04-03 ホックの妹
「ヤーマメちゃん」
漁村の荘重。港へ向かうヤマメを呼び止めたのはアンジェリカだ。
「あ、おはようございます。アンジェリカさん」
「朝から早いね。お母さんのお仕事の手伝い?」
にこやかに挨拶をするヤマメ。
「漁師の朝は早いですから。アンジェリカさんはお散歩ですか?」
「うん、討伐依頼の手続きが終わるまで暇なの」
空気の澄んだこの時間から、手足に背筋を伸ばし挨拶をするのは気持ちが良い。
アンジェリカは首肯する。
「びっくりしました?ホックお兄ちゃんの家族がドワーフだなんて」
「そんな事無いわよ。今は、誰がどんな形で家族になるか分からないからね」
そう言って、アンジェリカはまずスフィアの家族構成を思い浮かべる。
スフィア姫、タイガ、マルス王に、ガイアナ前王后。
マルスとスフィア以外の彼らは血の繋がりなど存在しない。
だが、彼らは故人であるルサーク前王を中心に新たな家族の繋がりを作りつつある。
ホックも何らかの経緯を経て、両親と別れドワーフの夫婦の下にいるのだろう。
父母や兄弟姉妹の種族などあまり問題にならないと、アンジェリカはそう思っていた。
道すがら会話を楽しむ二人。
ヤマメがふと、こんな質問を始める。
「アンジェリカさんは、ホックお兄ちゃんの事どう思いますか?」
以前にも同じような質問をされた事があった。
それは炭鉱城塞コール・タールで、ドワーフの神官エリーと別れた直後……自信を失いかけたホックに問い掛けられたのだ。
あの時だけは、大きかった彼の姿が少しだけ小さく見えたものだ。
「そうね。強くて、大きくて、逞しくて、かっこよくて」
そんな彼を元気付けようと、アンジェリカはからかいながらも、嘘偽り無く本音で褒めた。
「ちょっと照れ屋さんだけど、素敵な人だって思うわ」
そして今も、以前と同じようにアンジェリカなりの率直な感想を伝える。
不安に怯える小さな女の子を救う為に。
「ですよね!お兄ちゃんは世界で一番カッコいいんです!」
彼女の答えにヤマメは力強く頷いた。
拳を握り、頬を上気させ、目を輝かせて語るヤマメ。
彼女がホックによく懐いている事が、容易に見て取れた。
「……私、エリーって人嫌いです」
ぽつりと零すヤマメ。昨日の会話を思い出したのだろう。アンジェリカは驚き問い質す。
「どうして?」
「お兄ちゃん、あんなに頑張ってるのに。あんなにあの人の事が好きなのに。会いにさえ来てくれないなんて、酷い人だと思います」
ぷいとそっぽを向き、口を尖らすヤマメ。
「そんなことないわ、エリーさんは優しい人よ」
アンジェリカは否定するが、今のヤマメに分かって貰うのも難しいだろうとも思っていた。
その人物の人となりを知るには、当人と接触し交流しなくては始まらないからだ。
「……あんな人より、私の方が……」
ヤマメが言い掛けた言葉を引っ込める。
その言葉の意味を考えようとするアンジェリカだったが、
「な、なんでもないです!」
と続く言葉にかき消された。
先ほどとは打って変わって、ヤマメは愛くるしい笑顔を見せる。
「お兄ちゃんもアンジェリカさんみたいな人を好きになればよかったんだわ」
「アンジェリカさんは優しいし、私の話もちゃんと聞いてくれるもの」
その笑顔の愛らしさと、甘え上手な態度についつい乗せられてしまう。
「えへへ、お姉ちゃんって呼んでもいいですか?」
「いいよいいよ、呼んじゃって?」
ヤマメは大いに喜び、アンジェリカの腕にぎゅっとしがみつく。
「お姉ちゃん、大好き!」
なるほどこれには敵わない。
自分よりも一回り、二回りも小さな娘が自分に信頼を寄せて身を預ける。可愛くないはずが無い。村での人気も頷ける。
アンジェリカは幼い頃のミツバを思い出した。
自分の背中を追うあの頃のミツバも「こんな感じ」であったと思いを馳せる。
いつしかミツバは彼女を姉と呼ばなくなり、今の関係へと落ち着いていたが、やはり彼女にとってミツバは妹である。
そんなことを思い出すと、ふとあの頃が恋しくなった。
依頼は、数日間のこの村の警備である。
しかしその本当の目的は、襲撃してきた駆動兵器を泳がせ奴らの本拠地を暴き出すことであった。
先の駆動兵器の警告どおり、やつらは群れを成して村へと進行を始めていた。
戦いの矢面に立つのはアンジェリカと、ホックと、スフィアと、村の巨人たち。
それにその後方に、村の男たちに守られるようにホックの妹のヤマメが見守っていた。
「いいか、やってきた兵器は一体を残して全部捕獲しろよ。奴らのパーツはいい値段で売れるからなぁ。けっ、けっ、けっ」
あくどく笑うホックに呆れながら、スフィアは短剣に手を掛ける。
「アンちゃんはあいつらに近づかないでよ。また、魂とやらが爆発するかもしれないし」
「分かった。気をつける」
アンジェリカが頷くが早いか、ホックが鬨の声を上げる。
「おら、おら、おら!掛かってきやがれポンコツども!」
ホックは斧を力任せに振り回し、数体の駆動兵器を薙ぎ払う。
並の武器では傷一つ付かない堅固な外殻は簡単にひしゃげ、瞬時にして沈黙する。
二番手のスフィアは負けじと大地の魔法を詠唱する。
「押し潰せ、落石降下!」
大人の頭と同程度の岩が駆動兵器の二、三体へと突き刺さる。
衝撃で外殻は歪むが、即座に機能停止とは行かない。
「ちっ、ホックさんと同じようにはいかないか。だけど――トドメだッ!」
スフィアは飛び上がり、歪んだ外殻の隙間から短剣を薙ぎコードを斬りつける。
駆動兵器に於ける血管とも呼ぶべきそれを断ち切られた駆動兵器は、次々と崩れ落ちていった。
「アンちゃん、何体かそっちに行った!」
スフィアが叫ぶ。
アンジェリカは待っていましたとばかりにぬいぐるみの一体を取り出した。
「ええ、出番よメリーさんっ!!」
アンジェリカの掛け声と同時に飛び出した電気羊のぬいぐるみが、バチバチと音を立て放電を始める。
それは次第に大きな稲光となり空や大地を這って迫る。
「痺れろーッ!!」
大放電。目の前が白い光に包まれる。
稲光が命中した駆動兵器達は次々とショートを起こし、煙を上げて倒れた。
残った一体へホックによる咆哮が飛ぶ。
「さぁ、逃げやがれ!逃げててめぇの親玉に報告に行けェ!!」
彼の放った言葉の意味を理解したのか、そうでないのか、駆動兵器は一行に背を向け走って往く。
一行は上手くいったと互いを見合わせてほくそ笑んだ。
「逃げてくよ!追いかけろ!!」
スフィアが先行し、駆動兵器を追いかける。
「ミツバ、酒場の人達に応援をお願い」
「承知しました。お気をつけて」
ヤマメの手を引くミツバ。ヤマメは名残惜しそうにホックの方を振り返る。
「お兄ちゃん……」
「分かってると思うが、ついてくるんじゃねーぞ」
ホックは念を押す。二重に、三重に。
ヤマメは兄を慕っているし、ホックも妹を可愛がっているからこそ。
同じ立場に立たないように、釘を刺しておく。
「……うん」
ヤマメはちょっとだけ残念そうに、ホックに向けて手を振った。
駆動兵器を追い、徒歩で二刻半。
日は既に高く昇り切っており、携帯食料を齧りながらの行軍だった。
街道から外れ、森の中を通り、川を渡る。
その先で一行が目にした物は、一軒の放棄された屋敷であった。
「ここは……何かの廃墟かな?」
中に入り、駆動兵器から目を離さないように気をつけながら、周囲の警戒を行う。
スフィアによると、ここはグランディア国の領土の隅であり、二百年ほど前に聖なる者達の修行場であったそうだ。
「昔は、ここで聖人達が弟子を取って修行をしてたらしいね」
「聖人ねぇ、天使だか勇者だかの何かか?」
ホックは誰に尋ねるでもなく独り言を零す。
腐って穴の開いた床や、今にも落ちてきそうな蝋燭のシャンデリア。
割れた食器類に、何者かによって破られた扉。
かつての聖なる場所も、今となっては見る影も無い。
「そうかも。深呼吸すれば聖なる力のおこぼれでも貰えるかしら?」
すぅ、と深呼吸をするアンジェリカは直後埃を吸い咳き込んでしまう。
「やめときなよ。ここ、埃っぽいし」
もう少し早く忠告が欲しかったと言わんばかりに、口をへの字に曲げ、スフィアをじとりと睨むアンジェリカだった。
屋敷の中は、アンジェリカ達と件の駆動兵器以外に動くものはいない。
かつての住人達はここを放棄し、どこへ向かったのか。
人々の輪の中へ戻ったのか、別の居場所を求めて旅立ったのか、それとも魔物に食われてしまったのか。知る由も無い。
ただ分かっているのは、今の住人は無機質な武器を持った駆動兵器であり、彼らは人類の殲滅を望んでいるという事くらいである。
一行は駆動兵器に導かれるまま、歩みを進める。
そこに扉があれば開き、そこに階段があれば降りていく。
地下室に明かりは灯っていなかったが、たいまつを付ける程度の空気の余裕がある。
アンジェリカの手元に光る明かりを頼りに奥に進んでいくと、壁はいつしか土が剥き出しになり、そこは屋敷の地下というよりは洞窟に近い雰囲気になっていた。
「さーて、親玉の登場みたいだが……」
明かりに照らされたそれは、ホックの優に二倍の体躯を誇る巨大な駆動兵器だった。
トカゲ型の魔物リザードマンのような造形と、腕に握られた巨大なハンマー。
炎でも吐くのだろうか。口には噴射口と思しきノズルが取り付けられている。
もっと詳しく調べたいが、周囲は瓦礫に覆われており探索もままならない。
「動かないね。機能停止してる?」
スフィアの言う通り、それは洞くつの最も奥に鎮座して、一切動く気配は無い。
アンジェリカは不思議に思いながら巨大なそれに歩み寄る。
ホック達は周囲に伏兵が居ないかを。アンジェリカは前方にいる巨大な魂を。
それぞれ警戒しながら、近付いていく。
巨大な駆動兵器の魂に触れた瞬間、アンジェリカは違和感を覚えた。
魂が欠けている。正確には、魂の一部分だけが黒く影を落としている。
丸い形で存在しているはずの魂が、三日月のように
「……ダメね、何も言わないわ」
巨大な駆動兵器は沈黙を守っている。
何か聞き出せたらと思っていたが、そう甘くもないようだった。
後方から不意に声が掛かる。
「おーい、応援に来てやったぞ」
声の正体は巨人族の村の男達だった。
村で頼んだ応援が、アンジェリカ達に少し遅れてやってきたのだ。
「こいつが、件の駆動兵器ってやつかい?」
男達は駆動兵器を見上げがやがやと騒いでいる。
これだけ大きな兵器を目にするのは珍しいのだろう。
「ああ。お前ら、こいつが怪しい動きを見せたらすぐ逃げろよ」
彼らには周囲の瓦礫の撤去をお願いし、スフィアとホックは改めて周囲の探索を。
アンジェリカは再び駆動兵器への対話を試みる事になった。
「おうとも、分かってらぁ!」
ホックが釘を刺すと、男達は声を上げて応答した。
「何も見つからないね……」
瓦礫が撤去され、探索する事半刻。それらしい物は何も無かった。
スフィアによればこの土壁の空洞でさえ記録には残っていないとの事で、ここしばらくの間に何者かによって掘り起こされたのだろうと推察していた。
「これだけ探しても、手掛かり一つ無しだなんて」
アンジェリカの方も成果は無い。巨大な駆動兵器は未だ沈黙を保っている。
ついにしびれを切らし、ホックが声を上げる。
「だーっ、もう、撤収だ撤収!」
撤収と言う言葉に、一同が顔を上げる。
「本拠地が分かれば十分だろ。酒場に報告だけして保留にしておこうぜ」
とりあえずの成果が出たことによる安堵と、ここまで来て事件の原因を特定出来なかった事による落胆で
残念そうな顔を互いに見せながら一行は廃墟をあとにした。
時は三刻半ほど遡る。
小さな駆動兵器を追いかけて行った冒険者達を見送り、残されたホックの妹ヤマメとミツバは二人だけで立ち尽くしていた。
「ホックさん達なら大丈夫ですわ。帰りましょう、ヤマメちゃん」
「はい……」
ヤマメはミツバに手を引かれ、母の待つ自宅へと歩いていく。
「……私が冒険者になれば、お兄ちゃんについていけるのかな」
ミツバには聞こえない声で、そう呟いた。
「冒険者になりたいのですか?」
不意に声が聞こえた。知らない男の声だ。
振り返るとそこには知らない男が立っていた。
黒のジャケットに、開いた胸元には黒い鴉の刻印が押されている。
「あ、貴方は……?」
「ご安心下さい。私は貴方の味方です」
そう言いきる男にヤマメは何故か恐ろしくなり、隣を歩いていたはずのミツバの名を呼びかける。
「ミツバお姉ちゃ……!」
居ない。繋がれてはずの手はいつの間にか離れ、ミツバはヤマメの遥か前方で、手を離れた事にも気付きもせずに歩き去っていこうとしていた。
「あの方には私の姿は見えません。私の言葉を聞きたい人にしか、私の声は聞こえないのです」
男と、ミツバを交互に見やる。ヤマメには男の言う言葉の意味をよく理解出来なかった。
「残念ですが、今の貴方に冒険者になる事は出来ません」
「えっ……?」
男に自分の気持ちを見透かされ、驚くヤマメ。
「冒険者とは、片親もしくは両親を失い健全な養育が不可能になった子供を、教会傘下の組織に預ける社会福祉」
「貴方の両親は共にご健在で、収入も安定している。このままでは無理でしょう」
両親が居る限り冒険者になれない。兄と肩を並べる事が出来ない。
男の言葉が、頭の中をぐるぐると回りだす。
「それは知ってるけど、そんな……」
「逆に言えば、目的に向かう道の障害は簡単に取り除けるという事です」
そう言って、男はヤマメに何かを手渡した。
ヤマメは恐る恐る自分の手の中にあるものを確認する。
「こ、これは……」
ナイフだ。鴉の意匠が彫られたナイフを、ヤマメは受け取ったのだ。
「簡単なことですよ。少し勇気を出せば、貴方も冒険者になれます」
ニヤリと笑う男。言葉にこそしないが、彼女は男の意図を理解してしまう。
父親と母親を殺せ、と。
「ふざけないで!そんな事、出来る訳がありません!」
ヤマメは激昂しナイフを地面に叩き付ける。カランと音を立てナイフは地面に投げ出される。
「私、帰ります。帰って貴方の事を通報します!」
踵を返し歩き出すヤマメ。肩を怒らせつかつかと去って行く。
「貴方がちらりと脳裏に浮かんだ事。それが貴方の本音です」
悪党の言葉などに耳を貸すものか。ヤマメは目を瞑り、ミツバの背中を追う。
それで終わりだと思っていた。だが。
ヤマメの世界から、音が消えた。
「取り除いてあげましょう。貴方の魂を包んだそれを」
波の音も、鳥達の鳴き声も、村の男達の笑い声も。ヤマメの耳には届かない。
「削り取ってあげましょう。しがらみという戒めを」
そんな中、男の言葉だけがくっきりと聞こえる。
まるで、頭の中に直接話しかけているかのように。
背中に妙な違和感を覚える。何かが突き立てられたような感覚だ。
痛みは無い。だがその違和感はどんどんと彼女の中に潜り込んでいく。
助けて。恐ろしくて叫びそうになる。だがいくら口を開いても声は出ない。
誰も自分に気付かない。視界が暗くなっていく。
「正直になりなさい。ヤタック様はいつも貴方を見守っています」
その言葉を最後にぷつりと、意識が途絶えた。
ヤマメが気付いた時には、男は既に姿を消していた。
白昼夢だった。すべてはまやかしだった。そう言ってしまうのはたやすい。
だが、ヤマメの手に握られているものがそれを否定した。
「未来は、貴方の手の中に。ゆめゆめお忘れなきよう……」
男の声がヤマメの頭の中で反響する。
秋の日差しの下。ナイフを手にヤマメはただ立ち尽くしていた。




