05-02 幽霊船の魔物達
「そういうことで、あっちもどうやら困ってるみたいなの」
アンジェリカ達は船に戻り、幽霊船で見聞きした事を報告した。
幽霊船に敵対意志は無い事、幽霊船が海竜リヴァイアサンに追い立てられている事、海竜が内海に侵入してくる恐れがある事。
「そういう事でしたか……分かりました」
ラブ船長はそれらの事柄を半紙に箇条書きに書き記していく。
「こちらからも、騎士と神官を派遣させて戴きます。勇者様、どうか力をお貸し下さい」
「あ、あー……うん」
立ち上がり深々と頭を垂れるラブ船長。しかしスフィアはバツが悪そうに言葉を濁すばかりであった。
報告を終え、部屋に戻るアンジェリカとスフィア。
退屈そうにベッドに横たわるホックと、ホックの後ろで縫い物をするミツバはは彼女達に気付き声を掛ける。
「で、どうだった?思ってた通りの魔境だったのか?」
「うん、最初はびっくりしちゃった。右を見ればゾンビ、左を見ればスケルトンのお祭り騒ぎよ」
詰め寄るホックに、アンジェリカは肩を竦めてからからと笑う。
「そうだったのですか?ああ、なんと恐ろしい……」
「まじかよ……よく平気で居られるな、お前」
顔面が蒼白になるミツバ。
ホックもあまりにあっけらかんとしているアンジェリカに引き気味だ。
「でも、みんな気のいい人達だったわ」
そんな二人に、アンジェリカは心配不要と微笑み掛ける。
「それで、翌朝また作戦会議の為に向こうの船に渡るよ。今度は、みんなも顔を合わせてね」
「……まじかよ」
やや自嘲気味に。スフィアはこれから自分達に訪れる運命を語りだす。
たくさんのスケルトンやゾンビ、ゴースト等のアンデッドに囲まれる事を想像し、
ホックはやはり村に残っておくべきだったと、自身の運命を呪うように、がっくりとうな垂れた。
その後、再び一行は幽霊船へと訪れる。今度はラブ船長やホック、ミツバを連れて。
幽霊船の船長、アームストロングと名乗った隻眼のアンデッドは左目に嵌め込まれた義眼を、音を軋ませながら回す。
『お主が、そちらの代表者かな?』
その中で一際身なりの整った丘人魚族の女性。即ちラブ船長に目を留めて語りかけた。
「ラブと申します。天使様の旧知のご友人と聞き及びまして、参上致しましたわ」
声を掛けられ、恭しくお辞儀を返すラブ船長。
天使の旧知の仲であるアンデッド船長に対する最大限の礼儀で返した。
『天使……救世の天使アンジェラ……懐かしい名だ』
知った名前を聞き、目を細めるアンデッドの男。
彼は天使を忘れてはいなかった。感慨深そうに、懐かしそうに遠くを見つめ、顎を撫でる。
「やっぱり船長さんは、天使様と友達なのね!」
たまらず声を上げるのはアンジェリカだ。
信仰の対象である天使の当時を知る者が今も存在したと知り、嬉しそうに両手を挙げた。
「アンちゃん、少し静かにしていて」
が、すぐ隣に居たスフィアに取り押さえられてしまう。
アームストロング船長はアンジェリカの言葉に頷き、言葉を続ける。
『お主はあやつにそっくりじゃ。我らを恐れず、我らの声を聞き、我らを友と呼んだ』
天使への想いを語るアームストロング船長。
『その赤い髪を見ると思い出すぞ。例えば沈み往く夕陽のように。例えば夜を照らす焚き火のように暖かく我らを包んでくれた』
「ごめんなさい、この髪は本物じゃないの。赤く染めているだけ……」
そんな彼に、アンジェリカは申し訳無さそうに目を伏せるが、しかし彼は逆に、嬉しそうに声を弾ませる。
『よい。お主には天使と同じ魂を感じた。それだけじゃ』
天使と同じ力を持ち、天使によく似た魂を持つ者が、天使の縁者でなく、ただ天使に憧れていた少女に現れた事実。
それは即ち天使の尽力が人々に伝わり、今なお人々の間で息づいている事実に繋がるのだ。
『それよりも、我々に手を差し伸べ人々に尽くしたあやつが、今も人々に愛されている……その事実を、ワシは嬉しく思うぞ』
そう締めくくるアームストロング船長。
表情を捨てたはずのアンデッドの顔に温かい光が宿り、
部屋の中にも心なしか温かさを覚えた。気がした。
『話が横に逸れてしまったのう。それより、海竜の事だ』
アームストロング船長の瞳から光が消え、船室は再び冷え込み始める。
その冷たさに一同はふと寒気を覚えて一様に押し黙ってしまう。
そんな空気を最初に破ったのは、元冒険者であり今はラブ船長の夫であるケルヴィンであった。
「海竜は周囲から嵐を奪い南からやってくる。だったかしら?」
『うむ。奴は風や雨を吸い、食料としているのじゃ』
『逆に我らは嵐を呼ぶ事で人間を遠ざける。それが天使との約束じゃからな』
人間の心を持っていても魔物は魔物。人間と積極的に関わりを持つのは危険であった。
生きた魔物の気は、人間を狂わせる事がある。故に魔物を見かけたらすぐに倒さねばならない。
それがアンジェラ教の教えであった。
『その約束を結果的に破り、あまつさえ己の不手際の尻拭いを人間達にさせようなど……』
「いいえ、アームストロング船長」
顔を伏せるアームストロングを制し、ラブ船長が声を上げる。
「救世の天使アンジェラ様は私達の信仰の拠り所。その友人たる貴方がたを助けるのは当然のこと」
「ですが、もし見返りをいただけるのならば……当時の天使様の事を、教えて戴きたいものですわ」
「天使様と同じ時代を生きた、生き証人たる貴方がたに、ね?」
そう言って、ラブ船長はウインクを返した。
『……そう来たか。死に者である我らの言葉でよいのならばいくらでも聞かせてやろう』
してやられたと肩を竦めるアームストロング船長。
こうして、教会の精鋭戦士達とアンデッドの船員達は一時的ながら、協力を結ぶ事になった。
「地図を見て。こことここに、狭い水路があるじゃない?」
ケルヴィンは地図を広げ、緑の大陸南端の半島と、すぐ近くにある小さな島の間にある狭い水路を指し示す。
教会の船が一、二隻が通れるか、通れないか程の細い細い水の道。
幽霊船を追って来た海竜がここを通るのはほぼ間違いなく、ここで待ち構えるべきだろうという結論に至る。
「挟撃って訳だね。幽霊船と教会の船に戦力を分ける必要がある訳だ」
ケルヴィンの案に納得したのか、スフィアはぽんと手を打つ。
内海側は教会所属の船が。外海側を幽霊船が、それぞれ挟みこみ攻撃する事に決まった。
次はどのように戦力を分けるかで議論が紛糾する。
魔王を退け、駆動兵器を倒したアンジェリカ達は、教会や幽霊船のアンデッドから見ても強力な戦力であった。
「スフィアさんにホックさん、私達はこっちの船に乗ろうよ」
アンジェリカは、スフィアやホックに幽霊船に残る事を提案する。
「やなこった。こんな辛気臭い船に居たらますます気分が暗くならあ」
「私もパス。勇者と魔物が共闘するだけでもあり得ないのに」
「そ、そんなぁ……」
しかし当然の如く、けんもほろろに拒絶されてしまう。がっくりと肩を落とすアンジェリカ。
『悪いが勇者よ、お主はこちらに残って貰おう。やって貰いたい事があるのでな』
そんな彼女を見かねてアームストロング船長が声を上げる。
「断ると言ったら?」
『天使の意向に背く事になる。それだけしか言えぬな』
「……はぁ、分かったよ」
スフィアは目の前のアンデッドを睨み威圧するが、なおも毅然とした態度を崩さぬそれを前に
諦めたようにため息を吐き、了承した。
その日はアンデッド達による歓迎会が開かれた。
「とっても美味しいですわ、船長さん。お酒も、お料理も」
『焼き魚くらいしか出せねえがな。満足して貰えたなら何よりだ』
食材を保存できない環境の為、料理は釣った魚を焼くだけの簡素なものであったが、
殆どが一般市民生まれの冒険者達にはそれで十分であった。
「がっはははは!この酒はうめぇな!何年モノだ?これ」
酒を煽ったホックは、心底愉快そうに笑っていた。
「もぐもぐ……はふはふ」
『おう、嬢ちゃん。なかなかいい食いっぷりだ』
普段は戦いの時以外はアンジェリカの傍を離れないミツバでさえ、今日ばかりは主人の元を離れ、宴会に混じり食事を楽しんでいた。
意外な事に、この船はアンデッドの巣窟でありながらそれらら特有の腐臭はほぼ無い。
聞くところによると、人間であった事を忘れないように身体を一日二度海水で洗い流しているそうだ。
清潔を保つ事は、生命が生命であろうとする営みの一つである。
それこそが、彼らが魂を持つ存在という事実の客観的な証明であった。
「あら、日付が二百年前のモノよ。腐らせずに保存する技術が残ってるのねえ」
熟成されたお酒を舌で転がし、うっとりするケルヴィン。
「ぎゃっはははは!おめぇ、酒が腹から出てるじゃねーか!」
スケルトンが酒を呑み腹から垂れ流す宴会芸を肴に、アンデッド達による歓迎会は概ね和気藹々として盛り上がっていた。
しかし宴会を楽しむ彼らを、スフィアは遠くから見つめるだけであった。
「あっちはテンション高いねえ……」
「スフィアさん、何も食べないの?」
出された食事にも手をつけず、酒も呑まず。
そんなスフィアを見かねてアンジェリカは声を掛ける。
「アンデッドの出す食事なんて食べらんないよ。何であいつら平気なのさ」
が、アンデッド達を信じ切れていないのかやはりスフィアの反応は鈍い。
「魚は外で釣ってきたものだし、お酒も安全みたいじゃない」
「それでも嫌。嫌なもんは嫌」
スフィアはぷいとそっぽを向く。どうやら説得は難しいようだ。
そこに一人のゾンビが現れる。料理の盛られた皿を持って。
「……なんだよあんた。そんなもの持ってきて」
招かざる客の来訪に、スフィアの機嫌は更に悪くなる。
じとりと相手を睨み威圧する勇者に気圧されながらもゾンビはおずおずと料理の皿を差し出した。
「きっと、スフィアさんに食べて貰いたいんだよ」
ぽんと手を打つアンジェリカ。彼女は目の前に現れたゾンビに声を掛け、一言二言話すと、驚きに目を見開く。
「この人、スフィアさんに一目惚れしちゃったんですって。うふふ」
「貴方のような綺麗な人を見るのは初めてだってさ。やっぱり本物のお姫様は違うなあ」
うっとりとするアンジェリカ。そしてスフィアの瞳を覗き込み、微笑みながら言った。
「食べてあげなよ。きっと、貴方の為に心を込めて作ったんだわ」
ぐぅ、とスフィアの腹が鳴る。
気恥ずかしさに頬を染め、皿を受け取り一口食べる。
「……どう?」
「焼き魚の味がするよ。何の変哲も無いね」
一口、二口、更に一口。黙々と食べ続けるスフィア。
「そっかぁ、そうだよね」
「でも、すきっ腹には十分にご馳走だったよ。ごちそうさま」
空腹だったのか、そのまま焼き魚を完食するスフィアを見て
アンジェリカとゾンビの男は互いの手を握りウキウキとステップを踏んだ。
「やった、やったよクルップさん!」
「クルップ?」
聞き覚えの無い名前に聞き返すスフィア。
「この人の名前よ。生前は新進気鋭の料理長だったんですって」
「まともな設備も調味料もないからこんな料理しか作れなかったけれど……」
「何百年かぶりに食べてもらって、すごく嬉しいってさ」
クルップと呼ばれたアンデッドはぺこりぺこりと頭を下げる。
「ふーん……まぁいいや」
興味が無さそうに、スフィアはクルップ達から目を逸らす。
「どうせ戦闘員じゃないんでしょ?海竜との戦いになったら隠れてるんだよ」
しかしそれは腹の鳴る音を聞かれた故の、意識的にそっけなく振舞おうとしているだけなのが見て取れる。
「戦いが終わったら、また何か食べさせて貰おうかな」
目を背けたままぽそりと呟くスフィア。
ふと後ろを見やるとアンジェリカとクルップは互いを見合わせ、微笑みあっていた。
真っ直ぐな好意を受け入れられ、安心したような表情。
スフィアは彼女に少しだけ毒気を抜かれ、そんな自分に気付いたのかふっと笑みを零していた。
翌朝、ホックとミツバ、ラブ船長とケルヴィンはは教会の船に。
アンジェリカとスフィア幽霊船へとそれぞれ乗り込み、来るべき海竜の襲撃に備えていた。
海竜リヴァイアサンを穏やかな内海と荒れ狂う外海からの挟撃を狙う。
ミツバは主人と同じ船に乗りたがっていたが、非戦闘員を大嵐の荒れる外海に連れて行く訳にはいかなかった。
万が一を考えて、教会側の船はいつでも撤退出来るように打ち合わせを交わしていた。
「見えてきたよ。アレが内海と外海の境目だ」
海はある地点を境に大嵐が発生していた。
穏やかな内海と、雨風が吹きすさび波が荒れ狂う外海の、外側と内側をはっきりと表す境界線だ。
アンジェリカとスフィアは息を呑む。今から彼女達はそこで待機し、海竜を待ち構えるのだ。
『この探照灯の明かりを合図に、竜を二つの船で挟んで攻撃を仕掛ける。いいな?』
アンデッドのアームストロング船長の言葉に、二人は頷く。
「海竜、来るかな?」
『来る。我々を見失ったあやつは、必ず内海へと足を踏み入れるだろう』
海竜は必ず現れる。確信を持って答えたアンデッドの義眼は、決して敵を見逃すまいと音を軋ませぐるぐると回り続けていた。
大嵐の海の向こうに黒い影が現れる。
それは次第に大きくなり、その影の像がはっきりするに連れてその首が七つに分かれ
それぞれが別の生き物であるかのようにうねうねと、縦横無尽に蠢いていた。
『あれこそが海竜……』
幽霊船長、アームストロングは声を震わせる。
『この海を我が物顔で暴れ狂う、海竜リヴァイアサンじゃ!!』
それは、青く輝くサファイアのような鱗とそれぞれが独立した七つ首を持った化け物であった。
海竜リヴァイアサンの七つの首はそれぞれが咆哮を上げる。
広く遠くまで響くそれは、まるで大勢が合わせて謳う合唱のようにも聞こえた。




