03-07 青光の勇者スフィア
「そうか……君が勇者だったのか」
青白い光を纏い、勇者スフィアはギロリと死霊使いサーニャを見据えている。
サーニャはスフィアの変貌に違和感を抱くが、それはすぐに好奇へと変わった。
「ビクトリアの子孫である君がね……くくっ……光栄だよ、勇者誕生の瞬間をこの目で見る事が出来るなんてねえ」
そう言うと、サーニャはまたもゆらりと手を上げる。
「さぁ、行くがいい!この生まれたての勇者を倒す栄誉を君達に与えよう!」
サーニャの手から現れた光が傀儡夫婦の頭を刺激すると、それは咆哮を上げながらスフィアの前へと躍り出る。
「スフィアさん!」
アンジェリカが声を上げる。
閃光弾、癇癪玉、煙幕玉などのありったけの道具を投げつけ、こちらに注意を引きつけようとするが、明確にターゲットを指定された傀儡夫婦には効果が現れない。
「父上……私には、貴方を助ける事は出来ないようです」
傀儡夫婦の太刀がスフィアに向かって振り下ろされる。
ほんの少しでも掠ってしまえば、そこから先が砕かれてしまいかねない凄まじい一撃だ。
「でも、それなら。せめてもの手向けに」
スフィアの光剣がルサーク王の太刀を打ち据えると、大刀に亀裂が走り、その破片は粉々になる瞬間、光の粒となって消えて行った。
「ちっ……ならばガイアナ。電撃を放て!」
バチバチバチと音を立てて電撃の火花が舞う。
電撃は無造作に飛び散りそのうちの一つがスフィアとアンジェリカを襲う。
「あっ……!?」
アンジェリカが声を上げると同時に、スフィアがアンジェリカを守るように立ち塞がり電撃を斬り払う。
霧散する電撃を見届け、スフィアはほっと一息を吐いた。
「おいおい、冗談だろ……」
これにはさすがの死霊使いも表情を顰めずにいられなかった。
「冗談なのはお前のやってきた事だろう……!」
再びスフィアは剣を構えなおす。その切っ先は憎き死霊使いへと狙いが定められている。
「次は、お前だ」
一突きで仕留める。明確な殺意を以ってスフィアは宣言した。
サーニャの表情に、徐々に焦りの色が浮かぶ。
「くそっ、傀儡夫婦!僕を守れ!!」
傀儡夫婦がサーニャの指示によってスフィアの前に立ち塞がった。
「父上……」
そこにはもはや父としての面影は無く、サーニャの思うがままに動く操り人形である。
「貴方は気難しい所もあったけれど、優しくて。いつも私達兄妹の事を気に掛けてくれて」
それでも、スフィアは歩みを止める事はなかった。
「私も兄上も。貴方が大好きでした……さようなら」
そしてスフィアは、父への、別れの言葉を告げた。
傀儡夫婦を一刀の下に切り伏せる。
怪物は青白い光によって縦に寸断され、一際大きい咆哮をひとつ上げてから地響きを立てて崩れ落ちた。
同時に、傀儡夫婦の腕に掴まれていたタイガが腕から離れ、どさりと音を立てた。
「あ、ああ……くそっ、くそっ!」
明らかに狼狽するサーニャ。自分の作った怪物が倒されるとは微塵にも思っていなかったのだろう。
「アンちゃん、タイガさんを助けてあげて……私は、こいつをやる」
「う、うん!」
地面に投げ出されたタイガの下へアンジェリカは駆け出す。
「タイガさん!酷い怪我……」
タイガはあちこちの骨を折られていたが、奇跡的に一命を取り留めていた。
「う……あ……」
アンジェリカは懸命に声を掛ける。
それに対しうめき声を上げる事しか出来ないタイガ。
適切な治療を受けられなければ、長くは持たないだろう。
「大丈夫ですか!?」
突然背中から声がかかり、アンジェリカは驚き振り返る。
教会でも見かけた、白い装束の神官達がそこには立っていた。
「安心してください。私達は神殿の神官戦士です」
「あまり動かしてはいけません。ここで治療しましょう」
神官たちが集まり、タイガを囲んでいく。
彼を助けるには、複数人で回復魔法を掛けて治療をしていく必要があった。
神官たちの手から放たれる柔らかく暖かい光に包まれると、タイガの苦痛に苛まれた表情が穏やかなものになっていく。
「シスター。あちらにも要救助者が!」
神官の一人が、未だ戦場に置かれた場所に倒れた二つの人影を見つけた。ルサーク王とガイアナ王妃だ。
「あれは……分かりました。慎重に近付いて下さい」
彼らの位置からでは、遠くに見える二人の息があるかは分からなかった。
「神殿の神官ども……ッ!!」
サーニャの言葉の端々から、先ほどまで持ち合わせた余裕が消えている。
勇者の覚醒と、神官達の迅速な救援に苛立っているようだった。
「動くな!お前は完全に包囲されている!」
「逃げ場は無いぞ!神妙にお縄を頂戴しろ!!」
口々に言う神官達。
追い詰めた。その場に居た誰もがそう思っていた。
「逃げ場は無い?……くくっ、君達みたいな人間ならそうかもね」
サーニャが不敵に笑うと、その場がしんと静まり返った。
「風嵐の魔王が命ずる。風翼竜ワイバーンよ!!」
サーニャを中心に、つむじ風が起こった。
ばさり、ばさりと何かが風を仰ぐような音が鳴る。
「な、なんだ……!?」
空が暗くなるが、決して夜になった訳ではない。
何かがその大きな身体で太陽を覆い隠しているのだ。
人々は空を見上げる。そしてそれの正体に気付いた時、皆一様に驚きの声を上げた。
太ったトカゲのような身体に、一薙ぎで突風を巻き起こしそうな大きな翼。
隆起した筋肉に裏付けられた強靭な腕に、鉄をも軽々と引き裂くであろう硬く鋭い爪。
何より身体にびっしりと生えたうろこはエメラルドのように輝き、人々の目を奪う。
それは世界に五体しか存在しないと言われる伝説の生物。
その希少さによって、ともすれば神話の中にしかいないとさえ言われた存在――竜であった。
サーニャの身体がふわりと浮かび上がる。
身体に纏った風に導かれるように、サーニャは竜の背中に降り立った。
「逃がすな!追え!追えーっ!!」
神官達は背中に担いだ弓を取り、竜に向かって矢を引き絞る。
「待ちなさい、相手は竜です!徒に命を捨てる気ですか!!」
しかしリーダーと思しきシスターはそれを見て制止した。
神話の中に残る伝説の竜。奴の反撃が来ればこちらの陣営に大きな被害を与えるだろう。
「アンジェリカ!僕はね、君と友達になりたかったのさ」
翼竜の背中の上から、サーニャが叫ぶ。
「だから、邪魔者は消した。簡単なことだろう?」
「友達ですって!?」
あまりにも唐突で、荒唐無稽な理由。アンジェリカは一瞬、理解を拒否する。
「僕は魔王として人間を切り刻んで殺してばかりいた。けど、それだけじゃ満足できなくなった……戯れに死体を動かしてみたら、これが案外面白くてねえ」
「そうさ!道具を意のままに操る君と同じ仲間だ!僕と君は仲良くなれる気がするよ」
錯乱するアンジェリカを気にも掛けず、サーニャは言葉を捲くし立てる。
「さらばだ、アンジェリカ!また会おう!!」
サーニャが高らかに笑いながら翼竜に乗って去って行く様を、その場に居た全員が目撃する。
あとには呆然とするアンジェリカだけが取り残されていた。
「私とサーニャが同じ……友、達?」
友達。仲間。この世界で最もネガティブであろう存在から、最もポジティブな言葉が紡がれる。
とてもアンバランスなその言葉の意味を反芻し、考える程にアンジェリカの頭に痛みが走った。
先ほどまで戦いがあったとは思えない程に、辺りはしんと静まり返っていた。
危機は去った。そう認識したその場の者達がにわかに動き出す。
「アンジェリカ様!!」
はっとなるアンジェリカ。
振り返る彼女に声を掛けてきたのは、彼女にとって最も親愛なる者ミツバであった。
ここまで走ってきたのだろう。胸に手を当て息を切らしている。
「み、ミツバ……」
アンジェリカがその手を取る前に、ミツバがアンジェリカの胸に手を当てる。
心臓の鼓動が手を通してミツバに伝わる。
「申し訳ありません。どうしても心配だったのです……」
「大丈夫よ。怖いのはみんな居なくなったから。もう、安心だから」
アンジェリカの感じた緊張、恐怖、絶望が全て彼女に見透かされている。
それでも、アンジェリカは強がった。もちろんミツバを安心させる為でもある。
何より自分に言い聞かせていた。ミツバの頭を胸に抱き、呪文のように呟いていた。
「どうやら無事……ではないようだね」
周囲の哨戒を終えたマルス王子が戻ってくる。
王子の迅速な救援要請によって、アンジェリカ達は命拾いをしたのだった。
「私は平気です。それより、タイガさんが」
ちらり、と王子はタイガを見やる。
神官達の治療の甲斐もあり、タイガの傷は殆ど塞がっていた。
だが生命力を大きく消耗しているのか、呼吸は深く意識を失ったままである。
「タイガ王子はご覧の通りです。もう少し治療が遅れていれば、危なかった」
「分かっている。文字通り命を掛けて戦ってくれたんだろう」
マルス王子は眠ったままのタイガの前に跪き、手を取って深々と頭を下げた。
スフィアは、戦いの終わった地にて膝を折り、父の為に祈りを捧げていた。
「父上……これで、よかったのですね」
独り言を呟くスフィアの下へ、マルス王子が歩み寄っていく。
「父上……スフィア……」
倒れ伏し呼吸をしていない父ルサークの遺体は、死霊使いによっていいように改造され痛々しい程に損傷していた。
既に息を引き取っており、高位の神官であっても手の施しようが無かった。
「申し訳ありません、兄上。私がふがいないばかりに」
「……君の所為じゃない。全てはあのサーニャという女が根源だろう?」
頭を下げるスフィアに、王子が横に首を振る。
マルス王子も一瞬だけちらりと見えた死霊使いの顔。あの女の下卑た笑顔がどうしても忘れられない。
あいつが。あいつこそが全ての元凶であるとその場にいた全員が確信した時、ギリリ。と歯の軋む音がした。
「う……うう……」
苦しそうに呻く声が聞こえてくる。
どこから聞こえてくるのだろう。声の源を探すべく二人は辺りを見回す。
父と同じように倒れていたガイアナ王妃の方を見てマルス王子は声を上げた。
「は、義母上!!」
ガイアナ王妃は生きていた。
サーニャに肉体を改造されていながら、その命を失う事無く生きながらえていたのだ。
「まだ息がある!早く神官達を――」
「どいて、兄上!!」
不意に突き飛ばされ尻餅をつく王子を尻目に、スフィアはガイアナ王妃の下へと駆け寄っていく。
「スフィア、何を……!?」
痛みに尻を擦りながら王子が起き上がると、目の前には、少なくとも王子にとっては信じられない光景が広がっていた。
「……なせるものか……死なせるものか!」
ぽわりと、スフィアの手がほのかに光る。
スフィアの癒しの魔法が、重体であったガイアナの身体を癒していく。
「スフィ……姫……どうして?」
暖かな光を浴びて、ガイアナ王妃がにわかに意識を取り戻す。
王妃はその暖かさが、スフィアによるものである事に気付くと驚きを隠せないようだった。
「私は貴方を邪魔に思っていた。いなくなればいいとさえ思っていた……母上が居なくなって、貴方がその席を奪ったと思っていたんだ」
スフィアが、言葉を紡ぎだす。
「でも……それでも、貴方は父上が愛した人なんだよ。父上が私達に遺してくれた、最後の一人なんだよ」
言葉が滝のように流れ落ちる。一字一句偽りの無い本音だった。
スフィアが家を出てからの二ヶ月。最も父に寄り添っていたのはガイアナだった。
スフィアの知らない父の姿。スフィアの知らない父の心。
それを知っているのは、父との最後のつながりを持っているのはガイアナだけだった。
スフィアがどれだけ嫌っていても、ガイアナはやはり母だったのだ。
たったの二ヶ月であったが、ガイアナはやはり父の妻だったのだ。
「だから、死なせない。死なせちゃいけない。それがきっと、父上の願いだから……!」
スフィアは泣いていた。だが、声を殺し耐えていた。
嗚咽を漏らす喉をこらえ、ガイアナ王妃の治療を絶やさなかった。
「姫……ありが、とう……ごめんな、さい……」
王妃の心に残るのは、大きな感謝と……申し訳なさ。
優しきルサーク王の意思を継いだスフィアの光に包まれながら、ついに緊張の糸が切れ、そっと意識を手放した。
スフィアもまた、ルサークの娘だったのだ。




