04-05 甘言を打ち払う者
伝書鳩の速達を受け取り、一行は件の駆動兵器が鎮座された廃墟へと向かった。
廃墟の外には巨人族の男達が、木々の陰に隠れて様子を窺っていた。
「ホック、来てくれたか」
男の一人がホックに気付き、声を潜め報告する。
「ああ、聞いている。動き出したんだろう?」
「やっこさん、いきなり動き出しやがった。まだ建物の外には出ちゃいねぇが……」
ホックは彼らの報告に頷く。
「分かってる、ご苦労だった。すぐに退避してくれ」
「おう、あとは任せたぜ」
そう言って男達は退避していく――後は、アンジェリカ達の出番だ。
「居るね……胸に鴉の刻印もある」
廃墟の入り口に立つ、独特の刻印を胸に刻んだ男達。
ヤタック教団の団員達だ。彼らは建物の周囲や入り口を警戒し巡回していた。
「あいつら、私らを待ち構えてるのかね?」
「さぁな。おい、アン」
「うん。合図をしたら、奇襲を仕掛けるわ」
アンジェリカは催涙玉を握り込み、敵陣へと投擲すると、けたたましい破裂音と共に玉から溢れんばかりの煙が溢れ出す。
「なんですか、これは!煙!?」
煙を運悪く吸い上げた団員達は涙を流し、悲鳴を上げる。
胡椒や唐辛子の粉などをふんだんに混ぜ込んだ催涙性の煙を、反射的に目を擦っても失明しない程度に濃度を薄めた物だ。
不意の敵襲にその場はパニックの渦に陥る。
ぶつかり合いこそしないものの、教団員達はどこから現れるか分からない敵に慄いていた。
「敵襲です!総員、厳戒態勢を!!」
そんな彼らの中で比較的冷静な者が、建物の中に入りこの惨状を報告しに走ろうとするが、
「そんなことはッ!」「させるかよォッ!!」
スフィアとホックの鉄拳によって次々と沈められて行ったのだった。
団員達を縛り上げ、一息つく一行。
「気付かれたかな?」
「気付かれたに決まってるだろ。うるさすぎなんだよ」
アンジェリカが今回使った催涙玉は威嚇・けん制用の特別製だ。
音と煙を撒き散らし、生物の視覚、嗅覚、聴覚を同時に麻痺させる。
かなり濃度が低いので相手へのダメージは少ないが、無防備になりがちな道具使いにとっては十分に護身用として機能するだろう。
が、こっそりと潜入を試みたかったスフィアには不満らしく、つまらなそうに頬を膨らました。
「関係ねえよ。全員ぶっ叩くだけだ」
教団員を殴る際に打ち捨てたバトルアックスを拾い直し肩に担ぐホック。
「本当にやりそうで困るよ……」
スフィアはそんなホックに呆れを覚えながらも、昨日見た巨大な駆動兵器と戦う様を想像し、もしかしたら本当に出来るかもしれない。などと考えていた。
昨日と同じように、アンジェリカ達は地下室を進む。
その様子はやはり昨日とは一変していた。
まず気付いたのは鼻を突くようなツンとする臭い。その正体は巨大な駆動兵器の口から漏れ出す液体のようだった。
「動いてる……昨日、あんなに静かだったのに」
まるで生物の呼吸のように、それは風音を立てて上下する。
そして口から漏れ出した液体が地面に滴り落ちる度に、じゅわりと音を立て湯気を立ち上らせていた。
駆動兵器の足元に、それを見上げる男の姿があった。
彼はこちらに気付くと向き直り、恭しくおじぎをする。
「ようこそ、冒険者の皆さん」
男は高くもなく低くもない声で、抑揚もなくそう告げた。
黒のジャケットと、黒いバンダナ。バンダナから覗く銀色の髪とアンジェリカと同じ長い耳を持っている。
虚ろな瞳がただこちらをじっと見つめている。
胸に刻まれた鴉の印の両翼は、炎のように燃え上がっている。
アンジェリカとスフィアは、その姿に見覚えがあった。
「あんたは……アース村の大穴に居た、リーダー格?」
以前は遠目に見るだけで気付かなかったが、このヤタック教団の幹部、もしくは頭目と思しき男は、アンジェリカが思った以上に、暗殺集団の長とは思えない程に華奢な体つきをしていた。
ヤタック教団員は共通して、男性とも女性ともつかない話し方をするが、戦士であるはずのこの男には、それに相応しき肉体が作られていない。
中性的な顔立ちも合わせて、アンジェリカやスフィアよりも背が高いはずのこの男は、ホックはもちろん、ともすればこの二人よりも小さく見えた。
「お久しぶりですね。勇者スフィア、それに道具使いアンジェリカ」
「ここに来る事は分かっておりました。彼に案内させた成果があったというものです」
男の足元から、ひょっこりと顔を出す小型の駆動兵器の姿があった。
アンジェリカ達はここへおびき寄せられていたという事だ。
「今までに皆様の事を観察し、教団一同が出した結論は。皆様が危険であるという事……故に、ここで皆様には死んでもらおうと思っております」
男の整った顔立ちが僅かに歪む。
声を張り上げる事も無く。右手を挙げ、静かに声を上げる。
「行きなさい、駆動兵器アシッドレイク。この者達を溶かしてしまいなさい」
男の声と同時に、静観を保っていた『酸の湖竜』と呼ばれた駆動兵器が、ぎしりと金属音を立てて動き出した。
「やれるもんなら……やってみやがれェ!!」
先だってホックが斧を両手に持ち、アシッドレイクに向かい走る。
「おらぁッ!!」
振り被り力一杯打ち付ける。激しく金属がぶつかる音。
続けざまにもう一撃。更にもう一撃。
「ちっ、かてぇ!!」
手の痺れを覚え、下がるホック。
「だったら柔らかくしてやるまでだ!炎の渦よ、巻き起これ!!」
それを好奇と見たか、スフィアは距離をつめようとするアシッドレイクを炎の魔法で押し戻す。
「アシッドレイク。こちらからも反撃しなさい」
リーダー格の男が駆動兵器に指示を下すと、それは大きく口を開き、喉奥に取り付けられたノズルから勢いよく液体が噴射される。
液体がホックの鎧に降りかかると、じゅわりじゅわりと嫌な音を立てて鎧が溶けていく。
「……ぐぁっ、何だこれは!?」
「熱っ……これ、酸だ!酸の噴水だ!!」
「ああっ、剣をしまって!錆びちゃうわ!!」
無造作に噴射された液体がスフィアの腕をかすめ、焼けるような痛みが走る。
液体の正体は酸であった。肉を焼き、金属を溶かすそれは冒険者を容易に近づけさせまいと威圧していた。
狂える蜥蜴による無差別な攻撃は、近くに潜んでいた仲間にも危害を向けていた。
「ぐわあっ!!」
「勇者と道具使いを取り押さえなさい。酸を受けた者は後方で治療を」
酸の雨を受けて苦しむ悶える暗殺者達。
リーダー格の男はアシッドレイクの凶行を横目に、仲間達へと撤退指示を飛ばす。
「銃兵隊!教団員をけん制して!!」
一斉に放たれる銃弾が教団員の動きを制限する。
が、やはり堅牢な甲殻を持つ駆動兵器に有効打を与えられないようだった。
「それなら……これだっ!!」
ホックは瓦礫の一部を引っこ抜き、酸の雨を防ぐ盾とする。
「けけっ、岩盤のシールドなら錆びやしないだろう?」
いかに強烈な酸であろうとも、分厚い岩の壁を溶かすには至らない。
「それにこいつは、武器にもなるんだぜええええッ!!」
その岩盤のシールドをホックは力任せに叩き付ける。
一打、二打、三打。岩盤が壊れればすぐさま次の岩盤を引っこ抜く。
渾身の力を込めて振り下ろされた最後の打撃は、ガギンッという音と共に酸の発射口を潰し、
ホックはアシッドレイクの攻撃手段の一つを潰す事に成功したのだった。
だが、一方的にやられるアシッドレイクではない。
その手に握られたハンマーによる一撃を繰り出し、岩の盾を粉々に砕いてしまう。
「うおっ!?」
「こちらの武器も一つでは無いのですよ」
一方的に攻めていたホックは、突然の反撃に驚き飛びのく。
男は口の端を釣り上げて、続けざまに攻撃指令を繰り出した。
「わわっ!」「きゃあっ!?」
巨大なハンマーの風圧だけで、一瞬でも気を抜けば飛ばされてしまいそうだ。
小柄なアンジェリカやスフィアを戦わせるのは危険と判断し、ホックは二人に叫び声を上げる。
「アン、スフィア!部屋を出てろ!こいつは、俺一人でやる」
ホックは二人を部屋の外へと追い払ってから、相棒を。
使い込んだバトルアックスを握り込み、目の前の巨大な蜥蜴兵器を見据え睨んだ。
この行動には驚いたのか、男は目を見開いて嘆息した。
「おろかな事を……頼りになる仲間ではなかったのですか?」
「けっ、足手纏いがいるよりはマシだ」
吐き捨てるように答えるホック。
リーダー格の男は一瞬だけ目を伏せると、同じように仲間を下がらせ命令を下した。
「ならばそのおろかさに敬意を表して、こちらも奥の手を出しましょう」
アシッドレイクの全身から霧が溢れ出す。
霧は瞬く間に部屋全体を覆っていき、ホックの鎧を。身体を。蝕んでいく。
それは何者をも溶かす酸の霧だった。
「酸の霧。霧状に噴射された酸は貴方の鎧をボロボロにする。極限まで脆くなったなった鎧は、このハンマーで容易に打ち砕けるでしょう」
無造作に振り回されるハンマーの一振りが、ホックの鎧を強かに打ち据える。
「ぐおおおッ!!」
痛みに声を上げるホック。
今まで、どのような敵の攻撃にも耐えてきたホックの鎧が崩れて剥がれる。
鎧に隠された、鍛え上げられた肉体が白日の下に晒される。
「ホックさん!!」
「出てくるんじゃねぇ!お前らまで溶かされるぞ!!」
悲痛に叫ぶアンジェリカ。そんな彼女をホックは「大丈夫だから」と努めて冷静に諭した。
ホックとしても当然負ける気は無い。このまま行けば押し勝てると確信すらしていた。
だから、問い掛けた。目の前にいる、非道なる男の所業の理由を。
「一つ聞かせろ……何故、あんな事をした?」
男が眉をピクリと動かす。
「あんな事、とは?」
「とぼけんじゃねえ!ヤマメに親父達を殺させようとした理由だ!!!」
「あれはヤマメさんの。彼女自身の自由意志に寄るものです」
「嘘を吐くんじゃねえ!!」
怒声を上げるホックだが、男は構わないといった様子だ。
「私は冒険者になりたいという彼女の意志を尊重し、後押しをしただけです」
男は続ける。
「彼女は貴方と一緒に旅に出たかった。しかし貴方はそれを許さなかった……何故なら、彼女が冒険者ではないから」
「違うッ!!俺は……!!」
否定をしようとして、言葉が詰まる。
「私は彼女に冒険者になる為のアドバイスを与えた。それが、親殺しです」
「……ッ!!」
打ちひしがれた。暴力ではなく、ただの言葉一つで。
ホックは妹が冒険者になりたがっていたのは知っていた。その理由が彼自身である事も。
冒険者の扉は誰にでも開かれる物ではない。
冒険者とは親を失った子の為の社会保障であり、その中で腕に覚えのある者達が魔物退治を請け負っているに過ぎないのだ。
両親が健在であるヤマメは、常にホックの背中を見続ける事しかできなかった。
だが、両親を殺してでも?そんなはずはない。
妹は両親によく懐いていたし、両親もまた妹を愛していた。
それが嘘偽りだったとしたら?叫び声を上げそうになるのを堪えて相手から視線を離さない。
狼狽するホックを男は見逃さない。
次で終わりだといわんばかりに言葉で畳み掛ける。
「ヤマメさんは貴方と共にある為に、冒険者と両親の命を天秤に掛けた。そして、彼女の魂が両親の命よりも冒険者になる事を取った」
「さもなくば、私が魂を傷つけたとしても。彼女がそのような凶行に及ぶ事は無いでしょう」
「それに嘘偽りはありません。疑うというのなら……」
「そこにいる彼女に聞いてみては如何でしょうか?魂の使い手たる、道具使いアンジェリカに」
そして男は、最後の裁定にアンジェリカを指名する。
全員の視線がアンジェリカに集まる。
ホックの決断は、魂に寄り添う少女。道具使いの少女に委ねられた。
「おい、アン……どうなんだ。ヤマメは、本当に親父達を殺したかったのか?」
ホックの声に、いつになく不安の色が灯る。以前、コール・タールを出た際の比ではない。
彼の幼い頃からの家族を引き裂きかねない危険な問い掛けであった。
「嘘なんだろ?嘘だと言ってくれ!」
アンジェリカは迷っていた。
ホックは魂の事など知らない故に、全てはその男に操られていたと説明する事だって出来る。
優しい嘘と言えば聞こえは良い。だが、それではヤマメの問題が残っているままだ。
同じ事が二度起これば、塗り固められた嘘は瞬時に瓦解する。
ヤマメに臨む対応を間違えればフィッシャーマン一家の未来は歪むだろう。
恐らく、最悪の形で。
「……その人の言ってる事は、嘘じゃないわ」
「魂は生命の本質。魂が望まない事は、絶対に実行できないの」
故に、アンジェリカは真実のままに告げるしかなかった。。
それはヤマメの中に芽生えた両親への殺意の存在を認める事であった。
「アンッ!!」
「聞いて!大事な事だから!!」
声を上げるホックを制するアンジェリカ。まだ、この話は終わらせない。
「……だけど、人間の魂はとても揺らぎやすい」
それは、好きな人に出会った時に心がときめくように。
それは、友人にいじわるをされて不機嫌になった時のように。
それは、父に叱られて悲しくなってしまった時のように。
それは、母の作った夕飯に心躍るように
「理性で抑え込もうとしても、魂はほんの一瞬だけ、心の揺らぎに気を取られてしまう」
「そこを狙ったんだわ。ほんの僅かに揺らいだヤマメちゃんの魂を」
ヤマメを甘言で惑わし、一瞬の隙を見せた魂をその感情で固定されてしまった。
目の前に居る狂える蜥蜴のように。
そして、アンジェリカはここで確信した。
目の前の銀髪の男は、自分と同じ道具使いであると――その力を使い、ヤマメの魂を傷つけ歪ませたのだろう。
「本当にそうでしょうか?ヤマメさんが両親を疎ましく思っていない根拠は?」
男はなおもアンジェリカを迷わせる。しかし、彼女は揺らがない。
「ある。ヤマメちゃんはきっと、強い意志を持って答えたはずよ」
「『そんな事は、出来る訳が無い』」
アンジェリカは確信を持って答えた。
「ヤマメちゃんはきっと貴方の甘言に。汚い誘惑に打ち勝ったわ
「……だって、そうでもなければ、わざわざ魂を傷つける必要なんて、無いもの」
「貴方はヤマメちゃんに意志で負けた腹いせに、卑怯な手を使ってねじ伏せたんだわ」
それがアンジェリカの答えだった。
ヤマメはたった一人でヤタック教団に立ち向かい、勝利したのだ。
心で打ち勝ったが故に、教団はヤマメを力で抑え付けるしかなかったのだ。
しんと静まり返る空気。霧に蝕まれ痛む身体だけが時の流れを告げている。
「うくっ……くくく…………がーっはっはっはっは!!それだけ聞ければ十分だぜえッ!アンよッ!!」
沈黙を破ったのは、ホックだった。
アンジェリカの言葉を聞き届けたホックは笑い声を上げる。
咆哮にも似たそれは、酸の霧さえ恐れ震わせる。
「そうだよなぁ!ヤマメはやっぱり俺の知るヤマメだ!!」
「俺を慕ってくれて、親父やお袋が大好きで!!」
「こんな奴の言葉なんざ、あっさり突っぱねたんだろうよ!!」
彼は妹を誇りに思った。そんな妹を追い詰めたヤタック教団を憎んだ。
そして、少しでも妹を疑ってしまった自分を恥じた。
「おい、そこのペテン野郎」
リーダー格の男をちらりと見やる。
今まで無表情、あるいは口元を釣り上げる程度で動きの少なかった男の顔は、たった今、明らかに焦りの色を浮かべている。
「このポンコツ駆動兵器をぶっ潰したらよお」
「次は、てめえだ」
ホックは駆動兵器とリーダー格の男を交互に睨み、相棒のバトルアックスを、握り込んだ。




