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道具使いアンジェリカ  作者: ろん
四章【道具使いと小さな漁村】
32/64

04-02 巨人族の漁師の村

 


 真っ暗な世界に光が満ちる。

 薄ぼんやりとした視界が、くっきりと形作られていく。

 急激に絞られた虹彩に目の痛みを覚え、アンジェリカの意識は少しずつ現へと傾いていった。


「う…うう…ん……?」

 知らない天井。アンジェリカが目だけで辺りを見回しても、友人達の姿は無い。

 その代わりに、目を覚ました彼女を覗き込む顔があった。

 櫛を通し丹念に手入れされた綺麗な茶髪。くりくりとして丸い可愛らしい瞳。幼さを思わせる顔立ち。

 どうやらドワーフの少女のようだ。

「大丈夫ですか?」

 彼女はアンジェリカの顔を心配そうに覗き込んでいた。

「あれ、私は……村の近くで、眠くなって」

「お兄ちゃんが運んでくれたんですよ。ずっと歩いてて疲れたんだろうって」

 アンジェリカは気を失う前の事を思い出そうとするが、その時の事は頭の中がもやもやとしてはっきりしない。

 戸惑う彼女には、ドワーフの少女は安心したのか胸を撫で下ろす。

「ようこそ、巨人族の漁村へ」

「私はヤマメ。ホックお兄ちゃんの妹です」

 巨人族ホックの妹であるドワーフのヤマメ――人好きする笑顔を見せ、少女はそう名乗った。



「そ、そうだ。みんなは?」

 起き上がろうとするアンジェリカ。

 しかし頭に上った血が急速に落ちてゆき、意識がまたも遠のきそうになる。

「いきなり起きちゃダメですよ!ゆっくり、起き上がって……」

 ヤマメと名乗った少女は、くらりと落ちそうになる背中を支える。

「落ち着いたら、外を少し歩いてみましょう。みんな心配してたんですよ」

「う、うん……」

 ヤマメに支えられながら起き上がるアンジェリカは、ふらふらとしながらも、仲間達と再会を望み部屋の外へと歩んで行った。




「おっ、ようやく起きたか」

 目覚めたアンジェリカを一組の夫婦が迎える。

 髪を刈り上げたドワーフの男性と、そこに寄り添うヤマメによく似たドワーフの女性だ。

 恐らく夫婦なのだろう。二人はヤマメによく似た微笑みで出迎えた。

 そのすぐそばにはミツバの姿もあった。ミツバはアンジェリカに気づくと立ち上がり、アンジェリカの胸に縋りつく。

「アンジェリカ様!よかった……」

「ミツバ……」

 ミツバを胸に抱き留めると、肩がかすかに震えている。

「ミツバさん、貴方をずっと看病してたんです……無理が祟るといけないからと交代してもらいましたけど」

 ミツバの表情を見る。ずっと心配してくれていたのだろう。

 目の下に隈が出来ており、看病疲れが見て取れる。

「そっか。ありがとう、ミツバ。それにヤマメちゃんも」

 かすかに震える肩を抱きとめたまま、その頭を撫でてやった。

「ホックが三人もお嬢さんを連れてきた時は何事かと思ったが、無事で何よりだよ」

 夫婦は共にアンジェリカの共に喜ぶ。

「俺っちはトアミだ。ホックとヤマメの父親をやってる。こっちは妻のミナトだ」

「よろしくね、アンジェリカちゃん」


 のどかな漁村。それがこの村に持ったアンジェリカの感想であった。

 雲ひとつない青空に、日差しの柔らかくなった太陽が照りつける。

 白い砂浜に桟橋が掛かり、巨人族の漁師達が積荷を上げ下ろししている。

「村の人達は、みんな巨人族なのね」

「それはもう。巨人族さん達の漁村ですから」

 コール・タールやそれ以外の街で出会った巨人族はホックだけであったが、この村にはたくさんの巨人族がいるようだ。

 家も、道も、船も、彼らのスケールに合わされており、アンジェリカは自分が不思議な世界に迷い込んだような錯覚に陥る。

 新鮮さと不安がない交ぜになり、それがむしろアンジェリカの好奇心を呼び起こした。

 そんな中でも、ドワーフであるヤマメは気にする事無く悠々と道を闊歩する。

 ドワーフは人間の街でも同じ様な感覚なのだろうか。


「よお!今日も可愛いねえヤマメちゃん!」

「どうも~」

 村の男達ににこやかに対応するヤマメ。

 彼女は異種族でありながらこの小さな村で愛されているようだ。

「おう、あん時の嬢ちゃんじゃねーか!」

「元気になったのか!ヤマメちゃんもよかったなぁ!」

 彼らはアンジェリカ達を囲み、口々に回復を祝った。

 ホックに担がれ、運ばれていったアンジェリカの様子を見ていたのだろうか。

 聞けばヤマメは教会の見習い神官だそうで、ミツバと交代しながらアンジェリカの看病を続けていたらしい。

 アンジェリカの身体に殆ど外傷がなく、意識が安定しているのも彼女の献身的な看護によるものだ。

「あんた、大変だったんだぜ。ヤマメちゃんがいないとどうなってたことやら」

 漁師であろう大柄の巨人が、アンジェリカの肩をぱんぱんと叩いて笑う。

「そうだったんだ。ありがとう二人とも」

「それほどでもありませんよ」

 アンジェリカが改めてお礼を言うと、ヤマメはそう言いながら、胸を張って自分の頑張りを誇った。


 漁師達から解放され、三人は漁村を歩く。

 しばらくすると小さな建物――看板から恐らく酒場が見えてきた。

「ホックさん達は?」

「冒険者の酒場に居ますよ。街のより、ずっと小さいですけど」

 そう言ってヤマメは小さな酒場の扉を開く。

「ようこそ。おや、ホックが連れてきた友人かの?」

 酒場へと来訪するアンジェリカ達に歓迎の声が掛かる。

 この酒場のマスターは巨人族の女性のようだ。

 女性はラングと名乗り、にこやかな笑顔を向けて出迎えた。

「はい、アンジェリカって言います」

 まるで男の名前みたいだな、と思いながら応対するアンジェリカ。

「可愛らしいおなごじゃ。まるで人形のようじゃの」

 恭しく挨拶をするアンジェリカに、酒場の主人ラングは胸の前で手を合わせて目を細める。

「えへへ、可愛いだなんて」

「アンジェリカ様、お顔がだらしないですわ」

 可愛いと評され悪い気はしない。アンジェリカはだらしなく表情を崩してしまうが、

 そんな彼女に呆れるミツバも、彼女が元の調子を取り戻してほっとしていたのだった。


 冒険者の酒場と言っても小さな村では、冒険者よりも食事を楽しみに来た村の若者達の方が多い。

 故に、他の街なら冒険者に依頼されるようなものでも若者達が代わりに請け負う事もあるようだ。

 とはいえ、モンスター討伐のような危険度の高い仕事は、街からの応援が送られるそうだが。


 ホックとスフィアの二人は酒場の奥で依頼書を眺めていた。

 アンジェリカがやってきた事に気付き、スフィアは表情を綻ばせる。

「おう、アン。起きたか」

「おはようアンちゃん。もう大丈夫そうだね」

「心配掛けてごめんね、みんな」

 アンジェリカは心からの謝罪を送ったが、ホックとスフィアはアンジェリカの肩をぽんと叩き

「いや、無事でよかったよ」

 そう言って締め括った。


 彼女の無事を確認した二人は、次の話題に興味が移る。

「……で、あの時何があったんだ?」

「アンちゃんがあの駆動兵器に近付いたと思ったら、いきなり倒れたんだよ」

 二人の言葉を受けて、アンジェリカはあの時の事を思い出した。

 壊れた駆動兵器に駆け寄り、彼との対話を試みようとしていた事を。

「あの駆動兵器……助けて、って言ってた」

「助けてだぁ?どういう意味だよ」

 ホックの問いかけにアンジェリカは首を振る。

「わかんない。それを聞こうとしたら魂が……彼の魂が、ぽんと弾けて。消えちゃったの」

 魂の――生命が失われてなお生き続ける存在の消滅。

 消滅に際して一瞬だけ生まれたエネルギーは、彼女の意識を成す術も無く奪ってしまった。

「それでびっくりしちゃって……そのまま気を失ったのかしら?」

 魂の爆弾と呼ぶべきそれは、魂に寄り添う者としての道具使いアンジェリカにとって常識外の出来事であった。

「ああ、そうだよ。チビども二人が大騒ぎで参ったぜ」

 よほど慌てていたのだろう。その時を思い出したのか、ホックは肩を竦める。


「魂って消えるもんなの?」

 スフィアが疑問を投げかける。

 アンジェリカはその問いかけに少しの間思考する。

「死んだ人の魂は普通、天使様の所に行くって聞いたわ。そのまま消えちゃうなんて……聞いた事ない」

 そう答えるしかなかった。

 魂がどういった存在なのか、魂の行き先など、道具という形で魂と頻繁に触れ合うアンジェリカ自身ですら、よく分かっていないのだ。

 アンジェリカの答えも、アンジェラ教会が配布している教本に載った模範解答でしかない。

 ただでさえ魂の概念にふんわりとしたイメージしか持たないホックとスフィアの両名は、ただ首を傾げるばかりであった。


「それでそれで、ホックさん達は何してたの?」

 ホックの持っている紙切れを覗き込むアンジェリカ。

「これだよ」

 差し出されたそれは、この酒場に配布された依頼書であった。

 その内容とは、『村付近に現れる駆動兵器の駆除、場合によっては討伐。』

「……これって!」

 アンジェリカが顔を上げ、ホックは頷く。

「ああ、ここしばらくこの村で駆動兵器が散見されるらしい」

「さっきも一体追っ払ったけど、アンちゃんがやられたアイツと同じ型だったよ」

 スフィアが補足を入れるが、アンジェリカの目は既に依頼書に釘付けであった。

「気になるか?」

「ええ。人間を滅ぼすなんて物騒な事も言ってたもの」

 ホックの問いにアンジェリカは頷く。

「……穏やかじゃないね」

 二人のやり取りを聞きながら、スフィアは渋い顔をしていた。


 駆動兵器は、この世界で古くから存在する大きな力の一つだった。

 出自に関しては諸説がある。やれ女神からの贈り物だの、異界人が遺した物だの、ドワーフが作っただの、魔王が送り込んだ人類最大の敵だの。

 どれも信憑性に欠けるが、しかし確かに存在する『純然たる力』だった。

 人類が掘り出せば人類の味方に。魔物が掘り出せば人類の敵に。

 彼らは主人を選ばない。少なくとも道具使いではないスフィア達はそう思っている。


 そんな連中が、明確に、自分の意思で人類を狙っているとしたら。

 魔物に操られてなどおらず、人類への敵意で攻撃してくるとしたら。

「マスター、ちょっといいかい?」

「何じゃ?その依頼を受けるのか?」

 冒険者として、危険の芽は詰まねばならないと、三人は頷きあった。


「お兄ちゃん、冒険に行くの?それなら私も――」

 おずおずと兄へ声を掛ける、ドワーフの幼い神官ヤマメ。

「あ?ダメに決まってんだろ。危険なんだぞ」

 しかしその提案は兄により却下される。

「私も神官として、お兄ちゃんの助けになりたいの」

 なおも懇願するヤマメだが、ホックは首を振った。

「アンの腕を見ろ。回復魔法で治療されてるが、まだ跡も残ってる」

 酒場のカウンターで依頼を受けているアンジェリカの腕を見やるホック。

 二の腕から肘に掛けての傷跡は、誰につけられたものなのかヤマメには知る由も無い。

 時間が経ち痛みは風化しているだろうが、年若い娘が持つには痛々しすぎる。


「前に出ている戦士がどれだけ優秀でも、俺様みたいな最強の戦士でも、後ろを完全に護れる保証なんて無いんだぞ。怪我したら、痛いんだ」

 戦士である限り切り傷、擦り傷、打撲や、下手を打てば骨折に脳震盪。

 何を以ってしてもヤマメにそんなものは与えられないとホックは考えていた。

 それは彼なりの心配であり、ヤマメも同じくそれを理解したのだろう。

 しゅんとする妹の頭を、ホックはそっと撫でてやる。

「お前は、俺が怪我して帰ってきたら治してくれ。それで十分さ」

「お兄ちゃん……」

 敬愛する兄の表情はやはり見ることはできない。

 しかしホックが妹であるヤマメを慈しんでいる事は彼女にもよく分かっていた。

 だから、それ以上は何も言えなかった。


「おう、親父。お袋。戻ったぜ」

「おう、ホック。お嬢ちゃん達も戻ったか」

 父と息子は同じ挨拶を交わす。それが当たり前のように。

「夕飯の支度が出来ていますよ。たくさん作ったから、たんとおあがりなさい」

 母は息子と娘と、友人達を家に迎え、ご馳走を振舞った。

「わぁ、いただきます!」

 三人娘達は大いに喜び、食事を楽しんだ。




 そんな若い娘達を遠目に見ながら、父と息子は酒を呑む。

「ホックよ、お前が連れてきた娘達。みんな良い子ばかりだな」

「最高の男には最高の女が集まる。あたり前の事だろ?」

 控えめにほほ笑むミツバに、堂々と冒険譚を語る勇者スフィア。

 楽しげに笑い、美味しそうに食べるアンジェリカ。

 確かに第三者から見れば、彼女達が集まり小さな花束のように見えるだろう。

「そいでよ、お前はどの子が好みなんだ?」

「けっ、そういう話かよ」

 冷やかす父にホックは舌打ちする。


「悪いが俺様には心に決めた女性がいるんだ。その人以外に好意を向ける気はねぇよ」

 ホックの想い人は、炭鉱城塞コール・タールで出会った一人のドワーフの女性だった。

 子供達に囲まれ、遊んでやってやる年上の彼女。

 優しくて、可愛くて、パワフルな彼女にホックは一目ぼれしていた。

 彼は彼なりに精一杯のアピールをした。

 重そうな荷物を運んでいる時は手伝ってやり、彼女が遊んでやれない子供の相手をしてやったり。

 畑仕事を手伝ったり、教会主催のイベント等は全力で盛り上げた。

「エリーさんってドワーフの事か。脈無しだそうじゃねーか」

 父トアミに指摘されるまでも無く、ホックは分かっていた。

 彼の努力は功を奏しなかった。少なくとも彼にはそう思えた。

 コール・タールを出てそれなりの時間が経っているが、それまでに一度も、何の連絡も無い。答えは自明の理だろう。

 が、それは本当の意味で指摘されるまでもない。そう思っていたから。

「うるせえ」

 ホックは、そう返すしか無かった。


「かーっ、つまんねぇ男だな!」

 心底つまらなそうに、トアミが手足を投げ出し仰向けになる。

「一人の女に未練タラタラかよ!俺っちの若い頃なんてなぁ」

 仰向けのままじたばたと暴れる。呂律が回っていない所を見るに、既に泥酔しているのだろう。

 よく見れば彼の傍にはいくつもの酒瓶が転がっている。

 しかしそのそばで静かに呑んでいた妻のミナトはくすくすと笑う。

「ずっと私にべたべたしてたじゃない。幼馴染の私に一時も離れず?」

「ぎゃふん」

 妻のミナトに指摘され、トアミは変な声を上げて崩れ落ちる。

 そのままいびきをかいて寝入ってしまったのを見て、ホックとミナトの親子は苦笑した。





 ――アンジェリカ達が、思い思いに夕餉を楽しんでいる中。

 部屋の真ん中で繰り広げられる賑やかな食卓から離れ、ヤマメは一人ジュースをちびちびと飲んでいた。

 視線を床に落とし、膝を抱えながら。

「お兄ちゃんには、もっと相応しい人がいるのに……」

 そんな彼女の言葉は、宴の喧騒にかき消され、誰の耳にも入る事は無かった。

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