02-05 ヤタック教の暗殺者
西へ。西へ。
雨でぬかるんだ不安定な道を駆けるアンジェリカ達。
山間の谷は強く風が吹き荒び、向かい風となって四人を襲った。
「お願い、オルトロス。よろしく頼んだわ」
双頭の魔獣のぬいぐるみオルトロスを胸に抱き、自分達以外の気配を探らせる。
アンジェリカの懇願にオルトロスは頷き、気配を探り目を光らす。
村長のマーサの情報通りであるなら、ここは既にヤタック教団の領域だった。
「それにしても酷い風だね」
一行の中でやや小柄なスフィアを、庇うようにして前に立って歩くタイガ。
「この風は、大穴から吹いてるんだよ」
マーサが補足を入れる。
山間の谷を吹きぬける風は午前と午後を境に入れ替わり、午前は向かい風に、午後は追い風となるらしい。
「まるで大魔王のあくびだね」
冗談めかしてスフィアが言う。
アンジェリカはそれを聞いて笑うが、案外的外れにも思えなかった。
少なくともこの大穴の奥底に、自分達よりも遥かに巨大な化け物が蠢いているのではないか。
ただの自然現象といえばその通りである。しかし、そう予感させる何かを感じた事も事実であった。
しばらく進むと、程なくして谷の分岐点に辿り着く。
片方は大穴へと続く道。もう片方は穴の周りをループする道。
「どちらへ行ったのかしら……?」
アンジェリカは左右を見渡すが、トキオを指し示す物はどこにもない。
進むべき道を見失い、立ち尽くす一行。
「う、うわっ、どうしたの!?」
すると、腕の中でおとなしくしていたオルトロスが突然暴れだす。
「こらっ、おとなしくしていなさいってば!」
風の勢いが分岐点で二分され、いくらか収まってはいるもののオルトロスの大きさでは軽々と飛んで行ってしまうだろう。
アンジェリカはオルトロスが飛ばされてしまわないように、両手で押さえ込んだ。
「待って、アンちゃん。アレを見て!」
スフィアがオルトロスの向いていた方向を指で指し示す。
大穴をぐるりと回る道の方。その奥から何かが跳ねながら転がってくる。
「アレは……靴だ!子供物の靴だよ!」
タイガがその正体に気付き、声を上げた。
履き古した子供用の靴が、風に飛ばされて転がってきたのだ。
マーサが前に飛び出し、靴を受け取り確認する。
「間違いないね、これはトキオの物だ」
確認してからそっと懐に仕舞う。
どうやらトキオは、大穴の外側に秘密基地を作っていたようだった。
「こっちだ、行こう」
スフィアの号令に合わせ、四人は谷の更なる奥へと足を運んで行った。
谷の分岐を進み四半刻。
いまだトキオの姿も、秘密基地らしき構造物も見当たらない。
そもそも風吹き荒ぶこの谷で、子供の足でここまで辿り着けるのだろうか。
アンジェリカ達の間にそういった疑問さえ浮かぶ。
そんな疑問を払拭したのはまたしてもオルトロスだった。
「見つけたの?オルトロス」
アンジェリカに訴えかけるように、身体を震わせるオルトロス。
「いるね。招かれざるお客さんのようだよ」
タイガの指し示す先とオルトロスの視線が交差した。
見られている。
何者かがアンジェリカ達の行動を目を光らせ見張っている。
前方に一人。後方に二人。こちらの人数よりも少ない。
「アジトを守る為にこちらに人数は割けないんだろうねえ」
訝しがるアンジェリカにマーサが補足を入れた。
「逆に言えば、ボク達なんて三人で十分って事かな?」
「舐めてくれるじゃんか」
タイガは背中の大剣を、スフィアは腰の短剣を抜き放つ。
こちらの交戦の意思を認めたのか三人の男が前と後ろから飛び出す。
黒いジャケットだけを羽織った男達の胸には鴉の焼印が刻まれていた。ヤタック教団の者達で間違い無い。
「私達は後ろの奴らをやる。前の奴はスフィア、アンジェリカ。任せるよ」
「わかった」「うん」
合図と共にタイガとマーサが走り出す。予め互いに距離を取り、乱戦同士の干渉を防ぐのだ。
「シャアッ!」
ヤタック教団の暗殺者が高く飛び上がった。そのままスフィアの顔へと飛び蹴りの先制攻撃を放つ。
「ぐうっ」
寸でのところで短剣で弾くスフィア。
双方がぶつかりあった際、甲高い金属音が鳴り響いた。
靴の裏にも金属を仕込んでいたのだろう。直撃していたらひとたまりも無い。
「こいつっ!」
大きく一歩前に出て短剣を振り被る。
しかしその切っ先は目標に当たらず空を切った。
「射抜けッ!ファイアーッ!!」
スフィアは即座に炎の呪文を詠唱する。火矢が射出され暗殺者に着弾した。
爆発が起こり、小さく悲鳴を上げてのけぞる暗殺者。だが浅い。
向かい風によって勢いを殺された火矢は、暗殺者の動きを制限するには至らなかった。
「スフィアさん、下がって!」
アンジェリカの掛け声で二人は前後入れ替わる。
この向かい風ではオルトロスの炎も恐らく相手に届ない。
「頼んだよ、メリーさん!」
ならばとアンジェリカは羊のぬいぐるみを取り出し地面に押し付ける。
メリーさんが身体の綿毛から火花を散らすと、地面を通して電撃を繰り出した。
「ぎゃあっ!!」
手ごたえあり。着地際の不意を討たれた暗殺者は身体を痙攣させ、その場に膝をつく。
しかし地面を通して電撃の威力は大きく減衰していたのか、暗殺者はすぐさま立ち上がり、追撃を許す事無くアンジェリカ達と距離を取った。
戦闘開始から六十秒。
鍔迫り合い等で接触はあるものの、戦闘はこう着状態が続く。
相手に地の利があるとはいえ、二人掛かりで決定打を与えられない事に次第に焦りを覚えるアンジェリカとスフィア。
暗殺者の方はといえば、無駄な力を使わずに戦っている為か殆ど息も切らせていない。
吹き抜ける風の力を利用しての跳躍。魔法の勢いを殺す。道具の力を使った無軌道な攻撃をも上手に受け流していた。
アンジェリカから見ても、相手が相当な手練であることは見て取れる。
ちらりと後ろを見やる。
後ろではタイガとマーサが二人の暗殺者を相手に戦いを繰り広げていた。
攻撃の支援を期待するのは難しいだろう。
こちらの手札を今一度確認する。
スフィアは短剣による攻撃と軽やかな身のこなしで、相手を翻弄する戦法が得意だ。
また近接戦闘ほど得意ではないが、炎の矢『ファイア』や岩の大砲を飛ばす『ストーン』等の攻撃魔法も操れる。
しかしその点に於いては相手の方が遥かに上手で、攻撃魔法もこの向かい風では勢いが弱まってしまう。
アンジェリカは様々な道具を操り戦う。
その殆どが遠距離攻撃が主な物であり、やはり向かい風との相性が悪い。
「どうにかして、あの人の後ろに回りこめないかな」
「無理だね。アイツ、全然隙が無い」
有効な攻撃手段が無いことを相手も気付いているのだろう。暗殺者は口角を上げて笑った。
どうにか後ろに回り込めば――アンジェリカは二体のぬいぐるみを地面に置き、スフィアに提案をする。
「二人で掛かれば、なんとか押さえ込めないかな?」
「なんだって?バカなことを言うなよ」
自棄になったのか。そう思ったスフィアはまだその時ではないと諭す。
「大丈夫だから。後ろから魔法で援護して」
「……どうなっても知らないよ」
しかし他に手立ては無い。
アンジェリカを信じる事にしたスフィアは、短剣の一本をアンジェリカに託した。
「さぁさぁ、そこの素敵な鬼さん。鬼ごっこの始まりよ!」
短剣を片手に果敢に走り出すアンジェリカ。
しかしその走りは訓練を受けていない者のそれで、暗殺者が目で捉える事は赤子の手を捻るより容易である。
瞬時にして暗殺者はアンジェリカを己の間合いへと詰める。
それを確認したアンジェリカは地を蹴り、後ろへと飛んだ。
一歩、二歩、三歩。何度か地面を蹴った所でぬかるみに足を取られ仰向けに転ぶアンジェリカ。
その隙を当然見逃すはずも無く、暗殺者はアンジェリカへと襲い掛かる。
「掛かったね!」
空中より岩のつぶてを発生させるストーンの魔法を詠唱し、スフィアは攻撃を仕掛けた。
だが、当たらない。不意を討ったはずのストーンの魔法は空しく空を切る。
軽々と回避され行き場を失った岩は、近くにあったオルトロスのぬいぐるみを押し潰した。
暗殺者はアンジェリカの腕を押さえ組み伏せる。
毒を塗った短剣でトドメを刺そうと、勝ち誇った暗殺者に向けて。
「回り込んでやったわ、間抜けな鬼さん」
アンジェリカは、くすりと笑った。
一帯が真っ赤に染まる。オルトロスの炎が暗殺者を焼き焦がす。
アンジェリカが下がり、暗殺者がその距離を詰めた事でオルトロスと暗殺者の位置関係は、相対的に後者が風下に回っていた。
またスフィアの唱えた岩の魔法が、オルトロスを押さえる重しになることによって
オルトロスは風に飛ばされる事なく固定砲台としての役割を果たしたのだった。
「あ、あづっ!熱い!熱いってば!手加減してよ……もう」
アンジェリカの泣き言によって、オルトロスは火を収める。
暗殺者の身体が盾になっていたとはいえ、やはり熱いものは熱い。
アンジェリカは暗殺者の身体を精一杯の力を込めてどかし、やっとの事で立ち上がった。
「死んで……ないよね?」
「どうかな……」
スフィアは暗殺者の身体を足で転がし、生存を確認する。
どうやら気を失っているようだ。適切な治療を受ければ助かる見込みはまだある。
アンジェリカはそれを確認して胸を撫で下ろした。
戦いの中で結果的に命を奪う事はあれど、やはり人死には目覚めが悪い。
それはどうやらスフィアも同じであるようで、お互いに顔を見合わせ、安堵のため息を漏らす。
その束の間の油断を狙われていた。
暗殺者は目を見開き、スフィアの足を渾身の力を込めて掴む。
「あっ……こ、このッ!!」
どうにかして腕を振り切ろうとするスフィアだったが、そのまま足を握り潰さんとする拳の力に成す術も無い。
「……つぅッ!くそっ、離せっ!!」
「スフィアさん!」
スフィアの懇願も届かず、もう片方の手に握られていた凶刃が足へと振り下ろされようとした瞬間に。
鈍い音と共に頭を大きく強く揺さぶられ、暗殺者は完全に意識を手放した。
「危ないところだったね、姫。大丈夫だった?」
「た、タイガさん……」
タイガが暗殺者の頭を蹴り上げていたのだ。
スフィアは全身の力が抜けたのか、へなへなと地面へとへたり込む。
「この馬鹿っ!縛り上げるまで油断するなって、いつも言ってるだろう!」
「あだっ!?っくぅ……ごめんってば」
マーサの拳骨が、スフィアの頭へ強かに打ち付けられた。スフィアは痛みに頭をさする。
その頃には、既にスフィアの足を握る暗殺者の拳は開かれていた。
「これでよし、と」
三人の暗殺者を縛り上げ一息つく一行。
「誰か一人だけ起こして、トキオの居場所を聞き出せないかしら?」
アンジェリカの提案に三人が頷く。これからどうするにせよ、新たな指標が必要な事は確実であった。
短剣等の武装を解除し、暗殺者の一人を起こし上げる。
「うっ……私、は……?」
「ようやく起きたね。さぁ、洗いざらい答えて貰うわよ」
アンジェリカの言葉に反応し目覚めた暗殺者は、己が置かれた状況に気付き驚愕する。
「私をどうなさるおつもりですか」
浮浪者のような容貌とは対照的に、暗殺者の男はじっとこちらを見据えて淡々と問いかける。
「怖がらないで。ちょっと質問に答えてもらうだけだから」
淡々と受け答えをする暗殺者に、乱暴な事は決してしないと約束するアンジェリカ。
「このくらいの男の子を探してるんだけど、見かけなかったかな?」
暗殺者は口をつぐんで答えない。
「こいつ!締め上げて吐かせてやる!」
「だ、駄目だって!」
強引に聞き出そうとするスフィアを、アンジェリカが止めに入る。
冒険者は確かに荒くれ者が多く、無頼漢のように生きる者も少なくない。
だが、決して無法者ではない。その境界を履き違えてはならなかった。
「じゃあ、どうするのさ!」
食い下がるスフィアだが、他の三人にも名案は出ない。
聞き出せない相手に用は無い。だが、彼らを放置する訳にはいかなかった。
「事が済んだら、自警団に引き取って貰わなきゃいけないね」
「自警団に引き渡されたら、私達はどうなるのですか」
抑揚の無い声で聞く暗殺者。
国に引き取られた犯罪者は、通常は裁判に掛けられ懲役刑を課される。
特に重い罪を重ねた者は教会へと連れて行かれる。その後、どうなったかを知る者は居ない。
「まあ、死刑になったって話は聞いた事が無いから。自分の犯した罪と向き合って償いなさいな」
そう言って暗殺者を見やる一行は、信じられない光景を目の当たりにした。
そこには口から赤い筋を垂れ流し、頭を垂れる暗殺者の姿があったのだ。
「やりやがった……こいつ、舌を噛み切ったんだ」
ほんの僅かの間呆けるスフィアだったが、すぐさま跪き癒しの魔法を掛ける。
「ヒール!……ダメか」
舌を噛み切ったショックにより、暗殺者は既に事切れていた。
癒しの魔法により傷は塞がったが、暗殺者が目を覚ます事は二度と無いだろう。
「そんな、どうして……?」
暗殺者の男は死して尚、叫び声を上げていた。口からではない。魂が叫んでいるのだ。
魂は不本意な死に臨む際、その痛みに叫び声を上げる。
道具使いにしか聞こえない声によって心を大きく揺さぶられ狼狽するアンジェリカ。
彼女の頭はずきりずきりと痛みだし、堪え切れぬ吐き気が彼女を苛んだ。
「おお、なんということでしょう」
すぐ傍から、声が上がる。自害していない方の暗殺者の男だ。
「彼はアンジェラ教の者達に罰せられる事を恐れ、自ら命を絶ったのです」
「なんだって?」
スフィアが問い質すと、暗殺者の男は続ける。
「我々が囚人として服役している間。いつか自身に向けられた痛みに耐えかね、我々にとってよくない情報を漏らす危険性……それを察して、仲間を守る為に。ヤタック様の教えに殉じたのです」
男は笑う。仲間を失いながらも、穏やかな笑みを浮かべている。
しかしその瞳は、光さえ吸い込まれてしまいそうな黒に染まっていた。
「祈りましょう。彼は一足先に神の御許へ向かいました。天使となったのです」
暗殺者の男は淡々と語り、ただ静かに。先に逝った仲間の為に祈っていた。
あまりにも違い過ぎる価値観に、一行は息を呑む。
「タイガさんの国には、こういう奴はいた?」
「いやあ、ここまで極まったのはなかなかいないね」
アンジェリカの問いかけにタイガは肩を竦める。
この世界では現世利益を求める者。理想を追い求めた者。集団生活に適応できなかった者。
そういった者達が国や教会の庇護を抜け出て、自分達の理想の世界を作ろうとする事はままあった。
彼らはしばしば夢破れ、国に保護を求めたり盗賊に身を落としたりする。
しかし稀に新たな国や宗教などの、大きな共同体へと成長する事もある。
ヤタック教もその途上にある組織なのだろう。
だが、末端の団員を見る限り、その中でもこの組織は明らかに異質である事が見て取れた。
「薄気味悪いよ。早く行こう」
スフィアが促し、一行はこの場を離れる。
ヤタック教の邪魔は入ったが、ようやく一行は本来の目的であるトキオの捜索に戻る事ができたのだった。




