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道具使いアンジェリカ  作者: ろん
五章【道具使いと外海のアンデッド】
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05-01 暗雲立ち込む幽霊船

 


 アンジェリカ達を乗せて船を出して数日。

 その数日の間に、彼女は大教会の騎士や神官達と交流を深めていた。

 人形劇をする代わりに北の国のお茶を振舞われたり、騎士達による魔物退治の武勇伝などを聞くことができた。

「最初の船旅よりずっと、賑やかになったわね」

「はい、アンジェリカ様」

 新たな出会いと美味しい食事、さわやかな潮風――たった二人で始まった旅は、いつの間にか二人の頼れる仲間を加えた楽しい物になっていた。


 しかし……

「おっとっとっと……」「あわわわ……」

「こ、こいつは……うぷっ」

「ちょっと、吐くなら外でやってよ……」

 救世の天使アンジェラの加護を受けているはずのこの船は、ここ連日の嵐により大きく揺さぶられ続けていた。

 傾く船に揺られ、戸惑うアンジェリカとミツバ。

 船に酔い、吐き気を覚えるホック。そんな彼を疎みながらも自身も船に酔うスフィア。

 初めて経験する嵐の海に、各々はそれぞれの反応を見せていた。

 ふかふかなベッドも、今までにない豪華な食事も楽しめる余裕などなくすぐさま記憶から消え失せる程に、荒れに荒れた嵐であった。


 死屍累々となった室内に、控えめなノックの音が響く。

「お、お客様かしら?はぁい」

 アンジェリカが入り口の扉を開けると、そこには見慣れない人魚族の女性が立っていた。

「失礼。アンジェリカ様でよろしいかしら?」

「そうですけど、貴方は?」

 白と紺を基調としたパリッとしたスーツに、船長を表すラインが引かれた帽子を被っている。

 背はアンジェリカよりも高く、艶やかな黒髪とやや釣り目がちなその表情は、グランディアで出会ったルーキーを思わせる。

「わたくし、船長のラブと申します。夫が是非、あなた方に会いたいと申しておりまして」

 ラブと名乗った女性は、礼儀正しくお辞儀をすると手短に用件を伝えた。

「船長さんの旦那さんが?」

 こんな豪華な船に乗るような男に知り合いがいただろうか?首を傾げるアンジェリカ。

 しかしその疑問は、次に現れた男によってすぐさま氷解した。


「ハァイ、アンジェリカちゃん。それにミツバちゃんにホックちゃんも」

 ラブ船長の後ろから、同じく人魚族の男性が現れた。

 その姿にアンジェリカには覚えがあった。

 かつてコール・タールで彼女と共に駆動兵器フォートレスに立ち向かった青年、ケルヴィンだ。

「お久しぶりね、覚えているかしら?」

「ケルヴィンの姐さん!わぁ、久しぶり!」

 結婚すると言って街を出たきり、久しく会う事の無かった友人との再会にアンジェリカは目を輝かせる。

「なんで、お前がこんなところにいるんだ?」

「ふふ、びっくりしたでしょ。私もそうだったわ」


「冒険者だったあたしが、今は彼女の夫。この船の航海士の一人としてここに置かせて貰ってるわ」

 互いの親による見合い結婚で最初は気乗りがしなかったが、実際に会ってみればお互いに一目惚れをしてしまい、あらゆる愛の歌を謳い尽くした結果、出会って十日という異例のスピード結婚と相成ったそうだ。

「へえ、大出世したんだねえ」

 ぽっと顔を赤らめるラブ船長を横目に、感慨深そうにアンジェリカは腕を組みうんうんと頷いた。


「アンちゃん、この男の……女の人?紹介してよ」

 ケルヴィンの性別に疑問を浮かべつつスフィアは苦笑する。

 スフィアに気付いた彼は、やはり丁寧にお辞儀をした。

「あたしはアンジェリカちゃん達の友達。初めまして、可愛い勇者さん?」

「姐さんには、コール・タールでいっぱいお世話になったのよ」

 アンジェリカはそう言ってケルヴィンの腕を抱きしめ身を寄せると、ケルヴィンの方もアンジェリカの頭を腕に抱きぐりぐりと撫で回す。

 ラブはそんな二人のやり取りを見ながら表情を微笑みで固定し、夫がするよりもやや力を強めにアンジェリカの頭を撫でていた。

「で、カミさん連れて挨拶って訳か。ご苦労なこったぜ」

 ホックは腕を組み、目の前の状況に嘆息する。

 ホックとしては結婚したばかりの妻と引き離された身の上なので、少々不愉快なようだ。

「それだけじゃないの。そっちの勇者様に用があってね」

「私に?」

「ええ、この嵐にも関係する事よ」


 そう言ってケルヴィンは、この世界全体が描かれた地図をテーブルに広げていく。

 いわゆる世界地図と呼ぶべきであろうその地図は非常にいびつな形であった。

 今までに見てきた地図が歪められ、海岸線が強引に繋がれている。

 この世界では正確な地図を作る事が出来ない、と言われていた。

 何故ならいかなる時も穏やかな内海とは打って変わり、外海は常に大嵐に見舞われているためにどのような船もあっという間に沈められてしまうそうだ。

 それは、この船の同型船であっても例外ではない。

 この世界に於いて外海とはいかなる生物の存在をも拒絶する死の世界であった。

 そんな事情もあってか、各国が独自に測量し、それぞれの国が持ち寄った地図を教会が統合しているのだ。

 少しずつ歪んだ地図を統合した結果、この世界地図の正確さはかなり怪しい。


「ちょっと歪んでいるけど気にしないでくださいね」

 とはいえ、現状を説明するのにあまり問題にはならないだろうと、ラブ船長が補足する。

「この嵐はアンデッドが指揮する幽霊船が起こしているの」

 本来ならば全大陸を取り囲む外海を回遊している筈のその船が、どういう訳か現在航行している内海――この船の近くにまで接近しているようなのだ。


「物騒な話だね」

「けっ、アンデッドなんて今更怖かねえだろ。全滅させて船ごと沈めちまおうぜ」

 各々の感想を発するスフィアとホック。しかしその反応にラブ船長は首を振る。

「ところが、そういう訳にもいかないのです」

 そのアンデッド達は、魔物でありながら人と同じ心を持っていた。

 救世の天使アンジェラは、二百年前に出会った彼らに親愛の心を見出し友好を深め、外海に居る限り干渉はせず、討伐もしないと約束していたという記録が残っている。


「でも、奴らは内海に現れた。どうして?」

「分かりません。そして我々は、アンデッドと対話が出来ないのはご存知でしょう」

 嘆息し、首を振るラブ船長。

「もしかしたら戦いになるかもしれません。天使様の意向に背く事になるかもしれません」

 天使の意向に背く。そう言った際の船長の表情は暗い影を落とている。

 この世界の者にとって救世の天使アンジェラとは生きる指標であり、道徳そのものであった。

 親愛と尊敬の対象――そんな天使の言葉に逆らう事は、この世の生けとし生きる者にとって耐え難い苦痛なのだ。



「お願いです、勇者スフィア様。どうかこの窮地から私達を救って下さい」

「ねえ、なんとかならない?あたしからもお願いするわ」

 だが、それでも。このまま嵐が続くとなればこの世界の交易は停止してしまうだろう。

 全ての責任を勇者に押し付ける事にあるとを説明した上で、教会関係者でありながら、ラブ船長とケルヴィンの夫妻は勇者スフィアに深々と頭を下げた。


 ラブ夫妻から少し距離を取り、アンジェリカ達は円を囲み相談を始める。

「で、どうすんだ?」

「もちろん行くよ。幽霊船なんてほっといたら、我が国にも大打撃だし」

 スフィアの心は既に決まっていたようだ。王族たるもの、民を守らなければならないのだという。

 それより、と続けスフィアはアンジェリカの方を見やる。

「私も気になる。心を……魂を持ったアンデッドがいるなんて」

 それは即ち、アンジェリカだけは魂を介して魔物と対話できるという事である。

 アンジェリカの記憶の中にある同じ条件を持つ者といえば、彼女の出身村に住んでいるコボルド達くらいだ。

 コボルドらも同じように天使アンジェラに魂を見出され、友となったのだ。

 もしも彼らも同じであるならば……話し合いが出来るかもしれないと、アンジェリカは思った。


「ミツバはここに残ってて。ホックさんも、この子を守ってて欲しいな」

「任せろ。船に揺られながら戦うなんて勘弁して欲しいしな」

 アンジェリカの言葉にミツバは頷き、ホックの方も腕を組みながら了承した。

 スフィアはそんな彼に苦笑し、ラブ船長に向き直る。

「ラブ船長、私達は幽霊船に乗り込むよ。向こうに合図を送れないかな?」

「ええ、船同士の連絡の取り合いなら簡単に済むはずですわ」

 言葉が通じずとも、魂があるならば――船のアンデッド達は生前の記憶を遡りながら合図を返してくれるだろう。



 一行が方針を決定してから半刻が過ぎた頃、ラブ船長が再び船室に顔を出す。

「向こうから返答が来ましたわ。このままゆっくりと接舷して欲しいとの事です」

 スフィアの推測は当たっていた。ラブの言葉に一同は頷き合う。

 あまり大人数で向かうと警戒されてしまうだろう。この中に居る者達から人員を選び出す必要があった。

「私は天使の縁者として。アンちゃんは通訳者として。後は……」

「あたしも船の代表者として、同行させてちょうだいな」

 同行者に申し出たのはケルヴィンだった。

 彼は優秀な斥候なので、相手の微細な仕草から心の機微を読み取る事が出来る。

「姐さんも来てくれるの?心強いわ」

 たとえアンデッドが悪意を持って招き入れたとしても、ケルヴィンは頼りになるだろう。


 一寸先の視界すら覚束ない嵐の中、それはゆらりと現れる。

「あれが……幽霊船?」

 マストの帆は破れ、船のあちこちが損傷している。なんともおどろおどろしい船だ。

「……乗ったら沈まないだろうね?」

「接舷おしまい。いつでも乗り込めるわよお」

 不安を覚えるスフィアを笑い、ケルヴィンはそっと背中を後押しした。


 ぼろぼろとなった船には、数体のアンデッドが待ち構えていた。

 アンデッド達の表情はなく、しかし敵対行為も見せる事無く佇んでいる。

 アンジェリカは彼らの一体に近付き、魂との対話を試みる。

 それによって彼らに敵対意志は無い事。アンジェリカ達を歓迎している事。

 アンジェリカが自分達と対話できるのを驚いている事が読み取れた。

 アンデッド達はスフィア達の姿を一瞥すると、奥へ入ってくるように手招きをした。

 床に空いた穴に足を取られないように、注意を促しながら。




 幽霊船の内部へと足を踏み入れた一行は、一際豪奢な船室へと案内される。

 壁や床は相変わらずぼろぼろになっていたが、船室に置かれた机共々きちんと磨かれており

 今も人の手が加わっている事が見受けられた。


 そして、部屋の中央でアンジェリカ達を待ち受けているアンデッドが。

 老人を思わせる頬こけた肌とよく手入れされた長毛の白髭、大きなドクロが描かれた黒い帽子を被ったこの男が、アンジェリカ達を船に招き入れた張本人。即ちこの船の船長なのだろう。

『よく来たな、勇者達よ。我々の声に応えてくださり、感謝する』

 アンデッドの船長は片手で髭を弄りながら挨拶をする。

 その言葉は、魂に寄り添う道具使いだけでなくスフィアやケルヴィンにも通じる「人の言葉」であった。

「……翻訳、要らなかったかな?」

「いや、来てくれているだけでいいんだ」


 アンデッドの船長は続ける。

『我々がこの近海に突如現れて、さぞかし驚いている事だろう……しかし我々としても、そなたらの海を荒らすべくやってきた訳ではない』

 骨がむき出しになった指を鳴らし、グラスに入ったエールを飲み干す船長。

「何か、事情がありそうねえ」

 顎に手を当て、続きを促すケルヴィンに船長はゴホンと咳き込んだ。


『そなたらは、海竜リヴァイアサンを知っているだろうか?』

 海竜という言葉に周囲のアンデッド達がざわめき立つ。

「海竜リヴァイアサン?知ってる?スフィアさん」

「いや……知らないね。ケルヴィンさんは?」

 しかし、その言葉に覚えの無いアンジェリカとスフィアは共に首を振った。

 竜というからには、魔王の使役する竜の一体なのだろうか。

 ならば風嵐の魔王サーニャと関係があるのかもしれないと一行は思った。

「……そうね、そういう名前かどうかは知らないけれど」

「確か外海に、七つの首を持つという巨大な水棲生物がいると聞いたことがあるわ」

 周囲の視線がケルヴィンに集まる。


『まさしくそれの事だ。我々は自由に外海を航海していたはずだった』

『しかしリヴァイアサンによって外海を追い遣られ、内海にまで逃げ出してきたのだ』

 グラスが音を立てて割れる。生身で握った手は傷だらけとなり、赤黒い血が滲み出る。

『恥を忍んでお頼み申し上げる。奴を……海竜リヴァイアサンを討伐してはくれぬか?』

 震える手を、スフィアに差し向けるアンデッドの船長。

 そんな彼にスフィアは手を取る事も無く呆然と立ち尽くしていた。




 勇者とアンデッドの船長の交渉は一時保留となり、しばしの自由時間を与えられる一行。

 アンジェリカはアンデッドに取り囲まれ、やいのやいのともみくちゃにされてしまう。

 自身で言葉を発せられないアンデッドの船員は、対話が出来るアンジェリカを心から歓迎していた。

 その光景は傍から見れば禍々しい物であるが、アンデッド達の醸し出す歓迎の空気に彼女は喜び、彼らの輪に入って談笑を楽しむ。

 スフィアはそんなアンジェリカを遠目に、戸惑いを覚えていた。


「どう思う?」

 故に、スフィアは自分の傍に居る男、ケルヴィンに縋るしかなかった。

「あのお化け船長の言う通りなら、その海竜とやらをなんとかするしかないわねえ」

 だが、彼はスフィアの望む答えを与えない。痺れを切らしスフィアが捲くし立てる。

「アンちゃんの事だよ。あの子はアンデッドを嫌ってると思ってた」

「ううん、アンデッドを好きな奴なんていないよ。例外は死霊使いくらいだろうね」

 アンジェリカは、風嵐の魔王サーニャが操るアンデッドに対して強い恐れを抱いたり嫌悪の目を向けていた筈だ。

 しかし、あそこにいるアンデッド達には笑顔を向けて楽しそうに会話をしている。

 どちらも自然の摂理や女神の意向に背いて蘇った、おぞましい存在である事に変わりは無い。

 少なくともスフィアにとってはそうであったし、事実彼女には両者の区別が付けられなかった。


 スフィアは顔を伏せる。アンデッド達に手を差し伸べる事が正しい事なのか、若き勇者には分からなかった。

「スフィアちゃんは、彼女を信じられない?」

 そんなスフィアを見かね、ケルヴィンはスフィアに声を掛ける。

 スフィアははっと顔を上げ、ケルヴィンの顔を見つめる。

「そんな事ない。あの子は掛け値無しにいい子だよ。だけど」

 スフィアの表情が歪む。

「時々、よく分かんなくなる。アンちゃんは私達と同じものを見ているのかって」

 アンジェリカに対する困惑。彼女を信じられない悲しみ。疑う自分への憤り。

 様々な感情を内包したその表情は、勇者である事をしばし忘れた歳相応の少女の物だった。


「あの子は、本当に私達と同じ人間なのかなって、思う時があるんだ」

 それは、互いの善意と友情を信じて疑わなかった少女達の間に、初めて浮かんだ疑問であった。



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