03-06 双頭の傀儡夫婦
――緊急事態発生。緊急事態発生。
グランディアの街中に大量のアンデッドが突如現れた。
同国の冒険者、ならびに神官達は至急現場に急行されたし。
また、冒険者「C-00165」「G-00537」「G-00538」の三名が首謀者と思しき人物と接触。
こちらについても同様に救援を要請する。繰り返す……。
双頭の傀儡夫婦。
その正体はスフィアの父ルサーク王とその後妻であるガイアナ王妃を死霊使いサーニャが合成させた魔物だった。
「父上ッ!私の事が分かりませんか!父上ーッ!!」
スフィアの悲痛な叫びが王の間に響く。
だが、彼女の必死の懇願もルサーク王には届かない。
「驚いて貰えたようで何よりだよ。お嬢さん」
「外道が……ッ!!」
そんなスフィアをせせら笑うサーニャに、タイガは憎憎しげに歯噛みする。
「さぁ、ルサーク王。ガイアナ王妃。僕を仇なす不届き者を懲らしめておくれ」
「スフィ……アァ……!!」
スフィアは自らの下僕に命令を下す。
傀儡夫婦はただうわごとのように娘の名を呼ぶばかりであった。
呼び掛けても、呼び掛けても、声は決して届かない。
そう気付いたスフィアは力なく床へとへたり込む。
顔を伏せ嗚咽を漏らす。雫が頬を伝い床を濡らした。
「アンジェリカさん、戦える?」
タイガは怪物に相対し、背中越しにアンジェリカに問いかける。
「……王様達を、倒すの?」
「誰であっても姫は傷つけさせない。相手が実の父親だったらなおさらさ」
タイガとアンジェリカは顔を見合わせ頷きあう。
「分かったわ。スフィアさんは、絶対に守る」
のそり、のそりと近付いてくる傀儡夫婦は、既にアンジェリカ達の眼前にまで迫っていた。
「まずは関節を……狙うッ!!」
アンジェリカの放った閃光弾を起点に、タイガは傀儡夫婦の後ろへと回り込み強烈な両手剣の一撃を振り下ろす。
そのまま打ち下ろされれば傀儡夫婦はバランスを崩し膝を地に着けていただろう。
だがその直後、王の間に鈍い金属音が響き渡った。
「ぐっ……痺れる……」
関節へと強かに打ち下ろされるはずだった両手剣は、突如怪物の膝裏から飛び出した何かに弾かれる。
硬質化した皮膚で作られたそれは、緩やかなカーブを描いた刃となる。
傀儡夫婦が刃を引き抜くと、それは血が滴る巨大な曲刀のようにも見えた。
腕に痺れを覚え武器を取り落とすタイガ。即座に拾い上げて武器を構えなおす。
「それなら、これで!」
アンジェリカは癇癪玉を地面に叩き付けると、そのまま弾け飛ぶ。
「や、やっぱり効かない!……でもっ!」
弾けた破片は傀儡夫婦へとダメージを与える事こそ敵わないが、その音と衝撃は敵にアンジェリカの存在を示すには十分であった。
怪物がアンジェリカにターゲットを移す。生気の無い瞳がアンジェリカをうつろに見つめている。
「効かない。効かないさ。デードスの失態から硬度も攻撃性も改良を重ねたからねえ」
サーニャが手を挙げ攻撃指令を下すと、傀儡夫婦はアンジェリカに素早く肉薄し、手にした武器で唐竹割を繰り出す。
すんでのところで回避するアンジェリカ。先ほどまで居た場所は衝撃で無残にも抉れていた。
「確かに、僕達の攻撃じゃこいつにダメージは与えられないけど」
「でも、マルス王子様が応援を呼んでくれたわ。どうにか持ちこたえれば……きゃっ!?」
再びルサーク王の奮った剣がアンジェリカの腕を捉える。
あわや腕を粉砕されそうなところを、タイガが抱えて飛び去った。
「大丈夫かい?アンジェリカさん」
「う、うん。なんとか……痛っ」
ルサーク王の剣がわずかにアンジェリカの腕を掠めていた。
ほんのわずかに掠った程度でも、明確な殺意はアンジェリカの腕に深い深い傷を残す。
これが前線で戦う戦士の痛み。流れる血の暖かさと引き換えにアンジェリカの体温もまた少しずつ零れ落ちていく。
タイガの腕から下ろされたアンジェリカは、自分の腕を押さえ身震いした。
怪物の攻撃は止まらない。次はガイアナの口が光った。
周囲はバチバチといかずちの火花が弾ける。
火花は無造作に辺りに飛び散り、置かれたツボや観葉植物等の調度品を破壊していく。
「わわっ……」
あんなものに当たれば黒焦げだ。アンジェリカは慌てて柱の影に身を隠した。
タイガはへたり込んでいたスフィアの手をとり連れてきて言った。
「どうやら、こいつは僕達には荷が重過ぎる相手みたいだね……」
圧倒的な力の差を自覚し、悔しそうにするタイガ。
それはアンジェリカも同じであった。だが、そんな悔しさを覚えることにすら時間を掛けるのが勿体無い。
真に優先すべきは一人でも多くの生存者を城の外へと出す事であった。
「どうするの?タイガさん」
「姫を連れて撤退してくれないか。最悪、城は放棄する事になるかもしれない」
神妙な面持ちのタイガ。アンジェリカは思わず息を呑む。
「でも、それじゃあ」
アンジェリカの抗議にタイガは黙って首を振った。
その瞳は寂しげで、どこか遠くを見ているようでもある。
「僕にとっても小さい頃から暮らしてた大事な家だけど。あんな奴に蹂躙されるなんて嫌だけど――だけど、それ以上に僕にとってスフィア姫は大事な人なんだよ」
アンジェリカは意を決し、頷く。
戦意を失ったスフィアと逃がしてやる――それが今、アンジェリカのできる事だ。
「わかった。どうにか連れ出してみる。タイガさんは?」
「安全なところへ逃げ切るまで、あいつらを引きつけてみるよ」
「……うん、絶対にお互い無事に再会しよう。スフィアさんにとって貴方も大事な家族なのよ」
必ず、無事に。約束を交わす二人。
そんな二人をあざ笑うがごとく、傀儡夫婦が一つ、また一つと前へと踏み締める。
ずしり。ずしり。
その度にこの国の崩壊の音が聞こえてくる。
「もちろん。さ、行って」
もはや時間は残されていなかった。
「逃げる気かい?追え、傀儡夫婦」
「おっと、そうは行かないよ」
だが、サーニャは助けを呼ばせるつもりなど毛頭ない。ここで全滅させる気なのだろう。
手を振り上げ更なる攻撃指令を下すサーニャの前にタイガが立ち塞がった。
圧倒的な力の差に嘲笑を浴びせ見下し果てた態度の前にあっても、タイガのやる事は変わらなかった。
「邪魔をするなよ。天使でも勇者でもない奴に用なんて無いんだよ」
「あんたに無くても、僕にはある」
何を以ってしても。たとえそれが自らの命だったとしても。
もっとも愛しい姫の為に。投げ出す準備は出来ていた。
「逃げて!アンジェリカさん!必ず姫を守って!!」
背を向けて、力の限りの叫び声を上げた。
スフィアの手を取り、走る。走る。
「スフィアさん、もうすぐだから。もうすぐ安全な所へ逃げられるから」
歯痒かった。
アンジェリカは冒険者である。仲間を支援し助ける冒険者であった。
そんなアンジェリカが敵に背を向け、走る。友を戦地に置いて、逃げ出している。
生き残る為なら仕方が無い事。手を取った少女を助ける為なら仕方の無い事。
そう自分に言い聞かせて、城の中をひた走った。
「あ、アンちゃん……腕……その……」
半ば茫然自失となりながらも、スフィアがアンジェリカの腕の傷を気遣っている。
苦境の差で言えば。受けたダメージで言えば。スフィアの方がはるかに重いというのに。
「こんな怪我、へっちゃらよ。」
痛みなど大したものではない。そう言いたげにアンジェリカは傷を受けた腕を振り回す。
スフィアを安心させる為の嘘だが、今だけは貫き通さねばならなかった。
二人はどうにか城を脱出し、城前の広場へと飛び出した。
色とりどりの花に溢れた広場は、魔物の徘徊によって見るも無残に荒らされている。
「ここまできたら、大丈夫。神殿に助けを求めよう」
もう少しで安全な場所へ。そう思った矢先であった。
ずしり。ずしり。ずしり。大きな何かがこちらに近付いてくる。
「この衝撃は……まさか!?」
その姿は見間違えようもない。傀儡夫婦だ。
傀儡夫婦が、タイガを倒し城の扉を根元から壊し現れたのだ。
身体を赤く染めたタイガが傀儡夫婦の腕にぶら下がっている。
決して離すまいと、必死の形相でしがみついている。
「そ、そんな……タイガさん……」
「ごめん……しくじった……早く……逃げ……うぐっ」
血を吐き出すタイガ。すぐにでも適切な治療を受けねば長くないだろう。
スフィアがアンジェリカの手を振り払い、怪物の方へ歩み寄っていく。
「す、スフィアさん!!」
アンジェリカの声はスフィアには届かない。
うわごとを述べながら一歩ずつ、一歩ずつ。
「あ、ああ……ちちう……え……」
サーニャが指を鳴らすと、傀儡夫婦の腕が振り上げられる。
トドメの一撃が繰り出されるまで秒読みの段階に入った。
「スフィアさーーーーんッ!!」
アンジェリカが絶叫を上げた。
振り下ろされればスフィアを赤い染みにしていたであろうその腕は、一向に振り下ろされる気配が無い。
「腕が……傀儡夫婦が、止まった?」
「スフィア……あア……スフィアよ……」
怪物となってしまったスフィアの父、ルサーク王の瞳にほんのわずかだが理性の灯が宿っていた。
「父上っ!!」
スフィアが父を呼ぶ。しかし理性が顕れたのはほんの一瞬のことだ。
父の瞳が濁り、狂気に染まっていくのが見て取れた。
「すまナ……お前に、寂シ…思…を……させ……」
「そんな、父上…私は……ッ!!」
ルサーク王の口から語られる謝罪の言葉。
「ガイアナは……トライアを……失ッ……寄り添って……悲しみ……癒シテ……私、は……彼女……愛し……て…しマ」
ガイアナ王妃の瞳も、心なしか悲しみを湛えているようにも見える。
スフィアはともすれば消え入りそうな言葉を、一字一句聞き逃さないように。
父の心内を聞き入っていた。
「許し……て……レ」
許してくれ。その一言を最後に、ルサーク王は何も語らなくなった。
ルサーク王の瞳から理性の灯が消え、傀儡夫婦は完全に魔物と化した。
「美しい愛情じゃないか。素晴らしいね……」
吐き捨てるようにサーニャは言った。
その表情は劇の余興を流し見る観客のように。
自分だけは後方に。最も安全な場所から笑いながら手を打っていた。
サーニャの拍手と笑い声だけが響く中、ゆらりとスフィアが立ち上がる。
「……もう、許さない」
「うん?」
サーニャの笑い声が止まり、辺りは静寂に包まれた。
アンジェリカとサーニャの視点がスフィアに注がれる中、スフィアは俯き、拳を握っている。
「街を襲って、父上をこんなにして。そのうえアンちゃんやタイガさんまで傷つけて」
「それが、どうかしたのかい?」
スフィアの静かな怒り。だが、サーニャは気にも留めない。
足元のふらついた身体で何が出来るのか。
この時のサーニャはスフィアを完全に見くびっていたのだろう。
スフィアは短剣を抜き去り、サーニャに突きつける。
「許さない。絶対に」
その瞬間、スフィアの全身から、青いオーラが立ち上る。
迸る青い光は短剣の先端に集まり、炎となって長身の剣を作り上げた。
「スフィアさん……っ!!」
アンジェリカはその姿にただただ見惚れ、サーニャの小馬鹿にしたような微笑みが引き攣る。
「この剣にかけて、お前だけは私が倒す」
青いオーラが集束し、バチンと音を立て弾ける。
その瞬間、青い光を放つ剣の炎が最高潮に達した。
勇者スフィア、覚醒の瞬間であった。




