続け!!」
アンジェラ教の騎士達も巨大な竜に挑む足の震えを堪えながら、ワイヤーを伝い先行するホックに続いた。
また後衛にて待機する残り半分の騎士達は後方から石弓を引き援護する。
「一分以上続けて奴の歌を聞くな!精神をやられるぞ!!」
「力を合わせて、巨大な竜を打ち倒すのだ!!」
騎士隊長の声が響く。アンジェリカの歌だけでなくそれらもまた、騎士や神官達の士気を鼓舞していた。
神官達の起こす光が最高潮にまで輝き、強力な封印魔法が完成した。
「神官隊!封印魔法、いつでも放てます!!」
「行くぞッ!!『シール』ッ!!」
聖なる光の環が竜の首を拘束せんと絡みついていく。
神官長の声と共に百を超える封印の光が一斉に放たれ、海竜の七つ首のうち六つの魔法を封印した。
驚きに竜は首をよじるが、どれだけ声を上げようともシャウトの魔法が発動することはない。
「『シール』……行けぇッ!!」
スフィアもまた封印の光を発し、一人で七つ首のうちの一つを封印する。
奇妙な歌が完全に止まった事にアンジェリカは驚き歓喜した。
「効いてるっ!シャウトの魔法が完全に止まったわ!!」
『俺達も乗り込むぞ!アンカーを撃ち込め!!』
幽霊船からもアンカーが射出され、そのワイヤーからアンデッドの戦士達も海竜の身体に乗り込んでいく。
アンジェラ教の騎士とその敵であるはずのアンデッド達との共同戦線が始まった。
「げははははっ!!七本の首を全部斬り落としてやらあっ!!」
「我らも行くぞ!遅れを取るな!!」
ホックと騎士達は竜の身体へと降り立った。
そこで彼らが目にしたのは青色に光り輝く大地であった。
「なんて美しいんだ……これが、竜の鱗なのか」
サファイアのように光る鱗が彼らの目を奪い、彼らの心に感動すら芽生えさせる。
だが、それも束の間であった。
海竜の身体から鱗が剥がれ落ち、それらが互いに合わさると
みるみるうちに魚人のような醜悪な姿をした魔物に変わっていく。
鱗の魔物は騎士達の姿を捕らえると目が爛々と輝き、鋭い爪を持って彼らの喉笛を狙って攻撃を始めた。
「くっ!なんだこいつらは!?」
騎士達は驚き戸惑うが、すぐに冷静さを取り戻し騎士の一人が盾で攻撃を受け止めて、
随伴したもう一人の騎士が剣を両手に構え、死角から唐竹割りを繰り出す。
堅い鱗を砕きながら両断される鱗の魔物は、痛みを感じる間も無く絶命した。
「落ち着け!二人一組で掛かれば対処は難しくない!」
自信を持って声を上げる騎士達。本職の意地の見せ所であった。
敵は依然として増え続けている。
広い広い海竜の身体という大地から次々と剥がれ落ちる鱗の魔物は、
無数ともいえる程に増え続け、いつしか騎士達が対処できる許容量を大きく超えていく。
「く、くそっ、数が多すぎる!!」
「しまった、踏み込みが……っ!!」
戦いに疲れ、踏み込みが甘く敵にトドメを刺しきれなかった騎士の一人が、焦りから剣を引いてしまう。
命からがら生き残った鱗の魔物は、赤い瞳を爛々と輝かせて攻撃を仕掛けた騎士を睨む。
その瞳に本能的に恐れを抱き、剣を取り落とす騎士。二、三歩後ずさり、尻餅をついてしまう。
叫ぶ相棒の騎士だが、もはや彼には相棒の声は届かない。
彼の視界に映るのは、仕留め損ねた鱗の魔物の憎悪に満ちた赤い瞳。
自分は殺されてしまうのだろう。命のやり取りに敗北した騎士は、自らの死期を悟り目を瞑った。
しかし一向に敵の爪が振り下ろされる気配は無かった。
不思議に思い騎士が顔を上げると、信じられない物を目の当たりにする。
スケルトンの戦士が彼を庇うように、鱗の魔物の前に立ち塞がり武器と爪をせめぎ合わせている。
相棒の騎士もこれには驚き、目を見開いていた。
「お、お前は……俺を、助けてくれるのか!?」
尻餅をついていた騎士は尋ねると、スケルトンの戦士は彼に背を向けたままコクリと頷く。
「すまない、恩に着る……」
彼の口から出たのは、共闘すると誓いながら信用し切れなかったアンデッドへの感謝の言葉であった。
剣を取り鱗の魔物のすぐ後ろに立ち、鱗の魔物を水平に両断した。
戦況は概ね、騎士とアンデッド達との連合軍の方へと傾いていた。
「アンデッド達が、騎士達を加勢しているようです!!」
十分な実力を持った騎士達に加え、アンデッドとの息の合った連携によって勝利を更に磐石な物へと昇華させていく。
「そうか、彼らが……どうやら今は彼らに頼るしかないようだ」
「神官達に伝えよ!封印魔法を決して絶やすなと!!」
教会の者達は、アンデッドの戦士を仲間として受け入れた。救世の天使アンジェラを敬愛する同じ友であると理解した。
「そして騎士達に伝えよ!敬愛する天使の友人達と手を取り合い、海竜リヴァイアサンを撃破せよと!!」
「はっ!!」
そして「我ら」と「彼ら」を引き合わせ、結びつけた二人の少女。
勇者スフィアと道具使いアンジェリカに天の与えた運命を感じていた。
先陣を切ったホックが海竜の巨大な首の根元に迫る。
海竜は走り寄る男の危険を察し抵抗を試みるが、魔物を作り出しても瞬時に破壊され首による薙ぎ払いの攻撃も悠々とかわされて行く。
代わりに繰り出される攻撃は、巨大なハンマーによる一撃だ。
ハンマーは振り回される風圧によって大きくしなり、打ち据えられたそれは海竜のサファイアの鱗を易々と砕いてゆく。
剥がれた鱗が魔物となるまでもなく弾けて消える。生木が折れるような音がした後、海竜の首の一つが絶叫を上げた。
「がははははっ!!まずは一本、さぁ、次の首はどこだぁ!?」
海竜の首を撃破し、ホックは勝鬨を上げる。
「こっちも一本。油断するなよ、ホックさん?」
次の獲物を探して左右を見渡す彼に対し、遅れて海竜の身体に乗り込んだスフィアも
勇者の光で海竜の首を機能停止させながら彼に釘を刺した。
「な、なんだあの二人は……!?」
「あれが、勇者とその仲間なのか!?」
その光景に、随伴する騎士達はただただ目を見開いていた。
それでも騎士達は負けじと、海竜の首を取り囲む。
「彼らと同じようにやろうと思うな!我々は多人数で一本ずつ、確実に落とせ!!」
複数人で剣を用い一斉に攻撃。敵の攻撃を受け傷をればすぐさま後方に下がり、
傷ついた騎士は船で神官の治療を受けながら別の騎士がすぐに駆けつける。
「矢を持って来い!次はあの首を狙うぞ!!」
治療を受けた騎士は、そのまま石弓の砲撃手となった。
石弓の威力は人間が振るう剣の威力より遥かに強力で、海竜の鱗さえ貫き砕いていく。
前衛で戦う騎士やアンデッドの戦士の牽制が功を奏し射抜かれて行く海竜の命は、騎士達や勇者スフィア、戦士ホックの活躍によって着実に削られていった。
戦いは苛烈を極め、海竜の抵抗は天候を操り激しく打ち付けるような豪雨となる。
「くそっ、雨で足元が……うわあああああっ!!」
地面が、否、竜の身体が揺れる。足を滑らせ転倒する騎士達に更なる追い討ち。
揺さぶりを掛けられ海へと投げ出される騎士達は一人や二人ではなかった。
「人魚救助隊!出動!!」
騎士達が海へ投げ出されたと同時に、船で待機をしていた人魚族の女性が声を上げた。
彼女の声に従って、多くの人魚族の男性達が海へと飛び込んでいく。
「海に落ちた騎士達を助けるわ!誰一人取りこぼさないで!!」
「了解っ!!」
彼らは海へと沈んでいく騎士達をしなやかな身のこなしで追いつき、騎士達を抱え救い上げていく。
海上での戦いを想定した、海専門のレスキュー隊。
彼らの活躍によって海に沈んだ騎士達は誰も犠牲者を出す事なく船室へと収容された。
「二人とも、ううん。みんな凄いわ……」
騎士、アンデッド、神官、人魚救助隊。
彼らの連携された戦いを目の当たりにし、アンジェリカは息を呑む。
今の彼女に出来る事は、海竜の歌を止める事。後方から騎士や勇者を支援するくらいの事であった。
「だけど私は、私のやれる事をやる……歌え!喉が枯れるまでっ!勇気を与える戦士の歌をっ!!」
故にアンジェリカは力の限り歌う。
道具達と共に楽器をかき鳴らし、戦士達に戦う力を与え続けていた。
勇者達と、騎士達と、アンデッド達との協力の末、竜は徐々に追い詰められていった。そして。
「これでッ……終わりだっ!!」
「げはははッ!終わりだぜええええッ!!」
勝負は決した。
勇者スフィアと巨人族の戦士ホックの一太刀が海竜の最後の首を海に沈め、息も絶え絶えであった海竜を完全に絶命させる。
海竜は絶叫を上げた。
ビリビリと空気が張り詰め、断末魔ながらも傷ついた戦士達に決して小さくない衝撃を与えた。
だが、それまでだった。
やがて最後の首の目から光が消え、ずぶずぶと荒れる海へと沈んでいった。
「倒した……のか?俺達が、海竜を?」
「見て!北の空から嵐が去って行くわ!!」
首を失った海竜の死体の上で、戦士達が鬨の声を上げる。
空から雨雲が去り、今、朝日が昇ろうとしている。
生と死が混ざりあった嵐は、二つの海はこの瞬間に明確に分かたれる。
嵐が去り、内海に再び凪が訪れた。
幽霊船を外海から追い立て、内海に死の嵐を呼んだ五大竜の一柱。
海竜リヴァイアサンは、教会とアンデッドの連合軍によって二つの海の狭間で討伐されたのだった。




